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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

TEL 086-255-1155

岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

『障害の子供ともに』

蓮成坊実修講支部 T. I. 

(H13.4.1)

 本日は宗旨建立750年の大佳節を明年に控えた重大な総会に、御法主上人猊下の御前で体験発表させていただけることは、私の眷属はもちろんのこと、講中全員の喜びであります。

 私は、30年前の20歳のときに、故K講頭に折伏されて入信し、その後、先に正法に縁していた妻と結婚、娘2人に恵まれ、家族4人で幸せな毎日を送らせていただいていました。

 御住職・石井信量御尊師が毎週、総本山より東京へ見えて、勉強会を開いてくださったときは、幼い子供を家に残し夫婦で参加させていただき、支部においては幹事として、各班、各地域のお世話をさせていただいたりして、本当に信心中心の安穏なる生活のように見えました。

 しかし、それを御本尊様の功徳とも考えず、仕事で重責を担う立場になってからは、徐々に仕事中心の生活になってしまいました。病魔に倒れるような現証は現れませんでしたが、恐ろしくも、少しずつ心の中に魔が忍び込み、御住職の御期待を裏切り、自ら支部幹事を下ろしてくださいとの願いを出すにいたりました。

 その結果、何回も転職、引っ越しを繰り返し、家族にもたいへんな迷惑をかけました。

 当時、病院経営の一翼を担い、何日も泊まり込んで仕事をしたり、接待などで遊興三昧が続きました。しかし、いくらがんばっても、ますます経営者の欲に振り回され、世法に流されていきました。

 そんな中、10年ぶりに家内が妊娠し、事前に男の子と診断されました。待望の男の子であり、少し家庭に目が向くようになりました。出産の当日、病院より電話があり、仮死状態での出産でしたので、日本赤十字社医療センターへ救急車で搬送したとのことでした。さらに先生から「詳しい診断は検査してからですが、ダウン症候群という障害がある可能性があります。奥さんは血圧が異常に上がり、しばらく入院することになりますので、障害のことは、ご主人よりお話してください」とのことでした。

 すぐに、御住職に連絡し、当病平癒の御祈念をお願いいたしました。お蔭様で、家内の産後もようやく落ち着き、息子は心臓病などの大きな合併症はなく、3週間で退院できました。息子に障害があることを、初めて家内に話しました。

 これでは、家内になお心配をかけると思い、障害があっても御本尊様を拝し信心していける子になれるようにと「大を知る」と考え命名したいと話しました。しかし家内は、「主人が家庭を顧みないならば、たとえ、どういう名前であろうとも……」と、恐らくこの子とこれからの人生をやっていこうと決意していただけに、ショックで涙を流して聞いていました。私も、そんな家内の様子にショックを隠し切れませんでした。

 ともかく退院後、夫婦揃って御住職に、事の経緯と長男誕生のご報告をいたしました。その折、御住職から、「大丈夫、この子はきっとI家の信心を奮い立たせる立派な仏様のお使いをするようになるでしょう。それとも、五体満足であるならすべて立派だとでも言うのかね。間違いなくこの子が信心を引っ張っていくから、勇気と希望を持ちなさい」と、厳しく御指導くださいました。

 当時、私は御住職の御指導を理解しようともせず、相変わらず仕事中心でありましたが、家内は、幼い病弱の子を背負いながら、子供たち3人と信心根本にやっていけばいつか必ずまた、あのときの信心中心の家庭が築けると、愚癡一つ言わずに必死で唱題をしていたのです。

 丸3年経ったある日、家内が「受けてみたら」と1通の広報紙を差し出しました。そこには、地元上尾市の小中学校の用務員の募集が載っていました。そして「応募してみてください。ここなら時間に余裕があり、信心中心に息子を育てていける。ダウン症の子供は特に体が弱く、子育ても3倍手がかかるので、これからは私1人ではなく、父親の役割も必要です」と言ってきました。

 職場では病院長の右腕として人事のすべてを統括していました私は、一笑に伏して断りました。しかし、かわいくなってきた我が子を見て、心の中では、何とかしなければと少しずつ考えるようになってきました。

 翌年、家内が最後の通告のように、再度、広報紙を私に手渡しました。そのとき、「これはただ事ではない。家内は相当疲れているな」と察知したのであります。そして、以前の信心中心であった家庭を私は徐々に思い出し、なぜか素直に願書を提出することにしました。試験は2月でしたが、年明けすぐに辞表を提出し、採用試験に臨みました。

 無謀にも前職を捨てての挑戦でありましたが、数多くの応募者の中、たった3名の枠に合格しました。その陰に、何も言わず唱題を続けていた家内の姿があったことを、当時の私は知るよしもありませんでした。

 それからの私は、家内の意見にも少しずつ素直に耳を傾け、そうだ、組織へ戻らないと家庭は破滅してしまうと思い、心新たに支部活動を再開しました。何年かぶりで闘わせていただいた信心活動は、世法の中では体験できない喜びの連続でありました。

 その後、壮年部長、登山部長という立場を御住職より与えていただき、その中で時の重大なることに気づかせていただきました。

 昨年、福島地区で講員さんの葬儀の一報が入ったおり、御住職より、「因習深い地ですので、事前に福島へ行って、無事、日蓮正宗の葬儀ができるよう段取りするようにしてください。私は御本尊様のお供をして福島へ向かうから」との御指示で、すぐに福島へ向かいました。常々、御住職から葬儀は折伏の場であるとの御指導をいただいていました。

