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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

TEL 086-255-1155

岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

『折伏なくして成仏なし』

法巌寺支部 H. U. 

(H11.6.16)

 私は昭和37年、友人の勧めで日蓮正宗に入信しました。当時の我が家は、主人の仕事がうまくいかず経済的に苦しく、何か信仰でもしたら良くなりはしないかと悩んでいたときで、友人の、「この御本尊様は、どんな祈りでも叶う」という言葉に藁をもつかむ思いで入信したのです。

 私は、「どんな祈りでも叶うと言うけれど、そのためにはどんなことをするのですか」と聞くと、友人は、「1つは毎日の勤行をすること、2つは折伏をすること、3つは総本山へ登山すること、この3つを真面目に実行したなら、どんな祈りでも叶う」と言うのです。

 私はそれをそのまま信じて、その日から主人の仕事のことや、私たち親子の生活のことを一生懸命お願いし始めました。ですから、動機は現世利益だったのです。

 ところで、私には5人の兄妹がおります。私の折伏第1号となった妹のことをお話いたします。妹は5歳のときに疫痢(えきり)にかかり、10日間、40度の高熱に冒され昏睡状態が続きました。幸い一命はとりとめたものの、この時に脳に障害を起こしてしまい、医者からは「一生治らないかもしれない」と宣告されたのです。

 それから何年かして生理があるようになってから、1日に7・8回もの発作を起こし、その度に意識不明の状態になりました。こんな状態が毎日続いたので、いつしか妹の存在は家族みんなの重荷になり、私はこの妹が不憫でなりませんでした。

 入信後しばらくして、私は、どんな祈りでも叶うのなら、妹の病気も治るはずだと気付きました。それからは、妹の病気平癒の御祈念に変わっていったのです。それからというものは、妹にこの信心を教え、病気を治してもらおうと、毎日毎日、5時間、時には10時間と、一心不乱に御題目を唱えました。

 そのうち、「私だけが拝んでいてもいかん。妹本人にも拝まさんといかん」と気付いたのですが、脳に障害がある妹に教えるのですから、ただただ根気の要ることでした。

 しかも、両親や兄弟の猛反対の中でです。妹の病気を治してやりたいという私の真心が、なぜ両親や兄弟に判ってもらえないのかと情けなくて、泣きながら唱題したことも一度や二度ではありません。でも、そんなことを繰り返していくうちに、妹も少しは拝めるようになってきました。

 努力の甲斐があった、これでだんだん良くなっていくだろうと喜んでいたのも束の間、今度はどうでしょう、拝めば拝むほど発作がひどくなって手が付けられない状態になっていったのです。

 父母は「お前がこんな信仰を持ち込むから、この子がよけい悪うなったじゃないか」と言ってかんかんに怒りました。私も困り果てて友人に相談すると、「そうやってだんだん悪業が切れていくのだから、もっと拝ませなさい」というのです。

 私は半信半疑でしたが、何としても治してやりたい一心から、続けて妹に拝ませると、発作が出て父母が怒る、こんな毎日でした。私も毎日一生懸命に、御本尊様に祈りました。時にはくじけそうになったこともありますが、私が諦めたら誰が妹を救ってやれるだろうと自分に言い聞かせ、勇気を振り絞って毎日繰り返しました。

 そうしているうちに、不思議なことに妹の発作は軽くなっていったのです。ほっとした私は「妹に折伏をやらせないかん」と思い、私が折伏に行くときは、妹の手を引いて連れて行くようにしました。

 相手の人から妹のことを笑われたりしたときは辛くなりましたが、御本尊様の御加護を確信し、くじけずに続けました。妹自身が御本尊様を拝み、だんだん罪障が消滅して、元の体に戻っていく姿を示しながら、この御本尊様の偉大さを他人に教え、折伏のお役に立っていることを確信していたからです。

 そして数年が過ぎ、妹も随分と発作が軽くなりましたので、今度は総本山へ連れて行きました。御開扉の最中に発作が起きはしないかとひやひやしましたが、無事に御開扉が終わり、ふと妹を見て、私は涙が湧き出てきました。

