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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

三人の王子

その昔、釈尊が王舎城の霊鷲山にあって多くの人々を集めて説法していた時、次のような話をした。
ある時、閻浮提の大国に一人の王がいた。その王は威厳と勇猛と策謀とをかねそなえた名君だったので、周囲の十六の小国はみなことごとく傘下にあり、この王を王の中の王として尊敬していた。 王の名声は、旭日にも比すべきものだった。
しかし、閻浮提の名誉と富と権勢とのすべてを、その手中におさめつくしたほどの王でも、病気にだけは勝つことができなかった。そして王が、いよいよ死するべき時が来た。
むろん王みずからも最後の日が刻々と近づきつつあることを、知っていたので悲しく思うことはなかった。
しかし、ただひとつ自分の亡きあとの王位継承の問題だけが王の心を悩ましていた。
王には三人の王子がいた。けれども第一の王子は頼りなく、第二の王子は病弱だった。第三の王子は聡明で勇健、博学で策謀の持ち主でもあり文武をかね備えた素質に恵まれ、王の後継者として何一つ不足はなかったが、ただ第三番目の王子であることと、いまだ年少であることが難点だった。
しかし第一と第二の両王子が前に述べたような事情であったので、王の意中には常に第三王子を自分の後継者にできないかという思いがあった。
王の病勢は日増しに進んでいった。そこで三人の王子はもちろん、百人の大臣、大勢の夫人などの近親者や臣下のことごとくが王の枕もとに集まり、王を仰ぎ見ては深い憂いに沈み、さらにやがて来たるべき最後のときに心を痛めていた。
その時、王は大臣達に向かって、静かに口を開いた。
「わたしの臨終もいよいよ近づいてきた。ついては王位継承のことであるが、お前たちは三人の中でだれが最も適任と思うかを遠慮なく言ってはくれまいか」
これは集まった人々にとっては、だれもが予期していた問題だった。
しかし三人の王子のそれぞれの事情も充分に知っているので、容易には王の問いに答えるわけにはいかなかった。
「王よ、王位の問題は先ず王の思召しによるべきであると存じます」
大臣達は異口同音にこう答えざるを得なかった。 しかし王はその大臣達のことばを押し止めて、重ねてこう言った。
「わたしに一任すると言うのか。それはいけない。わたしが亡きあとの政道、治国の方策、覇王の事、それらの問題を死んでゆく者に一任してどうなると思うか」
そこで大臣達は、重い口を開いて言った。
「王よ、王が平等のお慈悲をもって三人の王子に望まれておられることは、わたしどもがみな存じております。しかし、このうえ王のお心をお苦しめ申すことは臣下といたしまして、いかがと存ぜられますので、思うところを率直に申しあげさせていただきます。王よ、すなわち王の後継者には第三王子が最も適任者かと思われます」
この答えに王は大きくうなずいた。そして大臣達はおのおの退席していった。
時に王はこの時宮殿にいたのだが、大臣達との応答で疲労を覚え、三人の王子に命じて床の上に身を横たえさせた。
第一王子は父王の頭を抱え、第二王子は足をささえ、第三王子は手を取った。
王はこうして三人の王子に助けられながら、病床につくと、まもなく最後の息を引き取った。
王の死は電光のごとく国の内外に伝わった。他国の大臣は泣きながら駆けつけ、夫人達は涙にくれて身を地上に投げ出し、群集は王宮の前に集まり涙の袖をしぼった。
しかし、王の死を最も悲しむ者は、いうまでもなく王子たちであるべきはずだった。むろん第三王子は父の死に直面して、悲しみのあまり五体を投げだして悶え苦しみ一時は気絶したほどだった。
ところが、第一王子はただ黙っていて涙一つこぼさなかった。
第二王子も父の枕もとに坐り、わずかばかりの涙を流しただけだった。
