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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

TEL 086-255-1155

岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

『アイゼンメンジャー症候群を乗り越えて』

宝浄寺支部 H. T.

(H10.6.16)

 第六回東京第二地方部総会、まことにおめでとうございます。客殿新築落慶大法要が執り行われました記念すべき年に、またかつてこの妙光寺で御授戒を受けました私が、本日、この妙光寺様において体験発表させていただけますことは、二重の喜びで胸がいっぱいでございます。

 御本尊様の御安置されております家に生まれ育った私は、小さな頃から活発でおてんばでしたが、10歳の時に健康診断に引っかかりました。大学病院で精密検査を受けた結果、『アイゼンメンジャー症候群(日本名=突発性肺高血圧症)及び心房中隔欠損症』と診断されました。

 当時は何の治療法も無く、また現在でも肺と心臓を同時に移植する以外に治療法が無い難病です。その日から全ての運動が禁止されました。

 病気のために学校を休みがちな私は、中学校ではいじめの対象でした。何度、自殺を考えた事でしょう。その度に信心している者が、法を下げるようなことをしてはならないと、泣きながら唱題を重ねました。

 高校生活はエンジョイしたいと願い、毎朝三時に起きて三時間の唱題をしてから学校に通い、御書を通してクラスメイトに下種を続けました。

 十九歳の時には、「あと半年から一年の命」と死の宣告を受けました。この時、私にはもう信心しかないと心に決めて進学先も創価大学を選び、語学力を活かして女子部国際部のインドネシア語リーダーとして、また学会本部で、そして女子会館でと忙しい日々を送りました。

 当然池田大作と会う機会も増えましたので、聖教新聞上の指導とあまりにもかけ離れた人間性に疑問を抱いたのです。このころ女子部の幹部から、『人間革命』の本を持ち歩くようにと指導された事もあり、信心の根本が違うと判断して、学会を離れました。

 そんなときに、職場の同僚で法華講員の方が、毎月、機関紙の『大白法』をくださり、これを読んで、やはり私の判断は正しかったと早速家族を説得し、平成4年、千葉県鎌ヶ谷市の鎌谷寺の門をたたき、一家揃って脱会しました。

 その際、御住職様から「求道心ですよ。法華講は求道心が大事です」と温かい御指導をいただき、毎月の御報恩御講、法要への参詣、登山と、時間の許す限り参加させていただき、法華講の信心を学び折伏に活かしてまいりました。

 そんな充実していたときに、正本堂で隣り合わせになったのが、宝浄寺支部の青年でした。御開扉を終えた道すがら、信心について会話をしました。その頃の私は、病気から出産も結婚生活も難しいと言われておりましたので、その方に対して信心の仲間として以上の感情はありませんでした。

 ですから彼からプロポーズされた時は、とまどい、悩みました。御住職様に御相談申し上げたところ「とにかく健康になりなさい。何も考えずに、まず体を治すことが大事です」と御指導いただき、その日から毎日、お寺に通って朝夕の勤行と三時間唱題を重ねました。

 雨の日も雪の日も、元気にお寺の門をくぐっていた私が、百日目を超えたある日、その朝に限って起きるのがつらかったのです。体調が悪い中、母に付き添いを頼み、お寺の駐車場へ車を滑り込ませた途端嘔吐し、支えられながらお寺の扉を開きました。勤行が始まって間もなくです。音が聞こえるほど激しく血液が体中を流れ、まるで大きな火の玉をかかえたように全身が熱くなり、次の瞬間、ふっと嘘のように心臓が軽くなり、呼吸も楽になりました。となりの母を見ると、母も同じように感動し、ウンウンとうなずいておりました。言葉では表現できない素晴らしい体験をいただき、つくつぐ唱題の偉大さを実感いたしました。

 この体験で自信を得た私は、平成8年に結婚いたしました。もちろん妊娠を知った時も、主人の励ましもあって一切不安はありませんでした。しかし、難病なだけに出産を引き受けていただける病院がなく、国立病院でも、第二声が「死んでしまいますよ、この世の中には子供を産んでも良い人と、いけない人がいるんです。あなたは『産んではいけない人』なんですよ」と、まるで妊娠したことが悪いことのように否定されました。

 私は「先生、私は日蓮正宗の法華講員です。この妙法の力で、私は絶対に死にません。このお腹の子は、仏様からお預りした大切な仏子です。必ず母子共に無事に出産できますから、お願いします」と申しました。

 その日から、「病院は折伏の宝庫だ」と決意し、主人と二人、接する方すべてに下種をさせていただきました。

 紹介された日赤医療センターで出産を引き受けて下さることになりましたが、やはり「『命と引き換え』でも子供が欲しいのですね…。」と切り出されました。私は、「いいえ。私はそんな無責任な“母親”ではありません。日蓮大聖人様は『病あらば死ぬべしという事不定なり、又このやまひは仏の御はからひか』とおっしゃっております。先生に絶対に御迷惑はおかけしませんので見ていてください」と、検診の度に主人と一緒に折伏いたしました。

 唱題のおかげでしょうか、「あなたは本当にアイゼンメンジャーなんですか。それにしては顔色も良いし、元気すぎるんです。本来なら、もう酸素なしではいられないはずなのに。本当に仏様の加護があるのかも知れないね。まあ一緒にがんばりましょう」と言われて『大白法』も読んでくださり、少しずつ先生方も変わっていかれました。

