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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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行学の二道

行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化
候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし
                           (諸法実相抄)

「行学」とは

 行とは、「自行化他」にわたる修行のことです。
「自行化他」について、
 「自行」とは、「自ら行う」修行であり、「化他」とは、「他を化する」すなわち他者を教化教導する修行のことです。
 天台大師の法華文句巻八上に「自修報恩を自行と名づく、彼を益するはすなわち化他なり」とあります。
 これは通常使われる「自行化他」の説明ですが、法体に関連して説明すると、自行とは仏の悟りそのものを説いた随自意であり、化他とは、衆生の機根に合わせて説いた随他意となり、経典においては、法華経が自行の法門、化他とは法華経以前の爾前経となります。
 日因上人は惣勘文抄秘記に、
「凡そ霊山に於いて相承する所の釈尊一代五十年の説法を自行化他に分かって判釈す。自ら四重の勝劣有り。其の中に先ず四十二年の説法は是れ化他の法門なり。即ち如来随他意の語にして即身成仏に非ず。故に但九界の衆生の機類に随って種々に説法し給うなり。後八ヶ年の法華経は是れ自行の法門なり。即ち随自意の語にして即身成仏の法なり。故に如来の本意に随って一仏乗と説き給うなり。故に今之れを分かって二と為す。一には化他、二には自行なり」と説かれています。
 修行の観点から具体的には、「自行」とは勤行・唱題、寺院参詣、総本山への登山、各種行事への参加など、自らの意思で行うことができるもので、「化他」とは折伏、御供養など法を弘め寺院を発展させる行為といえます。
 日蓮大聖人は、一生成仏抄に、
「一念無明の迷心は磨かざる鏡なり是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし、深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり」
と唱題を懈らず唱えるように仰せです。
 また、折伏については、法華初心成仏抄に、 「当世の人、何となくとも法華経に背く失に依りて、地獄に堕ちん事疑ひなき故に、とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし。信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり。何にとしても仏の種は法華経より外になきなり」(御書1315)
とあります。
 いずれについても、三大祕法稟承事に、
「末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」(御書1594)
とあるとおり、唱題を中心として折伏することが大切なのです。
 学とは、信心を深めるため仏教上の教義を研鑽することです。日蓮正宗信徒において、仏教であればなんでもよいのかというと、そうではありません。
 日興遺誡置文に、 「一、当門流に於ては御書を心肝に染め極理を師伝して若し間有らば台家を聞く可き事。」
とあるとおり、御書を中心として学ぶべきです。


法華経

釈尊説法における法華経

 釈尊は成道を遂げた後、四十二年間の間、衆生の機根に応じて多くの経々を説きました。しかし、これらの諸経は「法華経」という最勝真実の教えに導くための”方便(権の教え)”であったと、釈尊は述べられています。
  すなわち法華経の『方便品第二』に、
「正直に方便を捨てて 但無上道を説く」(開結124)
と説かれ、また『法師品第十』にも、
「此の経は、方便の門を開いて真実の相を示す」(開結328)
と説かれるように、法華経こそが真実無上の教えであることを明かされています。

法華経の漢訳と題号

 法華経の原本は、インドの各地で発掘されていますが、これらはすべて古代インドの言語であるサンスクリット語(梵語)で書かれており、それぞれの内容に大小の違いがありました。また、それぞれの梵本に従って、後代の僧侶らが自国の言葉に翻訳し、次の六種の漢訳本が生じました。
 一、『法華三昧経』(六巻)・正無畏(しょうむい)訳・魏の時代(二五六年)
 二、『薩曇分陀利経』 (六巻)・竺法護(じくほうご)訳・西晋時代(二六五年)
 三、『正 法華経 』(十巻)・竺法護(じくほうご)訳・西晋時代(二八六年)
 四、『方等法華経』(五巻)・支道根(しどうこん)訳・東晋時代(三三五年)
 五、『妙法蓮華経』(八巻)・鳩摩羅什(くまらじゅう)訳・後秦時代(四〇六年)
 六、『添品法華経』(七巻)・闍那崛多(じゃなくった)・笈多(ぎゅうた)訳・随の時代(六〇一年)
 このうち,『正法華経』『妙法蓮華経』『添品法華経』の三訳の経典が現存していることから、法華経の漢訳本のことを「六訳三存」といいます。なかでも鳩摩羅什(くまらじゅう)訳の『妙法蓮華経』は、内容・文体ともに優れ、釈尊の真意をもっとも正しく伝える経典として広く用いられています。

