本文へスキップ

日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

TEL 086-255-1155

岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

『正法受持の幸福をかみしめて』

妙真寺支部 H. H. 

(H9.10.16)

 私は神奈川県横浜市旭区に住んでおります。本年5月で61歳になりました。本日は盛大なる壮年部大会にて体験発表できる身の福運を感謝致しております。

 昭和31年、ちょうど私が20歳のとき、創価学会男子部の折伏を受けて入信しました。当時肺結核に冒されて喀血もしておりました。医師の診断では、短くても3年は入院して安静にしなければいけないと言われておりました。

 当時の学会男子部の熱烈な指導者や先輩たちが、私の病気が一日も早く治るようにと、私と一緒に一生懸命唱題してくれました。こうして3カ月が過ぎた頃には、普通の健康な身体になっておりました。

 そんな体験をした私なので、当時は一生懸命に信心活動をいたしました。男子青年部員として活動し、結婚後しばらくして壮年部に所属しました。

 正本堂完成後、創価学会が変化してゆくことに、少々不安に思っておりましたが、気がついてみると、創価学会は膨大な金の力と政治力にものを言わせて、総本山や末寺に圧力をかけているという話しが耳に入ってきます。

 実際、幹部たちは私たちに対して「お寺にはなるべく行くな。御供養する気があったら、創価学会の文化会館や各地域の会館で広布基金をするように」と、組織を通じて通達してきました。

 組織を受け持ったものの、学会のあまりの変わりように私は大変苦しみました。戸田会長の時代に闘ってきた地域の幹部は、ほとんどが指導部へ所属させて実質的な発言権を失わせ、池田大作の元で本部職員として就職した大学卒の若手で、たいした闘争の経験もない者を地域の幹部に任命するようになっていたのです。

 池田大作に『リモートコントロール』されたロボットのような非人間的な幹部についていくのが、だんだんと嫌になっておりました。時が経つにしたがって、学会の体質はますます悪い方向に向かっていきました。

 気のせいか唱題しても、また折伏しても、以前のように心の底から歓喜することがありません。そんなことで、学会活動を一切やらなくなれば、組織の役職も解任されるであろうと考え、それを実行しました。

 私の心は戒壇の大御本尊様と直結だと勝手に自分に思い込ませることで、自身を納得させていたのです。しかし随分と寂しい思いをいたしました。

 その後、池田大作は会長職を勇退したとかで、今度は総本山に忠誠を尽くすなどと、まるで一転したことを発表し、今までお寺に行かせなかったことなどは、一切話してはいけないなどと、腸が煮えくり返る思いのすることを無神経に言ってくる幹部たちには、つくづく呆れ返っておりました。

 そして一番に責任を取らなければならない池田大作を容認していることを思うと、何かすっきりしない、納得のいかない気持ちでした。

 その頃叔父が創価学会を脱会して、目黒区にある(自称)正信会の妙信寺に入っておりました。叔父の勧めもあったので2、3カ月考えた末、その叔父と妙信寺の山口法興に会いました。

 もうこれで一生の間、本門戒壇の大御本尊様に御内拝できなくなるのだと思うと、心の底から寂しい、辛い気持ちになっていきました。そして創価学会神奈川本部に脱会届を出しました。

 2、3日後、区長や地域本部長が血相を変えて「池田先生や創価学会を裏切ったらどうなるか、地獄に堕ちるぞ」と『説得』に来ました。私も組織の責任者としての立場と、私個人の信仰の矛盾について、とことん腹を割って話し合うつもりだったのですが、彼ら『幹部』たちは、ただ池田先生がどうのこうのと盲信的・義務的なことを言うばかりで、私を説得出来ずに帰って行きました。

 正信会妙信寺入講後、十数年が経ちました。そうした昨年の9月、Tさんという未知の方より、一通の手紙が届いたのです。

 手紙の内容は、Tさん自身も創価学会を脱会して、正信会妙信寺にて山口法興を師として信仰を続けてきたけれども、一身上の事から塗炭の苦しみを体験し、自らの人生と信仰の行き詰まりと苦しみの中で、日蓮正宗総本山大石寺におわします大御本尊様に御内拝させていただくことを決意して、その旨を山口法興に私信にて伝え、平成7年8月に断腸の思いで正信会から離脱したことや、その後、日蓮正宗宝浄寺所属妙信寺支部に入講し、戒壇の大御本尊様に御内拝できたことや、実に15年ぶりに総本山の三門をくぐらせていただいた喜びが書かれておりました。

