本文へスキップ

日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

TEL 086-255-1155

岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

『南無妙さんあるよ』と4歳の息子が折伏成就

能安寺支部 S. Y. 

(H11.4.1)

 能安寺支部のS. Y. と申します。

 29歳の時に主人に出会い折伏をされ、結婚前に入信いたしました。平成3年主人に言われるまま創価学会に脱会届けを出し、お寺へ行くようになり、とてもうれしかったのを覚えています。

 ゼロからのスタートで会社を起こした主人は、親子関係も大変な中、本当に苦しい思いをしながらも仕事をし、さらに土地を手に入れ、自分たちの住まいを建てることができました。今思うと、主人共々信心にがんばっていたときだからこそできたのだと思います。

 そんなある日、主人の母から夜中に電話がありました。知人に御本尊様が良くないと言われ、菩提寺である邪宗の寺で処分したと言うのです。妊娠していた私はとっさに、お腹の赤ちゃんをお守りくださいと祈り、朝一番で八王子にあるその邪宗の寺へ飛んで行き「御本尊様を返してください」と言うと「もう焼いてしまってない」と言われました。

 御本尊様を御不敬した主人の両親もかわいそうですが、守りきれなかった私自身の力のなさが無念で仕方ありませんでした。

 何日かした夜、急に40度近い熱が出て、頭からつま先まで湿疹が出来、4日間死ぬほどのかゆさで、ただ御題目を唱えていました。病院では「ひどい風疹でしたね、今回は赤ちゃんを諦めなさい」と言われてしまいました。赤ちゃんは既に5カ月目でした。悲しくて諦めきれず涙が止まりませんでした。

 事の重大さを子供を通して教えられ、信心で受けとめることができました。その子は今、能安寺で妙栄水子という戒名をいただきお骨を預かっていただいております。

 それから次第に主人は忙しさのあまり登山できなくなり、欠かしたことのない勤行も、いつしかやらなくなっていました。

 それから1年後、妊娠していることが判り、私は不安だったのでお寺の近くの国立病院でのお産に決めました。いつも心の中で、お腹の赤ちゃんをお守りくださいと、必死で御題目を唱えていました。そして3人目、念願の男の子が無事に産まれました。

 しかしこの子はよく具合が悪くなり病院へ行きました。そのとき私たちのサークル長であるMさんに「福運ってちゃんと信心をしていかないとそのうちなくなっちゃうのよね」と言われ、ハッとしたと同時に妙に心に残り、「そうだ主人がやれないときこそ私が祈っていこう」という気持ちが急に起こり、主人の大切にしていたお数珠で朝晩の勤行を始めました。

 それから3年、主人は必死で仕事をし、会社は順調で売り上げはどんどん伸びていきました。そんな折、主人の兄が義父の会社のお得意様を分けてもらって独立し、出ていきました。売り上げ分散のしわよせで義父の会社はつぶれそうになり、主人の会社と合併して立て直すことになりました。

 主人は寝ずに仕事に励み会社を立て直しました。しかし利益が出てくると、泣いて頼んできた義父がまた主人を追い出そうと、いろいろと手を回してきました。すべての印鑑を持って好き放題の義父、そんな義父に可愛がられてきたにも関わらず離れていく義兄、苦労をしても義父から離れずにいる主人、そんなどうにもならない状態でした。

 そういう中でも、平成10年4月4日、快晴に恵まれ客殿新築慶祝記念大法要に一家5人で参加させていただきました。帰宅すると主人が、「俺も4月23日で40歳だし、また再開するよ」と言い、勤行を欠かさずやる以前の主人に戻ってくれました。あんなに安心したことはありませんでした。

 しかしがんばり始めると、前にも増していろいろな宿業が出てきました。私がお山で買ってきた本を義父に渡したときなどは、狂ったように怒り「Sはもう家に来させるな。給料も払わない」と主人に当たり散らしました。