『妙法蓮華経』は五世紀のはじめ、中国・後秦(姚興(ようこう))の代に鳩摩羅什(羅什三蔵(らじゅうさんぞう))が梵語の経題「Saddharmapundarika-sutra(音写文字=薩達磨(さだるま)芬陀梨伽(ふんだりか)蘇多覧(そたらん))」を漢訳したものです。
 それは、
「Sad=薩」を、「正しい」「不思議な」「優れた」等の意から”妙”
「dharma=達磨」を、「教え」「真理」の意から”法”
「pundarika=芬陀梨伽」を、「因果倶時・清浄な白蓮華」の意から”蓮華”
「sutra=蘇多覧」を、「仏の説いた教典」の意から”経”
としたもので、これらのことから法華経の題号である「妙法蓮華経」とは、「仏の悟られた真理」を意味するものであることがわかります。

 さらに中国の天台大師は『法華玄義』において、妙法蓮華経の五字を名・体・宗・用・教の五重玄のうえから解釈し、妙法にそなわる深遠な意義を説示されています。

法華経の会座  二処三会

 法華経の会座(説法の場所)について『序品第一』に、  
「仏、王舎城耆闍崛山(ぎしゃくっせん)の中に住したまい」(開結55)
とあるように、法華経は中インドの摩竭陀国(まかだこく)の首都・王舎城の東北に位置している耆闍崛山(ぎしゃくっせん)で説かれました。耆闍崛山(ぎしゃくっせん)とは梵語の「Grdhrakuta-parvata」に音写文字を充てたもので、「霊鷲山(りょうじゅせん)」のことをいいます。

 釈尊は法華経をこの「霊鷲山(りょうじゅせん)」で説きはじめ、次に会座を「虚空」へ移して肝要の法を説き明かし、再び「霊鷲山」に戻って滅後の流通のための教えを説かれました。

 このように説法の場所が「霊鷲山」と「虚空」の二カ処で、その法会が「前霊鷲山」「虚空」「後霊鷲山」の順で三回にわたって行われたことを「二処三会(にしょさんね)」といいます。

法華経の構成と各品の大意

 法華経は一部八巻二十八品から構成されていますが、開経(かいきょう)の『無量義経(むりょうぎきょう)』一巻と、結経(けっきょう)の『観普賢菩薩行法経(かんふげんぼさつぎょうぼうきょう)』一巻とを加えて、「法華三部経」とも「法華経十巻」ともいわれます。

 法華経『序品(じょほん)第一』から『安楽行品(あんらくぎょうほん)第十四』までの前半十四品を「迹門(しゃくもん)」といい、後半の『従地涌出品(じゅうじゆじゅっぽん)第十五』から『普賢菩薩勧発品第二十八』までの十四品を「本門」といいます。

 本門の「本」とは、仏・菩薩の本来の境地(本地)、またその本体を指し、迹門の「迹」とは、本地・本体に対する影(垂迹)の意味で、仏・菩薩が衆生済度のため種々に化身を現すことをいいます。 また「門」とは、真実の教えに入るとの意です。

 なお、法華経は「序分」「正宗分」「流通分」の立て分けをもって説法されており、序分とは序論、正宗分とは本論、流通分とは教法を後世に流布することをいいます。

迹門十四品

序品(じょほん)第一

概要
 法華経二十八品の序分(総序)であるとともに、迹門の別序にあたります。
 この品では、釈尊は大衆を前にして『無量義経』を説いた後、三昧に入られ、不思議な瑞相を現ぜられました。これに驚く弥勒菩薩らの疑問に対し、文殊菩薩は、この瑞相は過去の日月燈明仏が示したものと同じであり、釈尊も同様にこの三昧から起たれた後に法華経を説法されるであろうと答述しています。
要文
仏所護念
爾時、世尊、四衆に圍繞せられ、供養恭敬、尊重讃歎せられて、諸の菩薩の為に、大乗経の無量義教菩薩法仏所護念と名くるを説きたまふ。

