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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

『創価学会破折体験記』

仏心寺支部 T. H. 

(H10.11.1)

 私は、平成元年に創価学会を一家で脱会いたしました。それまでB担という役職を持っていた私ですが、御講をはじめお寺の行事についてよく知りませんでした。

 また、総本山の御大会には幹部しか参詣できないことや、広布基金で百万円単位のお金を集めなければならないこと、選挙活動や池田写真展への人集め、書籍や新聞を一軒の家に何部も啓蒙するなど、並べるときりがない程の矛盾を感じておりました。疑問を感じつつ活動しているのが苦痛になり、決意して平成元年に、学会本部に脱会届を提出したのです。

 私が脱会できたのは、父母のお陰と深く感謝しております。父は私が14歳の時に亡くなりましたが、母はその時より常々「絶対にお寺や住職様をないがしろにしてはいけない」と教えてくれていたからです。

 脱会後、学会幹部が何度も家に来て、「絶対に学会員を引き抜くな」とヤクザまがいの言葉で脅したり、夜中に頻繁に無言電話もかかってきました。しかし私は折伏を始め、その結果、母、兄弟、Eさん、Yさんが脱会して法華講員になりました。このうち、Eさんは弟さんや御主人の両親を、またYさんは娘さんや妹さんをそれぞれ脱会させ、兄は友人2人を折伏しました。

 学会員当時は、「これだけやれば、これだけもらえる」「ただ学会の言ったとおりにしていれば間違いない」等と現世利益と他力本願的な話しをしていたように思います。

 法華講員となってからは、御講などで御住職様の御説法を拝聴しているうちに、正直に真面目に信心していくことや、大聖人様の教えの深さがいつしか身に付き、折伏に行ったときに自然に口に出るようになり、同じ「折伏」という言葉でも、中味は全く別だと感じるようになりました。法華講員として新たなスタートをしてから、正法で先祖供養させていただける功徳を感じ、仕事仲間や主人の会社の方々等、たくさんの方に信心のお話をできるようになりました。

 平成7年のこと、私が仏心寺に入っていくところを、仕事仲間のHさんが見ておられ、「あなたは学会員だと思っていたけれど、違ったのね」と声をかけてくれました。Hさんは、御主人が亡くなったとき学会葬だったので御主人に戒名もいただけなかったこと、回向する場もない学会の、お寺を無視するような行為に対し反感を持ち、悩んでいたのです。

 しかも『ニセ本尊』に手を合わせていたと伺い、愕然(がくぜん)といたしました。何も知らない人たちを平気で悪縁に陥れていく学会の姿を目の当たりにし、ただただ情けない気持ちでした。Hさんは現在、法華講員として正法を持ち、御主人の追善供養をされております。

 平成8年に入信なさったAさんは、毎朝神棚に手を合わせている方でした。奥さんは民謡と詩吟の先生で、連れて行ってもらった練習場所が、なんと学会幹部の家でした。仏壇の横には大きな模造紙に、脱会して法華講に入った人たちの名前が書かれています。何を祈念しているか判りませんが、びっくりいたしました。Aさんは、これまでずいぶん学会員に勧誘され、学会の会合へも何回か行ったとのこと。

 事ある毎に大聖人様の仏法についてお話し、お寺にお連れして御住職様に御指導いただいて、御授戒を受けられました。その後、折伏にも取り組まれ、Aさんの縁の方も無事に勧誡式を受け、御会式にも参詣できました。未だ脱会できない学会員の中には、「お寺に行ってお塔婆供養をしたい、本当は脱会したい」と言いつつ、学会の脅しを恐れて脱会できない方がたくさんいます。

 さて、広宣流布のためという学会の大義名分が優先し、家庭を省みず活動する私の姿を見ていた主人は、共に脱会はしたものの御登山に大反対でした。しかし、今まで染み込ませてきた悪業をお詫び申し上げ、断ち切らせていただきたい一心で7年間、毎月御登山をさせていただき、お寺にも、時間を見つけては毎日参詣させていただき唱題いたしました。

 脱会当時、入れ替わり立ち替わり押し掛けてきた幹部たちの身の回りには、その人が一番大切にしていた事や大事な人から失われていくという現証が起こっています。その姿を見るにつけ、脱会していなかったら、私の家庭も崩壊していたであろう、淋しい思いをさせてきた子供たちも、どうなっていたかと思うとぞっといたします。

 本年、客殿新築慶祝記念大法要、夏期講習会登山などに家族、身内、友人共々大勢で参詣させていただきましたことを御本尊様、御住職様に感謝申し上げ、御法主日顕上人猊下の「1年に一人が一人の折伏を」の御指南にお応えできるよう、尚一層、がんばってまいります。

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