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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

TEL 086-255-1155

岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

『娘の足が必死の唱題と折伏で回復』

開徳寺支部 S. T. 

(H11.3.16)

 私の入信は、主人の転勤で東京より埼玉へ引っ越して来るときでした。「お願いだから協力してくれ」と主人の兄に勧められ、日蓮正宗の教義も勤行の仕方も知らないまま、昭和38年5月、品川の妙光寺様で親子4人、御授戒を受けました。

 その後次男である主人がT家を継ぐことになり、父親の葬儀のときから邪宗の先祖代々の寺と縁するようになりました。何も知らなかったとはいえ大聖人様の仏法に背く謗法の限りを尽くしてしまいました。

 その罰の現証が20年後に出てしまったのです。昭和61年10月、長男を交通事故で一瞬の間に亡くしてしまいました。23才の若い命でした。

 息子の死によって発心し、謗法の懺悔をと朝夕の勤行・唱題に励み、私の母と兄を折伏し、平成2年11月、次女が結婚する相手のN氏を折伏させていただきました。これが、学会員としての最後の折伏となりました。

 その後、学会問題が起こり、あらぬ宗門誹謗、中傷の攻撃が始まったのです。平成3年、御法主日顕上人猊下の、「たとえ将来、本山の参詣者がなくなって粥(かゆ)をすするようなことがあっても、私は正義は正義として立てていこうと思って、今回、この問題に踏み切ったわけである」(大白法340号)との御言葉に、とめどない涙を流し、猊下様に信伏随従の決心をいたし、母と兄、N氏と私たち家族全員、創価学会を脱会いたしました。

 当時、華光寺の御住職様より御書と日蓮正宗の歴史を学び、御指導をいただきました。一泊登山では、広宣流布御祈念の丑寅勤行に猊下様のお供をさせていただき、日蓮正宗の740年の歴史と正しい清流を肌で感じ、地域の学会の方たちに、お寺と本山へ一緒に参詣することを勧めて歩きました。

 そのことが学会の組織に知れ、あらゆる学会の人たちが毎日のように、御宗門、猊下様、御僧侶の悪口を言ってきました。その度に、猊下様がおっしゃられた「即応折伏」をいたしました。昨日まで友人だった人たちまで、「邪宗の寺に行ったTさんに、誑(たぶら)かされるから口を聞かないほうがいいよ」と言って買物で会っても隠れる有様でした。学会の会館では、脱会者の名前を書いて、幹部が悪口を言い合っていたそうです。

 私たちの心はどんなことがあろうとも猊下様から離れませんでした。「なにの兵法(ひょうほう)よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」(御書1407)の御金言を信じ、毎日3時間、4時間の唱題をしているときです。外出していた長女が事故に遭って病院へ運ばれたと連絡が入ったのです。

 心の中で御題目を唱えながら、「死なないで、生きていて、今死んだら猊下様に申し訳ない、学会に何を言われるか判らない」と祈る気持ちでかけつけました。御陰様で命は助けていただきました。

 「下半身はメチャクチャで特に右足は手術の方法がないので、切断する外ないし、寝たきりになるか、もし良くなったとしても歩けないかも知れない、一生車イスの生活になるでしょう」との医者の言葉に、主人と私は「もし動かないとしても切らないで、どんな形でもいいですから」と強くお願いし、「御本尊様、どうぞ娘の足を広宣流布のお役に立つ歩ける足にしてください」と主人と二人、毎日10時間の御題目を唱え、総本山の本門戒壇の大御本尊様への御開扉を戴き、謗法罪障消滅の御祈念を申し上げました。

 「業(ごう)に二あり。一には定業(じょうごう)、二には不定業(ふじょうごう)。定業すら能く能く懺悔すれば必ず消滅す。何に況んや不定業をや」(同760)の御金言です。

 今までの謗法の罪が今さらのごとく身に染みました。子供たちから真の信心を教えられているのだと、邪宗教に執着している親戚や友人宅へ御書を持って訪問し、私たちの体験を語り、折伏しました。

