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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

TEL 086-255-1155

岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

『我見に執われない御題目』

円照寺支部 K. F. 

(H12.2.1)

 平成10年「革進の年」、11年「出陣の年」の、御本尊御下付6世帯、内得信仰者10名の折伏成就の体験を発表します。しかしながらその中には、退転者あり、勧誡式当日の学会幹部の横槍で折伏できなかった人あり、活動を控えて信心を改めるよう努めた月もありと、毎日、毎月が体験の連続です。

〇 一昨年のある折伏から

 一昨年11月、日蓮宗の信徒だった人の折伏が成就し、その一家と御登山させていただくことになりました。登山の10日程前からご主人の言動がおかしくなり、御本尊様を怖がるようになっていました。

 「この信心を始めてから女房が変わってしまった。御本尊と仏壇を焼く」と電話で怒鳴るのです。

 まず御住職・中村福道御尊師に一報を入れてから、その方の家へ行きますと、御本尊様は無事でした。ご主人と御題目を唱え、御本尊様にお詫び申し上げ、私は帰宅しました。しかしその後、すぐにまたご主人が同じようなことを言い出したので、奥さんはご主人を振り払って御本尊様を懐にしまい、裸足で私の家へ逃げて来ました。

 御本尊様は私が預かり、奥さんを講員宅へ泊める手配をし、同時に御住職へ報告しますと、「すぐ行こう」と言われ、一緒に伺いました。すでにご主人の姿はなく、仏壇がばらばらに壊されていました。

 翌日、奥さんをお寺へ連れて行った後のことです。御住職は御法務で不在、私が本堂で唱題していますと、「F、出て来い。刺したる」と、ご主人が怒鳴り込んで来ました。「私は日蓮正宗の信徒だから絶対に喧嘩はしない。気が済むまで殴りんさい」と返事するや否や無茶苦茶に殴られました。

 決して避けようとしない私に腹が立ったのでしょう。20発以上殴られ、その間、3回御題目を唱えるのが精一杯でした。

 警察を恐れたご主人はすぐに帰りました。本堂で唱題させていただくうち、妙の御文字からの優しい光と、御本尊様に吸い込まれる自分がそこにいました。痛みも出血もなく「日蓮大聖人様、有り難うございます」の大歓喜の御題目でした。

 ご主人はその月の13日の朝、警察に逮捕されました。その晩奥さんと子供は、初めての御登山となる支部総登山へ臨まれました。

〇 私が本山任務で得たこと

 御住職の御指導は「何があっても御題目だ。余事なく他事なく、雑念のない御題目を唱え奉ること。時間でなく数でもない、一遍の御題目で感じるものがなければだめだ」とのこと。私にもその御題目を唱えるときが訪れました。

 私は親不幸者でやくざでした。今は、やくざを辞めて、一人で生活しています。結婚願望が強く、いつも御本尊様に御祈念させていただいております。

 ある夜、夢の中に御法主日顕上人猊下がお出ましになられ、「あなたが変わらなければ」と声をかけてくださいました。ぱっと目を覚ますと、丑寅の時刻、御前2時30分でした仏間ですぐ題目三唱し、折伏の決意をしました。

 昨年春に、本山任務輸送班に登録し、7月25日の第9期夏期講習会登山が初任務と決まりました。6月に学会員の横槍で折伏に失敗した私は、「なぜ、こんなことになるのか」という迷いが広がりました。

 「革進の年」5名、「出陣の年」半年で3世帯の御本尊御下付、5名の折伏成就のこれまでの勢いが止まりました。

 そんなとき「刺青(いれずみ)者に輸送班が務まるのか。半袖にサポーターをはめ、詰めた指を見た登山者はびっくりするはずだ」と思い悩むばかりでした。

 他界した両親に詫び、自分を責め、謗法の罪の深さを思うと、出るのは溜息ばかりでした。お袋が一生懸命教えてくれた「南無妙法蓮華経」を、もっと早く唱えていれば、指を詰めるようなことはなかったのにと、涙がこぼれ、お袋に詫びました。

 落ち込んで、5日間お寺に参詣できませんでした。「よし、一からやり直す。時間や数に執らわれない御題目を唱える」と決意し『立正安国論』上程の日に同僚の20歳の青年を折伏してから、初めての任務に着かせていただきました。

 「魔の責任じゃない。すべて自分の信心であること」と観じ、御法主上人猊下の御指南の奥の奥を学ぶには、御住職の御指導のまま素直に行じることだと判りました。

 任務中、高齢の女性が、「全部言わなくても判る。これからもがんばってね」と、指のない私に握手を求めてくるのです。総本山で聞くこと、会話すること、すべてが私の迷いへの答えでした。

