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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

『御題目を唱えて自分に克つ』

法楽寺支部 N. K. 

(H15.6.1)

 皆さん、こんにちは。本日は私の入信にいたるまでのこと、母親との信仰、折伏、その中で感じたことを発表させていただきます。

 私は平成14年4月に青年部のF君から折伏され、入信しました。私とF君は、高校時代の同級生という間柄です。同じバスケットボール部だったことから仲がよく、いつも一緒に遊んでいました。

 はじめのうちは、健全な高校生活を送っていましたが、2年に進級する頃、私には他の友達がたくさんできました。いろいろな遊びを覚え、とにかく楽しければいいと、次第に善悪の区別もつかなくなっていきました。

 授業を平気でさぼり、毎日遊びに没頭して、気づいたときには、周りは同じような友達ばかりで、お互いの悪い部分に影響され、エスカレートして他人様に迷惑をかけることばかりするようになっていきました。

 私は、親の一念で高校は卒業できましたが、卒業してからも変わることなく自分の思うままに人生を歩み始めました。やりたいことが見つからずに定職に就かず、アルバイトをしながら生まれ育った愛媛県新居浜市で暮らしていました。

 しばらくして、町での遊びがマンネリ化して満足できなくなり、都会への憧れもあって19歳のとき、すべてを放り出して、親にも何も告げず家を飛び出して大阪に行きました。

 思い返してみると、私は意志が弱く、他人に対して素直に本音を打ち明けたり、真剣に話し合ったりすることができませんでした。そして、それが寂しさとなっていました。悪いことをしてはいけないと判っていながら周りに流されていき、自分のことばかりで他人の気持ちを考えず、私のことを真剣に考えてくれていた人たちがいたにもかかわらず、気づいたときには自分にとって大事な人をも傷つけてしまっていました。その結果、周りには私のことを真剣に考えてくれる人など一人もいなくなっていました。

 それから3年間、大阪での生活が続きました。浅はかな考えで手探りで走り続けた結果、いろいろな問題に巻き込まれ悩み苦しむようになりました。

 自分独りの力では解決できないどうしようもない状況のとき、虫の知らせか、母が一本の電話をくれました。それがきっかけで大阪のすべてを捨てて新居浜に帰ることができました。以前のように親元で暮らし、仕事にもまじめに行くようになり、落ち着いた生活が始まりました。

 時がたつにつれて、後悔の念が私を襲ってくるようになりました。本当に心配してくれた人たちの心を踏みにじってきたこと、それによって失ったもの、もっと早く気づいていればと悔やんでも悔やみきれず、自分の殻に閉じこもってやけくそになり、堕ちるところまで堕ち、生きる希望さえ失いかけていました。

 そんな時に、この信仰に出会ったのです。素直になれた私は、本当に自分の求めていたものに気づくことができました。自分が求めていたものはこれだと確信しました。それからの私は、自分のしてきたことから逃げずに、過去を深く反省し、弱い自分と闘いながら一歩ずつですが前へ向かって生きています。

 まず初めに折伏したのが、一番苦労をかけた母親でした。今まで失ってきた時間、家族との触れ合い、当たり前のような中に本当の幸せがあることを、この信仰を持って感じることができました。そういう当たり前の時間を取り戻したいと願い、この信仰をもってすべてを一からやり直したいという気持ちを母に伝えました。母は、まるでその言葉を待っていたかのように一緒にやっていこうと言ってくれました。

 ずっと隠していた気持ちも表に出すことができました。家族みんなの前で、心配をかけたこと、みんなの心に傷を付けたことを詫び、土下座しました。そして母親の御授戒に向けて、真剣に題目を重ねました。御題目を唱えていく中で感じたことは、「母に巡り合い、母のもとに産まれてこられて本当によかった」と心から思えたことです。そして、母の御授戒を迎え、私にとって最高の折伏が成就しました。

 今までのことは詫びて許されるものではないにもかかわらず、一緒にやっていこうと言ってくれた母を思うと、私が母を入信に導いたのではなく、むしろ母が私をこの信仰に導いてくれたように感じてなりません。

 私は、入信してから今まで、止められないくらいたくさんの涙を流してきました。その間、青年部のみんなに支えられて乗り越えてきました。みんな自分のことのように叱り、励ましてくれました。その中で感じたことは「異体同心」でした。

 「心から信じ合い、助け合い、励まし合える仲間。また、至らないところがあったときに、お互いに叱り合える仲間、一生涯崩れることのない絆」。本当にこの信仰で大事なことだと思いました。私が心から求めていたものでした。

 人は死ぬときは一人だけど、一人じゃ絶対に生きていけません。支え合っていかなければならないからこそ、この信仰は何があっても手放してはいけないと思いました。

 私は共に信心していく仲間を得たことが、最高の喜び、幸せ、これが功徳だと実感しました。そして、この感動を一人でも多くの人に伝え、この信仰の尊さを一人でも多くの人に理解してもらいたいと、周りの人すべてに話していきました。

 入信して間もない私には教学も経験もなく、なかなか理解してもらうことができませんでした。ただ真剣に、入信して得た体験を武器として折伏していきました。

 しかし、へこたれるときや、あきらめそうになることの連続でした。そんなとき、支えになったのが異体同心の青年部の仲間でした。仲間の励ましがあり、がんばることができました。そういう積み重ねが確信へとつながっていきました。笑われようが、相手にされまいが、ありのままの自分を受け入れて、背伸びせず、取り繕わずに進んでいくことが、自分にとっての信仰の在り方だと思い、がんばっていきました。

 そんなとき、一人の女性と出会いました。彼女ははじめ、宗教に対して偏見を持っていましたが、何とかこの信仰に導きたいと思い、私の体験や日蓮正宗の教えの尊さ、邪宗教の恐ろしさを、ありのまま話していきました。

 彼女も、家族の幸せ、自分自身の幸せを真剣に悩んでいたのでしょう。私の話を疑うことなく、素直に耳を傾けてくれました。F君も応援に駆けつけてくれて共に励まし合い、彼女は晴れて御授戒をいただき入信できました。

 私はこれほどまでに他人の幸せが自分の幸せと感じることが今までありませんでした。こつこつと努力していれば必ず報われるんだと、この時、実感しました。折伏していくことによって、この信仰の功徳を味わえたように思います。

 私は、自分自身に負けて逃げ続け、ずっと口先だけで言い訳を繰り返してきた結果、後悔ばかりが残り、生きる希望さえ失いかけていました。けれどこの信仰に出会い、仲間に恵まれたことを心から感謝しています。

 その感謝の思いをすべて信心に傾け、10年後、20年後に立派な人間になれるよう、入信したときの気持ちを忘れずに、こつこつと努力を重ねて歯をくいしばって努力しなければいけないと思っています。

 この信仰を曇りなく持っていくことが、どれだけたいへんかということを実感しています。果たしてどれだけの人が、自分に言い訳のない信心ができているのでしょうか。正直に言って私は、まだまだ自分自身に負けっぱなしで、毎日が自分との闘いです。

 この信仰の場が心の底からの喜びの場でなければならない、折伏は楽しいと判っていても、日々仕事に追われて言い訳が出てきたり、活動にがんばれる環境をいただいていることに感謝していても、苦痛やストレスに感じることもあります。一時の熱で言葉にするのは簡単です。本当にこれからが私の正念場です。

 どんな困難にも一つひとつ打ち克って、ご本尊様にお誓いしたことは何が何でもやり通し、青年部のみんなと力を合わせ、しっかりとした信頼関係のもと、6年後の『立正安国論』正義顕揚750年へ向けて努力、精進をお誓いします。

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