 平成9年の4月に入ってから、一日も早く入院をとしきりに急かされましたが、「大切な登山があります。それを終えるまでは入院できません」と延ばし、6月3日にようやく入院いたしました。妊娠八カ月目に入っておりました。

 これでいよいよ、思う存分に病院で折伏ができるとはりきっておりましたところ、ベッドにしばられた『絶対安静』の状態となりました。動けない私が折伏を重ねるためには、どんな小さなチャンスも逃してはいけないと、接する方に片っ端から下種を続けました。折伏が進むにつれ、唱題も一日五時間・六時間とリズムに乗り、御書の素読も欠かしませんでした。

 入院10日目の朝、突然、少量の出血がありました。また、前日から急激に成長したお腹の圧迫で呼吸が苦しくなりました。心臓喘息(※心臓に疾患のある人の突然の呼吸困難で、死亡することもある=編集注)がひどくなったため、急遽、帝王切開手術が行われることになりました。

 通常一部分麻酔で行われる手術も、心臓の急変にそなえて全身麻酔となり、手術室の前で先生と、「御題目をしっかり唱えていてくださいね」「はい、先生もお願いしますよ」と言葉を交わし、手術に臨みました。

 その頃、御住職様の御指導で宝浄寺講中の皆様が、私の無事出産を祈念し、温かい御題目を送ってくださっておりました。私は、そのすごい数の唱題が耳に響く中を眠りにおち、地から涌き出るような唱題の響きで目が覚めました。

 私は血液中の酸素が不足している病気なので、絶対に五体満足な子供は望めないことと、必ず超未熟児で産まれるであろうということを言われておりました。しかし、一カ月半も早く生まれた割には、すでに2304gと、先生も驚くほどに育っており、もちろん五体満足な男の子でした。

 大事をとって集中治療室に入った私には、体中に管が五本も通っておりました。おまけに酸素マスクをした身動きのとれない姿でしたが、それにもかかわらず「この妙法はすごいのよ、必ず幸せになれますよ」と折伏を続け、主人も二時間・三時間と唱題を重ね、私と子供のために寺院参詣を続けてくれました。

 産後7日目に、初めて、保育器の中の息子と対面した時には、本当にこの御本尊様はすごいと涙が止まらず、息子の背中をさすりながら、お題目を唱えておりました。

 一方、私の心臓は妊娠中よりも悪くなっており、酸素なしでは動けない状態でした。退院時に先生より在宅酸素を強く勧められ、さらに「あなたは強い信仰心をお持ちになので、具体的にあと何カ月とは申しませんが、あまり良い状態ではなことだけは理解しておいてください」と言われました。

 私は、「先生、お話は判りました。でも一度生活をさせてみてください。私は、御本尊の前で勤行・唱題をしたいのです。それでも必要だと思ったときに先生にご相談しますから。でも私は、この信心で必ず実証を示してみせますよ」と言って、7月10日に退院してまいりました。

 しかし現実は、自分の家の二階への階段すら登れず、トイレに行っただけで耳が聞こえなくなり、目は見えなくなる状態で、『死にものぐるい』で育児をすることになりました。一日も早くこの子の御授戒をと願い、また鹿児島に手伝いに来て下さっている、主人の母の折伏も願い続けておりました。

 そして8月10日、主人の母と、私の両親と、主人と揃って宝浄寺に参詣いたしましたが、私は本堂への階段も両脇から支えられて、やっとの思いで息子の御授戒に臨みました。

 「あと数ヶ月の命」と言われたように本当にだめなのかもしれないと弱気になったとき、御住職様をはじめ、講中の皆様からのあたたかい励ましの言葉と、主人の支えもあり、子育ての合間のわずかな時間を利用して、唱題を重ねてまいりました。

 それから日に日に元気を取り戻して、先日、待望の『客殿新築落慶記念大法要』に、主人とともに、愛する息子をこの胸に抱いて、大石寺に御登山をさせていただくことができました。大御本尊様に息子を初めてお見せできたときは、本当に涙が溢れて止まらず、胸がいっぱいになりました。

 心から、この素晴らしい大法要の機会を与えて下さった、御法主上人猊下に、御報恩感謝申し上げます。これからも、入院中に100人の方に下種させていただいた貴重な体験を活かし、
『新池御書』の、
「始めより終わりまで、いよいよ信心を致すべし。さなくして、後悔や有らんずらん。譬えば、鎌倉より京へは12日の道なり。それを11日ばかり歩みを運びて、今一日になりて歩みをさしおきては、何として都の月をば、詠(なが)め候べき。何としても、この経の心をしれる僧に近づき、いよいよ法の道理を聴聞して信心の歩みを運ぶべし。」(御書1457頁) 
の御金言を身に体し、いよいよ御法主上人猊下の御指南を仰ぎ、御住職様の「成仏とは未来永劫に、この大御本尊様のもとに生まれて、常に拝していける境涯をいうのです」との御指導を胸に、講頭さんを中心に、親子三人でさらに広宣流布を目指して精進してまいります。
 本日は、本当にありがとうございました。

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