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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

TEL 086-255-1155

岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

妙霑寺の紹介

妙霑寺の概要

「妙教」で紹介(平成12年12月現在)

 妙霑寺は、創価学会員が所属していた時代も含むと、四十四年にわたって、住職が信徒を手塩にかけて育成してきた。
 その間、移転新築、常住板御本尊の入仏、園林寺の建立、客殿と納骨堂の新築と、住職が信徒と一体となって寺域の整備に努めてきた。
 平成二年から創価学会の離反謗法が始まったが、今も信徒と共に、住職自ら、日に四、五軒の家庭訪問を実施し、五百世帯近い陣容をもって、平成十四年三十万登山に向かって戦いの駒を進めている。

 今回は、岡山県にある永照山妙霑寺のご紹介をさせていただきます。
 岡山駅から車で十分ほど走ると、国道五十三号線沿いに「日蓮正宗妙霑寺」と書かれた大きな看板が目に飛び込んできます。そして大きな看板にも増して目を引くのが、立派な堂宇を擁した寺域の景観です。
 その境内の入り口には、国道に沿って流れる小川があり、見ると一尺もあろうかという魚が何匹も泳いでいて、それが野生のフナだと聞かされました。県庁所在地として人口六十万人を越える大都市でありながら、中心街よりほど近い場所に今尚このように自然が残されていることに、驚きと感動を覚えました。
 さて妙霑寺は、昭和三十一年に創価学会戸田二代会長の発願によって建立寄進された寺院です。この年の八月十日に総本山第六十五世日淳上人の御親修を仰いで入仏式が奉修されましたが、法要終了後に戸田二代会長が宗門と学会の関係を明確にする意味の重大な発言をされました。それは「御法主上人猊下、もし今後創価学会がどんどん大きくなって、本山の言うことを聞かなくなったり、宗門に内政干渉するようなことがあったら、いつでも学会を破門してください(趣意)」と誓ったものでした。
 この内容についてはすでに、直接その場に居合わせた重役常健院日勇御尊能化の証言として周知のところです。住職の記憶では、その場に十名ほどの僧侶が同席していて、その中には御先師日達上人もおられたということです。
 その戸田二代会長が危惧したことが、後に五十二年路線と言われる謗法逸脱の問題、更には今回の離反行為という形で現実のものとなってしまったことは、誠に残念極まりないことです。しかし、その中から真実に気づき正法を求めて寺院に集った人たちによって真の僧俗一致が計られ、本来の姿に立ち返って正法広布に邁進し得ていることは、まさに御仏意の然らしむるところと拝し奉るものです。
 妙霑寺にあっては、まさしく住職が先頭に立ち僧俗一致した在り方の中で、折伏弘教・寺運興隆に努めておられます。
住所 岡山県岡山市津高七八一番地
建立 昭和三十一年(一九五六)八月十日「学会岡山市上伊福東新町に妙霑寺を建立寄進」(富士年表)
寺宝 日達上人御本尊 一体 昭和四十一年五月一日 本堂安置
   日顕上人御本尊 一体 昭和六十年三月吉日 客殿安置
   日淳上人御本尊 一幅 昭和三十一年七月仏生日 上伊福東新町時代の本堂安置
  ※その他日淳・日達・日顕各上人御本尊一体五幅収蔵
開基 総本山第六十五世日淳上人
開基檀那 創価学会二代会長戸田城聖

  

縁起・沿革

 

