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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

『ご住職のもと、活発に学会員・正信会員を折伏』

宣正寺支部 M. S. 

(H14.7.16)

 皆さん、こんにちは。本日は第9回静岡地方部総会、まことにおめでとうございます。本日は、一昨年よりの支部折伏活動と本年の決意を発表させていただきます。

 私は主人と共に、平成5年11月19日、長年在籍した創価学会と決別、脱会し、法華講に入講しました。平成12年2月29日、宣正寺第2代御住職として、今野信円御尊師が御赴任され、3月1日の御経日より宗旨建立750年の大佳節をめざし、新たな気持ちで出発しました。

 4月28日より、御法主上人猊下御指南の「百日間唱題行」が始まって、支部においても徐々に僧俗一致の折伏活動が開始されました。35世帯の支部折伏目標を掲げ、御住職の御指導のもと、講頭さんを中心に講中には折伏への意欲が涌いて、盛り上がりが見られるようになりました。

 5月になり、役員の手で学会員の古い名簿をもとに、一軒一軒の地図をつけた事績表が作成され、その事績表に基づいて昼夜に分けた幅広い、折伏活動が展開されました。昼間は、限られた人数ながら、何枚かずつの事績表を持って、一軒一軒地図を頼りに折伏に励みました。
 移動手段のない私たちのために、仕事の合間を縫っては車を運転してくださったOさんや、このような日のためにと密かに教習所に通って免許を取得され、一緒に活動してくださったKさんなどの応援もあり、遠方の折伏先も難なく訪問することができました。

 活動後はお寺に戻り、御住職に結果を報告し、事績表に様子を書き記して帰宅します。時間が限られる夜の活動者は、その事績表を見て、昼間不在だった家や、夜でも訪問できる家庭に行きました。

 平成12年9月15日に行われた宣正寺支部の折伏完遂・決起集会では、渾身の力を込めた力強い御住職の御指導をしかと心に受けとめ、折伏成就の決意をそれぞれが誓い、出陣しました。

 その後の活動の中でも、事績表の効果は意外に大きく、私も班のSさんと共に訪問した、Tさんを折伏することができました。Tさんは、「学会は総本山を乗っ取ろうとしていたのではないか」と、日頃よりたいへん悩んでおられたのです。2時間あまりの話の中で、Tさんは脱会の決意をされ、翌日勧誡を受け、入講しました。

 このような折伏活動の中で一軒、また一軒と折伏が実り、宣正寺支部にとってはかついてない14世帯の成果で「折伏実行の年」を終えることができました。

 そして平成13年「誓願貫徹の年」、30万総登山に向け、厳しい一年が始まろうとしていた折、テレビで放映中の「北条時宗」を観たと言って、一人の壮年がお寺に駆け込んできました。学会員でしたが、自ら勧誡を願い出てきたのです。「時正に来たれり」とはこのことでしょうか。

 その後講中は、7つあった地区を5つの地区に編成し、赤池新講頭さんをはじめ新役員も任命され、新体制で発足し、3月4日には支部総会が盛大に開催されました。

 私も御住職より再度、地区の婦人部担当の任命をいただきました。使命の重大さと、保健委員と体育部役員を兼任する地域の活動との責務の重さに一時は悩みましたが、御住職が、「私は愚癡を言いません。信徒の皆さんにも言わせません」と言われたその言葉をふと思い出し、「そうだ愚癡を言っている場合ではない」と決意しました。

 平成13年の支部総登山は400名以上を目標とし、支部折伏目標は50世帯完遂をめざして出発しました。お寺での唱題会も午前は10時半から、午後は7時から、10月まで毎日行われることとなりました。

 そして、折伏推進のために、御住職はいくつかの御提案をなされました。一つに、折伏したい方々の名前を書いて提出すること。二つに、徹底した家庭訪問によって、30万総登山の御祈念表に署名をしていただくこと。三つに、御住職による家庭訪問を行うこと。四つに、新来者のための3回に及ぶ折伏推進登山を行うこと。これはその後、勧誡者・御本尊御下付という成果を生み、尊い活動となっています。

