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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

TEL 086-255-1155

岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

間違った教えの恐ろしさ

このように聞いた。
ある時、仏は五百人の比丘たちと舎衛国の祇園精舎におられた。
舎衛城の中に、一人の婆羅門がいて、三経に通達し、五典を極めていた。
大臣たちが教えを請い、弟子は五百人あった。
上首の弟子に、名を鴦掘摩(おうくつま:本名はアヒンサといい、俗名のアングリマーラの音写である。意味は指の髪飾りを表す指鬘(しまん)である。原本では「鴦掘摩」と「指鬘」が混在しているが、以下「指鬘」に統一する)という者がいた。
体格も作法も立派で、力は通常を超え、手は鳥のように素速く動き、走れば駿馬よりも速く、聡明で智慧と弁才があり、性質は優しく穏やかで、道理に通じて疑問とする所はなく、顔も美しいので師には特別にかわいがられていた。
師の夫人を欽敬(きんけい)という。夫が家を出るのを待って、指鬘の所に往き、こう言った。
「美しい顔だこと。この立派な身体。年もわたしと変わらない。一緒に楽しまない?」
指鬘は、これを聞いて恐ろしくなった。そして衣をなおして立ち上がり、跪いて答えた。
「夫人は母も同じであり、師は父も同じです。そのようなことは道に背きます」
師の夫人は言った。
「飢えた者には食物をあたえ、渇いた者には水をあたえて道に背く?寒いときには暖かい衣を施し、熱いときには涼しい木陰を恵むことが道に背く?裸の者には着る物をあたえ災難に遭った者を救うことが道に背く?」
指鬘は答えた。
「急な病人を助けたり、食べる物もない人を救うのは道に背かないけれど、夫人は母であり、師が重んじておられます。淫らなことをして色欲の虜になり罪を犯して良いはずがございません。毒の衣を付けた蛇ややもりのようなものです」
師の婦人は、これを聞き、恥をかかされたと恨みを懐き、自室に帰ると、自分から衣裳を引き裂いて、ウコンのような黄色い顔で寝台に倒れ臥し、哀しみに包まれたように装った。
時に夫が帰ってきた。
何があった?何か善くないことが起こったのか?誰かが触ったり、もてあそんだのか?」
夫人は嘘をついて訴えた。
「あなたが常に褒め称えている聡明で柔和で礼儀正しく、全く欠点のないあの弟子です。あなたが、留守にしたのを知って私をほしいままにしようとしましたが、私が従わなかったのです。こんな辱めを受けては起き上がる気力もありません」
師は、これを聞いて失意に落ち歎いた。そして心の中には怒りがわき起こった。
「鞭で打って罰を加えてやろうか、どのようにして淫らで乱暴な性格をこらしめてやろうか。思うにあの男は力で屈伏するような者ではない。何もしないで黙っていれば道から外れる。夫婦の寝室を汚し、上下の秩序を壊すようなやつだ」
このように考えながらウロウロしていた。
ようやく絞り出すように言った。
「よし、奴には内緒で、常とは逆の事を教えてやろう。百人の人間を殺せと言ってやろう。一人殺すごとに、その一指を切り取って糸に連ね、額に垂して飾らせてやろう。殺人の罪は、罪の中でも最も重いものだ。鞭で打って酷い目に遇わせなくても、必ず磔の刑になるだろう。 死罪になり、死ねば地獄に堕ちる。誰がほっておくものか。いくらでも酷い目に遭わせてやるぞ」
そこで師は、指鬘にこう教えた。
「おまえは、聡明であり、もう十分に学んだ。私の学問を隅々まで理解して、おまえを超えるものは誰もいない。ただ、一つのことを残すのみである」
指鬘は、一歩前に出るとこう言った。
「どうか、それを教えてください」
師は言った。
「速やかな方法がある。利剣を手に持って、夜が明けたら四方に通じる大通りで、百人を殺せ。一人殺すごとに一本の指を切り取り、それを糸に通して飾りのようにするのだ。中天までに百本の指を集め、一本も欠かすでないぞ。 言われたとおりにすれば、おまえの修行は完成することは間違いない」
そして、剣を指鬘に授けた。
指鬘は、剣を受けながら聞いた教えに、驚き怖れ心に哀しみが満ちた。
もし教えに背けば従順な弟子とはいえず、言われるままにこれを行えば道理を失うことになる。
剣を奉げ持って退き、涙を垂らして言った。
「婆羅門の法は、清浄な行いを修め、父母に孝養し、衆善を修め、邪悪につかず正義をつらぬき、柔和と慈愛を持ち、広く人を慈しみ無量の慈悲の心を懐き、五神通(天眼、天耳、他心、宿命、如意)を得て梵天に上って生まれることなのに。今、暴虐に殺人を犯せば法にも道理にも背いてしまう」
躊躇し懊悩してどのようにしようかと考ているうちに眼前に樹木のある四つ辻に来てしまった。
悲しみと怒りが激しく噴き上がれば、それを悪鬼が助けて禍を引き起す。
心は消耗して乱れ狂い、目を瞋らせてたっと舌打ちをした。
まるで鬼か師子のように遠く四方をにらみ、虎か狼のように飛び上がって踊り回る。
そのようすはまことに畏るべきものがあった。
行き交う人たちは、四方より集まって城に行こうとする。
すばやく長剣を奮って、かたはしから殺した。
皆、走って怖れ逃げ回ったが、一人として取りこぼすことはなかった。
四つ辻を往ったり来たりしても、それに気づくものとて無いのであった。
無数の人々が、怨み声を上げ、悲しみで叫び王宮に入って訴えた。
「逆賊が、要路を遮り、多くの人を殺しています。どうか、大王、民の悩みを取り除いてください」
その頃、諸の比丘は城に入って乞食していたが、人々が訴えたり恐怖したりしているのを見た。
乞食より還り、食事を終えると、仏の所に詣で足下に礼をして、世尊に言った。
「国の人々が王宮の門のところで、大逆賊が出たと言っておるのを見ました。名を指鬘といい、利い剣を手に持って、多くの人を殺し、身体と掌を血でよごして、路には通る人も無いということです」
その時、世尊は、諸の比丘に告げられた。
「お前たちはしばらく止めよ。私が往ってこれを救おう」
仏は、坐より起つと、やがてその所に着かれた。
道では、牧畜人が荷を背負ったり、車に積んだりしているのに逢われた。
田を耕していた農民が、世尊に言った。
「この道は一本道でございます。四つ辻には逆賊が道をふさいで取っては殺しているところですので、独りでお歩きになっては危のうございます」
世尊は告げられた。
「たとえ三界が尽きようとも、盗賊の群に虜にされることなど考えられない。ましてただ一人の賊になど何ができようか」

