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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

『寝たきりの父と共に報恩感謝の日々』

本修寺支部 I.  M. 

(H10.10.16)

 皆さん、おはようございます。今日は、父の介護を通じて得た折伏の悦びを、一生懸命、お話させていただきたいと思います。

 私の家は、平成3年5月に創価学会を家族6人揃って脱会し、法華講に入講いたしました。そして家族揃っての御登山が叶うようになりましたが、入講して3年目、転機が訪れました。

 平成6年3月20日、父が家で脳内出血を起こし、救急救命センターへ入院しました。一命を取り止めましたが、医師より「一生寝たきり」と言われました。心臓が弱く10数年前から何度も発作を起こしていた母は、ショックと看病疲れから入院し、7月23日の早朝、亡くなりました。

 どんなにつらい状況の時も、馬鹿がつくほど素直で正直な、入院中も安心立命として折伏を欠かさず、真っ直ぐな信心を貫き通した母の臨終の顔は半眼半口で、まさに御書の通りに、色は白く、体も柔かく、若返り、帰宅した時には、御本尊様の元に帰れたうれしさから、いつの間にか笑顔になっていたのです。

 地涌六万大総会に行く承諾を病院からもらい、出発直前に亡くなったにもかかわらず、母の臨終の相は本当に晴れやかでした。母の死後、従兄妹や伯父、伯母たちが次々と学会葬で送られることに出会い、私は亡くなった方と対面すること等がありましたが、この母の臨終の姿は、日蓮正宗の正しさ、女人成仏の功徳を教えてくださるものでした。

 そしてまた母の臨終は、父への介護のきっかけになりました。私の父は、正直に申し上げるならば家庭を顧みず、その鬼畜のような振る舞いに、何度「父を殺して私も死のう」と思ったか判らないほどひどい人間でした。入講して父が変わり折伏するようになっても、私は素直な心からの信心ができませんでした。

 救急車を呼ぶ前など、一瞬「あんな家庭を苦しめ続けた父など、死んでしまえばいい」とさえ思いました。しかし、母は亡くなる前に「愛するお父ちゃんへ」という手紙を残し、御題目で結ばれた夫婦の不思議を教えてくれました。

 そして私は否応なしに、実家の役割りと、お母さん代わり、病院・役所の手続き等、父の世話一切を引き受けることになり、素直に信心できなかった罰で、筆舌に尽くし難いつらい3年間を過ごすことになりました。
  『妙心尼御前御返事』の
「病によりて道心はおこり候か」(御書900ページ) の御金言のごとく、父が変わっていく姿を見て、父を本当に許し、学会の魔の手から守ってくれた父に感謝の念と、「行いの悪かった父に何としても、御本尊様のもとで御題目を唱えて罪障消滅し、母のように成仏してもらいたい」と慈悲の心が起こるようになりました。

 人の振る舞いばかり見て、家族で一番信心をしなかった私が、やっと御本尊様の前に少しずつ座れるようになりました。これを縁として、「絶対に信心を辞めさせる」と言っていた婚約者を折伏することができ、さらに父を許せなかった彼も、入信したことにより、今では私と同じように「お寺へ行けるのも、お父さんのおかげですよ」と父に告げ、感謝の気持ちで、兄妹よりも一生懸命、尽くしてくれるようになるという功徳をいただきました。

 たった一人で介護することに不安もありましたけれど、「父にどうしても家で御題目を唱えてもらいたい」との一念で、「20代で結婚前のあなたに介護なんて無理」との周囲の反対を押し切りアパートの1階へ引越し、住宅改造もしました。リハビリをしてくれる病院を探し、3年半のリハビリを経て、平成9年10月1日、右半身麻痺に気管切開をし、言葉と目の障害に、ミキサー食に車イスと、たくさんの障害を抱えた父との在宅生活が始まりました。

 大変ながらも、念願叶って御会式等の寺院参詣、支部総登山に初登山と、父にとっては4年振りに2度の登山も叶い、うれしくて涙が止まりませんでした。座っているだけでリハビリになる父が、5時間・6時間と車イスで毎日唱題に励むのです。大日蓮や、大白法も真剣に読んであげられます。私は本当に幸せでした。

 ところが在宅して4ヶ月後、脳梗塞というたくさんの爆弾を抱えていた父は、節分会から帰宅後、再び脳内出血により入院しました。御秘符をいただき命は助かったものの、ある程度自立していた前とは違い完全な寝たきり状態となりました。意識がはっきりしているのは救いでしたが、体はほとんど動かず、水さえ飲めなくなり、話しをするとき口に装着する補装具も使えず、片言のおしゃべりはおろか御題目さえ唱えられなくなりました。

 再発は覚悟していたつもりでしたが、こんなに早いとは思わず、それまでのつらかったことが次々と胸に押し寄せ、父が居たときのように打ち込めず、信心が疎かになってしまい、私は悲しみに暮れていました。