 永照山妙霑寺は、中国地方では戦後初めての正宗寺院として昭和三十一年八月に建立されました。当時、総本山を根本としての正法広布の立場にあった創価学会の大折伏戦により、全国的にその成果が著しく顕われ、岡山県内においても信徒数が千世帯を越えるに及んで、創価学会二代会長戸田城聖氏の発願にて上伊福東新町に建立寄進されたものです。
 当日は、総本山より日淳上人の御下向を賜わり、当時の関西布教区(岡山・兵庫・大阪で第八教区と言っていた)の住職方が大勢参集され、また信徒を代表して東京より戸田城聖氏、関西より白木儀一郎氏等をはじめ、地元代表信徒が二百余名参加して盛大に入仏法要が奉修されました。
 以来、地元の地域のみならず、山口県あるいは広島県等に至るまで、広い範囲に亘って妙霑寺を中心とした僧俗一致の広宣流布が進められ、その果たした役割は誠に大きいものがありました。
 創立よりちょうど十年目の昭和四十一年に寺院の建て替えを計画しますが、近隣周辺の猛反対を受け中断を余儀なくされ、その後更に十年を経た昭和五十一年十一月十一日に、ようやく念願叶って妙霑寺を現在の津高の地に移転新築し、本堂常住板御本尊の入仏式と併せて、総本山第六十六世日達上人の大導師を仰いで落慶法要が奉修されました。
 昭和五十四年九月、岡山県高梁市川面町に園林寺を建立して大石寺に寄進御供養されました。昭和六十年六月十一日には客殿と納骨堂の新築をされ、御当代日顕上人猊下の御親修を仰いで、落慶法要が盛大に奉修されております。
 寺域がきれいに整備され、また建物の中も使い勝手の良い造りとなっており、住職が信徒と一体となって長年に亘り御奉公に努めてこられた足跡が見て取れる想いがしました。
 現在、講中は五百世帯近い陣容を有し、また市内には古くからあった岡山講中という大阪蓮華寺の信徒が八世帯ほど法統を護り続けています。信徒と共に住職自らが時間を見つけては日に四・五件の家庭訪問を実施され、寺檀和合の範を示され、一層の寺運興隆に努めておられます。

「妙教」第98号平成12年12月号から転載

妙霑寺の沿革

建立

創価学会第2代会長 戸田城聖氏の発願により昭和31年8月10日建立
○建立当時の資料から
 妙霑寺落慶入佛晋山式  横田 智研 記
 長い間、力のこもった題目と地涌の菩薩心に起つ慈悲の溢れる折伏の結晶として、岡山駅から西へ約十分の位置に所在する茲、妙霑寺は敷地百有五坪にして新しく建立され、山陽道唯一の折伏道場として、八月十日管長猊下を初め宗務役職員並に第八教区組寺多数の僧侶並に東京本部より戸田会長先生、大幹部、地元地区信徒五百余名の参列のもと厳粛かつ荘厳に入佛落慶の式を致し、管長猊下より慶讃文が奉読せられ、折から喰い入る様な炎天下にも同志の手には堅い烈として此れから來たるべき確信にみちた折伏心と熱意を新たに把握した。
 私も学未熟乍らも為宗為法山陽道の折伏道場に屍を臥し僧俗一体となって広宣流布に盡す覚悟で進んで居ります。どうか先輩諸師の御指導と御鞭撻を誌上を借りてお願ひ致します。
 差 定
 一時、御出仕御登座
 献膳
 読経
 慶讃文
 経過報告
 総監祝辞
 庶務部長祝辞
 第八教区代表祝辞
 第九教区代表祝辞
 祝電
 岡山地区部長挨拶
 大阪支部長挨拶
 会長挨拶
 住職謝辞
 閉会之辞
 二時半御目通り御盃

 慶讃文
 妙風一天に渡り、法雨一切を霑す、此処岡山の地に一寺を建立し四域を荘厳し奉って入仏落慶の式を行う。
 謹みて
 南無十界本有常住事の一念三千人法一箇独一本門の大御本尊、南無本因妙の教主一身即三身、三身即一身三世常恒の御利益主師親三徳大慈大悲宗祖日蓮大聖人師、南無法水瀉瓶唯我与我本門弘通の大導師第二祖白蓮阿闍梨日興上人師、南無一閻浮提之御座主新田卿阿闍梨日目上人師の御宝前に敬って言す
 方に今、本宗の化導は四隣を覆い、妙法の光は晋く十方を照す、然るに当中国地方は正宗の寺院二、三を数うるのみにして教線の拡充に伴い、寺院を建立してその基を築くは当に眼前の急務たるに至れり茲に創価学会々長戸田城聖大施主となり浄財を喜捨して新寺院を建立し、妙法流布の源となせり
 日淳、此処に此の寺を永照山妙霑寺と命名して永く宗祖の御威光を増し、折伏逆化の本源たらしめんと欲す。経に曰く
 一心に佛を見奉らんと欲して自ら身命を惜しまずと
 願くば宗祖大聖人、大慈大悲を垂れ給い、日淳の微衷を衷愍せられ妙霑寺の興隆をなさしめ給へ

