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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

TEL 086-255-1155

岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

『亡き母の想い通じ、正法の家となる』

大慈院支部 M. K.  

(H10.8.1)

 私は、何代も続く禅宗の家系に生まれ、中学からはキリスト教の学校で教育を受けました。わがままな私を百パーセント見守ってくれる両親とどうしても離れることができず、厳しい現実社会から逃避しており、35歳になったときこのままではだめだと思い、友人を通して保険会社に就職しました。

 そして会社の上司であったNさんから、初めて日蓮正宗のお話をお聞きしました。宗教に全然興味がなかった私ですが、「人として成長するには、この信心しかない」と言われ、昭和62年8月30日御授戒を受けさせていただいたのです。

 初めは東に向かって勤行していたのですが、いつしか御本尊様を求める気持ちが強くなり、お寺で、朝の勤行をさせていただくようになりました。朝5時半に出かける私に両親は驚き、たいへん心配しておりましたが、宗教が昔から大嫌いな父にはどうしても信心の話しをすることができなかったのです。

 しかし、最高の親孝行はこの信心をしてもらうことだと教わり、今まで親不孝をしてきた私が恩返しできるとすれば、もう折伏しかありませんので、毎朝御祈念しておりました。

 入信して3ヶ月、姉に信心を勧めたところ、すぐに「判った、やってみる」と素直に入信し、それから間もなくお寺で法華講の皆さんに姪も折伏していただきました。

 次の年、母が父には絶対内緒でとの約束で入信。次に甥がと、全員が内得信仰ではありますが、信心してくれるようになったのです。

 当時の大慈院では、7月の法華講連合会夏季総登山会までに必ず折伏完遂させていただくため、初代神谷講頭を先頭に一丸となって折伏が行われており、私自身御本尊様を御下付いただけない状況でしたが、友人・知人にはいつも下種をしておりました。

 座談会などで講頭さんから、「信心の根本は総本山、登山をさせていただかなければだめだ」といつもお聞きし、平成元年から始まった月例登山会には毎月のように参加しました。

 これによって、信心の基本を肝に銘じていったような気がいたします。平成元年母が初めて登山させていただいたとき、ちょうど竜の口の御難会の日でしたので、思いがけなく御影堂における法要に、御法主上人猊下の真後ろで参詣ができたのです。

 このときの猊下様のお声が、それからの母を支えてくださったのでした。総本山から戻って間もなく、父に、母が信心していることが判ってしまい、「家は禅宗だ、お前が他の宗教を信じることは絶対に許さない。もし信心したら離婚だ」と、すごい剣幕でした。

 結婚して50年、母は父に一度も逆らったことがありません。だんだん母は信心に消極的になってしまったのです。その年の御講の日、母が「お寺に行きたい」と父に勇気を出して頼みましたが、大反対して怒ったまま外に出た父は車にはねられてしまいました。

 母はこのとき、恐怖心で一杯になり、「あんたよりお父さんの方が大事、ごめんね」と私に言い、母は夫と娘の間で苦しい立場になっていきました。

 このような両親がいつも心配でしたが、私は御本尊様をお受けしたいと強く思い、家を出て、4年間願い続けた御本尊様を、御下付いただくことができたのです。

 しばらくして、信心より生活を優先させていた母に病魔が忍び寄りました。大腸ガンの宣告を受けたのです。手術を受けたのですが、あと半年の命とのことでした。母は、病気になったことで、前よりも信心を大切に考えてくれるようになり、朝晩の勤行も、お寺への参詣も積極的に行ってくれるようにもなりました。

 そしてついに、石にかじりついても平成6年の『六万名総登山』に参加したいと心に誓い、痛み止め・抗ガン剤を使いながら、3年間病魔と闘い、父の反対を押し切って離婚覚悟で、あの『地涌六万大総会』に出席することができたのです。

 この時の母は、お腹にたくさんの腹水を抱え、本当に命がけの登山でした。総本山より戻りすぐ入院し、それからどんどん衰弱し始めたのです。

 父は、母がいなくなる恐怖で血圧が異常に上昇し、少しでも興奮させると危険な状態でした。しかし私は、母が生きてるうちになんとか御本尊様を受けさせてあげたいと思い、母と共に、父に何とか二階に御安置できるように必死で頼み、11月1日母は無事に御本尊様を御下付いただくことができました。このとき、初めて父は御本尊様の前に座ることができ、母は夢のようだと感激しておりました。

 入信して7年、御本尊様のお力をいただいて、母を含めて6世帯の方々が御本尊様を御下付いただくお手伝いをさせていただけました。

 明けて平成7年、容態が急に悪化し死を感じた母が、絶対に大慈院に連れていって欲しいと私に頼んできました。私はいよいよ正念場だと思い、どんなことになっても母を日蓮正宗の葬儀で送らなくてはと、父や兄に私の話を聞いてくれるよう頼みましたが、「禅宗でする」と一歩もひきません。

 御本尊様にすべておまかせするしかないと思い、唱題をしようとするのですが、涙があふれ、身体が震え、なかなか思うように唱えられないのです。その頃お寺では、御住職をはじめ講中の皆様が唱題してくださっていました。

