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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

TEL 086-255-1155

岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

『不思議な因縁に導かれて』

慧照寺支部 T. N. 

(H9.10.16)

 私が入信させていただいたのは、平成4年12月5日でございます。その入信のきっかけとなったのは、入信の20日程前の11月14日のことであります。当時12歳になる長男が不慮の事故に遭い、8日後の22日、私たちの願いも虚しく意識の戻らないまま帰らぬ人となったのでありました。

 まさに青天の霹靂としかいいようのない不幸が、我々家族に起こったのでありました。我が子の死というものを目の当たりにして、ただおろおろと何もしてやれない自分自身に対し、また子をはねた相手に対して腹が立つのと、口惜しいのと、どこへもぶつけようのない怒りというものは、到底言葉ではいい尽くせるものではありませんでした。

 また当時入信していなかった私は、いざ葬儀の支度をする段になって、なにをすればよいのか、またどこのお寺にお願いすれば良いのか、皆目見当もつきませでした。その時に妻の母から、自分が信心している日蓮正宗で是非とも葬儀を出してやって欲しいと懇願され、妻の実家である法舟寺様にお尋ねしたところ、現在の慧照寺様を紹介していただいた次第でございます。

 早速お電話いたしましたところ、夜も11時を過ぎており、また当時私がまだ信徒でないにも関わらず、当時の御住職であられた岡崎法顕御尊師がすぐに枕経のために駆けつけて下さり、日蓮正宗の意義について丁寧に御指導して下さったのでありました。お話を受けたときの私供の心境といえば、まさに地獄に仏様にお逢いしたような思いでありました。

 また告別式の時にも法華講の方々にご参列をいただき、まだ12歳の息子には勿体ないくらいの立派な葬式を出すことができたのであります。

 その後も岡崎御尊師は、初七日の法事をはじめ、七日毎の法事で参詣する度に、御本尊様のこと、信心のこと、塔婆供養の意義などについて親身になってお話して下さいました。が、当時宗教にまったく関心のなかった私は、神も仏もあるものかとの思いで、とても素直な気持ちで受け入れることが出来なかったばかりか、御尊師様には大変に失礼な態度をとっておりました。

 これまで、人様の不幸ということに出会ったことはありましても、まさか自分の身の上に降り掛かろうとは、思ってもみないことであり、夢でもみるかのように、全てが上の空のような時間が経つうちに、御住職様の言われる言葉だけは不思議と身に染みて、少しづつ判るようになってまいりました。

 最初は子どもを亡くすということが、自分たちの宿業であるということにも、反発を覚えたのであります。しかし、大変失礼な言い方かもしれませんが、御住職の熱心な折伏に心を打たれ、12月5日の二七日の法事の時に、家族全員揃って、御授戒を受けさせていただくことができた次第であります。

 それから三カ月後、現在の秦道二御尊師が慧照寺御住職に就任され、しばらく毎月の命日忌毎に寺院に参詣させていただいておりますうちに、息子との別れという寂しさが、なくなったと言えば言い過ぎかもしれませんが、参詣の回を重ねる毎に不思議とその寂しさも乗り越えることができ、この信心の歓喜に気づかせていただくことが出来たのであります。

 また不思議と寺院への参詣が楽しくなり、毎月のお経日・御講など寺院の行事に喜んで家族で参詣させていただけるようになり、御住職の法話を聴き、御指導をいただく機会も増えてまいりました。

 その中で、仏法の道理も教えていただき、日蓮正宗の信心は自行化他にありということが、私にも少しづつですが判るようになりました。

 平成6年の地涌六万大総会の年、唱題が50万遍に達した翌月に二女が誕生しました。子供が出来たと判った時には、亡き長男への思いからずいぶん悩みましたが、御住職にその思いをお話したところ、大変に喜んでいただけたことで、その悩みも解消しました。

 無事に出産を終えた時に、縁のある子供だからと『Y』という名前まで頂戴しました。本当に不思議なことに、今ではこの子のおかげで家族も円満であり、この子は無くてはならない存在となっています。