 御住職は一度折伏を耳にされると、遠隔地の鹿児島であろうが熊本であろうが足を運ばれ、まさに東奔西走なされています。そのような御住職を常に追い求めていかないと、折伏の陣列から取り残されてしまいそうで、毎日を必死に活動に励みました。

 昼間の活動は、午前10時半からの唱題を終え、手弁当で、それぞれ折伏に、家庭訪問に散って行くのですが、人数は少ないながらもやる気満々の婦人部ばかりです。和気あいあいと、互いの活動を語り合い、励まし合って、それは楽しい折伏活動の毎日でした。

 それでも、ときには一人減り、二人減りしていく午前の唱題会で、御住職自ら太鼓を打ってくださることもあり、その力強い響きは心に染み渡り、どれほどの勇気と自信を与えていただけたことでしょうか。

 夜の活動は、7時からの唱題を終え、壮年の方々を交え、地区にこだわらず、とにかく徹底した折伏活動と家庭訪問に励みました。折伏先で、「塩をまくぞ」と言われるくらいはよいほうで、実際に一握りの大塩をまかれ追い出されたときもありました。

 折伏によい方法はないかと考えていたとき、『大白法』に掲載されていた柳沢総講頭さんの「この時を失せず、御自分の親戚、身近な人々に手紙を書いたり」(大白法566号)という御指導に目が止まり、手紙作戦を思い立ちました。

 活動の合間を縫って、ときには深夜にかけて書き綴り、かつて訪問した学会員や縁者はもとより、久しく支部の活動から遠ざかっている地区員に至るまで何通も何通も送り続けました。

 後日反応を見るために訪問してみると、「血脈のない御本尊では功徳はないと言われ、ショックであった」とか、「あんなに『ニセ本尊』、『ニセ本尊』と言われたら、拝めなくなってしまった。女房はもっと悩んでいるよ」などと言われました。お寺にお誘いしたのですが、判っているがしがらみがあるから学会でやっていくしかないと、あきらめきった様子でした。

 折伏には至らなかったものの、手紙の効果も多少はあったと推察できました。こうした弛みない唱題と折伏の中から、一世帯、また一世帯と、着実に成果は増えていきました。

 私は、「誓願貫徹の年」に何としても長女と三女の勧誡を成就しなくてはと、決意していました。ある日、長女より「既に『ニセ本尊』に換えられてしまっている」と、告白の電話があったと主人から聞かされ、愕然としてしまいました。主人と私は、娘の顔さえ見れば「『ニセ本尊』にだけはするな」と言い聞かせてきました。

 ところが、娘婿は娘の猛反対を押し切り、母親にも内緒で『ニセ本尊』交換に踏み切っていたのです。娘夫婦に、とにかくお寺に来るよう説得を重ねました。そして、自分の誕生日である3月11日を決意の日としてお寺に臨んだ長女は、御住職の温かい御指導をいただいて、無事勧誡を受け、入講できました。

 まだまだ問題山積みではありますが、7年あまりの歳月、祈り続けた長女の勧誡は、ひとまず成就できました。また、5月30日には、三女も、生まれた息子の御授戒に合わせ、勧誡を受け入講しました。

 その後私は、班のSさんと共に正信会のOさんを折伏しました。Oさんは、脳梗塞、けがと次々と起こる難に疑問を感じ、近所に住む正信会員が、正信会のお寺に大金をつぎ込んで4日後に亡くなったことに不信を抱き、悩んでいました。

 私は、Oさんに、所属している正信会寺院は邪宗であり、正宗の信心をしなければ、絶対幸せになれないことを話しました。「お山に行きたくない?」と聞いてみると、「日蓮さんに逢いたいよう」と言われ、本門戒壇の大御本尊様への渇仰恋慕の心があれば大丈夫だと確信しました。勧誡の決意もあることを確認し、翌々日、お寺にて勧誡を受け入講することができました。

 また、正信会のSさんは、勧誡を受けたのですが、ビデオを持って日参する正信会住職のしがらみを断ち切れずにいました。その後、Sさんは病弱の上、入院、手術と重なって、見る影もなく痩せ衰えてしまいました。

