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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

TEL 086-255-1155

岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

『御本尊様を信じ素直に実践』

宣法寺支部 F. I. 

(H15.6.1)

 皆さん、こんにちは。折伏を通じて今まで学んできたことを発表させていただきます。

 私が日蓮正宗に入信したのは去年の3月30日です。高校時代の先輩であるHさんに何度も折伏を受け、2年近くかかって入信できました。入信当初は、朝夕の勤行とお寺への参詣など、今まで体験したことのないことだったので、戸惑いがありました。

 しかし、不思議なもので、御本尊様に御題目を唱えることで、そういった不安は吹き飛んでしまい、逆に、折伏に対する気持ちが自然と芽生えてきました。  

 入信するときは、宗教に対する抵抗がまだまだ自分の中にあって、ましてや他人になど話せたものではないと思っていましたので、自分自身の気持ちの変化には正直に言って驚きました。

 入信してから2週間後に、私は初めて下種をしました。相手は小中学校時代の友人のS君という人です。当時の私は、21日間の勤行指導を受けている真っ最中で、一人で勤行ができない段階でした。それでも私は持っている力を最大限活用してがんばりました。

 「末法の衆生は南無妙法蓮華経を唱えていかなくてはいけないんだ」と言ってはみたものの、私の話は辻つまが合わず、S君は困惑してしまい、私もだんだん自分の言っていることが判らなくなってしまいました。しまいにはS君はおびえ出してしまいました。

 幸い、途中から私を折伏してくれたHさんが加わってくれて、その場はなんとか取りまとめられましたが、それ以来S君との連絡は一切途絶えてしまいました。

 そこから今に到るまで数々の折伏を行じてきましたが、自分の折伏のスタイルもだんだん変わってきました。最初のうちは、とにかくうまく話せるようになりたいと思っていました。そこで、いろいろな方々にご協力いただいて友達を折伏していき、その機会に他の方の折伏を見ていました。

 すると、話に筋があり、非常に判り易いのです。さすがだな、と思って真似をしてみるのですが、ぜんぜん伝わりません。「なんで俺の言うことは誰にも判らないんだよ」とふてくされていた時期もありました。

 私は何としても30万総登山に誰かを連れていきたいと思っていましたので、いろいろな人を折伏しました。ところが、お寺にお連れすることすらできないのです。5月、6月と月日は流れましたが、私の折伏は一向に進展しません。唱題が足りないからか、それとも私の説明が悪いからか、いろいろ考えましたが、私の結論は思わぬ方向に達してしまいました。

 「人間誰しもが悩みを持っている。そこをうまくつけないか。それができれば相手は必ず信心をする」と、要するに相手の弱味につけ込んでやろうと考えたわけです。当時、男子部の折伏が停滞していたという状況も私の気持ちに拍車をかけました。

 とにかく悪い流れを断ち切るため、がつがつ折伏する、連絡は取れるまでする、といったことをしていましたので、青年部の方々にはがんばっているように見えたかも知れません。

 しかし、私の頭の中は折伏成就の結果ばかりで、相手の気持ちなど微塵も考えてはいませんでした。縁を探すにしても、獲物を狙うような目で周囲を物色していたように思えます。恐ろしいですね。今思うと、あの時の私は完全に歪んでいたような気がします。

 8月になり、まとまって時間が取れるようになったので、3週間ほど集中して唱題しました。それは、30万総登山に自分の縁の方を連れて行きたいという思いと、マンネリ化している自分の折伏状況を打破したかったからです。結果はすぐに出ました。始めてから3日とたたないうちに、自分の悪い部分に気づくことができました。

 それまではとにかく結果主義でした。それが、唱題によって徐々に改善されてきました。相手がなぜ自分を避けようとするのか、なぜ怒るのか、折伏においてはそこが一番重要であることが判りました。

 私自身も話を聞いてから入信するまでに2年近くかかりましたので、相手の気持ちは痛いほど判ります。こういう時代ですから、宗教と聞いただけで逃げてしまう人がいても、おかしくはありません。その部分の配慮が、私には足りませんでした。

 それに今までは、うまく説明することのみにこだわっていましたが、変わりました。折伏がうまくいかないのは、自分の業であり、相手の業でもあります。ただ、いい意味で相手の気持ちを見抜いていくことは重要なことです。

 人それぞれに合った折伏を展開し、自分に対して心を開いてもらえるようにがんばる、これが折伏の醍醐味なのではないのかと思うようになりました。

 私は夏以降、そういった折伏を心がけました。折伏は言葉の中に自分の気持ちを込めて相手に伝えればいいと、そういった折伏を行じたところ、結果も変わってきました。私が自分をさらけ出して話をすることによって、相手も自分に対して心を開いてくれるようになったのです。

 そして、私の縁でお寺に来る人も続々と出てきました。それまではさっぱりだったのに、9月に入って2人、3人とお寺に来るようになり、御住職・高野千道御尊師より折伏していただき結果的に、10月27日に、以前のアルバイト先の先輩であるSさんの折伏が成就しました。

 残念ながら30万総登山には間に合いませんでしたが、Sさんを救い切れたこと、自分を改善できたことは、とてもいい経験になりました。その後、Sさんは11月に添書登山ができ、今は一生懸命に信行に励んでいます。日々成長されるSさんの姿を見て、今まで折伏をがんばってきた甲斐があったと感じます。

 振り返って見ると、いろいろな方々に支えられながら、今までやってきました。折伏を通じて学んだことは数多くあります。それもこれも御本尊様の功徳です。最初は疑っていましたが、改めて仏様の存在を実感させられました。

 仏様は確かに存在します。しかし仏様は心の清らかな者にしか力を貸してくださることはありません。現に、私も歪んだ気持ちで折伏をしていたときは、仏様が力を貸してくださることはありませんでした。そのことを実感できた昨年の宗旨建立750年は、私にとって、とても密度の濃い年でした。

 そして今年、『立正安国論』正義顕揚750年に向けての1年目が始まりました。宣法寺にも新来者が数多くみえ、私も何度か折伏に立ち会わせていただいています。最近、私の信行が少したるんできているので、いい刺激となっています。この体験発表を機に、さらに気持ちを新たに折伏に励んでいきたいです。

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