本文へスキップ

日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

TEL 086-255-1155

岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

『正しい宗教の功徳を実感』

敬台寺支部 T. T. 

(H11.5.16)

 皆様、こんにちは。私は、昨年の8月に御授戒を受け、8カ月の月日が経ちました。その間の体験をお話させていただきます。
 私は主人に折伏してもらいましたので、最初に主人のことをお話させていただきます。

 主人が入信させていただくきっかけとなったのは、自らの病気のことと、主人の父親が度重なる手術で苦しんでいたことによります。

 主人の父親はわずか8カ月の間に、大きな手術を5回も受けていました。それまでは元気で病院にかかることなどほとんどなかった父ですが、一昨年の9月、まず膀胱に初期の癌が見つかり手術を受けました。しかし、それから一週間も経たない間に、膀胱で他に癌が見つかり膀胱を切除しました。そして誰もが安心し、退院できると信じて疑わなかった矢先に危篤状態となり、生死を賭けた時が流れ、緊急手術の間に二度も心臓が止まり、そして蘇生しました。手術後の面会では、体中に無数のパイプを付け、人工呼吸器なしでは呼吸すらできない状態でしたが、2カ月後には、普通食を食べ、ベッドに座れるまで回復していました。  

 ところが、片方の腎臓にまた癌が発見され、腎臓を一つ切除し、今まで命をつなぎ止めるためにバイパスしてあった腸管を元に戻すための手術を終えました。そんな4月のある日、肝臓にも癌が転移していると病院より説明があり、肝臓の3分の2を取り除く必要があると言われました。

 時を同じくして、その頃より主人も体調が悪くなり、子供の頃に悪くした腎臓の機能が低下し、夕方になると体にむくみが生じ微熱が出るという状態で、薬なしでは生活できなくなっていました。

 お医者様からは、「このままでは、先に行って必ず透析が必要になる」と言われ、父の病のことと自らの病に苦しみ、先々の不安を感じているときに、主人は職場の同僚の方より折伏を受け、5月に御授戒を受けさせていただきました。

 それ以後の主人は、熱心に御題目を唱え、後日、御本尊様を御安置する頃には、奇跡とも思えることが次々に起こりました。

 まず、父の肝臓にあった癌細胞が次第に小さくなり、最後は水膨れのような状態となり、消えてしまったのです。あれだけの大きな手術を受けたにも関わらず、普通の生活を送れるようになりました。

 また、主人のほうも入信以後、何度検査しても全く異常がなく、薬も全く必要としなくなりました。以上が、主人の父と主人が病気を克服した話です。

 主人は、自分のことが落ち着いてから、私に信心をするように勧めてくれたのですが、父と主人の病気が治ったことに対しても、私は半信半疑で、とても信心をする気になれずにいました。

 というのは、私は幼い頃より、母親にあっちの宗教、こっちの宗教と連れて行かれたことがあり、祖母と母は今でもそれぞれ違う宗教を熱心に信仰しているのですが、この二人の姿を見たり、他の宗教を信仰する人を見て、信仰では人は決して幸福になれないと思いました。

 心の苦しみも、身体上の苦しみも救われることがなく、むしろだんだんと悪い状態になってしまい、人への憎しみがあおられ、より一層、家庭が不和となるという状態を自らの目で見てきました。

 祖母と母が熱心になればなるほど、家には居ることが少なくなり、二人の間の憎しみ合いがひどくなるばかりでした。私の大好きな二人がなぜ、どうしてこんなにも傷つけ合わなくてはならないのかと涙を流し、自分は一生無信仰でいようと固く心に決めていました。

 そんなこともあり、主人が信心すると聞いたときには、とてもショックでした。またこれで、独りぼっちになったり、つらい涙を流すことになるのかと思い、主人が信仰をすることでおかしな状態になったら、そのときは荷物をまとめ、子供と共に家を出ようと思っていました。

 入信前の私は、ただただ時間に追われて、子供に対して常に腹を立て、「早く、早く」とせき立てるばかりで、私の思いどおりに動いてくれないと手をあげ、くどくどと叱り飛ばしていました。

 また、主人に対しても不満ばかりつのり、真剣に離婚を考えていました。このままでは、家族も自分もだめになってしまうと、育児書や哲学書を読み漁り、子供たちと主人の幸せを自分の幸せと思うことにしよう、という考えに至り、表面では良妻賢母を努めてまいりました。

 しかし無理やり自分の気持ちを抑えているという思いと、自分を犠牲にしているという不満がたまっていくばかりでした。心が病むと体にも出て、そのうちいくら睡眠をとっても、1日中だるく感じるようになりました。すると余計にイライラして、子供を叱ることや主人に当たることが多くなりました。

 こんな状態でしたので、最初は主人の話を全く聞くことができませんでしたが、主人は、実に熱心に、ひたすら仏法の話や御住職様の御法話のことを優しく話してくれました。私が台所仕事をしていると横に来て、手伝ってくれながら話をしたり、「自分が床拭きや洗濯物を干すから、その空いた時間の分だけで良いから一緒に勤行をしないか」と言って私を御本尊様に近づけてくれました。