 昭和三十一年八月十日
                               総本山六十五世法主 日淳

 創価学会第2代 戸田城聖会長の発言
 「将来、もし学会が大きくなって、宗門に圧力をかけたり、あるいは内政干渉をするようなことがあったら、いつでも解散をお命じ下さい」

寺域の変遷

昭和51年11月11日 現在地(岡山市北区津高781番地)へ移転新築


 

妙霑寺本堂庫裡新築起工式
○建立当時の資料から
岡山市 妙霑寺起工式
 新緑の風そよぐ4月2日午後1時より、妙霑寺本堂庫裡移転新築起工式が同寺院建設予定地で厳粛に行なわれた。
 現在の妙霑寺は昭和31年8月10日創価学会の御供養によるもので、岡山県下唯一の正宗寺院として各方面より多くの信徒、又多くの大幹部が巣立って行った由緒ある法城で あったが、岡山県下の創価学会の広布進展もいちじるしく進み、現在の寺院では手ぜまになった事と、又、寺院建立二十周年の佳節を記念して一段と大きく移転新築、会員達に満 足していただける様にとの住職横田智研御尊師の念願がかない此の日の起工式となったものである。
 教区内外の僧侶、信徒学会員、地元代表、連合設計社々長、横山公男氏、工事関係者多数の参列を得て、読経、唱題、焼香、に引続き住職、総代、設計者、清水建設等の順で鍬 入れ式が行なわれた。
 引き続いて総代清水岡山県長、設計者の横山公男氏、清水建設の塩田氏と挨拶があり、終りに住職より各代表者に対し厚く御礼の後10月の完成迄無事故で立派な法城を完成してほしいとの謝辞があり、式典は終了した。
 新寺院の敷地面積は約3300平方メートル、建築面積約650平方メートル  駐車場には約80台の車が駐車出来、完成は10月末日。岡山駅より車で約10分。国道53号線沿い。
 住所=岡山市津高781番地。
                              (隆道記)
「大日蓮」364号昭和51年6月号から転載
 妙霑寺移転新築入仏落慶法要
○建立当時の資料から
岡山市 永照山妙霑寺移転新築入仏落慶法要
 去る11月11日、岡山妙霑寺に於いて、御法主上人猊下御親修のもと、移転新築入仏落慶法要が盛大且つ厳粛に奉修された。
 当日は早朝より小雨煙る悪天候となり、教区はもとより、2,600余名の参詣者一同も気をもんでいたが、御法主上人猊下が御到着遊ばされる30分前には雨も止み、晴れ間さえ見え、一同安堵した。
 当山20周年と移転新築なった二重の喜びに涌く地元学会員並びに僧侶、寺族多数のお迎え申し上げる中を、御法主上人猊下には午前11時30分住職並びに、長町副支院長の案内により、御機嫌麗わしく御到着、直ちに正面入口に設けられた門碑の除幕があり、同時に約300個の風船と花火が打ち上げられた。
 早速、僧侶、寺族、信徒代表の順にお目通りが許され、御少憩の後、予定より20分早く午後12時40分、御法主上人猊下には多数の参詣者の唱題申し上げる中を御出仕遊ばされ、御本尊御開扉、献膳、読経唱題と如法に奉修された。
 次いで、総代清水県長の経過報告の後、財務部長、副支院長、上田副会長の祝辞、感謝状贈呈、住職横田智研師の謝辞と続き、最後に日蓮正宗の歌、人間革命の歌を大合唱して、1時52分感激のうちに式は滞りなく終了した。  少憩の後、2時より御法主上人猊下には、お疲れの御様子もなく「法門申さるべき様の事」を御奉読遊ばされ、親しく甚深の御説法を賜った。
 御親教終了後、正面玄関横の庭に、「黒松」を御手植遊ばされ、引続き本堂に於いて僧侶寺族次に信徒代表と二回に分け記念撮影をして、ここに3時20分、一切の法要は滞りなく終了した。
 尚、御法主上人猊下より入仏落慶の桂き日の為に御染筆と御句を賜った。
「寂 光」
「津山道移転新築寺の秋 妙観」