 一方、Oさんは、相も変わらず日参する正信会住職に、ただただ「お山に行きたいの」の一点張りで、「あんたは邪宗じゃ」と住職に言われると、「住職さんこそ邪宗じゃないですか」と反発するほどの生命力です。

 入講後の体の回復はめざましく、杖は不要となり、自転車で買い物にも行けるようになり、折伏にも意欲を燃やし、ややもすると私たちが発破をかけられてしまいます。

 また、喜んで勧誡を受けたにもかかわらず、正信会に戻ってしまったNさんは、正信会住職に誑かされ、正信会ビデオ持参で地区のMさんの家に脱講運動に来たのです。しかし、そのことがあって逆に発奮したMさんは、直ちに長年の知人でもある正信会のIさんを訪問、まずはIさん、ほどなくして奥さんと次々に折伏しました。

 その後、Iさんの奥さんは、別居している息子さん夫婦と2人のお孫さんを、お寺で御住職に折伏していただき、それぞれ勧誡、御授戒を受け、御本尊様を御下付戴くことができました。

 Oさんや、Iさんのように、数々の方が入講する一方、Nさんのように正信会に連れ戻されていく人を見ると、この人たちを、何とかくい止める方法はないものかと、思いあぐねていました。

 そこで私は御住職に悩みを打ち明けてみたのです。すると御住職は、いつの間にご用意されておられたのか、「Mさん、正信会のビデオ観ませんか」と言われ、見せてくださったのです。御住職のお心づかいがうれしくて、こみあげる涙をこらえながら、一方ではどんなビデオか興味津々で食い入るように画面を見つめました。また、正信会についての資料もすぐさままとめて、何部もコピーしてくださいました。

 日々活動に励む中、私は御本尊様より、たいへんな御加護を戴くことができました。折伏の帰り、青信号の市道交差点の横断歩道を、自転車を引きながら渡っているときのことでした。猛スピードで対向してきた車が急に左折し、私を目がけてきました。私は、「ひかれる」と思い、思わず目をつぶりました。頭の中は真っ白になり、あまりの静けさの中で恐る恐る目を開けると、左側には信じられないほど近くに車がピタッと停車していたのです。これは不思議な力が用いたとしか、どうしても思えないのです。

 何とか横断歩道を渡りきり、やっと我に返りましたが、足はガクガク、心臓はバクバク、口をついて出るのは、「御本尊様ありがとうございました」、「南無妙法蓮華経」、ただただこの繰り返しでした。
「今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり」(御書1156ページ)の御文を拝し、大佳節を前にまだ使命があったのだと報恩感謝の毎日でした。  

 さて、様々な努力の結果、平成13年の支部総登山は、バス6台、高齢者と身障者を乗せた車が5台、総員で300名となりました。目標には及びませんでしたが、勇猛果敢な御住職の陣頭指揮のもと、講頭さんを中心に、講中一丸となって成し遂げた37世帯の成果に決して悔いはありません。

 「一年に一人が一人乃至それ以上の折伏を」の御法主上人猊下の御命題にお応えできた喜びでいっぱいでした。季節の到来も忘れるほどの目まぐるしい、あっという間の一年であったような気がします。

 そして「法礎建立の年」が明け、私は新年早々より病魔に見舞われ、お寺での毎日の唱題行にも出遅れてしまいました。主人からは、「折伏、折伏と飛び回っているほうがお母さんらしい」と言われて発奮し、後半の唱題行には何とか参加できました。

 ところが、病が癒える暇もない2月5日、大佳節を待たず、あまりにあっけなく母が他界してしまいました。次から次へと、いつにない厳しい現実に、宗旨建立750年の大佳節なればこそ、このような魔も競い起こっていることを、改めて確信しました。

 「一年に一人が一人乃至それ以上の折伏を」の御法主上人猊下の御命題は、今年も続行し、取りこぼしのない折伏をし、一人も漏れなく大佳節への参加が叶うようにと御祈念していきたいと思います。

 また、己心の魔に負けることなく、法華講30万総登山達成を願い、弛みない唱題と悔いのない活動に邁進していく決意です。

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