 全国の青年任務者が、いろいろなことを乗り越え、志しを持って支部でがんばり、総本山で御奉公させていただく姿勢に、自分の曲った部分を改められました。

〇 法華経の兵法

 8月9月で6名入信、10月に御本尊御下付2世帯となり12月に1名入信しました。そのうち10月の1世帯は、7月に折伏した青年のアパートを貸りる段取りから始め、毎朝一緒にお寺へ参詣し育成に努めていく中で、彼も私も次々と下種先が広がりました。

 会社でも休憩時間や帰宅途中に「南無妙法蓮華経は絶対だ。一緒に今唱えよう」と、お寺のほうを向いて御題目を唱え、その足でお寺へ行きます。そのような中で、私の周りにどんどん人が集まることに嫉妬した社員が、うその情報を上司に伝えたことから、12月一杯で私を解雇するとの話が持ち上りました。

 その社員にも以前下種をしましたが、御授戒の当日、父親に反対され入信できませんでした。以来、私を憎むようになってました。

 私は下請業社の社員、そして折伏した相手がすべて親会社の社員であったため、このような話になったようです。私は、御宗門や支部で発行している機関紙や、パンフレットを持って、親会社の係長に面接を願い出ました。

 そして正しく日蓮正宗の話を聞いていただき、「正しいことを言い、悩みを解決し、力一杯働く元気な日蓮正宗の信徒を一人使うか、平気でうそをつく社員が大切か、考えてください。世の中の人は苦しみの原因が判らぬまま、迷いながら仕事をしているのです。会社をよくするには日蓮正宗の信心しかないのです」とはっきり伝えますと、「解雇しない」と約束してくれました。

 ちょうどこの頃、社員が2名、会社を辞めたので解雇できなくなったのです。数日後、うそをついた社員は、肺に穴が空いて入院しました。また、御授戒に反対した父親は会社を解雇され、日蓮正宗を笑った者は交通事故で車が廃車になり、「大石寺へ行くな」と言った人は私が御開扉を受けた同じ時刻に地上5メートルで作業服に引火し、私の横で「念仏が絶対だ」と言った人は、家で倒れて職場に復帰できなくなるなど、不思議な現証が次々と起こりました。

 「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給ふべし。『諸余怨敵皆悉摧滅』」(御書1407頁) の御金言どおりです。

 折伏行の中で創価学会破折は、時間のある限り行じております。訪問、「大白法」の号外配布はもちろん、直接会館へ出向いて破折もしておりましたら、「Fを潰せ」となったようです。

 私の家の表札は、「日蓮正宗円照寺支部法華講」と掲げ、学会員向けの掲示板を作り、窓ガラス2枚分の看板もあります。輸送班をするに当たって1つの区切りとして、個人活動としてこのような物を作りました。

 総本山の御大会から帰った後、11月23日の午前1時半頃、その看板に投石され、窓ガラスを破られました。相手を捕まえようと家を出ましたが、オートバイに細工されていて動かず、断念しました。

 さらに、軒を壊されていました。しかしながらほとんど腹も立たず、仏間に入り御題目を唱えました。こういうことがあればあるほど御題目の悦びは大きくなり、1遍の御題目で不思議と感ずるものがあります。

〇 執らわれない御題目を常に唱え奉ること

 私は青年部員に対し、大きな声で叱りとばしません。私の場合だけかもしれませんが、私が叱るとだめなのです。少なくとも2名の退転者はこれが原因でした。

 殴られても、笑われても、石を投げられても、怒ることなくただ南無妙法蓮華経と唱え、相手の感情とか、周りの状況に執らわれないことが大切です。考えて一晩かかって執らわれないよう努力するのとは違います。その瞬間、その瞬間で起こっていることの意味を考えるのです。

 妙法の大功徳は、現世利益ではありません。病気が治った、仕事がうまくいった、それも大切ですが、病気の人は病気のまま成仏するということもあるはずです。何があっても御題目のみ、一遍の御題目をいざというとき唱えられるか否かだということを折伏行で体験します。

 折伏の功徳は、目に見えるものではありません。この体験発表を聞かれた方も、時間が経てば必ず忘れます。私だけが一生涯忘れないのです。御題目の悦びと御本尊様は絶対だという確信は、折伏を行じた人のみが判るのであり、体験発表を聞いているだけでは判らないのです。

 執らわれない御題目を常に唱え奉ることが御法主日顕上人猊下にお応えさせていただくことと確信し、宗旨建立750年・法華講30万総登山はもちろん、命ある限り唱題行、折伏行に精進させていただきます。

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