方便品(ほうべんぽん)第二

概要
 三昧より起たれた釈尊が、問われることなく自らすすんで説法(無問自説)を開始し、舎利弗(しゃりほつ)に対して諸法実相・一念三千の法門を明かされました。
 その後、五千人の上慢の四衆が退座して純実な衆生のみになったことにより、仏はこの世に出現せられた「一大事因縁」を示され、その目的が衆生に仏知見を開かしめ、示し、悟らせ、入らしめんとする(開示悟入)ことにあると説かれました。
 そして、五仏(総諸仏・過去仏・現在仏・未来仏・釈迦仏)はすべて、衆生を教化するために、必ず前に方便の三乗法を説いて衆生の機根を調え、最後に一仏乗の法華経を本懐として説くことを明かされました。
要文
諸仏智慧甚深無量
諸仏の智慧は、甚深にして無量なり。其智慧の門は難解にして難入なり。一切の声聞、辟支仏の知ること能はざる所なり。

譬喩品(ひゆほん)第三

概要
前半は『方便品』の諸法実相の妙理である開山顕一(かいさんけんいち)を信解した上根の舎利弗(法説周)に対し、釈尊は未来世での成仏を約束され(記別)、さらに後半では、未領解の四大声聞(迦葉(かしょう)・目連(もくれん)・須菩提(しゅぼだい)・迦旃延(かせんねん))に対し、「三車火宅の譬」をもって開山顕一の法門を理解させようとしました。
なお、この品末には十四種の法華誹謗(十四誹謗)が説かれています。
要文
三界無安猶如火宅
三界は安きこと無し、猶火宅の如し。衆苦充満して、甚だ怖畏すべし。常に生老病死の憂患あり。是の如き等の火、熾然として息まず。

信解品(しんげほん)第四

概要

中根の四大声聞(譬説周)が、前品の譬喩を領解したことを「長者窮子(ちょうじゃぐうじ)の譬」をもって述べています。この譬えは、窮子が父の長者によって徐々に教化される姿をとおし、四大声聞が釈尊一代の説法を五時(華厳・阿含・方等・般若・法華)に分別して理解した旨を述べたものです。

要文

無上宝聚不求自得
我等今日、仏の音教を聞きて、歓喜踊躍して、未曾有なることを得たり。仏声聞、当に作仏することを得べしと説きたまふ。無上の宝聚、求めざるに自ら得たり。

薬草喩品(やくそうゆほん)第五

概要

 前品で四大声聞が「長者窮子の譬」をもって領解したのに対し、釈尊はその理解力を誉め、さらに仏の功徳の甚大なることを一段と深く理解せるために、大雲による雨の潤いで育つ「山草二木の譬」を説かれました。
 この譬えは、「本来、仏の実相の法は一相一味であるが、衆生の境界に三乗・五乗と差別があるために受ける功徳は異なる」ことを示され、そのうえで一仏乗の法華経によって、すべての衆生が平等に成仏できることを説かれたものです。
 この品の前半には、「現世安穏。後生善処」(開結217)として、法華信仰の功徳を示されています。

要文

現世安穏後生善処
為に法を説くこと種々無量にして、皆歓喜し快く善利を得しむ。是諸の衆生、是法を聞き已りて現世安穏にして、後に善処に生じ、道を以て楽を受け、亦法を聞くことを得。既に法を聞き已りて諸の障碍を離れ、諸法の中に於て力の能ふる所に任せて、漸く道に入ることを得。

授記品(じゅきほん)第六

概要

 仏が前品の譬えを聞いて領解した中根の四大声聞に、未来世における成仏の記別を授けて譬説周の説法を終了します。

要文

捨是身已
我が此の弟子大目建連は、是の身を捨て已りて、八千二百万億の諸仏世尊を見たてまつることを得て、仏道の為の故に、供養し恭敬し諸仏の所に於て常に梵行を修し、無量劫に於て仏法を奉持せん。

化城喩品(けじょうゆほん)第七

概要

 前の法説・譬説で理解できなかった下根の声聞衆(因縁説周)に対し、久遠三千塵点劫以来の宿世の因縁を説いて得道させようとします。
 前段では三千塵点劫の久遠における大通知勝仏の法華経の説法と、その子供である十六王子が十万の国土に赴いて法華経を再び講説(大通覆講)して大衆に結縁したことを説かれ、十六番目の王子が娑婆世界で成仏した釈尊であることを明かされました。後段ではこの因縁を「化城宝処の譬」として示し、小乗教で説いた二乗の涅槃が真実でないことを明かして一仏乗に引入することを説かれています。

要文

即滅化城
爾の時、導師、此人衆の、既に止息することを得て、復疲倦無きを知りて、即ち化城を滅して、衆人に語りて、「汝等去来や、宝処は近きに在り、向の大城は、我が化作せる所なり、止息の為ならんのみ」と言はん。

