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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

TEL 086-255-1155

岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

『友人の姿に勇気付けられて脱会』

専正寺支部 S. S. 

(H13.7.16)

 私の入信は、昭和36年3月、妻の病気で精神的にも経済的にも破綻に追いつめられていましたとき、それを見かねた友人が、自分の体験談を通じ「必ずよくなるから、信心してみろ。嘘言わねぇから。おれを信じろ」と言われて折伏され、その熱意に動かされて入信を決意しました。

 そのときは、御供養の300円のお金すらなく、友人に立て替えてもらい、御授戒を受け御本尊様を御下附戴きました。

 入信してからは、創価学会の幹部の指導のもと、素直に朝夕の勤行、唱題を欠かさず、会合にも一日も欠かさずまじめに信心活動を続けていました。その結果、妻はすっかり元気になり、笑顔を取り戻し、私は持病の胃アトニーが治り、少しずつ家庭の中が安定してきました。

 その体験を通じて「この御本尊様はすごい」と仕事の合間を見て、折伏に歩き回りました。ただひたすら、信心、信心の毎日でした。生活も軌道に乗り、順風満帆と思われた頃、突然、人生最大の危機を迎えることになりました。

 私の口の中に出来た腫れ物が、だんだんとひどくなり、医者を転々としている間にこじらせて、最後に見てもらった医者が、「これはガンだよ。今頃、私の所に来ても遅いよ。何ともならんわ」と目の前で宣告されました。

 私は、その言葉を聞いて呆然として、体がガタガタと震えてきました。その後、どこをどう歩いたのかも判らぬまま、ふと気がつくと自宅の御本尊様の前に座っていました。

 「これではいけない」と自分に言い聞かせて、唱題して、御書を開き拝読していくと、目に飛び込んできたのが、 「南無妙法蓮華経は獅子吼の如し。いかなる病さはりをなすべきや」(御書六八五ページ) との御金言でした。

 この御文に触れ、暗闇に一条の光を見出した思いでした。「よし、明日から1日15時間の唱題をして、病魔を克服するぞ」と心に決め、職場に休職願いを出し、唱題を始めました。

 1週間くらい過ぎた頃には、すっかり痛みも治まりましたが、その後も、上あごの腫れた所より毎日ほおずきの実を潰したような出来物が出ては消え、出ては消えの状態が1ヶ月ほど続きました。

 さらに耳の中に水が溜まり、血の混じった鼻汁が8ヶ月間くらい出る始末でした。毎日が死との隣り合わせでした。それでも、一日として唱題を止めたことはありません。

 食事のときも心の中で唱題し、食欲はないのですが無理して、粥に味噌汁を入れて口から流し込みました。咽喉からガンが取れていくときは一番苦しく三日三晩一睡もせず、目を赤くしながら唱題し続け、「もう、これで最後かな」と思いながら、すい込まれるように眠ってしまいました。気がつくと朝でした。

 そして、いつもの不快感はなく妙にすっきりしていて、ガンがきれいに取れ、楽に呼吸ができるではありませんか。「私は、御本尊様から命を戴いたのだ」と確信が涌き、感謝の気持ちでいっぱいで、涙が止めどもなく流れてきました。その日を境に、連日の苦痛から解放され、日増しに回復していきました。

 ちょうどその頃、昭和52年の創価学会による教義逸脱問題がありましたが、自分の病のことでいっぱいで、一方的な学会の言い分のみを聞いて、「すべて学会が正しいのだ」と深く信じて、学会活動に力を入れていました。

 しかし、今回の学会問題では、私の身近な友人がはやばやと創価学会を脱会し、専正寺の法華講員になってしまいました。その人は、私に会うたびに、「学会は、謗法を犯している」と言って、学会の誤りについて話してくれましたが、聞く気は毛頭ありませんでした。

 その後、学会の支部副婦人部長だった友人のTさんが脱会したという情報が、学会の組織に流れました。このため会合の都度、「本山は、謗法の山と化した」「学会を離れると子孫末代地獄行きだ」などと言って、厳しい締め付けが始まりました。

 そんな中、私は、Tさんを学会に連れ戻すために、家庭訪問しました。そこで彼女から、「法華講員となってから毎日の生活に活気が溢れて楽しい。一番悩んでいた息子のこと、健康のこと、すべてが変化し、こんなによくなった」と心から喜んで、淡々と話されました。

 そんな姿を見て、私は、「学会が破門されてから、以前のように唱題をしても、今一つ体の調子が悪い。信心しても何かふっきれなく、悶々としている」など、素直に話しました。

 Tさんは、「本山さ行って、御開扉を受けたら生きがいが変わるから行ってみな。今は、昔のような学会ではないんだ」と懇切丁寧に話してくれました。

 かたくなに学会一筋に生き、信じてきた私にも、少しずつ心を開く気持ちが生まれてきました。初めの反発が嘘のように、半信半疑ながら専正寺へ足を向けたのでした。

 御住職・武田得道御尊師より二時間くらいお話を聞き、私の心は決まりました。Tさんを折伏したAさんや、Tさんと一緒にやってみよう、そう決心して、勧誡式を受けました。

 それからは毎日が学会との闘いでした。5日間で20数名の学会員の訪問、嫌がらせ等を受けました。さすがに私も、一時は「もう学会に戻るしかないか」とあきらめそうになった日もありましたが、いつも陰から支えてくれるFさん、Tさんに励まされ、守られ、無事、総本山への御登山もでき、こうして体験発表をさせていただくまでに立ち直ることができました。

 5月31日で脱会、丸2年を迎えます。この2年間で、私は6世帯の折伏をさせていただきました。御住職はいつも御指導の中で、「自分自身の体験を通じて、一番身近な一番大切な人から折伏することが大切です」とおっしゃられます。

 折伏した6世帯のうち2世帯は、病気の体験を話し、入信に結びつけることができました。その中のお一人は、2年前学会に入り『ニセ本尊』を持たされていました。しかし何の功徳もなかったそうです。信心の根本から話して、正しい信心につけることができました。

 3世帯は娘たちの二家族と孫の一家族で、ようやく家族そろって日蓮正宗に帰ることができました。私が最初に一人で法華講に入ったため、最後まで学会に残って反対していた妻は、私がだんだん元気になる様子を見て、また、いくら学会で唱題会に参加しても結果が出ないことに見切りをつけ、支部の人たちの温かい思いやりに心を開き、昨年の9月に脱会し、入講できました。

 それからというもの、妻は、唱題会、勉強会に休まず参加し、今年の1月には古くからの友人を折伏できました。今日もその友人と一緒に参加しています。

 私も、昨年より折伏していた人が入信し、夫婦で1月に2世帯の折伏を成就することができました。今こうして家族そろって御本尊様のもと、法華講員として活動できる幸せをしみじみと感じております。

 3月末、私を脱会させてくれたTさんが、クモ膜下出血のため亡くなられました。私の班の担当として、共に折伏の計画を立てがんばっていた方ですので、驚きと悲しみでいっぱいでしたが、彼女は、私のほかにも、何人もの人を学会から救い、事故の悩みも解決し、仕事を終えられたのだと思います。

 彼女の志を継いで一人でも多くの学会員を折伏し、明年、宗旨建立750年を迎えたいと決心しました。

 人の命は朝露のごとしと申します。今世に生を受け、御本尊様に巡り合い、こうして御奉公できる幸せをかみしめ、命ある限り折伏にがんばります。

 昨年は、支部折伏誓願目標20世帯を、12月末までかかった苦しい闘いでしたが、達成しました。今年は早々に誓願目標を達成し、堂々と30万総登山に臨みたいと決意しています。

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