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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

『父の臨終に親族が感動、脱会』

華光寺支部 N. M. 

(H10.11.16)

  皆様こんにちは。昨年1月23日に私の父が脳出血のため他界いたしました。59歳でした。本来なら翌日、病院で造影剤を使って脳の血管検査をするはずでした。本当に突然の死でした。

 本日は、その亡き父の臨終について感じたこと、また主人の両親を折伏できましたことを少し話させていただきます。

 一番強く感じたことは、日蓮正宗で良かった、信心をしていて本当に良かった、そしてこれからは菩提寺である華光寺をお守りし、御住職の御指導のもと、言われたとおり素直な心でしっかり信心に励んでいこうと決意できたことです。  

 私が創価学会を脱会し法華講員となってから、6年になります。その間、当時まだ学会員だった主人の両親に、機会ある毎に御宗門の正しさ、学会の誤りを訴え脱会を勧めてきましたが、それも思うようにいかず「少しずつ折伏をしていけばいいか」などと、甘い考えで時間ばかりを費やしていました。

 そして昨年のお正月、山梨に住んでいる主人の実家へ行ったときのことです。御題目三唱をしようと思い仏壇の扉を開け手を合わせ御本尊様に向かったとき「何だか御本尊様が変だな」と、思わず恐る恐る手を掛けてしまいました。

 以前御住職より『ニセ本尊』を見せていただいたこともありましたので確かめずにはいられなかったのです。そしてそれは、鮮明なカラー刷り印刷そのものでした。そのときのショックはハンマーで頭を殴られたかのような感じで口からは心臓が飛び出さんばかりでした。しかし義母にそのことを確かめる勇気が持てず、その日はそのまま自宅に戻って来てしまいました。

 それからは毎日悩みながらの唱題でしたが、いつしか決意が定まり義父母に対する本格的な折伏が始まったのです。私は母に相談し、また浅井御住職より御指導をいただきながらの折伏への挑戦となりました。

 その矢先に、突然私の実家の父が亡くなったのです。ちょうどそのころ私の母が中級試験に向かってお寺での勉強会に昼夜毎日のように通っておりました。そしてお通夜の日が試験日に当たり、午後6時から始まるお通夜までまだ時間があるからと母を試験会場へ送り出し、その間の準備は残された家族で対応し、お通夜を迎えました。

 父の死に当たり、父の兄弟、親戚に創価学会を脱会したこと、そして今は日蓮正宗のお寺について信心を続けているなど伝えると、今まで信心のことには耳を傾けようとしなかった8人の兄弟たちの態度も変わり、残された私たち家族のことを心から心配してくれるのでした。

 そして通夜と告別式のとき、私の座っている後から父の兄弟が1人、2人と大きな声で「南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経」と唱え始め、私は「お父さん凄いよ。おじさんやおばさんたちが、お父さんのために御題目を唱えているよ。お父さん良かったね。本当に良かったね。これがお父さんの折伏の姿なんだね。お父さんって本当に素晴らしい人だったんだね」と心の中で思ったら、父を亡くしたという深い悲しみの涙から、うれし涙に変わっていきました。

 通夜の午前3時頃、皆眠りにつき、なぜか私一人だけが起きていました。導師御本尊様がまるで私のために、父と2人きりの時間を作ってくださったのかと思えるほどでした。

 私は父の亡骸(なきがら)にすがって涙し、最期の別れをしながら導師御本尊様の前に座り、心ゆくまで唱題しました。

 その姿を叔父が見ていたそうで、後でその叔父が私に「もしも自分が死んだとき、私の娘もこのように泣いてくれるだろうか。Nが死んだ父を想うように私の娘もこんな風に想ってくれるだろうか。この宗教はどこか違うのではないか」と、今までのこと、現在の悩みなどを打ち明けてくれました。私は叔父に「子どもが親を想う気持ちは皆同じですよ」と話し、叔父をこのような気持ちにさせたのもきっと父のお陰なのだと、これが父の折伏の姿なのだと思いました。

 それから告別式、初七日も無事終わり、帰り際、華光寺の受付で「この経本には凄いことが書いてあるよ」と言いながらお経本を買って帰る他の兄弟の姿もありました。

 御住職が言われたとおり「葬儀の場とは故人ができる最後の折伏の場である」という姿そのものでした。父は生前、お酒が入ると酒乱になり、いつも家族は泣かされていましたが、臨終には「お父さんやったネ」という、信心の最終目的である、立派な一生成仏の姿だと思いました。

 また私の主人の両親も以前、学会の友人葬にいくつか出席したこともあったそうですが、日蓮正宗本来の姿で執り行われた葬儀に参列したのは今回が初めてで、父の成仏の姿を見て感動し、自分たちの将来のことを考えられたそうです。

 私は「折伏の時が来た。今がその時だ」と確信し、ただひたすら父の供養と山梨の主人の両親のこと、この2点に祈りを定め唱題してまいりました。

 そして昨年3月15日、父の四十九日のために我が家を訪れていた両親をお寺に連れて行き、御住職より今の創価学会の姿、そして日蓮正宗の正しさなどを話して、破折していただきました。

 翌日の朝、納骨式に出かける直前、急に義母が「お父ちゃんとお母ちゃんと2人揃って脱会するよ」と言い出し、なんとその場で脱会届を書いたのです。次の日御住職のもとへご報告に行きました。そして御住職の御計らいで山梨県にある大教寺にて勧誡式を受けられるようにしてくださいました。

 それから3月24日、主人と両親と私の4人で学会にいたことへの罪障消滅と、法華講員とさせていただいた喜びと感謝の思いで、御登山させていただき、大御本尊様に御内拝をさせていただきました。

 母は総本山大石寺を見て、学会が言うところの野良犬がたくさんいる、雑草だらけなどがすべて嘘と気付き、一日も早く御本尊様を御下付戴きたいとそればかり申しておりました。そして4月27日に念願の御本尊御下付、入仏式となりました。私も山梨の両親もこの日をどんなに待ち望んでいたことでしょう。

 私はこれから先、山梨の両親と共に信心をしていけるという何よりの喜びと、また、年頭に掲げた折伏も昨年5月3日の華光寺支部総会を目前に達成できた喜びを体中で感じることができました。

 そして葬儀のとき受験した中級試験に母が合格し、さらに葬儀の2週間後、主人が会社の管理職試験に挑戦し、見事合格できました。脱会したものの、信心につけなかった東京に住む私の弟も、父の葬儀を通じて発心でき、この度晴れて御本尊様をお迎えし御安置申し上げることができました。母もまた、亡き父の弟を折伏し勧誡に導くことができ、一つひとつ実証が示せたことを確信させていただきました。

 これまでの御住職の大変深い御慈悲に心より感謝の思いで一杯でございます。この思いを、平成14年の法華講30万総登山を目標に、御法主上人猊下の御指南のもと、浅井御住職の御指導をどこまでも素直に正直に純粋な信心で貫き、家族全員が一丸となり、折伏を第一とし仏道修行に励んでいくことを決意し、私の体験発表とさせていただきます。

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