五百弟子授記品(ごひゃくでしじゅきほん)第八

概要

 次の『授学無学人記品第九』とともに、前の『化城喩品』の譬えを聞いた下根の声聞衆(因縁説周)に、未来において成仏できるとの記別が与えられます。
 はじめに釈尊は、まず下根の声聞衆を代表して富楼那(ふるな)に記別を与え、次いで千二百人の声聞が授記を念願していたことを知り、別して五百人に同一名号をもって同時に授記されました。さらにまた、この座にいない一切の声聞衆に対して、迦葉(かしょう)をつうじて授記を託しています。
 品末には、この五百人が歓喜し、「貧人珠(びんにんけいじゅ=衣裏珠)の譬」を述べ、領解の意を表しています。

要文

身心遍歓喜
授記荘厳の事及び転次に受決せんことを聞きたてまつりて身心遍く歓喜す。

授学無学人記品(じゅがくむがくにんきほん)第九

概要

 下根の声聞衆の願いに対して、釈尊はまず阿難・羅羅にそれぞれ記別を授け、さらに二千人の声聞には、同一名号を与えて授記されました。この学無学の「学」とは有学の意で、いまだ惑いを断尽できず、真理を修学追求している声聞衆をいい、「無学」とは、惑いを断じ尽くしてこれ以上学ぶ必要のない阿羅漢果の人を指します。

要文

学無学
爾時、学無学の二千人、仏の授記を聞きたてまつり、歓喜踊躍して、

法師品(ほっしほん)第十

概要

 滅後の法華経弘通の功徳深重を説き、その弘経を勧めています。ここには法華経を受持・読・誦・解説・書写するという「五種法師」と、所持する法の「已今当(いこんとう)の三説超過」が明かされ、さらに弘経の方軌として「衣・座・室の三軌」が説かれています。

要文

衣座室
是の善男子善女人は、如来の室に入り、如来の衣を著、如来の座に坐して、爾して乃し四衆の為に広く斯の経を説くべし。


見宝塔品(けんほうとうほん)第十一

概要  

空中に多宝如来の七宝の大塔が涌現したことにより、釈尊は、神通力によって会座を霊鷲山から虚空に移し、「虚空会」の説法が開始されます。
 この多宝塔の出現には、多宝如来がこれまでに説かれた迹門正宗八品の真実を証明する「証前」の意義と、後の本門寿量品における釈尊の久遠本地の開顕を起こす「起後」の意義とが含まれています。
 また釈尊は、滅後の妙法弘通の誓願を勧めるために「三箇の勅宣」を説かれました。なかでも第三の諫勅(かんちょく)では法華経を持つことの難しさを「六難九易(ろくなんくい)」の譬えをもって示されています。

要文
此経難持
我が滅度の後に、若し此経を持ちて、一人の為にも説かん。是れ則ち難しとす。

提婆達多品(だいばだったほん)第十二

概要 

悪人提婆達多(だいばだった)の未来世での成仏と、畜身竜女の即身成仏(女人成仏)が説かれ、法華経の功徳の深重を証し、滅後の妙法流通を勧めています。
 まず前段で釈尊は、自身と提婆達多が過去世において弟子と師匠の関係にあった因縁を明かし、後段で文殊菩薩の海中弘経によって、八歳の竜女が即身成仏したことを大衆に示されました。この両者の成仏は、滅後の衆生に対して妙法弘通を諫暁(かんぎょう)したことから「二箇の諫暁」といい、前の『宝塔品』の「三箇の勅宣」と合わせて「五箇の鳳詔(ほうしょう)」ともいわれています。


要文
此経甚深微妙
此経は甚深微妙にして諸経の中の宝、世に希有なる所なり。

勧持品(かんじほん)第十三

概要 

前の『宝塔品』で滅後の弘経を勧めたことにより、此土弘通を誓願する二万の菩薩や、悪世の娑婆を恐れて他土での弘通を誓う声聞衆(初心の菩薩)が出ました。また八十万億那由佗(なゆた)の菩薩たちは、釈尊に対して十方世界に弘経することを命じてほしいと求めました。しかし、仏が黙然としていたため、菩薩たちは不退転の誓いを二十行の偈頌(げじゅ)にして明らかにしました。この二十行の偈には、滅後の弘経に対して三類の強敵(俗衆増上慢・道門増上慢・僭聖増上慢)が現れても、「我不愛身命 但惜(たんじゃく)無上道」(開結377)の誓言をもって、弘通することが述べられています。