 それは、妹の顔が、それまで一度も見せたことのない晴れ晴れとした表情に輝いていたからです。私は、「治った、治った、この子の病気が治った。医者から不治の病と宣告された持病が、この御本尊様の大功徳を戴いて治った」と、うれし涙が止まらず、「御本尊様、ありがとうございました。この御恩に報いるために折伏行でお応えします」とお誓い申し上げました。

 このときから今日まで、ただの一度も発作を起こしていません。そして今は全く別人の様に心身共に健康になり、良縁に恵まれ、幸せな生活を送っております。

 皆さん、これが私の初めての折伏でした。本当に命を削る思いの苦労の連続でしたが、しかし、この折伏が実りの時を迎えたその喜び、感動は生涯忘れることができません。

 さて、その後、猛反対をしていた父母が、妹の現証に、「これはすごい、これこそ本当の御本尊様じゃ」と言って、先祖代々拝んでいた真言宗を振り捨てて日蓮正宗に入信しました。

 次いで、兄弟の中で一番反対していた兄も入信することになりました。また、この4月に、先に述べた妹が学会に所属したままでおりましたが、この度、兄や私の折伏によって、法厳寺支部に加えていただけることになりました。本当に有り難く、感謝の念でいっぱいです。

 話は変わり、私自身のことですが、私は平成3年、心臓病で入院しました。その時、兄より正宗信徒としての在り方の基本について話を聞き、当時の創価学会の間違いに気付き、平成5年4月28日に法厳寺支部に入講させていただきました。

 それ以前は病弱で悩んでいたのが、法華講にご縁をいただいてからすっかり健康を回復できたのです。学会の中で受けた害毒の恐ろしさと、真実の正法に目覚めることがいかに大切かを、私ははっきり判らせていただきました。

 そして、報恩感謝の真心一筋に、折伏行に全力を挙げなければいけないと決意しました。そして平成7年元旦、「今年こそは5世帯の折伏をさせていただきます」と誓願いたしました。

 それ以来毎日、折伏達成のための3時間の唱題行を始めました。折伏させていただく方々のお一人ひとりをしっかり意識しながら、「一日も早く正宗信徒として、幸せな境界を開かれるように目覚めてください」と一心に御祈念しました。

 その結果、3年前から下種していたNさん、創価学会の矛盾に気付きながらもなかなか決心がつかず悩んでいたSさんをはじめ、次々と、日頃接する中で真心が通じたのか、この年の目標5世帯を、地区の皆さんのお力添えもいただいて成就しました。

 折伏の実践により、話し尽くせないほど様々な功徳を戴いておりますが、家族のことを言えば、3人の子供たちもそれぞれ安定した仕事に就くことができ、主人も他人様の命を預かるタクシー業務において、高知県ではただ一人、「40年間無事故運転」という成績で、全国表彰までいただきました。

 また、父の臨終のときのことです。父は昭和47年に80歳で他界しました。その父が息を引き取る直前のこと、父は、「おお、御本尊様はすごい。楽しい、楽しい、こんな楽しいことはない。おばあちゃん(※母のこと)、頼むよ、題目をあげてよ」と、母に満足しきった言葉で話しかけながら、薄紅色に輝く顔に微笑みをうかべ、眠るように霊山に旅立ちました。

 そのとき、私は、これこそが「成仏」の姿というものであり、父は最高の功徳を戴くことができたと固く信じることができました。

 「折伏なくして成仏なし」ということを心の底で実感させていただいている我が家の様子の一端を申し上げました。

 今、平成14年・宗旨建立七百五十年慶祝法華講30万総登山に向かって、今年こそ悔いのない折伏行に精進しなければいけないと決意しております。今年の私の折伏誓願目標は、「5世帯を何としても達成させる」ということに置いております。そのうち1世帯は4月に成就しました。また、3世帯があと一歩のところまできております。

 これからも真心一筋に折伏早期達成を目指してがんばることをお誓いいたします。

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