 御住職様に御指導を受けると「どんなことが起ころうと、ドーンと構えてとにかく大物になりなさい。私も祈っていますよ」と言ってくださいました。次の朝、会社へ行った主人に、義父が「いろいろ考えたが、Eにはずいぶん辛く当たってきた。自分が悪かった」と、生まれて初めて謝ったのだそうです。あらためて御本尊様・御住職様に守っていただいている幸せを感じました。

 御報恩の心で信心のことを多くの人にお話しようと思い、誰にでも話してきました。能安寺支部の昨年の折伏誓願目標は70世帯、私が所属する富士見ケ丘サークルは7世帯の折伏目標のところ、14世帯を成就しました。その中の2世帯を我が家でさせていただきました。

 一つは、Sさんという方の紹介者になり、お世話をさせていただきました。この方はお母様の御本尊様を息子である自分たちがお守りしたいとのことでした。偶然にも、息子さんと私の子供の名前が同じだったので喜んでくださり、とても親近感がわきました。

 また数日後、古着を無駄にしてはいけないと思い立って、近くにできたリサイクルショップに持って行きました。店員さんは古着は扱ってないというので帰りかけましたが「一応見せてください」とその店員さんが車の所へ来ました。

 「8ミリビデオも持ってきているんですけど」と言うと「今は店長がいなくて値段がつけられないので、住所と名前を書いていってください。後で連絡します」と言われ、書こうとしたときです。うちの4歳の子が何を思ったのか「うちにも南無妙さんあるョ、南無妙さんあるんだョ」と店員さんに言ったのです。

 彼女はすぐに「学会ですか」と聞いてきました。「私は法華講です」「それは何ですか」「私も前は学会にいましたが、今は脱会してお寺へ行っています」「私はずっともんもんとして、お寺へ行きたいと何年かずっと思っていて、ここ何日かは特に強く思っていました。でも方法が判らなかったんです」「御本尊様は取り換えたりしていませんか」「もちろんです。時間を作りますからゆっくり話を聞かせてください。でもこの子が南無妙さんと言ったときは、ビックリして鳥肌が立ってしまいました。こういう話を聞ける人に巡り合えてうれしいです」と、とても喜んでくれました。私もなんだか信じられない気持ちで帰ってきました。

 その日の夕方です。先程の店員のKさんから明日朝一番で能安寺へ行くとの電話が入りました。翌朝、能安寺で待ち合わせ、御住職様にお話をしていただきました。よほど彼女は、心の中でひっかかっていたんだと思いました。「また連絡をします」ということで別れました。

 11月21日、御大会法要での布教講演で御住職様が4歳の子が折伏のきっかけを作ったと、我が家のDくんの話をしてくださり、そのとき参加していたチームのHさんが喜んで電話をくれました。

 その2日後の早朝、御住職様から、この前のKさんが勧誡式を受けに見えているからすぐにお寺へ来て一緒に祝ってあげなさいと、電話をいただきました。彼女は勧誡式の間中、涙で顔がぐしゃぐしゃになるほど喜び、彼女の素直な心がはっきりと私たちに伝わってくるようでした。

 主人が4月に勤行・唱題を再開してから私たちの周りは嵐のようにいろいろなことが起こり、八方塞がりの状態ですが、大御本尊様、御法主上人猊下、御住職様、法華講の人たちに励まされ、守られて、私たちはここまでこられました。

 信心根本に仕事をがんばっていく中で会社の状態と、親子関係、義兄との関係が必ず良い方へ転換できると信じています。

「をとこ(夫)ははしら(柱)のごとし、女はなかわ(桁)のごとし。をとこ(夫)は足のごとし、女人は身のごとし」(御書1476) との御文があります。

 書籍部長として、チーム長として任命を受けた主人を助け、共にがんばって3人の子供たちにも信心を教え、大切に楽しみながら日々自分自身を磨いていきたいと思っています。

 また実家の母が父の反対で信心できませんが、一日も早く入信できるよう祈っていきます。(※3月12日に入信されました)信心のできる毎日に感謝の気持ちでいっぱいです。

 平成14年・法華講三十万総登山へ向けて、しっかりと御法主上人猊下に信伏随従し、不惜身命の御奉公をと心から思っています。

このページの先頭へ
inserted by FC2 system