要文

但惜無上道
悪鬼其身に入りて 我を罵詈毀辱せん。我等仏を敬信したてまつりて、当に忍辱の鎧を著るべし。是経を説かんが為の故に、此諸の難事を忍ばん。我身命を愛せず、但無上道を惜まん。


安楽行品(あんらくぎょうほん)第十四

概要

  此土弘通を恐れる初心の菩薩がでたことにより、これを心配した文殊菩薩は、濁悪世(じょくあくせ)の末法で安楽に修行する方法を尋ねました。これに対して釈尊は、滅後濁悪の世における初心の菩薩の修行を、身・口・意・誓願の四安楽行として示し、妙法弘通の方軌を摂受の修行のうえから具体的に説かれました。またこの品の後半には「髻中明珠(けいちゅうみょうじゅ)の譬」が説かれ、法華経が一切の教えの中で最勝の経であることが示されています。

要文

諸天昼夜常為法故而衛護之
諸天昼夜に、常に法の為の故に、而も之を衛護し、能く聴かん者をして、皆歓喜することを得しめん。

本門十四品

従地涌出品(じゅうちゆっじゅっぽん)第十五

概要

  他方の国土より来集した迹化の菩薩たちが、釈尊滅後の娑婆世界(此土)の弘経を願い出ますが、釈尊はこれを制止して、大地より無数の本化地涌の菩薩出現させます。
  この地涌の菩薩の上首は上行・無辺行・浄行・安立行の四大菩薩で、師である釈尊よりも威厳をそなえていました。 一座の大衆は今までに見たこともないこれらの菩薩に対して疑念を懐き、弥勒菩薩が代表して釈尊に質問をすると、釈尊は久遠以来、これらの菩薩を教化したことを簡略に明かしました。 これを「略開近顕遠(りゃっかいごんけんのん)」といいます。

要文

止。善男子。不須汝等。護持此経。
爾時、仏、諸の菩薩摩訶薩衆に告げたまはく、「止みね、善男子。汝等が此経を護持せんことを須(もち)ひじ。所以は何ん、我が娑婆世界には自ら六万恒河沙等の菩薩摩訶薩有り。

如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)第十六

概要

  冒頭、仏が教説を信受すべきことを三度誡め、菩薩たちが三度説法を請うという三誡三請(さんかいさんしょう)、さらに請い、重ねて誡めるという重請重誡(じゅうしょうじゅうかい)からはじまります。このことは、『方便品』の三止三請・重請許説(じゅうしょうこせつ)よりもさらに丁寧なもので、これからなされる仏の説法がいかに重要であるかを示唆するものです。
 その説法とは、釈尊はインドにおいてはじめて悟りを得た「始成正覚」の仏ではなく、実は五百塵点劫(ごひゃくじんでんごう)という久遠の昔に成道した「久遠実成」の仏であることを、本因・本果・本国土の三妙を説いて具体的に示し、仏の久遠本地と三世の常住を明かされたものでした。  この仏の久遠開顕は「広開近顕遠(こうかいごんけんのん)」といい、これまでの仏身に対する認識を根底から覆すものでした。
 これによって、事の一念三千の法門が明かされ、一切衆生の成仏も具体的となりました。 この意義から『寿量品は、』は、法華経の中において、もっとも肝要な一品であるとともに仏教全体の眼目となるのです。
 当品では続いて、仏の三世常住を「良医病子の譬」として説かれ、さらに「自我偈」でこれらを重説されています。

要文

如来秘密神通之力
汝等諦かに聴け、如来の秘密神通の力を。

分別功徳品(ふんべつくどくほん)第十七

概要

  前半では、寿量品で多くの人々が仏の寿命の長遠を聴いて大利益を受けたことが説かれ、その功徳に種々の違いや浅深があることから、分別して示されています。ここでは、弥勒菩薩が仏からの授記を領解したことを述べ、本門の正宗分が終了します。
 後半は、弘経者のための「現在の四信」(一念信解・略解言趣・広為他説・深信観成(じんしんかんじょう))と、「滅後の五品」(随喜品・読誦品・説法品・兼行六度品・正行六度品)が説かれ、その功徳の甚大さと修行の段階が示されています。