 また山口法興は法の上からみて大謗法者であり、正信会の僧侶らは増上慢の極みで、純真な信徒の信心を迷わす大罪を犯しているとも書かれていました。その他日蓮正宗の血脈の在り方について文献を挙げて述べられており、一日も早く正信会の謗法を離れ、正法正義の信心ができる法華講員になられることを願っている、と書かれていました。

 私も正信会の妙信寺に所属してから振り返って見ると、胃潰瘍で吐血して貧血を起こし、これまで三度も入退院を繰り返し、三度目には胃の3分の2を手術で切断したり、その後高血圧症になったりと病気ばかりするようになっていたのです。

 それと、平成3年11月28日、池田大作が総本山より破門された時、正信会は総本山と話し合いをして元に戻れるのではないかと、ひそかに期待もしておりました。いつしか、戒壇の大御本尊様に御内拝できる日がこないものかと内心思っていたのです。

 Tさんの手紙はそんな気持ちの時に届いたのです。手紙を何度も何度も読み返しては、御題目を唱えました。そして私の方から電話をかけまして、数日後宝浄寺御住職の大村寿顕御尊師にお会いすることになりました。

 御住職より、正信会がいかに間違っているのかという、詳しい御説明と、今後は正しい信仰をしていくようにとの御丁寧なる御指導をいただきました。そして日蓮正宗宝浄寺所属(あずかり)妙信寺支部に入講させていただきました。

 それが本日、このような盛大な壮年部大会において、もったいなくも私ごとき者が体験発表させていただくという、夢のような現実を迎えることとなったのです。

 思えば今から20数年前、学会に不審を抱いて以来、常に戒壇の大御本尊様を思い浮かべて信心をしてまいりました。その思いがやっと通じました。御本尊様、ありがとうございました。

 Tさんは、3年前に宝浄寺所属妙信寺支部総代のNさんが、当時目黒区の正信会妙信寺信徒160数名にお手紙を出された中で、ただ一人、正法正義に気づかれた方だそうです。

 昨年の9月、今度はTさんが240数名にお手紙を出されて、そのうち正法に帰依したのは私共家族だけだったとのことでした。

 昨年11月23日、宝浄寺支部総登山において大村御尊師は、「折伏は日蓮正宗信徒の使命である」と御指導されました。昨年10月1日、私と妻は大村御尊師の勧誡を受けさせていただき、名実ともに法華講員になることができました。以来本日まで、正信会妙信寺の正信会信徒2世帯を再折伏させていただきました。

 私共夫婦は、縁あって昔、昭和40年11月20日、今から33年前、宝浄寺初代御住職である現在の大村御尊師の御導師により、結婚式を挙げていただいたのです。目には見えない、言葉でもいい尽くせない不思議な因縁を感じます。

 私は、初めは創価学会員として、次いで正信会の信徒として、永い間遠回りしてまいりました。しかし、正法に帰依するにも私の家から5分も歩けば、他の正宗寺院があるというのに、不思議にも一通の手紙によってやっと地獄から這い上がることができ、因縁の深いお寺への所属となったのであります。

 話しは変わりますが、私の母が今年亡くなりました。96歳で、10年間痴呆症で入退院を繰り返しながら、夜中になるとベットの上で御題目を唱えると、同室のおばあさんたちも、みんなで御題目を唱えていた、ということを後になって聞きました。

 重度の痴呆症なので、私や家族の者が来ていることすら判らない母が、御題目を唱えることを忘れずに、6月11日に永眠しました。臨終は半眼半口、これぞまさしく成仏の相を私達に見せてくれました。御法務お忙しい中にも関わらず、御通夜・告別式と大村御尊師の御導師を賜わり、母も喜んで霊山浄土に向かっていることと思います。

 本年度の夏期講習会にも参加させていただきました。始めて御法主上人猊下の御講義を受講できた身の福運に、この世に人間として、日本人として、そして法華講員として生きている自分自身の幸福を、しみじみと感じております。

 これからは、(宝浄寺所属)妙信寺支部の一員として、御法主上人猊下の御指南どおり信心をいたし、大村御住職の御指導のもと、支部発展に全力を尽くし、死身弘法の精進をさせていただくことをお誓い申し上げまして、私の体験発表を終ります。

このページの先頭へ
inserted by FC2 system