 新築なった妙霑寺は、総面積3,325平方米(約1,003坪)、建築面積635平方米(約230坪)庫裏は木造平屋建、本堂は鉄筋コンクリート造り木造仕上げ、本堂内は約600名収容でき、ジュータン敷き、冷暖房完備の近代的建築且つ荘厳で明るい寺院である。
 設計は横山公男氏、施工は清水建設が担当された。
 住所 岡山市津高781番地
    式次第
一、開式の辞   司会・大平信勝師
一、出仕鈴
一、御法主上人猊下御出仕
一、御本尊御開扉
一、献膳
一.読経、唱題
一.御供養奉呈
一、経過報告  総代・清水茂正県長
一、祝辞    宗務院代表・能勢昭済財務部長
        教区代表・長町亨道副支院長
        学会代表・上田雅一副会長
一、感謝状贈呈
一、住職謝辞
一、日蓮正宗の歌
一、人間革命の歌
一、題目三唱
一、御法主上人猊下御退座
一、閉式の辞
    少憩
一、御親教
                −以上−
出席僧侶、寺族(敬称略・順不同)
○随行=野村慈修宗会議長、能勢昭済財務部長
    早瀬主任理事、奥番正道
○教区内=杉谷香道  横田智研  佐藤泰蓮
     大平信勝  秋山義道  長町享道  加藤法研
     渡辺定英  白井照研  福田寿道  畠中隆道
     諸江東道
○教区外=古川慈雄  大石菊寿  青山諦量
     秋山円海  岩瀬正山  奥 法道  小野宏憲
     細川領善  三奸智浄  金沢法頂  阿部法胤
     吉田義誠  稲尾慈正  高野永済  秋山慈泉
     秋山孝教  光久諦顕  平山広生  大橋慈譲
     前川慈肇  早瀬義舜  高野法尊  浅井広竜
     能勢昭済  鈴木譲信  久保川法章 有川岳道
     大村寿顕  青山諦量  豊田広栄  上田慈一
     菅野慈雲  渡辺慈済  早瀬義寛  金塚義岳
     田中教導  影山道泰  佐藤正英  佐藤公妙
     内藤寿学  斎藤慈有  富田慈竜  阪口義馨
     藤川法融  細井珪道  野村慈修  高野法雄
     佐藤慈暢  鈴木秀喜  渡辺哲照  斎藤善道
     角田実道  河辺慈篤  石川秀頴  梶原慈文
     向島秀浩  藤本信恭  笠松澄道  成田泰耕
     秋山徳道  簗瀬明道  石井栄純  石川広覚
     増田宇広  秋元広学  瀬戸義恭  工藤玄英
     片山信英  数井慈鑑  中島秀要  細井琢道
     秋山教円  原山元征  水谷秀旭  原田知道
     梶原孝昭  山本法明  菅野正見  中島法信
     佐野知道  荻原昭謙  阿部信彰  井上法永
     小藪賢道  岡村知栄  近山智秀  長谷部道潤
     渡辺慈順  丸岡文乗  古川興道  漆畑行雄
     小野文康  磯崎文城  早川勤道  芦原法雲
     丸岡雄道  中原寿照  高橋信行  川井泰円
     池田法定  大石泰成  柳坂幹道  吉田誠善
     大橋正淳  日比野慈成 入江肇道  今福永明
     佐藤広明  早瀬義久  大橋信明  白井浄道
     前田積道  石井信量  松本珠道  東 b道
     小板橋明英 中浜広修  浜田敏道  三谷唯道
     安口紀道  村上節道  西垣即道  高見求道
     三宅統道  高橋正道  村山泰道  福田譲道
     松井佳道  阿部美道  高橋木道
○寺族= 阿部政子  細川美枝子 三好艶子
     光久寿美江 鈴木明子  青山佐枝子
      木村光子  原山扶美  岡村ミツイ
     長町美智子 渡辺のぶ子 福田玲子
     横田八重子 白井民子
                  (畠中隆道記) 以上
「大日蓮」372号昭和52年2月号から転載