さて、指鬘の母は、子が帰らないので心配していた。食事時に食べていなければ、きっとひもじいだろうと思い、食事を持って城を出て、これを食べさせようとした。
日はやがて中天を指そうとしている、しかしまだ百本の指は集まっていない。日が傾いて中天を過ぎてしまえば、もう力は得られない。今、母を殺せば、その数を満たすことができる。
仏は、こう思われた。
「指鬘は、母を殺害しようとしている。これを止めなければ、罪を救うことはできない」
仏は、にわかに指鬘の前に立たれた。
指鬘は、その時に仏を見て母の殺害を止め、師子のように歩み寄る世尊を迎え、心の中でこう言った。
「十人も百人もが、わたしを見て逃げだし、あえて向ってこないので、わたしは常に縦横に剣を奮い、ほしいままにした。見ればこの沙門は一人でやってくる。今きっちりと命を断ってやろう」
剣を取って仏に近寄ろうとするが、どうしたことか近づくことができない。
そこで、足に力をこめて駆け寄ろうとしたがそれもできない。
指鬘は心の中でこう言った。
「私は、江河を飛び越えることができ、きつく縛られても解くことができる。投げても打っても勇猛であり、かつて匹敵する者はない。どんなに固く閉ざした門でさえ開けることができる。しかし、この沙門は、ゆっくり歩くのみで動きまわるでもない。 なぜ私が力を尽くして走っても近づくことさえできないのだろうか?」
指鬘は、仏に言った。
「沙門、しばし止まりたまえ」
仏は盗賊に告げられた。
「私は、久しく止まったままであり、ただお前のみが止まっていない」
そこで指鬘は、偈をもって言った。
「沙門よ、何を言われるか。ご自分は、すでに止まっていると言い、私には止まっていないと言う。仏であっても身の行いは止まらないはずであり、私はずっとここにいるではないか。願わくば、この意味を説いてください」
世尊も偈をもって指鬘に言われた。
「指鬘よ。仏のとどまるところを聴け。世尊のみおまえの過ちを除くことができる。おまえは智慧を巡らせることなく走っている。止めることができるのは私のみである。私は、三解脱門(空解脱・無相解脱・無願解脱)に安住し梵行を修めている。 おまえは、愚かな思いに走り、害することを止めない。仏の大きな智慧は、寂滅を通りにて讃えて、罪を説くところを尋ね聞け。法義を説くところを聴け」
これを聞いて、指鬘の心は開悟した。
剣を棄てて、自ら身を地に投げ、頭を大地につけて言った。
「ただ世尊よ。私の迷いと過ちを許してください。人を殺して指を集めたのも、ただ道を極めたかったのです。罪を許し慈悲を垂れてください。哀れみを垂れ出家させ、成就戒(比丘の守るべき二百五十戒)を受けさせてください」
仏は、すぐに戒を授け、沙門とされた。
その時、世尊は山のような威神力を現わし、智慧の光明を放って結跏趺坐されると、賢者となった指鬘は、左右の翼のようにつき従って祇園精舎に還りついた。
指鬘は化導を蒙り、信ずるところとなったので、諸の尊い弟子たちも仲間と認めた。
その釈尊の弟子とは、髪と鬚とを剃り、法服を着て、家の信によって仏道のために家を捨て、無上の梵行を極め尽くし、六神通を得て生死を断ったことを証し、浄らかな徳を行い、なすべきことをなし終え、物事の本質を理解して、まさに真実を得るものである。