同じように王の血をうけた三人の王子の父王の臨終に際しての三様の情景は、大臣達に異様の感を起こさせた。
中でも宰相は異常に目を見張った。宰相は亡き王の叔父にあたり、王在世中は最高顧問として国事をすべて行なっていた。
その宰相が三人の王子のさまざまなこの場のありさまを見て、彼らの意中はまちまちであると見てとり、まず第一王子に問うた。
「王子よ、王はただいま亡くなられました。大臣達もみな涙にくれております。ところが第一王子たるあなたが涙一つこぼされないで黙って座っておられるのは、いかがかと案じられますが」
「宰相よ、人がなんであろうが世の習慣がどうであろうが、わたしには無関係のことである。すなわち、わたしは父とはなんの因縁もない者であるからだ。第三王子だけが王子なのだから、わたしたち二人はいわばお客さま同然の者だ。ただ父としばらく一緒に住んでいたというにすぎない」
この第一王子の常道を逸した答えに宰相は怒った。
「なんと仰せられます。御父王亡き後は第一王子が当然王位を継ぐべきではありませぬか。また第一王子に差し支えがあれば、その時は第二王子というのが当然の順序であります。しかるに第三王子だけが王子であるなどとは、もってのほかの仰せでございます」
そしてこの話を傍らで聞いていた第三王子も、第一王子の足に抱きついてこう言った。
「兄上、わたしはまだきわめて幼少の身であります。したがって王位につくなどとはもってのほかであります。わたしはさようなことは考えてもおりません。兄上が王位につかれるのが当然すぎるほど当然なことであります。どうかこの際、面倒なことを仰せられずに王位継承をしていただきたく、わたしからもあらためてお願い申しあげます。」
しかし、第一王子は冷やかに言った。
「わたしに王位につけといっても、それは結局不可能なことだ。なぜなら父は臨終のまぎわに、王位継承の勅命をお前にくだされたのだ。わたしたち二人は父から見はなされ、また大臣達からも遠ざけられているのだ。このうえ、この王宮にとどまっていてもなんの役にもたつわけはない。それゆえ今日以後は深山にわけ入り、仏法の道を求め、精進の一途をたどりたいと思っているのだ」
こうして二人の王子は、泣いてとどめる第三王子の手をふりはらい、ただちに宮殿から立ち去った。
そして、この世の望みを捨てて深山の奥にわけ入り、仏法の道を求めて一心に精進に励んだ。
そのためまもなく彼らは、神通力を得ることができた。すなわち彼らは、山を移し流れを止め、手をもって日月をひき寄せるという驚くべき神通力をしばしば自由に示現することができるようになった。
さて第三王子は、涙のうちに王の葬式をなし、王位を継いで多くの国々を支配した。
そして、その後四十八年の永き間は、王の後継者として立派に国政を守った。そのため第三王子の威厳はあまねく国の内外に広まった。
ところが、その四十八年が過ぎると、だんだん貪欲の心が王に起こり、人民からの信望は失われ、やがて王宮はいつしか万民の恨む所となってしまった。
そして、もろもろの小国の王や第三王子を擁立した大臣達は、第三王子によって期した国運の伸張が、いまや夢と化してしまったのを自覚せざるを得なかった。
そして彼らはいたく失望し、その反動として何かにつけて思い出されるのは、深山にわけ入ることを余儀なくされた二人の王子のことだった。
二人の王子はその後、仏法の道を求め、ついに神通力を体得して世にも不思議な驚くべき通力を現わすということを折にふれて耳にもした。
かくして第三王子にたいする大臣達らの失望が、二人の王子に対するあこがれへと変わっていった。と同時に、当然二人の王子を再び国王に迎えようという運動にまで発展していった。
百人の大臣は会議を開いた。そして、その結果は次のようにまとまった。