昭和51年11月15日聖教新聞

●昭和51年(1976年)11月15日聖教新聞
日蓮正宗妙霑寺が移転新築の法要
僧俗一致で広布推進
日達猊下が御親修「がんばります」と地元会員
 寺院建立二十周年を記念した岡山市・永照山妙霑寺の移転新築落慶入仏法要が十一日午後零時半から、 日達猊下御親修のもと厳粛に行われた。これには上田雅一副会長をはじめ、清水茂正県長ら県下の会員が多数参列した。
 学会寄進による妙霑寺は、昭和三十一年八月十目に日淳猊下、戸田前会長が出席して落慶入仏法要が行われた寺院であった。 以来、中国広布の法城として学会員から親しまれ、弘教推進のかなめとなってきたが、このたび移転新築されたもの。
 法要では、日達猊下の大導師で勤行・唱題の後、清水県長が経過を報告。上田副会長は祝辞で、三十一年の落慶入仏法要のさい、 戸田前会長が示した令法久住の方程式と”一人立つの精神”の大切さを思い起こし”中国広布の原点”岡山の折伏弘教の活動を述べながら、 この佳き日を期して、新生岡山の建設、そして広宣流布大願成就を目指して弘教の活動を進めていこうと語った。
 感謝状贈呈、住職の横田智研尊師あいさつの後「日蓮正宗の歌」「人間革命の歌」を大合唱した。
 小休の後、日達猊下は「法門申さるべき様の事」(御書全集一二六五nから一二六六nまで)を御親教。
 「ます地域広布にがんばります」と、地元岡山北本部津高総Bのメンバー。 地元会員はこの日、丹精こめて育てた約三百個の鉢植えの菊を配置して落慶を祝うとともに、今後見事な実証の花を咲かすことを誓い合っていた。 なお新築なった妙霑寺は横山公男氏が設計を担当。同寺院の境内は約三千三百二十五平方b、約八十台収容できる駐車場もある。 建築面積は約六百三十五平方bで、住所は岡山市津高七八一。国道53号線沿い。

 

昭和60年6月11日 客殿・納骨堂建立

○建立当時の資料から
 妙霑寺客殿・納骨堂新築落慶法要    去る6月11日、岡山市の永照山妙霑寺において、客殿並びに納骨堂の新築落慶法要が御法主日顕上人猊下御親修のもと厳粛かつ盛大に奉修された。
 この法要には藤本栄道総監、早瀬日慈重役、太田慈晁宗会議長をはじめとする多数の僧侶が出席。また大講頭の森田一哉理事長、小泉隆参議会議長はじめ地元信徒多数が参列して晴れの盛儀をお祝いした。
 妙霑寺は鳥取市の日香寺に次いで、中国地方第二番目の寺院であり、その果たした役割は大きく、昭和31年の創立以来、住職を中心に僧俗一致した広宣流布への前進をなしてきた。また寺運も興隆し、昭和51年に移転新築をなし、更に今回客殿・納骨堂が新築されて落慶入仏式の慶事を迎えたものである。
 御法主上人猊下には前日の啓運寺落慶法要に引き続きにもかかわらず、お疲れの御様子もなく午前11時10分に妙霑寺に御到着になられた。直ちに客殿正面の山号板を除幕されるやカラフルな風船が舞い上がり、歓声がわき起こるなか御機嫌麗しく庫裡にお入りになられた。
 小憩の間もなく、住職横田智研師、教区内外僧侶、信徒代表、寺族の順にお目通りが許された。
 法要は午後零時半より開始され、御法主上人大導師のもと献膳、読経、唱題と如法に進められた。
 この後御法主上人よりお言葉を賜り、日蓮大聖人が諸御抄で法華経の行者に対する真心の御供養に大きな功徳があることを御指南されている旨を示されながら甚深の御指南をなされた。
 次に清水茂正同寺総代より経過報告があり、続いて宗務院を代表して藤本総監、宗務支院を代表して秋山義道東中国布教区副宗務支院長、信徒を代表して森田大講頭より、それぞれ祝辞が述べられた。
 次いで建築関係者に感謝状と記念品が贈呈され、横田住職より丁重な謝辞と今後の更なる御奉公の決意が述べられ、”日蓮正宗の歌”を合唱し本堂での法要は滞りなく終了した。
 引き続き客殿入仏式、納骨堂開眼法要が、御法主上人猊下大導師のもと厳粛に奉修され、更に”松”のお手植えを賜った。
 小憩の後、午後二時半より再び御法主上人猊下が本堂に御出仕され、『観心本尊抄』の「本門を以て之れを疑わば」(全集243ページ5行目)から「如何が之を信ぜん」(同244ページ6行目)までの御説法を一時間にわたって賜り、午後4時半に一切の法要が滞りなく終了した。

