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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

『住職の御指導のもと父を折伏』

法照寺支部 M. I. 

(H10.11.1)

 皆さん、こんにちは。私は法照寺支部のM. I. と申します。今日は私が創価学会を脱会後、家族を折伏した体験をお話いたします。

 私は平成3年、学会問題が起こったとき、婚約者(現在の主人)と一緒に迷わず脱会を決意し、1月のうちに晴れて法華講員となりました。

 そして、まず私がやるべきことは、家族を全員脱会させることだと思い、家に帰るとすぐ、父と叔母に私が脱会したことを話し、一緒に脱会するよう勧めました。しかし叔母は、「学会は好きではないけれど、このままでいい」と言い、反対に父は激怒し、親子の縁を切ってやると言いました。

 学会の謗法の姿をいくら話しても判ってもらえず、「学会が地獄に堕ちるのなら、自分も池田先生と共に地獄の果てまでついていく」などと言い出し、「本当にそうなるよ」と私が言うと、「それでも構わない」と、父は断言しました。

 私は、いつか必ず判る時がくる、それまでしっかり御題目を唱えようと心に決めました。そして、このとき私と一緒に暮らしていた祖父、そして父のもとにいた兄と弟は、学会への執着がなかったため、すんなり脱会することができました。

 その後、平成3年10月に結婚、平成7年に、私たち夫婦は待望の子供を無事授かることができました。孫が出来れば父も少しは変わるのではと期待しましたが、それどころかどんどんと距離があき、約1年半もの間、音信不通となってしまいました。また、叔母に対する折伏のほうも、私自身だんだんと惰性になってしまいました。

 平成9年10月、御宗門より、11月30日までに学会を脱会しない者は信徒資格を失うという知らせが届いたのを機会に、私は心を入れ換え、叔母の一家3人を必ず脱会させると決意しました。

 ちょうどそのころ、平成10年の法照寺移転新築落慶法要へ向かって、1000名大結集の唱題行が始まりました。お寺での10時間唱題会の日、家族3人で参加し、必ず叔母の一家3人が脱会できるよう真剣に御題目を唱え、その足で叔母の家へ向かいました。

 そしてその折伏の場において、約3時間の間に、叔母たちは怒ったり、泣いたり、また信心に関係のない話に広がったり、様々な姿を見せましたが、ようやく3人共脱会することができました。そして叔母は、一緒に脱会した娘と共に今年3月の法照寺移転新築落慶法要に参詣させていただくこともでき、皆で喜び合いました。

 さて次は父だと思いましたが、連絡がとれないまま月日が経ってしまいました。そのような中、今年の5月、約2年前から老衰や病気のため入院をしていた祖父が、急に容体が悪化し、「覚悟しておいてください」と医者に言われ、親戚が集まることになりました。

 もしこのまま祖父が亡くなるようなことになれば、父が喪主となっての正宗での葬儀は出せません。そんな思いを抱えながら、1年半ぶりに父と再会してみますと、父は言葉にできない程、悲惨な状況に落ちていました。生きる気力もなく、仕事もせず、何日も食事もできず、止められていた電話もついに外され、水道も止められ、家賃も払えないで、何かに怯えながら、布団をかぶって息を潜めている状態でした。

 私はまず「祖父が亡くなったら、学会員であるうちは日蓮正宗の葬儀はできない」ということを話し、それでもなお他人事のような顔をしている父に、「お父さん、7年前、地獄に堕ちても構わないって言ったよね。本当にそうなったね。それでもまだ学会にいたいの」と言うと、「今は信心のことなど考えられない」という返事でした。

 こんな状態になってもまだ脱会できない業の深さに、ただ悲しくなり、またそれは、私自身の宿業でもあると感じずにはいられませんでした。日を改めてもう一度父と会おうと決意し、御住職様に御指導を受けました。御住職様は、「喪主をするための脱会ではなく、あなたがもう一度、誠心誠意を込めて話をしなさい。そしてお寺に連れて来なさい」と、言われました。