 また長男の死に伴い墓地を用意しなくてはと思いながら、漠然と御本尊様のお側に眠らせてやれたら、どんなにか幸せだろうかと思っておりましたところ、御住職の配慮により、総本山の墓園にお墓を建立することができました。今でも夢のようで、本当にありがたく思っております。

 また、特に不思議でならないのは、次男が総本山に出家得道させていただいたことであります。それも、亡き長男の遺骨と共に本山に上がり、3月28日の得道式終了後、御住職と、僧侶になられた次男と共に、墓地の開眼と長男の遺骨を埋葬をしていただくことが出来たのであります。

 お兄ちゃん子であった次男が、兄弟で共に総本山をお護りしているようで、この因縁を不思議に思えてなりません。

 また今年の5月にささやかな新居も完成いたしましたが、この家を建てるに当たり、展示場を幾つも回り、やっと気に入る物件を見つけて契約を交わしたところ、その会社の担当が、亡き長男が最後にお世話になった担任の先生の御主人であったとは、そう知ったときは本当にびっくりしました。

 お蔭様で諸手続きから完成までを親身に対応していただけました。これも長男のお蔭としみじみと感じ、御本尊様に心から感謝を申しあげました。新居の入仏式に当たりまして、特別御形木御本尊様を賜わり、責任の重大さを改めて痛感いたしております。

 私はこの5年間を振り返ってみて、とてもありがたく思うことは、この信心のお蔭で、家族が大きな変遷を遂げることができたということです。それはこの長男が信心を教えてくれたからこそ、今があると思っております。

 それには、お二人の御住職のお蔭であることはいうまでもありません。そして、もったいないことではありますが、次男を出家得道させていただいたことであります。子供と別れて暮らすのは、寂しくないといえば嘘になるかも知れませんが、御法主上人猊下様の御弟子となられた喜びをとても強く感じております。  

 御住職は、次男の得道に際しまして、三月の御講の法話で『出家功徳御書』を御講義下さいました。

 『出家功徳御書』に曰く、
「およそ父母の家を出て僧となる事は、必ず父母を助くる道にて候なり。『出家功徳経』に云はく、『高さ三十三天に百千の塔婆を立つるよりも、一日の出家の功徳は勝れたり』と。されば其の身は無智無行にもあれ、髪を剃り、袈裟をかくる形には天魔も恐れをなすと見えたり。(中略)されば出家と成る事は、我が身助かるのみならず、親をも助け、上無量の父母まで助かる功徳あり。されば人身を受くること難く、人身を受くるとも出家と成ること最も難し。」 と仰せでございます。

 次男の得道に当たりまして、周囲から様々なことを言われました。この信心を知らない身内からは、何でそこまでするのかという意見も強くあったのであります。しかし、親の意見で決めたのではなく、あくまで本人の意見を尊重して決めたことを強く訴えてまいりました。
 ただいまの御書を通して、次男の得道によってみんなが救われるということを確信し、この喜びを伝え折伏をしていきたいと思っております。

 御法主上人猊下様の御弟子となられ、『成宏』という立派な道号を頂戴した今は、親として恥ずかしくない信心をせねばならない、という気持ちで一杯でございます。

 学会では、総本山や御僧侶のことを悪く言いますが、自分の息子が総本山で修行されて、まだ五カ月でありますが、面会の時の態度といい、自分の息子とは思えない程の成長ぶりには驚きの連続であります。これも、すべて根本道場である総本山で修行させていただいているからであって、先輩の御僧侶の御指導の賜と深く感謝いたしております。

 御住職は、「総本山は厳格なところですから、いい加減な気持ちでいると還俗することになる。親の信心で子供も変わる」と仰せでありました。

 また「住み良い環境にしたければ、この信心で自分が変わればよい、自分が変われば環境も変わるものである。行住座臥の信心で自分を変えなさい」と御指導されます。

 いたらぬ信心の私ごとき者でも、この信心のお蔭で不思議な功徳をいただくことができました。

 『四恩抄』の、
「法華経の故にかかる身となり候へば、行住座臥に法華経を読み行ずるにてこそ候へ。」 との御金言を常に心に置いて、これからも指導教師であられる秦御住職の御指導のままに、正直で素直な信心を貫き、自行化他に励む覚悟でございます。

 ご静聴ありがとうございました。

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