本文へスキップ

日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

TEL 086-255-1155

岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

『学会幹部の迫害を払い除け友人が脱会』

仏心寺支部 K. S. 

(H10.10.16)

 みなさん、おはようございます。この総本山において体験発表させていただけることに、身の福運を感じております。

 私は、昭和47年に生まれ、その一ヶ月後、横浜市鶴見の妙寿寺様で御授戒を受けました。家族全員が創価学会に入会し、池田を先生と呼び、広宣流布に向かっての闘いと信じて学会活動に励んでおりました。

 ところが、今回五十二年路線のときと同じ問題が起きたため、平成3年、家族揃って脱会し法華講に入講いたしました。支部では現在、副女子部長をさせていただき、毎週の唱題会、家庭訪問等、支部活動に励んでおります。

 また、身の供養をさせていただきたいと、3年前より整理班として任務をしております。そんな中、今回の折伏を成就させていただくことになりました。

 私の家は飲食店を経営しているため、仲の良い友人が5人から多いときは8人くらいで食事に来てくれており、その中に中学の同級生だったNさんがおりました。Nさんの家が創価学会ということは知っていたのですが、この関係が崩れてしまうことを恐れ、敢えて信心の話しにはふれませんでした。

 しかし、昨年の11月、母より「この仏法は慈悲の仏法なのだから、大切な友人ならなおさら、信徒資格がなくなる前にきちんと話しをし、折伏するべきでしょう」と言われました。

 『御講聞書』の中の、
 「日蓮が弟子臆病にては叶うべからざる事」(御書 1855ページ) との御金言を拝し、自分の慈悲のなさを深く反省し、Nさんが学会の大謗法に気付き一日も早く脱会し、共に信心していけるよう真剣に唱題をいたしました。

   私は、Nさんに学会は破門されて日蓮正宗の信徒ではなくなってしまうこと、学会の誤り等々の話しをしたところ、Nさんは、この問題が起きてから学会は変わってしまって『聖教新聞』では連日宗門の悪口ばかりが目につき、同時放送でも「追撃の手をゆるめるな」とか「息の根を止めるまで戦う」とかおよそ平和・文化・教育の団体とは思えず、学会に嫌気がさしていたとのことで、母と私の話を真剣に聞いてくれました。

 しかしNさんは、学会がおかしいと思いながらも、お母さんが強盛な学会員のため、なかなか脱会するまでには至りませんでした。この時知ったのですが、Nさんは子供のころ勤行を一日も欠かさずしてきた方だということ、またNさんは母親から、私の家が脱会していたため、店に食べに来ることや電話で話すことさえ反対されていたそうです。

 そういう事情がありながらも、ずっと変わらない友人関係でいてくれたNさんを、なんとしても救いたいという思いから、今年の3月より家族全員で朝詣りをさせていただいております。

 仏心寺にて勤行、唱題し、御住職・白井浄道御尊師に御指導をいただきながらNさんに信心の話しをし続け、母や姉からも学会が間違っていること、このままでは罪障を積んでいくばかりであること等々話してもらいました。

 本当に家族一丸となっての折伏でした。そしてNさん自身も渡した新聞や本は必ず読んでくれ、だんだんと話しにも理解を示すようになり、お母さんや学会の人に、脱会して自分の目で確かめたいとまで言うようになりました。

 しかし、案の上、学会幹部・婦人部・青年部が毎日、時には5・6人でNさんの家で待ち受けていました。絶対に脱会させまいと、部屋の真ん中にNさんを座らせ、机をバンバン叩きながら大声をあげ、泣きながら怒る壮年幹部と周りで一緒に泣いてうなずく学会員たちや、「N家から学会を取ったら何も残らないんだよ」と言い切る学会青年部長等、「地獄に堕ちるぞ」「罰をうけるぞ」と毎夜遅くまで怒鳴られ、泣かれ、脅かされ、かえってNさんは脱会届を出す決意をしました。

 しかし、Nさんのお母さんが息子を心配するあまり寝込んでしまったことで悩み「今は脱会できない、待ってほしい」と言いました。私は祈りとして叶わざるはなしの御本尊がいらっしゃる、絶対に折伏させていただくんだと必死の題目を唱えました。

 そして5月13日の御講の日、一緒に早目にお寺へ行き、婦人部長や私の母に、「お母さんの体を心配して脱会できないのなら、いつまでたってもお母さんを救うことはできない。まず自分が脱会して正しい信心をしていくことが、何よりの親孝行なのだ」と話しをしてもらいました。Nさんの気持ちは固まり、晴れて勧誡式を受けることができました。

 その夜、私の家でNさんのお母さんを、Nさんと母と私で折伏しました。少しでも正しい信心のことを判っていただきたいと話しをしている最中、学会の婦人部が突然押し掛けて来ました。

 夜の10時過ぎにもかかわらず大声で騒ぎ、収まりがつかない状態になり、話しの途中でしたが、Nさんのお母さんは婦人部に連れていかれました。Nさんは、「Sさんの家に迷惑をかけてしまい申し訳ない。昔から知っている婦人部のおばさんがあんなに変わってしまうなんて、邪宗の害毒は恐ろしい。非常識にもほどがある」と言っており、私は御本尊様の御計らいで、このような学会の姿を見せていただけたのだと思いました。

 勧誡式を受けたその日から、Nさんは今まで続いていた頭痛もその日を境にピタッと治ったそうです。そして翌朝より毎日、一日も欠かさず、仕事に行く前にお寺に寄って唱題させていただくようになりました。仕事の面でも、4月より変わった職場での環境が整い、さらに昇給もあったそうです。

 Nさんから「折伏してくれて本当にありがとう」と言われて、とてもうれしく勇気が湧く思いでした。

 家族の反対が激しい中、つらかったことと思いますが、6月2日、Nさんは私たちと一緒に総本山へ御登山することができました。御法主日顕上人猊下の大導師のもと、御開扉を受けさせていただきました。Nさんにとって、 10年ぶりの登山でした。そして、学会が言っていることが全く事実と違うことを確信したそうです。
 また、御開扉において御法主上人猊下の御供をさせていただけたことに、とても感動しておりました。いろいろなことがありましたが、Nさんと一緒に信心できたことがとてもうれしく、本当に幸せなことだと感じました。

 『可責謗法滅罪抄』に、
「湿れる木より火を出だし、乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり」(御書 718ページ) とあります。

 現在では、Nさんと二人で時間を合わせて唱題し、中学時代の同級生の所へ、共に折伏に出かけております。また、Nさん自身、職場にいる学会員に本を渡したり話しをしたりと、この日蓮正宗は知れば知るほどすごい仏法だと、信心に励んでおります。

 いつでも御住職様や法華講の方々、家族に支えられながら信心させていただき、感謝の思いでいっぱいです。平成十四年・三十万総登山の達成に向けて、できる限りの折伏をさせていただくことをお誓い申し上げ、私の体験発表とさせていただきます。

このページの先頭へ
inserted by FC2 system