要文

一念信解
仏の寿命の長遠なること是の如くなるを聞きて、乃至能く一念の信解を生ぜば、得る所の功徳、限量有ること無けん。

随喜功徳品(ずいきくどくほん)第十八

概要

  前品に説かれた「滅後の五品」の中の随喜品についてさらに「五十展転(てんでん)随喜の功徳」として評説されています。
  これは、仏の滅後に法華経を聞いた人が随喜して他の人に法を伝え、その人がまた随喜して次に伝え、次第に展転して五十番目の人に至ることをいいます。この五十番目の人が法華経の一偈を聞いて随喜する功徳でさえ、八十年にわたって一切衆生に多くのものを布施したり、阿羅漢果(あらかんが=小乗の悟り)に導いた人の功徳よりも甚大であると説かれています。化他のない五十番目の人であっても大きな功徳があることから、ましてや自行化他の功徳が、いかにはかり知れないかを明かされています。

要文

如是展転至第五十
余人聞き已りて亦随喜して転教せん。是の如く展転して第五十に至らん。

法師功徳品(ほっしくどくほん)第十九

概要

  法華経を受持・読・誦・解説・書写するという「五種法師」の修行の功徳が説かれています。
 この修行によって、具体的に眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(み)・意(い)の六根が清浄(しょうじょう)となる功徳が得られることを示し、滅後の弘経を勧められています。

要文

荘厳六根皆令清浄
是の功徳を以て六根を荘厳して、皆清浄ならしめん。

常不軽菩薩品(じょうふぎょうぼさつほん)第二十

概要

  法師功徳品によって明かされた六根清浄の果の功徳に対し、その因の修行が説かれています。
 すなわち六根清浄を得るには、難を忍んで弘経すべきであることを教えられ、釈尊の過去世における常不軽菩薩としての但行礼拝(たんぎょうらいはい)の修行を示しました。
 当時の四衆(比丘・比丘尼・優婆塞(うばそく)・優婆夷(うばい))は、この不軽菩薩を迫害したことにより、千劫の間、阿鼻地獄に堕ち、大苦悩を受けました。
 このように、法華経を受持信行する人の功徳と、持経者を毀謗(きぼう)する罪業を示すことによって、未来における弘経を勧められています。

要文

我深敬汝等。不敢軽慢。所以者何。汝等皆行菩薩道。当得作仏。
我深く汝等を敬ふ、敢て軽慢せず。所以は何ん、汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし。

如来神力品(にょらいじんりきほん)第二十一

概要

  前品までに法華経流通の広大な功徳を聴いてきた本化(ほんげ)地涌の菩薩たちが、仏滅後の弘経を誓願しました。 そこで仏は、まず十種の大神力を現じ、次いで上行菩薩を筆頭とする地涌の菩薩に対し、特別に法華経の滅後弘通を付嘱されました。
  これを「別付嘱」といい、称歎(しょうたん)付嘱・結要(けっちょう)付嘱・勧奨(かんしょう)付嘱・釈(しゃく)付嘱の四段からなっています。特に「結要付嘱」においては、法華経の肝要を「要を以て之を言わば、如来の一切の所有(しょう)の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於て宣示顕説す」(開結513)と、四句の要法に括って法華経の肝要を上行菩薩に付嘱されています。

要文

以要言之。如来一切所有之法。如来一切自在神力。如来一切秘要之蔵。如来一切甚深之事。皆於此経。宣示顕説。
要を以て之を言はば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此経に於て宣示顕説す。

嘱累品(ぞくるいほん)第二十二

概要

  迹化の菩薩や一会の大衆にも総じて法華経を付嘱されました。これを「総付嘱」といいます。やがて付嘱の大事を終えられた仏は、十方より来集した分身の仏に対して各々の本土へ還ることを命じ、宝塔を閉ざされました。ここにおいて『見宝塔品第十一』よりはじまった「虚空会」の儀式は終了し、説法の会座は再び霊鷲山(りょうじゅせん)に移されることになりました。

要文

大施主
如来は是れ一切衆生の大施主なり。

薬王菩薩本事品(やくおうぼさつほんじほん)第二十三

概要

  薬王菩薩が過去世において仏への報恩のためにあらゆる供養を捧げ、最後に焼身供養し、再び生まれて焼臂(しょうひ)供養することなど、不惜身命に徹して法華経を実践することの重要性が説かれています。そして法華経が他の経典より優れて最上最尊であることが十種の譬えによって明かされ、さらに「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布」(開結539)と、仏滅後の末法に法華経が必ず流布することを予証されています。

要文

病即消滅。不老不死。
此経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり。若し人病有ら んに、是経を聞くことを得ば、病即ち消滅して不老不死ならん。