 いよいよ母が臨終を向かえようとするとき、母に遺言を書いてもらうため、姉は泣きながら母にペンを握らせました。「一人で書ける」と言って母は、自分のお葬式の願いを書いたのです。その夜、親戚一同が集まった時、母がスッとベッドの上で起き上がり、皆に遺言書を見せ、大慈院での葬儀を納得させて、2日後、入院時に御住職のお計らいでお寺よりお借りしたお守り御本尊様を胸に、御題目を唱えながらとても幸せそうな顔をして、大聖人様のもとへ旅立って行ったのです。

 母無き後の父は、毎週お寺に参詣してくれましたが、信心が大嫌いな兄に父を禅宗の寺に連れて行かれ、母に戒名まで付けられ、挙げ句にお骨まで持って行かれてしまいました。

 お骨はすぐに取り返せましたが、この一件で、代々続いた禅宗の罪障から抜けられない父を見て、母の苦しみを感じた私は、死んでも信心しないという父を絶対救っていただきたいとの思いで、毎日お寺で唱題を重ねました。

 さらに折伏活動も積極的にさせていただこうと、学会員の名簿と破折のための新聞を持ち、地区の皆さんと一緒に一軒一軒、回ったのです。

 あるときは、ドアに手を挟まれたり、罵声をあびせられたり、新聞をたたきつけられたりしましたが、お話していくほど、学会の方は怒り、私たちは心がうきうきします。何度も訪問するうちに、数人の方たちが話しを聞いてくれるようになり、平成8年には御住職のお力添えがありまして、3世帯の学会員の折伏をさせていただきました。

 母の三回忌が過ぎる頃には、父は母を失ったショックでまったく生きる力をなくしておりました。今こそ父に信心してもらうときだと思い、毎晩お寺の唱題会に参加し、早朝勤行にも通い始めて70日目を過ぎた頃、私の目にものもらいができて車の運転ができなくなってしまいました。すると父が自ら運転して朝早く、私をお寺に連れて行ってくれたのです。

 御住職はその都度、父に支部総登山に行くよう勧めてくださり、ついに大慈院の御会式の日、念願の御授戒を受けることができました。

 まもなくの支部総登山にも参加し、戒壇の大御本尊様の御開扉をいただいたときは最高の感動でしたが、父は御開扉の間、一度も手を合わすことができず、「南無妙法蓮華経」と唱えることもできなかったのです。

 昨年の2月頃から父の様子が一変し、訳の判らない言動・行動が続き、自分の家も娘のことも判らなくなり、老人性痴呆症と診断されました。でも、「御題目を唱えよう」と言うと、本当に素直に手を合わせ唱題します。姉や孫・曾孫と一緒に御本尊様に向かうときはとても楽しそうな顔をして、あまりお寺に行きたがらない父でしたのに、「皆と一緒に行く」と唱題会にも行ってくれるようになったのです。お寺にいると心が楽になるのか落ち着いていますが、家では片時も目が離せません。

 私は、父が良くなるには総本山に参詣させていただくしかないと思い、家族全員で3月末に登山いたしましたが、総本山から戻っても父の状態はますます悪くなる一方でした。

 言いたい放題、やりたい放題の父に、私も姉も振り回されてしまい、病気だと判っているのですが、私も疲れはてて父を叩こうとしている時もありました。毎日が辛く苦しいのですが、毎朝お寺へ勤行にまいりますと、御住職と奥様がいつも励ましてくださり、一日一日を乗り越えることができたのです。

 5月、父にとって3回目の登山をしたとき、父は初めて戒壇の大御本尊様に手を合わせ、御題目を唱えることができました。御開扉を終え、正本堂から出てきたとき、父の顔が元気だった頃の表情に戻っており、姉も私も本当に驚き、今までにも増して御本尊様の不思議なお力を感じることができたのです。

 そしてすぐ、禅宗の寺を離檀し、晴れて日蓮正宗の家になりました。今では父は、毎日お経を読み、御題目も大きな声で唱え、御講の参詣も素直に行けるようになったのです。本当に私にとって夢を見ているように嬉しく、これからも長生きして皆と一緒に御本尊様に感謝し続けてほしいと思います。
 『祈祷抄』に、
「白烏(はくう)の恩をば黒烏(こくう)に報ずべし。聖僧の恩をば凡僧に報ずべし。とくとく利生をさづけ給えと強盛に申すならば、いかでか祈りのかなはざるべき。」(御書630ページ) という御文がございますが、入信して10年、念願の家族への折伏を機に至らない私に仏力法力をお示しくださいました御本尊様に、これからの人生常に御奉公させていただきたいと願うばかりです。

 まだまだ唱題が足りないことを反省しながら、尚一層努力し、早朝勤行も自分で決めた1,000日間を目指して、大慈院支部の折伏誓願目標完遂のため、精一杯がんばりたいと思います。

 この度の客殿新築慶祝祈念大法要には父をはじめ、姉たち家族並びに以前折伏させていただいた方と無事参加できました。来る平成14年の『宗旨建立七百五十年』の佳節には、大勢の法華講員の方々と登山し、もって御法主上人猊下の御慈悲にお応えし、広宣流布のお役に立てる一人となれるよう成長していきたいと思っております。

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