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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

TEL 086-255-1155

岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

『忙しくても折伏はできる』

本修寺支部 K. M. 

(H11.11.1)

 私は、創価学会を脱会し、法華講に入ってから早7年が経ちますが、恥ずかしながら折伏の成就は昨年の9月まで1世帯もなく、毎年、折伏目標を聞かれると仕方なく目標は出すものの、達成したことはありませんでした。

 また、仕事の関係で、早朝5時か6時頃には家を出て、帰宅は夜の10時から12時頃になり、休日も半分は出勤となってしまいます。このため、お寺に行きたくてもままならない状態で、いつも時間がなく、何とか折伏できたらいいなと思い、御本尊様に祈り続けておりました。

 そんな私に転機が訪れました。それは、昨年「革進の年」に、妹が「折伏したい。折伏させてください」と祈り続けていたところ、夏期講習会登山から帰ってくると、友達から「何とか助けて欲しい」との電話があり、信心の話をしてお寺に連れて行き、折伏成就できた姿を見たことでした。

 昨年は、平成14年・30万総登山のお役に立ちたいとの一念から、「誓願した1世帯は何とか成就したい」との気持ちが、焦りとなっていました。「今の仕事は忙し過ぎるので、仕事を変えて信心に専念したい」と、菅原御住職にご相談したところ、「今の仕事をまっとうしなさい。そして職場の人を折伏できるようになりなさい」との御指導をいただきました。「自分の置かれた立場が折伏の場なのだ」と気付かせていただきました。

 そこで、自分のつたなさを反省すると共に、ただ「折伏したい、何とか折伏させてください」との一心で唱題していると、行方不明になっていた創価学会員の叔父から、4年ぶりに「どうしようもなく困っている」との連絡があり、お寺にお連れすることができました。

 久しぶりに会った叔父は、御本尊様の御不敬と謗法与同の罪により、脳梗塞からくる痴呆と、ホームレスと見まがうばかりの姿となっておりました。私と妹は、学会の謗法と誤り、そして御法主上人猊下の血脈を否定して本門戒壇の大御本尊様から離れたのでは功徳はないことを話し、叔父に勧誡を受けさせることができました。これは、私にとって10年ぶりの折伏成就となりました。これにより、折伏は本気で願えばできるという確信を持てました。

 本年「出陣の年」、御法主日顕上人猊下は「新年の辞」において、「出陣の最重要事は千万人と雖(いえど)も吾れ往(ゆ)かんとの烈々たる気魄であり」(大白法516号)と仰せられ、眦(まなじり)を決しての大号令を発せられました。

 私は、御法主上人猊下の御指南に少しでもお応えしたいと思い、折伏先のあてはありませんでしたが、本年の折伏誓願目標を5世帯と、生れて初めて本気で御本尊様と御法主日顕上人猊下に誓願いたしました。

 しかし、仕事はますます忙しくなり、唱題はおろか、勤行するのが精一杯の毎日、仕事の合間に心の中で唱題し、少しでも時間があれば家族の幸せと、折伏誓願目標達成を祈りましたが、1月は1世帯もできませんでした。

 そんな中、叔父が痴呆でふらついていたところを、Mさんに助けていただき、無事に帰って来ました。このMさんは、5年前に奥さんを亡くされ、今は独り暮らしをしているとのことでした。

 3月になり、まだ1世帯も折伏成就せず焦っていた頃、有り難くも地方別僧俗指導会に参加させていただけました。柳沢総講頭は厳しくも判りやすく「魔と宿業」について指導くださり、自分が思っているほど、魔と宿業は甘くないことを知り、真剣に折伏を祈れるようになりました。

 そんなときMさんから「助けて欲しい」と電話がかかってきました。私は副講頭のお力添えをいただき、お礼の気持ちを込めて、今までいただいたたくさんの功徳のこと、この信心でしか宿業転換はできないことを話し、Mさんを折伏できました。

 間をあけずに次の折伏をさせていただこうとがんばりましたが、思うようにできません。仕事もかなり忙しくなって、1ヶ月、2ヶ月と経ってしまいました。「折伏したい」という純粋な気持ちが、「早く1世帯成就したい」という焦りに変わった頃、また叔父がいなくなりました。仕事の忙しさも極限に達し、思うように叔父を探せませんでした。

 1ヶ月ほど過ぎた頃、Kさんという女性から情報をいただき、お宅にお伺いしました。するとそのお宅の異様な暗い雰囲気に驚きました。部屋の中には高さ70センチもある観音像、その脇に30センチの稲荷2体、10センチ位の大日如来像の仏壇、壁にはどこかの教祖らしき座禅を組んだ異様な人の写真が飾られていました。

 とにかく叔父の居場所を教えていただいて探しに行きましたが、叔父はいませんでした。

 その後、仕事に追われる日々が続き、さらに1ヶ月ほど経った頃、警察から、叔父が亡くなったとの連絡が入りました。叔父は、ホームレスと一緒だったらしく、髪と髭は伸び放題でしたが、安らかな顔をしていました。

 「叔父の成仏のためにも」と、真剣に折伏の御祈念をしていると、叔父のことを連絡してくれたKさんから電話が入りました。早速お寺に行って真剣に1時間唱題した後、お宅に行き、Kさんのしている信仰が謗法であること、そして本当の幸せ、成仏するには日蓮正宗しかないこと等を話し、同席していたKさんの知人のMさんも一緒にお寺に連れて行きました。

 お寺では、御住職、講頭を交えての折伏となりました。その結果、2人は共に入信を決意されました。再びKさん宅に戻り、謗法の物をダンボール箱5個に入れ、謗法払いを済ませた後、晴れて御本尊様の御下付を戴きました。

 入仏式が終わり、Kさんの話を聞いて驚いたのは、私に電話をした晩、Kさんの夢に亡くなった叔父が出て来たそうです。その中で叔父が「明日甥を寄越すから。甥は必ずあなたをお寺に連れて行くから、そうすれば、俺に会えるよ」と言ったそうです。

 Kさんは、私が来る前の日から、私がお寺に連れて行くことを判っていたとのことでした。この不思議な出来事をとおし、はたからでは見えない叔父の信心と、御本尊様の偉大な功徳を体験させていただきました。

 生活のため、仕事はやり切っていかなければなりません。しかし、毎日忙しいからといって折伏できないと諦めず、真剣に祈れば必ず御本尊様は叶えてくださるとの確信を胸に、「出陣の年」あと2世帯の折伏を成就し、平成14年・30万総登山には、折伏させていただいた方たちと共に歓喜をもって参加させていただく決意です。

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