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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

TEL 086-255-1155

岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

『転重軽受の大功徳知る』

妙祥寺支部 T. M. 

(H11.6.16)

 本年「出陣の年」を迎え、これからの3年間が平成14年・宗旨建立750年の30万総登山を決すると言われ、重要な闘いが開始されました。

 私は入信して40年、入講して20年になります。現在、1100世帯の妙祥寺講中を10のブロックに分けた1つ、東ブロックの婦人部ブロック長を拝命しております。

 我が支部では、土曜・日曜日の3時間唱題行のほか、婦人部は毎日、方面別の拠点に集まり、1時間の唱題行のあと、「右手に折伏、左手に育成」を合言葉に活動しております。

 広宣流布の闘いの要諦は「長の一念」と、私自身、毎日3時間の唱題を実践し、折伏をやり続ける中、過去世の深い罪障を出していただき、宿業転換させていただきました。

 この平成の大不況のなか、昨年より、水道設備工事業を営む主人は大きなマンションの給排水工事を三つ請けることができました。しかし、8月に従業員が一人辞めたこともあって、主人は仕事に追われ、お寺の行事に全く出られない状況が続き、私はこれでいいのかと悩んでおりました。

 昨年の秋より、資金操りが切迫しましたが、主人は私に相談してくれず、一人で悩んでおりました。

 2月になり、とうとう従業員の給料も滞り、また一人辞めていきました。銀行の融資も昨年受けたばかりで、もう枠がありません。2月16日の朝、「今日、金が出来なかったら、もう最後や。10年問コツコツやってきたのに。今日、支払えないと材料店との取り引きもストップする。駄目なときは家に帰らんから、子供二人のことは頼むな」と出ていきました。

 その様子から、もしやサラ金に行くのではと不安を感じました。主人はそのとき、私の友人の御主人を保証人にたてて、お店に契約しに行っていたのです。

 私は友人にすぐ電話を入れ、「御主人に電話して、私はお金を借りることを承知していないと言って」と電話口で叫んでいました。まさに、契約書にすべてサインをして、実印を押そうとした、あと一瞬のところで止めることができました。

 私は、すぐお寺へ飛んで行きました。借金だらけで倒産しては法を下げると思い、御住職に「ブロック長を辞めさせてください」と叫んでいました。

 御住職に「君は何か勘違いしているんじゃないのか。ブロック長である前に君はM君の妻であり、二人の子供の母親でもあるんだよ。信心して借金があったっていいんだ。近頃、御主人がお寺に来ていないから、気になっていたんだ。今晩、二人でゆっくり来なさい」と言われ、私の中で、見せかけの信心である見栄やつっぱりがすっと取れ、素直な気持ちになれました。

 有り難いことに、主人をお寺に連れて行こうと壮年郡のG方面長が仕事の現場に行ってくれました。私は御本尊様の前に座り、唱題して、主人の携帯に電話を入れました。

 いつもはつながらないのにすぐ出ました。「金ができん。苦しい。今から10階から飛び降りるからな」今までなら、ギヤーギヤー言う私が、優しく「うん、お父さん、私はお寺へ行くから、あとから来る?」と言うと「おお、あとから、行くわい」と答えたその会話が本当に不思議でした。

 夜、9時過ぎ、お寺の駐車場で、G方面長夫婦と待っていると、主人の車が来ました。後で聞いたのですが、お寺に行きたくないのに車がお寺の方へと向かって行ったそうです。

 御住職は、2時間じっくり御指導をしてくださり、主人は誰にも言えなかった胸の内を吐き出すように話しました。「僕は、本当はもっと早く来たかったのですが、そういう時にかぎって夫婦ゲンカをして『やめた』と思い、来られなかったんです。実は三つ請け負った仕事のうち一つの工期を短縮され間に合わなくなり、元請けの会社から、日当2万円の職人を6名入れられ、毎月365万円ずつの大赤字です。給料も支払いも全くできなくなり、材料もストップされました」と。

 御住職は「君は福運が切れたのだよ。その時、魔が一斉に競って来たのだ。自分の考えや智慧ではなく、御本尊様に一切お任せするのだ。お金がないなら、諸天善神をゆり動かしていくのだ。平成14年に向かって闘うときがきている。今、苦しんでいるのは、全部、自分の過去世の姿だ。その因縁、罪障を御題目を唱えて、破っていくのだ」と温かく御指導くださいました。

 翌朝、私が「主人が朝、5時に起きて勤行して行きました」と報告するやいなや、昨夜と違って、御住職は烈火のごとく「主人を見るな。あんな人のいい主人をあそこまで苦しめたのは全部君なんだ。御主人は心の病だ。この状態を抜け出すのは、並大抵じゃないよ。たった今から、御本尊様だけを見ていくのだ」と御指導くださいました。

 このとき、私の過去世の罪障なんだと気付かされ、本気で悩めるようになりました。

 もともと貯えもあまりなく、生活費は底をついていました。子供二人がインフルエンザにかかり医者に診せるお金がありません。市販の薬を飲ませ氷枕をして、必死で御題目を唱え続けました。子供も高熱でうなされながら御題目を唱えています。

 この物の豊かな時代に私たち親子は飢えて、病気になっても医者にもかかれない。御本尊様、罪障消滅させてくださいとただただ唱え続け、思わず大声で、「病魔よ、出ていけ」と叫んでいました。

