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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

TEL 086-255-1155

岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

『夫の死を乗り越えて』

アングラ・ドス・ヘイス布教所 M. A. 

(H12.7.1)

 私は1979年に、主人に誘われて日蓮正宗の内徳信仰を始めました。当時はイパチンガという所に住んでいました。

 私はカトリックの家に生まれたために、最初に仏法の話を聞いたときは強く抵抗しました。しかし、仏典を読むうちに納得して、主人やメンバーの誘いを受けて会合に参加するようになりました。

 経験ある先輩に激励されて、私自身の宿命転換への挑戦をはじめました。徐々にではありますが、自分が確実に変化していくのに気がつきました。キリスト教を信仰していた当時、神父たちは、宿業、因果の法則については信徒には伝えなかったので、これらはすべてが奇妙であって、理解することができなかったことです。

 初信の頃は、自分自身の目的達成と幸福を願って、目先の問題を解決しようとしました。最初の目標は、子供の勉学の便宜上、当時住んでいた地域から出ることでした。しかし、主人は、静かな場所だし自分の仕事にも都合がよいので、転居には反対でした。それで私は、暇のある限り信心に没頭し、8月から12月まで100時間の唱題をすると決意し、生活の中では転居のことにふれるのはやめました。

 私は、学校で一日教鞭をとり、夜も教えることがあったので、昼食、夕食の時間と週末を利用して唱題しました。

 10月の中頃、43時間目になったときに、主人が「会社の都合で別の区域に転任するよう誘いを受けた」と言ったので、私は小躍りして喜びましたが、顔には出しませんでした。

 主人は、「おまえが子供の学校のためにカリルーへ行きたいと言っていたから、会社に転任できるよう頼んでみる」と言ってくれました。1979年11月18日、私たち一家は、私が行きたいと思っていた場所に転居しました。これが「祈りの叶わない事はない」ことの最初の実証でした。

 しかし、私の知らなかったことは、初信の闘争が大きければ、罪障消滅のため障害も大きく起こってくるということです。入信2年目の5月に、主人が腎臓障害で亡くなりました。大変ショックでした。主人は大柄で体力もあり、年齢もわずか41歳でした。

 急に私は、8歳になるクリスチアネ、5歳のシンチア、4歳のカリナの、3人の小さな子を抱え一人で育てていくこととなってしまいました。その頃、ある事業に投資しようと2軒の銀行から借金をしたばかりでした。しかし私は打ち続くショックにも動揺しませんでした。

 幹部の助言もあり、3人の子をすべての活動に連れて歩きました。周囲の人が、何かあれば協力してあげよう、と話し合ってくれていることも耳にしました。そこで機会ある毎に、仏法の話をしました。私が仏教を信仰していることを知ってもらえるようにと努力し、掛け持ちで教鞭をとる3校で、同僚に「南無妙法蓮華経」を教えました。

 月に1度私を訪ねてくる人と、1日に2時間の唱題を目標に実践しました。5年間、第1土曜日に唱題会を実践して、自分が習ったことを伝え、11人の折伏ができました。

 時は過ぎ、子供たちは成長して、私と一緒に信心をするようになりました。多くの障害、とくに財政面の難にもあいました。主人亡き後、社宅を出なければならず家賃を払う境遇となりました。また主人の年金は僅少でした。

 しかし、子供にはよい教育を受けさせたいと思い、3部制で授業を受け持ち、食事をする暇もないほどでした。そんな中で私が決意したことは、何事も御本尊様第一、その他は二の次ということでした。

 子供たちはベロ・オリゾンテの大学に行き、2人が卒業して働いています。クリスチアネは法科、カリナは公共経営科です。3番目のシンチアはバレリーナで、ダンスの先生もしています。今年彼女はビジュアル・プログラミング科を卒業します。

 私にとって一番大事なことは、子供たちに御本尊様への信仰を伝えたことであり、それが私の一番の幸せです。

 皆さんに、がんばった甲斐があったとお伝えしたいと思います。私は勉強が好きで、1989年に学校の数学の教師を定年退職してから、友人のアドバイスでゴヴェルナドル・ヴァラダレス市の法科大学に入学して5年間、週3回通いました。家を夕方5時に出て帰るのは午前1時、翌朝は6時に起きて朝の勤行をし、仕事に出かけました。1993年に54歳で大学を卒業しました。すべては正法のお力のお陰です。

 1996年に市役所の学校調整員職を定年退職して、1998年4月にベロ・オリゾンテ市の現在の家に転居しました。その地域で、日蓮大聖人の正しい仏法を弘教するため、微力ながらお手伝いさせていただいています。

 正法を信仰するということは、ただ単に信じることではなく、強い決意と勇気が必要です。それは日々の勤行と唱題、並びに折伏をしようとの心構えで成就できます。

 私は今年61歳ですが、たゆまぬ活動及び努力で、生命力を得ていつも活発に動いております。1999年に勉学を再び始めました。1週に1回、英語、発声技術、演劇を勉強し、学校のコーラス部員でもあります。私の本当の目的は、学校関係の人たちを折伏することです。自分は偶然にそこにいるのではない、地涌の菩薩の使命を果たすためだと思っています。

 2002年の総本山への登山および30万の目標達成をめざして、さらなる活動に邁進し、必ず総本山へ一緒に行きましょう。

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