妙音菩薩品(みょうおんぼさつほん)第二十四

概要

  妙音菩薩が教化の対象に応じて三十四種に身を示現し、娑婆世界のあらゆる場所で法華経を説いて衆生を救護(くご)することが説かれ、法華経の流通が勧められています。 この妙音菩薩の三十四身の示現は、衆生に対して、滅後に法華経を説く者がどのような姿であっても軽蔑の心を起こしてはならないと誡められたものであり、さらに法華経を行ずる者が衆生を救済するため、あらゆる姿に身を現じて法を説くことができると教えられたものです。

要文

変化現身
是妙音菩薩は是の如く種々に変化し身を現じて、此娑婆国土に在りて諸の衆生の為に是経典を説く。

観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんぼん)第二十五

概要

  観世音菩薩が三十三身を示現して衆生を救済するという化他流通が説かれています。これは前品の妙音菩薩と同様に、観世音菩薩が衆生の機に応じて姿を現じたもので、これを「普門示現」といいます。普門とは、普(あまね)く一切衆生を解脱の門に入れる意で、この妙用を垂れることによって衆生を済度するのです。

要文

刀尋段段壊
或は王難の苦に遭うて、刑せらるるに臨み寿終らんと欲せんにも、彼観音の力を念ずれば、刀尋いで段段に壊れなん。 還著於本人。 呪詛諸の毒薬もて、身を害せんと欲する所の者あらんにも、彼観音の力を念ずれば、還りて本人に著きなん。

陀羅尼品(だらにほん)第二十六

概要

  薬王菩薩・勇施(ゆぜ)菩薩・毘沙門(びしゃもん)天王・持国(じこく)天王・十羅刹女(じゅうらせつにょ)の五番善神が陀羅尼(神呪(しんしゅ))を説いて滅後の法華経の行者を守護することを仏前に誓い、法華経の流通を勧めています。
 「陀羅尼」とは「総持」と訳され、これは一字の中に無量の義を含んでいることを表しています。また善を持ち悪を遮るとの意から「能持能遮(のうじのうしゃ)」とも訳されます。

要文

頭破作七分
若し我が呪に順ぜずして、説法者を悩乱せば、頭破れて七分に作ること、阿梨樹の枝の如くならん。

妙荘厳王本事品(みょうしょうごんのうほんじほん)第二十七

概要

 薬王菩薩・薬上菩薩の過去世の因縁が説かれています。それは、浄蔵(後の薬王菩薩)・浄眼(薬上菩薩)が、母の浄徳夫人(妙音菩薩)とともに、外道を信じていた父・妙荘厳王を仏のもとに導き、法華経に縁を結ばせたというものです。
 この品では、浄蔵・浄眼の二人の姿をとおして、正法を護持し流通することの大事が示されるとともに、「盲亀浮木(もうきふもく)の譬」と「優曇華の譬」をもって、仏に値(あ)うことの難しさを説いています。

要文

一眼之亀
仏には値ひたてまつることを得ること難 し、優曇鉢羅華の如く、又一眼の亀の浮木の孔(あな)に値へるが如し。

普賢菩薩勧発品(ふげんぼさつかんぱつぼん)第二十八

概要

  法華経の締め括りとして普賢菩薩が現れ、仏の滅後にどのようにすれば法華経の悟りを得ることができるかと質問し、仏の説法を請願します。そこで仏は、一には諸仏に護念され、ニには諸の徳本を植え、三には正定聚(しょうじょうじゅ)に入り、四には一切衆生を救う心を発(おこ)す、との四法を成就すべきことを説かれました。
 この説法を聴いた普賢菩薩は、悪世末法において法華経を受持する者を守護し、法華経の教法を守護することを誓います。最後に仏は、末法において普賢菩薩が法華経を守護することを讃歎(さんたん)し、衆生が法華経の弘通者を敬うべきことを説きました。
 こうして仏の説法が終わり、大衆は歓喜し礼を作(な)して法座から去り、法華経二十八品のすべてが終了します。
 なおこの品は、法華経を要約して再び説かれたことから「再演法華」ともいわれています。

要文

閻浮提内広令流布
世尊、我今神通力を以ての故に是経を守護して、如来の滅後に於て、閻浮提の内に、広く流布せしめて断絶せざらしめん。


御書要文

折伏の御文

いかなる大善をつくり、法華経を千万部書写し、一念三千の観道を得たる人なりとも、法華経のかたきをだにもせめざれば得道ありがたし。(南条兵衛七郎殿御書 P322)