 この地には、亡くなったご主人と、その奥さんのご夫婦2人だけで、他に講員さんは、いませんでした。おまけに福島へ向かう途上で携帯電話に「今、御住職様が東京を出発しました」との一報が入り、車中で日蓮正宗で葬儀ができますよう唱題いたしました。

 そして、そのお宅に着くや、意を決して玄関に入ったところ、険しい表情のご親族の中で、奥さんが温かく出迎えてくださいました。聞けば昔、東京にいた頃、家内の母親と一緒に飛び込み折伏をした仲だったそうです。娘さんも鼓笛隊で家内と活動したことがあったと思い出され、親しく話が弾み、ようやくご親族ともお話することができました。

 そこで日蓮正宗のすばらしさと、長年信心を貫いてこられた故人のお気持ちを訴えました。そして、ご親族より「日蓮正宗でお願いします」と聞いたときは、本当に嬉しかったです。

 無事、通夜、そして、告別式を終え、ご自宅に戻り奉修された初七日法要の後、御住職は、ご親族に気迫溢れる御指導をされ、引き続き折伏が始まりました。

 そして、日蓮大聖人の仏法と大石寺の信仰を話されている中で、みるみるうちに一時学会に身を寄せた娘さんが正しい信心を思い出したのでしょう、その場で勧誡を受け、さらに親戚の方が入信を決意され、併せて4世帯の折伏が成就し、ご親族14人が入信されました。

 その後、三十五日忌の法要も御住職が福島まで足を運んでくださるとのことで、家内と事前に福島へ行き、法要に新来者をと奥さんに訴え、地元の友人をお誘いいただきました。三十五日忌法要では5世帯の折伏が成就でき、さらに総本山での納骨の際にも1世帯できと、1人の方の葬儀をきっかけに、10世帯の折伏をさせていただきました。

 また、私共の地元の埼玉では、息子と同じ学級の子のお母さん方を夫婦で下種、折伏し、家内共々2世帯の折伏をさせていただきました。こうして私の担当地域の折伏目標21世帯のところ、25世帯の折伏を成就させていただきました。

 これらの活動に出かけるのに、息子を1人、家に置いておくわけにはいかず、常に3人で活動しています。この4月で12歳になります。障害のある子供は身体が弱いことが多いのですが、土曜日、日曜日は全部活動で、一緒に遠く新潟、福島と、生意気にも御住職のお供をさせていただき、さらには担当の群馬、栃木、埼玉と連れて歩いているにも関わらず、体調を崩して学校を休んだことはありません。

 謗法のお宅に伺っても仏間を捜したり、御本尊様がないと問いかけたり、折伏のきっかけを作ってくれます。また、新来者を我が家にお呼びしたときは気配りしてくれたり、接待してくれています。どこへ行っても、息子のおかげで下種させていただいています。

 思えば、誕生のご報告にうかがったときに、御住職からいただいた「五体満足であるならすべて立派だとでも言うのかね。間違いなくこの子が信心を引っ張っていくから、勇気と希望を持ちなさい」との御指導の意味が、ただ今判りました。御住職様本当にありがとうございました。

 一度地に落ちた男が、また御奉公させていただけたのも家族の必死な唱題と、いつかは立ち上がってくると厳しくも温かく見守ってくださった眷属はじめ講中の同志のお陰と、本当に感謝の気持ちで一杯です。

 昨年、250世帯の折伏目標も御住職の死身弘法の御活躍と講中の異体同心の活動で、11月に250世帯を完遂いたしました。本年は、破邪顕正の折伏はもちろんのこと、私も体験済みですので、講中の1人も落とすことなく30万総登山につなげてまいります。

 本年、「誓願貫徹の年」、255世帯の目標に向かって蓮成坊実修講支部は、御住職を先頭に、現在84世帯の折伏を成就させていただきました。

 一昨日は、娘が新来者をお連れでき、法道院様での会議の途中、たまたま蓮成坊東京出張所へ戻っておられた御住職から、早速、御指導をいただくことができ、1世帯の折伏を成就させていただきました。昨年よりの波動を止めることなく、私共家族も、この1年を命がけで闘い切ってまいります。

 御法主日顕上人猊下は、1月1日の唱題行の砌、「この唱題の深い意義、功徳は到底、言葉をもって尽くせるものではないと思います。しかし、その時々に応じて、その方の生きておる尊い意義、値打ちが、この唱題行によって凡身を仏身と開きつつ、必ず顕れてくることを確信するものであります」(大白法 565号)と御指南くださいました。

 御題目の功徳を堂々と人に語り、我が講中を広宣流布に向かって大前進させていくことこそ、大佳節に巡り合える我が身の尊い意義ととらえ、先々代・K講頭、先代・A講頭の意志を受け継ぎ、現・I講頭を中心に、どこまでも指導教師であられる石井御住職様の御指導のもと、御法主日顕上人猊下に支部一丸となってお応えし、本年度の折伏誓願目標完遂と、明年の30万総登山支部目標の完全達成をお誓いし、体験発表とさせていただきます。

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