 そこへ、4月に従弟に当たる御僧侶より、三世の大願と言われる補任式にお招きいただき、参加させていただくことになりました。この御報恩には折伏しかないと奮起し御祈念していると、その御登山前に不思議と突然、私の以前の家と同じように、家庭を顧みない御主人に悩んでいるSさんが現れたので下種することができました。

 また、母の葬儀で6万総登山には行けなかった私も、10万総登山には婚約者と無事に御登山できました。

 そのころ父は、もう在宅介護は無理だと言われ、同じ法華講で親代わりをしてくれている、埼玉の叔母は私をとても心配してくれていました。そこで彼とも話し合い、来年の結婚を決め、病院を探してもらっていましたが、なかなか見つかりません。

 私は「お父ちゃんの分もがんばる」と父に告げて夏期講習会に真剣に臨み、丑寅勤行の折に「広宣流布のお役に立てる人間に成長させてください。どうかSさんを、折伏させてください」と、これまでになく強く祈り、父に良い病院が見つかるよう御祈念しました。

 下山した次の日のこと、父の在宅介護を諦めきれない私のもとに、在宅介護支援センターより、協力するとの朗報が入りました。1週間後、往診・訪問看護・訪問歯科・リハビリ指導と、以前と同じサポート内容で、大聖人様が『立正安国論』を奏進あそばされた7月16日に、父はまた我が家の御本尊様のもとに帰ってくることができたのです。

 交替する人もなく、今度は24時間体制で老犬性痴呆となった愛犬と、胃に管を通し、床ずれもある、寝たきりの父と二重の介護で、睡眠も短く、布団で眠れない厳しい状況でしたが、父と信心できる悦びがありました。

 このような中、お寺の御本尊様へ渇仰恋慕の心が生まれ、お寺の御本尊様に「介護で家をあけられません。お寺の朝の勤行に来るのがやっとです。どうか御報恩のためにSさんを折伏させてください」と願っていると、父が帰宅して2日目の夜、彼女は悩みを抱え、2人の子供を連れて家に来てくれたのです。

 「折伏をしたい」と願う父の前でこれまでの私の家のこと、本当に幸せになれることを一生懸命話しました。そのとき、父の折伏への願いは叶えられました。父は声は出ないながらも、一心に御題目を唱えながら、その姿をもって「無言の折伏」をしたのです。

 次の日、お寺の奥様にも折伏していただき、講中の方が温かく尽力してくださり、不思議なことに、彼女と2人の子供は7月23日、私の母の祥月命日忌に御授戒を受け、御本尊様を下付していただき入信することができました。

 彼と、お寺へ行けなくなった父にとって初めてのお盆行に、お寺よりお所化さんが御足労くださいました。先祖供養をしていただき、温かい励ましと御法話をいただくこともでき、父は涙を流して喜んでいました。

 このとき、彼が私と一緒に、生まれて初めて仏壇と仏間の掃除をしてくれました。その姿を見て、法統相続できた喜びで父は本当にうれしそうでした。

 そして8月31日、菌が出たため再度入院。潰瘍が破裂し、危険な状態でしたが御秘符をいただき小康を得ました。今、父は心の中で一生懸命、また御本尊様のもとへ帰りたいと、唱題しながら病と闘っています。

 9月3日、長年の夢が叶い、以前御授戒だけ受けていた彼も、悦びをもって御本尊様を御安置することができました。そして、「また折伏させてください」と祈っていると、9月5日、父が昔折伏した、父の弟にあたる叔父から20年振りに「会社が倒産したので助けて欲しい」との連絡が入りました。

 聞くとまだ学会に籍があるというので、兄妹で協力して折伏しました。叔父は次の日の朝、勧誡を受け、兄たちが主体となり育成に励んでいます。

 相手の幸せを心から願い、強い一念をもって願っていくならば、御本尊様は折伏を必ず叶えてくださるということを教えていただきました。妹夫婦は赤ちゃんを連れて毎日、朝・晩お寺の勤行に行きます。週末になれば兄夫婦も赤ちゃんを連れ参詣します。お山で、お寺で兄妹や、叔父や、叔母一家に会え、共に折伏にがんばり祈り合える幸せをかみしめています。

 そして、いつも「謙虚に明るく御題目を唱えなさい」と温かく迎えて指導してくださる御住職様と奥様と、責任感に溢れる3人のお所化さん。ちっとも偉ぶるところがない講頭さん・区長さん・班長さん、折伏を皆、自分のことのように「良かったね」と喜び合える講中。菩提寺に縁することにより、あんなに真っ暗だった家が、こんなに明るく幸せになれました。

 あの苦しさの中で唱題する父には本当に励まされます。寺院参詣・御登山が叶い、折伏に歩ける五体満足の私たちは、折伏に動けない訳がありません。今では、法統相続してくれた両親と、親代わりの叔母に感謝しない日は1日もありません。

 これからも、平成14年・30万総登山目指し、折伏・育成・未来の法統相続・一家和楽の信心ができるよう、がんばってまいります。

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