 正直言って、そのときの私は、話をするのが精一杯で、今の父をお寺に連れて行くなんて無理なのではないかと思ってしまいました。そのことを副地区長のKさんに話すと、Kさんは、「御住職様がお寺に連れて来なさいと御指導されたのなら、必ずお寺に連れて行くと腹を決めなさい。以前に御住職様が、『自分の所へ指導を求めて来る人はたくさんいるが、指導どおりにやろうとしない。だから結果がでない』と話されていたけれど、指導を受けたのなら、御指導どおりに、きちっとやらなければ駄目じゃないの」と注意されました。

 御指導を受けたのにグズグズしていた自分を反省し、意を決して唱題し、もう一度父に会いに行きました。父に会うとすぐ、「まず、お寺に行こう。そこで話しを聞いて、どうするか決めればいいでしょう」と誘うと、父はやっと「判った」と言ってくれたので、そのままお寺に連れて行くことができました。

 今までいろいろと学会に吹き込まれていた疑問が、お寺で話を聞くことによって、全部嘘だったと判った父は、脱会を決意し、御住職様から「よかったですね。これからは大聖人の仏法に傷をつけないよう、しっかりとがんばってください」との激励を受け、無事勧誡式を受けることができました。

 あれ程学会に執着し、聞く耳を持たなかった父ですが、勧誡式の後は気持ちが明るくなり、お寺に連れて来られたことを、とても喜んでいる様子でした。私は、7年半かけてやっと父が脱会できた喜びで胸がいっぱいでした。

 さらに、先日御住職様より、平成14年・30万総登山に向けて掲げられた「一地区100世帯の折伏を」との目標に対する、我が地区第1号の折伏が父だったということも、大変うれしく感じています。

 また、この日1日唱題してくださっていた地区の皆さんには、心から感謝しております。一時はどうなることかと思った父も、とても明るくなり、仕事にも行きはじめ、少しずつではありますが、良い方向に進んでいると感じています。  

 そのような中、入院をしていた祖父が、息子である父の脱会を待っていたかのように、6月27日、息を引き取りました。そのときは、ちょうど父一人が付き添っており、祖父は息子の題目を聞きながら手を合わせて亡くなったそうです。ここで父が喪主として挨拶した言葉が、とてもよかったので原文のままご紹介させていただきます。

 「本日、御多忙の中にもかかわらず、亡父民雄の葬儀に御参列を賜り、厚く御礼申し上げます。父は長く大阪にいた人で横浜に来ても御近所の人とはあまり付き合いがない人でした。が、にもかかわらず大勢御参列いただき、御礼申し上げます。

 老齢の父を、鶴見にいる妹が毎日面倒を見てきました。これも良き夫に恵まれていたからこそのことと思います。弱ってくる親を見て、学会葬でいくのか、お寺様にお世話になるのか、話しましたが、皆、お寺様でとのことでした。私は学会員でした。娘夫婦が、日蓮正宗のもとで、信心指導を受けていたようです。

 『おじいちゃんを送るのなら、正宗の御僧侶様の題目でなければ。富士大石寺の大御本尊様が根本で、その根本をはずしてはおじいちゃんは成仏できないのよ』と言われました。

 お寺様にお願いし、無事私も講中に入れていただくことができ、家族の思いどおり、本日を終えることができ、ありがたく御礼申し上げます。」という挨拶でした。

 御法主上人猊下は、
「ありとあらゆる善いこと、悪いことのすべてを、大聖人様のお心を拝しつつ、大聖人様の御教えに順ずる心をもって、お題目を唱えてごらんなさい。必ず解決するはずです」(大白法 502号)と御指南あそばされています。

 これからも、決して油断することなく、御住職様の御指導のもと、法照寺支部800世帯の折伏目標達成を真剣に祈り、親戚、友人を一人でも多く折伏し、平成14年・30万総登山に向かって、元気に明るく精進してまいります。ありがとうございました。

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