 また学会の友達には御宗門より出された印刷物や『大白法』号外を持って、なぜ破門されたのか、池田創価学会の教義逸脱、宗門の正しさを説明し、三大秘法の大御本尊と唯授一人の血脈から離れ、正しい仏法を御指南くださる御法主日顕上人猊下に矢を向けて、大謗法を犯した団体になってしまったことを訴えて回りました。病院の中でも縁した人たちに大聖人様の仏法を下種することもできました。

 そうしている中、医者がさじを投げてしまった娘の足を、不思議なことに、御本尊様は歩けるようにしてくださったのです。六カ月かかっても神経がマヒ状態だから、排尿排便も一生自分で管を入れて出すようになると言われ、管を入れる練習をして退院してきました。

 手術してくださった先生も看護婦さんたちも、不思議だと首をかしげて「よっぽど運が良かったんだね」と驚いておりました。娘も先生にお礼を言い、「私たちは日蓮正宗の信者なので富士の大石寺にお詣りしているのよ」と話しました。

 平成6年、静かな所でリハビリと信心生活を送りたいと不動産屋に依頼しておりましたところ、縁あって桶川より東松山へ引っ越してまいりました。息子のお墓にも近くなり、一番大切な正宗の寺院・開徳寺がすぐ近くにあるのには驚きました。これもすべて御本尊様のおはからいと有り難く思い、お世話になることにし、華光寺より開徳寺へ移籍させていただきました。

 中村御住職様にもいろいろと御指導をいただきながら信心とリハビリの結果、神経もすっかり通って、トイレも自分の力でできるようになり、本山に行くのも自由に歩ける、丈夫な足にしていただきました。

 大聖人様の、
「日蓮仏法をこゝろみるに、道理と証文とにはすぎず。又道理証文よりも現証にはすぎず」(同874) の御金言ごとく信じて行じてまいりました。

 御法主日顕上人猊下の御指南、御宗門が、いかに正しいか、実証させていただくことができました。平成9年「充実の年」猊下様より不思議の妙法の実践と、「一人が一人以上の折伏を」との御指南を戴きました。

 今世に一生成仏の大仏法に巡り合いながら、聖教新聞、創価新報等の誹謗中傷の報道に洗脳されて、正しく判断できない可哀想な学会の人たちを思うと、じっとしてはいられません。

 3時間の唱題をし、一昨年『慧妙』を持って一度話に伺ったTさんが気になり、班長である主人と一緒に班員さんの家庭訪問に合わせて折伏に行きました。

 Tさんは初めて聞く話に驚き、なかなか信じられない様子でしたが、大石寺のビデオや、地涌六万大総会の写真集、『大白法』を見せながら、何度も繰り返し繰り返し根気よく説明いたしました。どうしても救ってあげたい一心で、御題目を唱えながら8カ月ぐらい通いました。あと一歩というところで、御住職様に一緒に行って破折をしていただき、その場でTさんは脱会の決意をされました。  

 活動日にK副講頭(当時)と共に訪問してお話ししているうち、8月12日に一緒に本山に行くことになりました。Tさんは10年ぶりの本門戒壇の大御本尊様への御内拝が叶い大変感激され、学会で言っていることが嘘だと判り、涙を流されたそうです。

 その功徳で、親子三人が13日の御講の日に脱会され、無事に勧誡式を受けられました。脱会後、学会員が押し掛けてきたり、いろいろ大変なこともありましたが、それを乗り越えてくれました。今では、寺院参詣、折伏、登山会と、法華講の信心に精進され、御奉公されております。

 今年は「出陣の年」であります。不自惜身命の信心で、いかなる障魔が競い起ころうとも、唱題根本に折伏に邁進し、御法主日顕上人猊下の御指南にお応え申し上げられますよう、中村御住職様の御指導のもと、平成14年・法華講三十万総登山達成を目指し、孫も含めて家族共々一緒に精進させていただきます。本日は大変ありがとうございました。

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