●客殿・納骨堂概要
延床面積  140坪
一階 ロビー、受付、多用室
二階 客殿36畳 控室 ロッカー式納骨堂
起工式 昭和59年4月2日
上棟式 昭和60年3月16日
●出席僧侶(順不同・敬称略)
○随行
 藤本栄道 駒井専道 拝道
○教区
 秋山義道 渡瀬広伝 石川相道
 藤田超道 斎藤慈賢 小久保原道


妙霑寺移転新築落慶法要
写真:落慶式当日の妙霑寺入口付近
 

昭和61年12月17日 創立30周年記念法要

○記念法要の資料から
日蓮正宗妙霑寺 創立三十周年記念法要
昭和61年12月17日(水)午後1時より
●諸役割差定
取締役   秋山副支院長
庶 務   渡瀬広伝   藤田超道  齋藤慈賢
本堂係   伊藤光暁   鷹尾了道
 司 会  長谷川章道
 マイク  小久保原道
 給 仕  渡辺礎道
 太 鼓  塩満齢道
受付係   永山認道
接待係
 僧侶   角石永道   白井照研
 寺族   大橋慈興
 学会   加藤陵道
記録係   永山認道  (録音・写真は依頼)
配車係   加藤陵道
会場係(祝賀会)  塩満齢道    渡辺礎道    白井照研
●時 間 帯
   9:00  諸役員集合
    〃    最終打ち合わせ
  10:30  役員配置完了
  11:30  信徒入場開始
  12:00  僧侶・役員昼食
  12:30  信徒入場完了(第一号鐘)
  12:50  幹部・寺族入場
  12:55  僧侶入場完了(第二号鐘)
  13:00  法要開始
  14:00  法要終了
  14:10  布教講演開始
  15:10  布教講演終了
  15:30  記念撮影
  16:00  出発
  16:30  祝賀会
●法 要 次 第
(法要の部)
  開式の辞    司会 長谷川章道
  出仕鈴
  献膳
  読経・唱題
  題目三唱
(式の部)
  経過報告
  宗務支院代表祝辞    秋山副支院長
  信徒代表祝辞
  住職謝辞
  日蓮正宗の歌
  閉式の辞
  題目三唱
  終了鈴
  布教講演会    全国布教師 尾林広聴師
●出 席 者 名 簿
(教区)
 秋山義道   渡瀬広伝   藤田超道   齋藤慈賢
 小久保原道  長谷川章道  白井照研   鷹尾了道
 角石永道   永山認道   伊藤光暁   塩満齢道
 渡辺礎道   加藤陵道
(教区外)
 秋山円海   奥 法道   稲尾慈正   大橋慈譲
 高野法尊   青山聴瑩   尾林広徳   石井栄純
 原山元征   岡村知栄   大橋正淳   入江肇道
 今福永明   大橋信明   西垣即道   末房宰道
 大橋慈興   細川明仁   佐藤記道   片山達道
(寺族)
 岡村ミツイ  大橋道子   齋藤美奈子  小久保和子
 白井民子   片山里美   横田八重子

