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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

TEL 086-255-1155

岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

『強い信仰で奇跡の回復』

平安寺支部 K. A. 

(H9.7.16)

 昭和29年3月8日、私が8歳の時、母に連れられて東京・品川の妙光寺において御受戒を受けてより44年の歳月が流れました。信心を貫き通せた喜びは、何にも代え難い宝であります。
 思い起こせば10歳の夏休みに、子供同士で総本山へ参詣していたときのこと、写生をしていたそばを御僧侶が通りかかられ、笑顔で「将来は絵描きさんになれるね」と、その一声が深く脳裏に刻まれその後の人生に多大な影響を受けるとは思いませんでした。

 折しも進路を決める私に、常に母は独りでも生きられる女性にと、薬剤師か医師を望んでおりました。

 実は母方の祖先のM家は、織田信長に仕えた家臣として、伊吹山に薬草を育てる薬師の仕事を命じられ、その職は代々受け継がれて、後に伊賀上野城主・藤堂家に、医師として迎えられました。

 その後、七代藩主・藤堂伊豆守高虎の代に、徳川家の御殿医にまでなる家臣として、変転はありますが明治の末まで16代続いた家系であります。正宗の法華講に入信したのは両親から数えて3・4代前で、家宝として御本尊様が現存していましたが、母の長兄の出来心で焼いてしまい、その兄は26歳で急死した経緯があります。今再び法華講員として、信仰に巡り値えた縁(えにし)の不思議さに、ただ熱き涙が溢れてまいります。

 それに引き替え母の姉たちは、自分ほど偉い者はないと、奢りと慢心故に、一向に創価学会を抜け出ようとせず、自ら不幸を招いております。小さい時から絵の好きな私は、高校、少し時を経て大学と、共に美術系を選び、考えも及ばぬ円山応挙の直系弟子の方に水墨画を教わるという不思議な出会いもございました。

 期せずして、現在の御法主日顕上人猊下が平安寺に御住職として在職なされた節は、毎月御講に参詣し、昭和39年19歳より御書講義を拝聴して、私の人生の礎ともなる充日した青年期を過ごしました。母と私によくお会いくださり、「絵を描いていただきたいですね」の御言葉を賜りまして、後に、昭和57年より、『大日蓮』に挿し絵を書き続ける今日の姿となり得たのです。

 人間、年をとれば何らかの病になるは必定でありましょう。父は多発性脳梗塞、母は父の看病の疲れから骨粗鬆症となり薬害のためかアルツハイマー病と重なり、私自身もつらい日々の連続でしたが、今くじけてなるものかと自分自身を励まし、病起きてより信心が触発されるごとく、御本尊様を見つめ、己の業の深さに御題目を唱える毎日となりました。

 ふと、「折伏する以外に切り抜ける道はない」と決意したのです。同じ業界のA氏に、なんども信心の話を続けるうち、彼の実家は鹿児島であり、朝夕に先祖の墓に花を供えていることや、因習深い念仏の土地柄であることが判りました。名家である故、宗旨を変えさせることは至難の業でありましたが、創価学会は嫌だが法華講なら入信してもよいとの返事を得ました。この時ほど喜びを味わったことはありません。

 そしてその後、私の主人となり、私の両親の面倒をよくみてくれる功徳となりました。転重軽受の御法門に、今生において人それぞれに内容も異なれども、過去の罪報が今日現れ出で、大難が小難の姿で消えてゆくものと思えばこそ、私の前に立ちはだかる試練は、人生の宝と成り得る修行と鑑み、必死に御題目を唱え、乗り越える勇気が湧き起ったのです。

 と思ったのもつかのま、昨年9月2日に主人が胸の痛みを訴え、水がたまっているとのこと。即入院となり、治療をほどこした所が化膿し、運悪くメシチリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)という細菌が増殖しており、どこに供給巣があるのか解らないとのこと。臨床医に恐れられている院内感染でありました。再び脳に進入、脳腫瘍と診断され、抗生物質を100日間も投与し続けました。3度目の危篤の時には、電気ショックで生還するという凄まじい戦いでした。

 また、8月中旬頃より父の容態が悪化し、父と主人の危篤を知らせる電話が交互にかかってくる様は、まさしく冬の荒海にも似た、寒風吹きすさぶ絶体絶命の状況でありました。

 しかし、御題目を唱えての看病が、他人には冷静な立ち振る舞いと感心されたのです。『祈祷抄』の一節の、
「大地はさヽばづるるとも虚空をつなぐ者はありとも、潮の満ち干ぬことはありとも、日は西より出づるとも、法華経の行者の祈りの叶わぬ事はあるべからず。」
の御金言を心に刻み、嗚咽する心を御題目で癒しながら、必死の看病に明け暮れました。

 しかし、主人に抗生物質を打ちすぎたため、さらに悪化し磁気共鳴診断装置(MRI)の検査結果、再び脳の中枢部に水が溜まり、余命30分もないと判明し、急ぎ脳外科病棟に転院して2度にわたる手術で、やっと一命を取り留めたのです。MRSAは皮膚接触などにより感染する病原体であり、人格変貌・意識混濁となって死に至る、世界中で恐れられている病で、抗生物質も効かず手をこまねいている病の一つであります。この時、御仏智が働いて主治医に談判し、「私が責任を持ちます」と訴えて、抗生物質の投与を取りやめて、栄養剤点滴と錠剤のみの治療に代えていただきました。

 その結果、薄紙をはぐような回復の兆しが見え始めました。ついには願い出て家に連れ戻すことができたのです。

 年末に家に戻った主人の、すぐに御本尊様に手を合わせて御題目を唱える姿は、まさしく蘇生した柔和で優しい顔付きとなり、涙を流して語るしぐさに奇跡としか言い表せぬ功徳を感じ、生きていることの喜びは、夜が白々明けるまで「嬉しい、楽しい」と何遍も何遍も繰り返す言葉でした。

 あれほど身体を傷だらけにされたにもかかわらず、不思議と本人には痛み・苦しみは記憶されておらず、「目が覚めたら、あれ、今冬なのか。と思った」と本人はビックリしていました。

 病気に伴う後遺症は全く見つからず、退院後2ヶ月で仕事に復帰出来ましたことは、医師より「奇跡としか考えられない。奥さんのとった方法が正しかった」と、初めて謝罪してくれました。この例は医学会で発表され、その後厚生省より、院内感染MRSAの治療には抗生物質を極力控えるよう指示があったそうです。このことを、3月26日の報道で知りました。今後の医療の手助けと成り得た喜びは、感無量であります。

 また父は元気になった主人を見届けるかのように2月5日、成仏の相を表わして息を引き取りました。
 『上野殿御返事』の、
「花は開いて果(このみ)となり、月は出でて必ず満ち、灯(ともしび)は油をさせば光を増し、草木は雨降れば栄ふ。人は善根を為せば必ず栄ふ」
のごとく、今ようやくして、母の病も治り、主人には寿命をいただきました。

 3月23日、父の納骨の為、主人・母・私の三人で大御本尊様に御礼申し上げたいと思い、登山しました。主人は「本山は、清々しくて心が洗われる。こんな美しいお寺は日本広しといえども他にはない」と涙ぐむ一面を見せてくれたのです。

 今世に巡り合えた御法に甘露の涙尽きず、その外に何の宝が世にありましょう。僧俗和合の麗しい姿で、御法主日顕上人猊下の御指南あればこそ、私は人としての道理を踏み外すことなく生きてこれたことを、心より感謝する次第であります。素直な心で、これからも長い道のりを、清い心で折伏に勤(いそ)しみ、歩みたいと思います。

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