 すると私も自然と、いつの日からか、御本尊様に手を合わせて御題目を唱えられるようになりました。主人のこんな姿に感動しましたし、信心するまでとは全く変わって、主人がとても生き生きと生活を楽しみ、子供たちを今まで以上に可愛がってくれるようになりました。

 この信仰のすばらしさを心より感じとることができて、私は自らの意志で、子供と共に御授戒を受けました。家族の幸福のためにと、がんばってくれた主人に、心より感謝しています。

 入信させていただいてからは、イライラすることがすっかりなくなり、毎日が楽しくてしかたがありません。何をしていても嬉しくて、自分の中からあふれる生命力とエネルギーを体一杯に感じています。

 また、10年前に椎間板ヘルニアを患って以来のひどい腰痛もすっかりなくなりました。以前は朝起きたとき、何かにつかまらないと起き上がれず、睡眠中もひどい腰の痛みで目を覚ますことがよくあったのです。

 御本尊様のお陰で心を清らかに、体をすっかり元気にしていただきました。主人や子供に対しても、心に全く無理がなく、いとおしく、可愛く思え、子供たちと主人を前にすると自然と笑みがこぼれてしかたありません。

 御本尊様の偉大なるお力により、家族の信頼関係も絆も深くなり、本当の意味での家族に、そして夫婦になれた思いです。この事せをかみしめる度に、御本尊様に対して感謝の涙があふれて止まりません。

 以前、子供たちは「ママ、今日は怒ってないの、しんどくないの」と言って私の顔色を伺いながら行動していましたが、今では「ママ、優しくなったね、可愛いね。私もママのような人になりたい」と言ってくれるようになり、自分たちの思いのまま、伸び伸びと遊んだり、ふざけ合ったりしています。

 また、以前とは見違えるほど活発になり、消極的な性格だったのが、積極的に行動できるようになりました。「学校も家もつまらない。友達もいないし、先生が何を言っているのかぜんぜん判らない。家に帰ってもすることがない」と泣いていた子が、「今日はとっても楽しかったよ。お友達といっぱい遊んだし、算数のテストで百点だったよ。家では、本をいっぱい読みたいし、お手伝いもしたい」と言ってくれるようになり、笑顔が絶えなくなりました。

 そして、私もやっと、それぞれの子供たちの良いところや性格が見えてきました。以前は良いところさえ見る余裕もなく、なんて悪い子だろうか、解決策はないものかと思い悩むばかりでした。私も苦しみましたが、それ以上に子供と主人を随分と苦しめてきたと深く反省しております。

 話は変わりますが、私は高校を卒業するまで広島の実家にいました。実家では、先に申し上げましたとおり、母と祖母の仲が悪く、嫁姑のいざこざが絶えず、今もお互い、罵り合っています。

 父は父で、酒乱で浮気をし、飲んでは暴れる毎日でした。物を壊し、私たち姉妹を「殺してやる」と追いかけ回し、私たち姉妹はいつも父の暴力に脅え、母と祖母の罵り合いに涙していました。

 母から離婚の話を聞かされる度に、これから先どうなるんだろうと、不安な毎日を過ごしていました。私は、とにかくこの家から出て、心穏やかに過ごしたいと思い、高校を卒業と同時に、尼崎の福祉関係の学校に進んだのです。

 かつて御住職様から、「孝養の仏子たれ」との御法話をいただいたことがあります。それから御祈念を続け、唱題を重ねるうちに、必死で助けを求めていた母の辛さ、欲望に走る父の心の弱さ、我を張って強がっている祖母の辛さがひしひしと伝わってきて、自然と心の底から、祖母、両親の幸せを願う気持ちが湧き出てきました。これから正法の教えを話して折伏することで、孝養に代えたいと思ってがんばっています。

 また、私は、他に何人かの方にお話させていただいたのですが、ただ相手の方を怒らせたり、理解を得られないまま終わっているので、基礎の教学を身につけると共に、その方を折伏したいという慈悲の一念をもって御題目を唱え、自分自身の姿を見ていただいた上で、この信心は本当にすばらしいと思っていただけるように成長していきたいです。

 敬台寺では、多くの方と出会えました。すばらしい信心の先輩方、ヤングミセスの方々、そして鼓笛隊の方々、皆様にお会いでき、心より嬉しく思い、いろいろな活動に楽しみながら参加させていただいて、折伏をどのようにすればいいのか勉強させていただいておりましたところ、昨年の11月にNさんを折伏することができました。入信間もないNさんは、一人でも多くの方に信心のすばらしさを話したいという一心で、次々に知り合いの方に話をされたところ、ある人からお寺に行ってみたいという御返事もいただけました。

 私もNさんの折伏のお手伝いをできる限りさせていただきたいと思っておりますし、何よりも優先してNさんの御主人が信心できるように、力の限り応援していきたいと思っています。

 この意義ある「出陣の年」から3年後に迫る宗旨建立七百五十年の三十万総登山に向かって、家族共々これからもがんばります。御本尊様、どうか講中のお役に立てるようにがんばらせてください。

 そして、今後とも皆様の御指導、御協力を賜りたく思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。本日はありがとうございました。

このページの先頭へ
inserted by FC2 system