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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

『折伏叶う、姉に正法の功徳 創価学会に兄弟二人を奪われながら』

鎌谷寺支部 M. W. 

(H10.2.16)

 皆様こんにちは。本日は『革新の年』の千葉地方部第6回総会におきまして、活動体験を発表させていただけますこと、まことに光栄に存じます。

 私は、創価学会で7年間地区部長として学会活動に参加してまいりました。しかし、学会の指導や体質に納得出来ず、悶々とした日々を送っておりました。

 そこで既に脱会された方のお話しを聞いたり、宗門から出されている出版物を読んだりして、遂に脱会する決意が固まり、平成7年10月に鎌谷寺支部に入講させていただきました。私はこれで本来の正しい信心ができるのだと、湧き上る喜びを何度も感じた次第でした。

 本宗は折伏を根本とする宗派であるとの御指南が御座います。そこで早速、20年近く折伏している友人に、事の成り行きを話し入信を薦めたところ、共に信心していくという事になり、鎌谷寺で御本尊様を御下付していただくことができました。

 また我が家を見た時、20歳になる長男が、私が知らぬ間に創価学会のニセ本尊を受け、男子部で活躍しておりました。私はこの息子を一刻も早く助け出さねばならないと思い、学会の間違いを一つひとつ噛んで含めるように説明し、破折をしました。

 それでも一年近くかかりましたが、ニセ本尊を返却し創価学会を脱会させ、本宗の御本尊様を受持させることができました。今では法華講の男子部として活動させていただいております。

 さらに、私には学会員の姉夫婦がおります。この姉と義兄は、従業員が数十人という会社を営んでおりました。二人とも熱心な学会員だったので、自宅はもちろん、会社までも会合等の拠点に提供しておりました。また毎年の財務にはかなりの額を納めていたようです。ですから、姉夫婦は創価学会にとりましては、無くてはならない存在であったと思います。

 私はなんとかしてこの姉夫婦も救い出さなくてはならないと思い、とにかく事あるごとに行っては話をし、機会を作っては訪ねて行って、宗門から出されている出版物を届け、訴え続けてまいりました。

 しかし、届けた出版物は、翌日には送り返され、「宗門の方が狂っているんじゃないの」と一蹴されてしまい、私の話しはなかなか聞き入れてはもらえませんでした。

 ところがある日、会社の社長でもある姉の夫が、昨年の一月、口や鼻から大量の血を吐いて入院するという事態が起きました。この時は、数日で退院できて事無きを得ましたが、これを知らされた私は、一方ならず心配をしました。

 「これは大変だ、一日も早く折伏して、姉夫婦を救わねば、取り返しのつかないことになってしまう」との思いを止める事は出来ませんでした。

 それというのも、弟の例があるからでした。実は私には他に、創価学会で本部長をやっていた弟がおります。弟は、あの創価学会が破門に至るまでの、平成二年から三年の時期に、恐れ多くも御法主上人猊下に対し奉り、先頭に立って激しい退座要求の誹謗を繰り返し、御宗門に向って数々の大謗法を重ねてしまいました。

 その報いとして、弟の身は全身ガン細胞に冒され、遂に脳にまで移転し、何回も手術を受けて、頭も体もずたずたに切り裂かれてしまったのでした。まさに、「若悩乱者頭破七分」の御金言どおりの姿を現じて、44歳の若さでこの世を去ってしまいました。

 そのようなことがありましたので、「この兄だけには、二度と同じ轍を踏ませてはならない!ここで姉夫婦を絶対に救わなくては」との思いが一層深まったのであります。折伏の決意を新たに、毎週日曜日にはお寺に参詣し、早朝勤行に参加して真剣に御祈念しました。

 唱題を重ね折伏を続けました。そのうち、頑なだった姉夫婦の気持ちが、少しづつ揺れ動き始めました。早速講頭さんに連絡し、折伏に一緒に行っていただけるよう、約束の日を取り付けていたのですが、翌日には姉から「都合が悪くなったから、会えない」という電話が入ります。

 このように、約束をしては取り消されてしまうということを、何度も繰り返されました。けれども、あきらめるわけには参りません。講頭さんに相談したところ「もう、こうなったら、夜討ち朝駆けで行くしかない」ということになりました。

 その準備をしていた矢先、なんとしたことか、姉の夫が突然倒れて病院に担ぎ込まれるという事態が発生してしまいました。しかも、既に手後れでした。急性心不全で、急死してしまったのでした。信じられませんでした。

 私は残念でなりません。悔しくてなりません。大切な兄弟の二人の命を、あの奪命者に奪われてしまった、との思いを禁じ得ませんでした。創価学会の『ニセ本尊』を拝み、財務ではたくさんのお金を注ぎ込み、学会活動を人一倍してきた人の、この無残な最期を目の当たりにし、なんともやりきれない、いたたまれない気持ちになりました。

『聖人御難事』に、
「始めは事無きやうにて終に滅びざるは候はず」 との御金言がございます。

 この姉の家族の打ち砕かれた現実の不幸を見た時、私は、仏法の厳しい法理を感ぜずにはおられませんでした。

 初七日も過ぎ、姉の気持ちも少し落ち着いてきた頃、私は姉に向ってじっくりと今はもう謗法の団体になってしまった創価学会の実態を話し、正法正義を貫いている日蓮正宗の正統さを訴えました。姉は少しずつ心を開き、私の話しに耳を傾けてくれるようになりました。そして昨年の8月の初めに、鎌谷寺の御住職様にお会いいただくため、姉を連れてお寺を訪ねました。御住職様は創価学会の非を、こんこんと諭すように話して下さいました。

 お話を伺っている途中、姉の表情が突然変わりました。姉はまさにこの時、創価学会の呪縛から解き放たれ、学会の間違いにはっきりと気がついたのでありました。姉はその足で自宅に戻り、自らの手で『ニセ本尊』を取り外し、片づけました。

 そして翌日から朝の勤行を御住職様の勤行に時間を合わせて、7時から始めるようになったそうです。約20日間、御本尊様無しの内得信仰を続けました。毎日毎日が懺悔の唱題だったそうです。この結果でありましょう、遂に御住職様と講頭さんのお計らいにより、昨年8月24日に勧誡式をしていただき、念願の御本尊様を御下付していただくことができました。

 姉は、もう二度と謗法を犯さないと約束し、9月の支部総登山に参加させていただきました。晴れて、本門戒壇の大御本尊様にお目通りでき、涙を流しながら私の隣の席で唱題をしておりました。

 御住職様の折伏を受けてから、姉は毎日かかさず二時間、三時間の唱題を今でも続けているそうです。

 一方、社長を失った会社は、最早閉鎖するしか道は無いように思われていましたが、御本尊様の御加護により、従業員の人達も以前より一層団結して会社のために力を出してくれるようになり、今では着実に会社の経営ができているとのことです。

 最近は、姉からよく電話があり「御本尊様にこのように護られた」とか、「こんな不思議な事があった」とか、また「もう毎日感謝の題目を唱えさせてもらっている」という、歓喜に満ちた報告を聞かされます。私はその度に、姉を折伏する事ができ、本当によかったと心の底より思っております。

 最後にまだまだ私の周りには、創価学会から抜け出せず、謗法を犯し続けている人が大勢おりますので、この人達を一日でも早く、一人でも多く正しい信心に帰依させるため、更に折伏していくことをお約束して、体験発表とさせていただきます。

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