妙霑寺創立30周年記念法要  

平成18年6月17日 創立50周年記念法要

○記念法要の資料から
日蓮正宗妙霑寺 創立五十周年記念法要
平成18年6月17日(土)午後1時より
【法要の部】
   開式の辞
   出仕鈴
   献膳
   読経・唱題
   題目三唱
【式の部】
   経過報告 総代           川口 政太郎
   祝  辞 関東大布教区宗務大支院長 光久 日康 殿
   祝  辞 日蓮正宗宗会議長     細井 珪道 殿
   祝  辞 本山 本門寺住職     横田 智研 殿
   祝  辞 東中国布教区副宗務支院長 伊藤 光暁 殿
   住職謝辞 妙霑寺住職        長谷川 章道
   閉式の辞
   題目三唱
   退座鈴
【布教講演】
   全国布教師 妙栄寺住職      高野 法雄 殿

妙霑寺創立50周年記念法要      

平成28年9月4日 創立60周年記念法要

○記念法要の資料から
日蓮正宗妙霑寺 創立六十周年記念法要
平成28年9月4日(日)午後2時より
式次第
【法要の部】
  開式の辞
  出仕鈴
  献膳
  読経
  焼香
  唱題
  題目三唱
【式の部】
  御供養目録 川原 清博 総代
  経過報告 川原 清博 総代
  祝辞 長谷 顕光 宗務支院長、
  祝辞 土井 一義 地方部長
  住職謝辞
  閉式の辞
  題目三唱
  退座鈴
【小憩】
  布教講演 備前市 音教寺住職 今井法淨御尊師
   演題「懸命な祈りと唱題で折伏誓願を達成しよう」
  記念撮影
○「妙教」第」290号平成28年11月号から
 九月四日午後二時より、岡山市北区の妙霑寺(菅原信了住職)において、同寺の創立六十周年記念法要が厳粛かつ盛大に奉修されました。
 この法要には、長谷顕光岡山布教区宗務支院長をはじめ布教区内の僧侶が出席。また、土井一義岡山地方部長をはじめ、信徒多数が参列しました。
 法要は菅原住職の導師により献膳、読経、唱題と如法に奉修されました。
 引き続き式の部に移り、川原清博総代より御供養目録が奉呈されたのち、菅原住職から受書が授与されました。こののち、川原総代より経過報告が概要、次のように述べられました。
 「今年、妙霑寺は創立六十周年を迎えることができました。六十年前の当時、岡山市では布教が目覚ましく、急激な信徒増加のため、信徒の教化および冠婚葬祭等の典礼や各種法要を実施するに当たり、身近な場所に寺院建立が望まれていました。
 そこで、岡山市清心町に寺院が建設され、昭和三十一年八月十日、総本山第六十五世日淳上人の大導師のもと、僧侶三十一名、信徒約二百名が参集し、落慶入仏法要が奉修されました。
 初代住職には横田智研御尊師が御赴任され、初代御住職の指導のもと、さらなる折伏弘教によって信徒の増加が顕著となってまいりました。これにより、旧本堂が手狭となって信徒を収容しきれない状態となりました。
 清心町という場所は住宅密集地で、寺院建物や駐車場等の関連施設を拡張することが不可能な状態でした。
 そこで、新たな寺院建立地を求めて、現在地の津高の地へ移転新築し、昭和五十一年十一月十一日、第六十六世日達上人の大導師のもと、移転新築落慶入仏法要が奉修されました。
 また、昭和六十年六月十一日には客殿・納骨堂を建立し、前御法主日顕上人猊下の大導師のもと、新築落慶法要が奉修されました。これらの業績は、初代御住職が寺院の外護と信徒育成に尽力されたこと、そして御信徒の尊い外護のもとになされたものであります。
  平成に入り、日蓮正宗より破門になった創価学会から多くの方が脱会し、妙霑寺信徒として総本山根本の信仰を貫いてきたのであります。横田御住職は、平成十二年十一月七日、香川県の本山本門寺へ御赴任され、第二代住職として長谷川章道御尊師が御赴任されました。
 平成十四年には、宗旨建立七百五十年の意義ある年に、法華講支部の結成から二十年となり、法華講妙霑寺支部結成二十周年記念総会を開催しました。