眠れる師子に手を付けざれば瞋(いか)らず、流れにさを(竿)ゝ立てざれば浪(なみ)立たず、謗法を呵責せざれば留難なし。 「若し善比丘あって法を壊(やぶ)る者を見て置いて呵責せずんば」の置の字ををそ(畏)れずんば今は吉し、後を御らんぜよ、無間地獄は疑ひ無し。 「若し菩薩有って悪人を将護して治罰すること能はず、其れをして悪を長ぜしめ善人を悩乱し正法を敗壊せば此の人は実に菩薩に非ず。外には詐侮を現じ常に是の言を作(な)さん、「我は忍辱(にんにく)を行ず」と。其の人命終して諸の悪人と倶に地獄に堕ちなん」(南部六郎殿御書 P467)

仏誡めて云はく「謗法の人を見て其の失を顕はさゞれば仏弟子に非ず」と。故に涅槃経に云はく「我涅槃の後其の方面に随ひ持戒の比丘有りて威儀(いぎ)具足し正法を護持せば、法を壊る者を見て即ち能く駈遣し呵責し徴治せよ。当に知るべし、是の人は福を得んこと無量にして称計すべからず」と。(守護国家論 P145)

邪正肩を並べ大小先を争はん時は、万事を閣いて謗法を責むべし、是折伏の修行なり。此の旨を知らずして摂折途に違はゞ得道は思ひもよらず、悪道に堕つべし是仏法修行の大事なるべし。(聖愚問答抄 P402)

権宗謗法国にあらん時は、諸事を閣いて謗法を責むべし。(聖愚問答抄 P403)

只人をはゞからず経文のまゝに法理を弘通せば、謗法の者多からん世には必ず三類の敵人有りて命にも及ぶべしと見えたり。 其の仏法の違目を見ながら我もせめず国主にも訴へずば、教へに背きて仏弟子にはあらずと説かれたり。 涅槃経第三に云はく「若し善比丘あって法を壊らん者を見て置いて呵責(かしゃく※厳しくとがめてしかること。責めさいなむこと。)し駈遣(くけん※追い払うこと。謗法行為を改めない者を追い払って仏法を正しく護る)し挙処(こしょ※悪事をはっきりと挙げて、その悪事に対してきちんとした処置・処分を行うこと)せずんば、当に知るべし是の人は仏法中の怨なり。 若し能く駈遣し呵責し挙処せば、是我が弟子真の声聞なり」と。 此の文の意は仏の正法を弘めん者、経教の義を悪しく説かんを聞き見ながら我もせめず、我が身及ばずば国主に申し上げても是を対治せずば、仏法の中の敵なり。 とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし謗ぜん者は毒鼓の縁となつて仏になるべきなり、何にとしても仏の種は法華経より外になきなり (法華初心成仏抄 P1316)

涅槃経に云く「若し善比丘あつて法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり、若し能く駈遣し呵責し挙処せんは是れ我が弟子真の声聞なり」云云、此の文の中に見壊法者の見と置不呵責の置とを能く能く心腑に染む可きなり、法華経の敵を見ながら置いてせめずんば師檀ともに無間地獄は疑いなかるべし (曾谷殿御返事 P1039)

かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり、法華経の行者といはれぬる事はや不祥なりまぬかれがたき身なり (寂日房御書 P1394)

和らかに又強く両眼を細めに見・顔貌に色を調へて閑に言上すべし (教行証御書 P1107)

夫、摂受・折伏と申す法門は、水火のごとし。火は水をいとう、水は火をにくむ。摂受の者は折伏をわらう、折伏の者は摂受をかなしむ。(開目抄 P575)

誰人にても坐(おわ)せ、「諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独り成仏の法なり」と音(こえ)も惜しまずよばはり給ひて、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ。三類の強敵来たらん事は疑ひなし。(如説修行抄 P673)

総じて日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人々は日蓮が如くにし候へ。さだにも候はゞ、釈迦・多宝・十方の分身・十羅刹も御守り候べし。(四菩薩造立抄 P1371)

死後の世界

此の曼陀羅は文字は五字七字にて候へども三世の諸仏の御師一切の女人の成仏の印文なり、冥途にはともしびとなり死出の山にては良馬となり・天には日月の如し・地には須弥山の如し・生死海の船なり成仏得道の導師なり (妙法曼陀羅供養事 P


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