「二人の王子は王位にたいしてきわめて淡泊でした。この執着のない性質、貪欲を離れた性格が、二人の王子を悟りの境地へと導いたのでした。われわれはかつて無知であったために、聡明な王子を愚かな者だと思い、貪欲な王子を賢聖だと考えたのです。しかし過ぎ去ったことは今さらなんといってもしかたがありません。ただこのうえは山に入り、二人にお願いして帰国をすすめて王の位についていただき、重ねて神通力の威光により諸外国までも率いてもらおうではないか」
大臣達の会議には一人の異議者もいなかった。
そこで百人の大臣は手に手をとって深山にわけ入り、あちこちと二王子を探したあげく、ついに今は悟りを開いた二王子に出会った。
彼らはひざまずいて願った。
「われわれは愚かな者でありました。いままでお二人の賢聖を知ることができなかった結果、国家は欲王のために、荒れはててどん底に陥りました。多くの人民は憎怨の声を放って国外に逃げ去り、耕された田畑は原野と化し、このままでは国家は滅亡のほかありません。どうかわれらの過去の無礼をお許しくださいまして、国家のためにご帰国あって王の位についてください。そして広大なご慈光により、亡き父王のむかしの国家に立ちかえらせていただきとう存じます」
しかし、二王子は首を横にふった。
「わたしたち二人は、王位にたいする欲望などは少しも持っておらぬ」
「ごもっともでございます。しかしながら国家の現状をお考えくださいましてお慈悲を願わしゅう存じます」
「いや、わたしたち二人はこの深山の骨となることを深く決心しているのだ。お前たちがなんと言おうとも無駄である。今は国家にたいする愛着すらもない。したがって帰国して王位につくわけにはいかないのだ」
かくして悟りを開いた二人の王子の決心は、いまやだれの力でも動かすことはできなかった。
百人の大臣の希望は、叶わなかった。けれども、さりとてむなしく国へ帰ることもできない。なぜならそこには、今もなお食欲な王が頑張っている国へ帰ったとしてもむざむざ殺されるかもしれない。それよりはこの深山にとどまって仏法の道を求め、けがれ多き浮世を捨て清浄で閑寂な生活に入った方が賢明である。
かくて同じ思いの百人の大臣は、ひとり残らず深山にふみとどまることにした。そして浮世を捨て魂をうちこんで精進した結果、やがて彼らも神通力を得るにいたった。
ところで貪欲な王も大臣達や国民に見捨てられ、国家の荒れ果てた様子に気づいて深く心に恥じた。そして彼もまた王位を捨てて出家し修道する決心をした。
そこでまず、父王から伝えられた王宮の扉を開いて大布施を行ない、「すべての宝物はだれでも自由に持ち去るべし」と城下に布告した。
けれども時すでに遅く、多年の悪政は国王としての福徳を軽くしていたために、外国からはしばしば国境を侵され、寒暖の時節は狂い風雨は時によらず、人民は飢餓に滅するという悲しむべき状態にあった。
そこで食欲な王はひとりの修行者に請うて国師となし、最高顧問として政道の建て直しを試みた。同時に正法に対する修行の功徳も積み重ね、善を推奨し悪を罰し、道を敬い徳を尊び、人民を見ること赤子に接するように至誠をもって国運の回復を計った。 このためようやく諸天の加護も増して、風雨時節も常道にかえり、五穀は豊かにみのり、人民は再び安楽の生活を享楽し、もろもろの小国もまた臣節をつくすようになったということである。
(七佛八菩薩所説大陀羅尼神呪経第三)

【解説】
七佛八菩薩所説大陀羅尼神呪経は、大正新脩大藏經で密教部に属している。訳者の項目に「晋代譯失三藏名今附東晋録」とあり不詳となっているが、中国で新たに編纂された経典である。この経典の別名を「妙見神呪経」といい、中国の道教の影響をうけて、北極星(北辰)が神格化された妙見菩薩について説かれている。「妙見菩薩」とあるが、菩薩界ではなく天界に属するものである。 内容は、神通力や陀羅尼が数多く登場して密教の特色を有している。


 
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