 朝方、子供が「お母さんの大きな声で目が覚めたよ」と言いました。熱は下がっていました。食費に100円・200円と使っているのを見て、子供たちが、「お母さん、今日から僕たちのおやつはいらないよ」と言ってくれました。子供の明るさと素直さが救いでした。そんな中、私は毎朝のように折伏・育成にと闘い続けました。

 3月に入り、最後の従業員もいなくなって現場は回らなくなりました。「お父さん、仏様を信じていこうよ」と言うと、主人は「うるさい、信心して銭が出て来るんか。おまえ、まだ諦めんのか。おれと別れた方がいいやろうが。離婚届を取ってこい」と、あれ程優しかった主人がまるで別人のように言うのです。私がこの10年間主人を軽んじてきた結果なのです。

 15日、御尊師に御指導を受けました。「主人が全部、放棄しました」と言うと、「すべて放棄したいのは、君の生命なんだろ。今、一番苦しいのは御主人だよ。なぜ、一緒にドロを被らない。誰もいないのなら、君が現場に行って手古をすればいいじゃないか。主人の仕事がどうなるこうなるじゃない。成仏すればいいじゃないか。御本尊を信じるんだ」と。

 私は、本堂の御本尊様の前で涙が溢れてしかたがありませんでした。ああ、そうなんだ。私は誰よりも、このすばらしい御本尊様の功徳を主人に味わってもらいたかったんだ、成仏すればいいんだと。

 仏様に心よりお詫び申し上げ、一心に信じて唱えていると、あれ程苦しかった、寝ても骨が砕けるような、肺がヒューときしむような苦しみが、一瞬で消えていきました。食事もその日以来、のどを通るようになり、主人のどんな態度を見ても、ニコニコ笑っていられるようになりました。

 3月26日、元請けの社長より「明朝10時、会社に来るように」との電話がありました。いよいよ最後の話し合いです。同業者には、「元請けというのは下請けを踏み台に大きくなるものだからね」と言われました。

 御住職に報告すると、「あとは、御題目だ」とおっしゃいました。悔いが残らないように、その日は仏様に一切をお任せして、朝まで唱題しました。1時間半の仮眠を取り、目覚めた瞬間、不思議にも一切の心配や不安も消えて、周りはまるで別世界のように輝いていました。寝ていないのに、鏡に写った自分の顔は輝いていました。

 社長室に通され、主人は「御迷惑をかけました」と土下座しました。私も一緒に頭を下げました。それから2時間、社長の口から、ただの一度も、金を返せの言葉はないのです。

 どうしたらM設備工業がもうかるか、今後どうやっていくかの話ばかりでした。しかも、借金で困っているなら、自分が保証人となって、半年後に銀行でオール一本化で資金を融資すると言って、ストップしている材料店にも口をきいてくれ、「心気一転、がんばれ」との話でした。

 まさしく、諸天の加護です。家に帰り、すぐ御本尊様に感謝申し上げ、「お寺に行こう、今何時かな」とテレビをつけると春の甲子園が映っていました。その瞬間、私はなんてすばらしい春なんだろうと思いました。

 この三カ月、冬の寒さも感じず、甲子園が始まる春が来たことも知らずに朝も昼も夜も、信心に夢中になってたんだと。

 私は6歳の時母に捨てられました。学会を脱会し、25歳の時に入講以来20年、妙祥寺の女子部・ヤングミセス部・婦人部と経て、広宣流布のお役に立っていきたいとの一心で、今日まで及川御尊師の薫陶を受けて来ました。

 思えば母が私を捨てた年が、今の私の年なのです。不思議な因縁を感じると共に、私は救っていただいたんだ。罪障消滅していただいたんだと感謝の念が涌いてきました。

 私は、幼い頃より、幸せというのが何か判りませんでした。私は幸せになりたくって信心したんじゃない。偉大だという御本尊様を知りたかった。大聖人様の仏法をこの五体でつかみたかった。人間として生まれてきた喜びを味わいたかったのです。

 御住職にすべて御報告申し上げると、「さあ、あとは折伏だ。思う存分、闘っていこう」とおっしゃいました。

 翌日、方面のSさんのお父さんが肺ガンで、あと1カ月の命とのことで、さっそく竹田市へ飛んでお父さんを折伏し、その日のうちに謗法払いをして、2年前に御授戒を受けていたお母さんが、妙祥寺に詣でて、御本尊様をお受けしました。

 今まで唱え続けた御題目の功徳を、折伏の時に感じることができました。そして折伏の体験を講員さん一人ひとりに積ませてあげたいと祈れるようになりました。

 御法主上人猊下は、今年1月の唱題行の終わりに当たって、「かぎりなく境涯ひらく題目を常にとなえつ広布目指さん」とお歌を詠まれました。

 さあ、中九州地方部の皆さん、支部を興隆させるもさせないも、今日集い合った私たちの一念の中にすべてあります。御指南である「一人が一人の折伏」を、「よし、やっていく」との心意気で、勇猛精進していこうではありませんか。

 「来たるべき宗旨建立750年に当たり、30万総登山を名実ともに必ず成就なさしめ給え」と一心に祈り続け、御法主上人猊下のもと、集ってまいりましょう。

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