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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

四十九院申状(現代語)

 四十九院申状
【四十九院の概要】
 四十九院は、駿河国蒲原(かんばら)にあった天台宗横川(よかわ)系の寺である。
日興上人が幼少のときここで修行され、大聖人の身延入山後、熱原(あつはら)一帯の折伏の拠点となった。
 この寺の中心者は、厳誉(ごんよ)とされるが、日興上人著の「実相寺大衆愁状」に出てくる厳誉と実相寺第四代慈遍とは同一人物であるとも、また厳誉が慈遍の次の住職であるの説もあるが定かではない。

【作成の背景】
 弘安元年(1278)3月、駿河の国蒲原の庄の四十九院の僧であった日持・承賢等が、寺院の事務執行代表者である厳誉によって、寺から追い出されたことに対して鎌倉幕府へ訴え出た訴状が四十九院申状である。
 当時、日興上人等は日蓮大聖人に帰依し、四十九院を拠点として富士方面への折伏弘教を展開していた。
 これを憎んだ厳誉は、法華宗を外道邪教としてその住坊や田畠を奪い、寺から追い出そうとした。
 これに対し日興上人等四人は厳誉の横暴非道を責め、大聖人の仏法の正義を明らかにして公場対決を求めるため、この申状を幕府に提出した。

【本文の現代語訳】
第一章 厳誉の法華誹謗の非道を明かす
  駿河の国蒲原の庄にある四十九院の供奉僧らが謹んで申し上げる。
 寺院の事務執行代表者である二位律師厳誉が、日興ならびに日持・承賢・賢秀らが学んでいる法華宗を外道大邪教と名付け、長年住んでいる住坊ならびに田畑を奪い取り、寺内から追い出したのは正当な理由のないことであり、この詳細を申し上げる。

第二章 日興上人等の主張を述べる
 右は釈尊一代聖教の中では天台大師を師と仰いでいる。釈迦如来五十年の説法では法華経をもって真実とする。
 これは、すなわち諸仏の本懐であり、そもそもまた多宝の証明しているところである。
上一人より下万民に至るまで昔から帰依され、今も日に日に渇仰されている。
 しかるに、厳誉の書状には「四十九院の中に、日蓮の弟子らが居住しているとの風聞がある。
彼らの仲間は仏法を学ぶと言いながら、外道の教えと同じであり、正見を改めて邪義の教えを信奉している。
これはとんでもないことである。寺内の僧侶たちが評議した結果、寺内に居住させるわけにはいかないことになった」とある。
 これによって、日興等たちまちに長年居住してきた住坊を追放され、すでに祈祷の機会、仏法修学の道を失ってしまった。
 法華の正義をもって外道の邪教と称するのはいずれの経、いずれの論文によるのだろうか。諸経は多く存在するといえども、法華経を外道邪教としている経文は見たことがない。
 法華経のなかで諸経を破折した文はあるが、諸経のなかで法華経を破折した文は全くない。
 結局のところ、已今当の三説をもって法華経以外の諸経を方便として破折するのは日蓮大聖人が勝手に言っていることではなく、これらはすべて釈尊がこの世に出現されて述べられた金言である。

第三章 厳誉との公場対決を願う
 ここに真言及び諸宗の人師らが、大乗・小乗の浅深を分別することができず、権教と実教が雑乱していることも知らず、あるいは勝れた教えをを劣っていると称し、あるいは権教を実教といったり、意樹に任せて砂草を造るという愚を犯している。
 その結果、権教権宗の愚癡の人師たち、才能乏しい連中が、経々に明確に説かれている正説を尋ねようともしないで、師資相伝の口決を妄信して、秘密の法力を行ずるといっても真実の証はない。
 このために天や地は災いを示し、国土はこのために災難が多い。しかし、それは仏法の邪と正を正さず、僧侶のなかで賢い人、愚かな人を撰んでいないからである。
 それ仏法は王法すなわち国王が敬うことによって威力を増し、王法は仏法の擁護によって長く続くのである。
                                                                             正法を学んでいる僧を外道と称する道理は当を得ていない。
 外道であるか外道でないかを早く厳誉律師と召し合わせられ、公場で真偽を明らかにしていただきたい。
第四章 安国論の意に基づくことを述べる
 それと共に、去る文応元年に、師匠である日蓮聖人は仏法の廃れているのを眼前にして、未来の災難を見通し、諸経の文を調べて、一巻の書を造った。
立正安国論である。はたせるかな、他国から攻め来る難が起き、予言されたことがぴったりと合ったのである。
未来の出来事を知る人を聖人というべきであろう。大覚世尊は霊鷲山・虚空の二処で三度の法会で、法華経迹門と本門にわたり、八年間の法華経の説法をとおして、三重の秘法を説ききわめられた。
しかしながら、釈尊の滅後二千二百二十余年の間、インドの迦葉・阿難・竜樹・天親等の大論師、中国の天台大師・妙楽大師、日本の伝教大師等は、内心ではこの秘法を知っていたが、外に向かっては伝えず、第三の秘法を末法のために残されたのである。
これは、ひとえに末法の闘諍堅固の時代のはじめに、他国が襲来する難がある時、全世界の中で大合戦が起こった時に、国主がこの第三の秘法を用いれば、兵乱に勝つことのできる秘術である。
このことは経文の上にも明らかであり、その説くところの法は明白である。師の日蓮聖人といい、われわれ門下といい、国のため・世のために尋ねられ、その言うところをお聞きになるべきである。
ここに、その願いを嘆願書として整えて上呈するものである。
                                     承賢
                                     賢秀
                                     日持
                                     日興
       弘安元年三月 日
 


 
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