 そして平成十八年六月には、同寺の創立五十周年を迎え、その記念法要を厳粛かつ盛大に奉修されました。第二代御住職も寺院の外護と信徒育成に尽力され、同二十一年六月二十四日、現御住職の菅原信了御尊師が御赴任されました。
 今日までの七年間、厳しきなかにも温かい御指導を受けることができ、法華講員一人ひとりの成仏のために、信心の基本をお教えくださり、常に私達に対して御配慮を賜っていることに有り難く思っております。
 今思うに、現御住職の入院式の祝辞において八木総監様が、御住職のお姿を説明されました。それは昔から変わらず「謗法厳戒」のお姿であるとのお話でした。
 このたびの創立六十周年記念に当たり、御住職のお計らいのもと、我々講中一同の御供養をお受けいただき、本堂照明のLED化と控え室の改修、客殿の畳替えと襖の張り替え、本堂・客殿の灯篭の修繕等々、寺院の改修・修繕をさせていただきました。
 これより私達妙霑寺法華講は、平成三十三年・法華講員八十万人体勢の構築に向け、さらなる謗法厳誠を旨とした折伏実践を重ねていかねばなりません。
 これから七十年、八十年と妙霑寺の歴史を共に刻みながら仏祖三宝尊に御報恩謝徳申し上げ、地域広布に資していこうではありませんか」。
 続いて長谷支院長、土井地方部長より祝辞が述べられ、最後に菅原住職より参列の各位に対して丁重な謝辞と、今後の決意が披瀝されました。
 小憩ののち、岡山県備前市の音教寺住職・今井法浄師により、布教講演が行われました。
 このあと本堂において記念撮影が行われ、法要の一切は滞りなく終了しました。
○「大日蓮」第849号平成28年11月号から
 九月四日午後二時より、岡山市北区の妙霑寺(菅原信了住職)において、同寺の創立六十周年記念法要が厳粛かつ盛大に奉修された。
 同寺は、岡山市上伊福東新町(現在の清心町)の地に、昭和三十一年八月十日、総本山第六十五世日淳上人の大導師のもと、落慶入仏法要が奉修され、初代住職として横田智研師が就任した。
 その後、信徒の増加に伴って境内が手狭となったことから、現在地に移転し、昭和五十一年十一月十一日、総本山第六十六世日達上人の大導師のもと、移転新築落慶入仏法要が奉修された。
 また、昭和六十年六月十一日には、前御法主日顕上人猊下の大導師のもと、客殿・納骨堂新築落慶法要が奉修された。
 そして、平成十二年十一月七日に第二代住職として長谷川章道師が、同二十一年六月二十四日に第三代住職として菅原師が就任し、さらなる寺檀和合・寺運興隆が図られた。
 そしてこのたびの慶事に当たり、法華講員一同の御供養により、本堂照明のLED化、控え室の改修、客殿の畳替えと襖(ふすま)の張り替え、本堂・客殿の灯篭の修繕、境内の整備等がなされ、同日の法要を迎えたものである。
 この法要には、長谷顕光岡山布教区宗務支院長をはじめ布教区内の僧侶が出席。また、土井一義岡山地方部長をはじめ信徒多数が参列した。
 法要は、菅原住職の導師により献膳、読経、唱題と如法に奉修された。
 引き続き式の部に移り、川原清博総代より御供養目録が奉呈され、これに対して菅原住職より受書が授与された。
 そののち、川原総代より経過報告、長谷支院長、土井地方部長よりそれぞれ祝辞が述べられた。
 最後に、菅原住職より参列の各位に対して丁重な謝辞と今後の決意が披瀝された。
 小憩ののち、同県備前市の音教寺住職・今井法浄師により布教講演が行われた。
 このあと本堂において記念撮影が行われ、法要の一切は滞りなく終了した。
●出席僧侶(順不同・敬称略)
 長谷顕光 斉藤慈賢 伊藤光暁
 木村信久 野村正啓 米丸良慧
 菅原良乾 今井法浄 野木法直

妙霑寺創立60周年記念法要

寺 宝

寺宝 日達上人御本尊 一体 昭和四十一年五月一日 本堂安置
   日顕上人御本尊 一体 昭和六十年三月吉日 客殿安置
   日淳上人御本尊 一幅 昭和三十一年七月仏生日 
               上伊福東新町時代の本堂安置
   日如上人御本尊 一幅
    ※その他日淳・日達・日顕各上人御本尊一体五幅収蔵

  
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