時に、王の波斯匿(はしのく)は、象、馬、歩兵、騎兵の四部の衆を率い、車馬を装備して、盗賊を討つために出征した。
その身は疲れて塵土に被われていた。途中仏の所に立ち寄って足下にひれ伏した。
仏は王に問われた。
「どこを通って来て塵土に被われたのか」
王は仏に言った。
「世尊、名を指鬘という大逆賊が出ました。凶暴で人を殺すために、四つ辻で待ち伏せし、利い剣を手に持って人民を傷つけ殺しているのです。今は、そのために四部の衆を装備して、出て行って討ち捕らえようと思うのです」
この時、指鬘は皆の中でも仏の近くにいた。
仏は王に告げられた。
「指鬘ならここにいる。すでに髪と鬚を剃って、今は比丘となっている。本と比べてどうか?」
王は仏に言った。
「すでに道に志しているならば、どうすることもありません。命が尽きるまで、衣食、寝具、医薬を布施しましょう」
また世尊に問うた。
「いったい、凶悪な逆賊がどうして仏道に至り、涅槃の道へ歩むことができ、今、安らかにいるのでしょうか?」
仏は王に告げられた。
「近くに寄って坐りなさい」
王は、遙かにこれを見て、心に恐れを懐き、身体中の毛が逆立った。
仏は言われた。
「大王よ、何も恐れ驚くことはない。今は、慈悲も智慧もあり、人を殺すことはない」
王は指鬘に礼をして言った。
「賢者よ。あなたは指鬘ですか?」
「はい」
「あなたの姓は何ですか?」
「奇角(きかく)です」
「奇角のいわれは?」
「父の本姓です」
「どうか奇角の子よ、私の供養を受けてください。衣食、臥具、床座、医薬を一生の間、供養しましょう」
王は許しを得て、仏に深く礼をして帰る時に、世尊を讃歎して言った。
「よく諸の調伏できない者を調伏し、よく諸の未だ成就していない者を成就させました。安住して大慈悲を垂れ、開かない教えの道はありません。よく逆賊を調伏して弟子の数に加え、庶民の規範を定められた。わが国は多事ですので、これでおいとまします」
仏は告げられた。
「どうぞ、なさねばならない事のために、お帰りください」
王は仏の足に深く礼して帰った。
その頃、賢者指鬘は、静かな処にいて、五枚の衣を着て、夜明けに鉢を手に持って舎衛城に入り、一軒一軒乞食して歩いた。するとある家に懐妊した女人がいて、月が満ちたのにまだ産まれず、不安に思っていた。
指鬘に問うて言った。
「どこに行こうとなさっているのですか?どうかお救いください」
指鬘は、供養を得て城を出て食べ終わりひとり坐った。
そして仏の所に詣でて礼をして言った。
「私は、早朝に衣を著け、鉢を手に持って城に入り乞食していると、ある女人が臨月なのに産まれないため恐がって、助けを求めるのを見ました」
仏は指鬘に告げた。
「お前はすぐに往き、その女人にこう言え。
『指鬘の言葉は真心よりでて嘘はありません。生まれて以来一度も殺生したことはないのです。これを信じれば安穏として生まれ、何の心配もありません』と」
指鬘は仏に言った。
「私は、計り知れないほどの罪を犯しています。99人を殺して100人には1人不足するだけでした。それなのに、このようなことを言って、どうして嘘つきの罪に堕ちないのですか?」
世尊は告げられた。
「前生とは世を異にして、今生と同じではない。教えたように言っても、嘘とはならないのだ。このように時の違いを用いて彼女の災難を救え」
指鬘は、仏の教えを奉じて、女人の所に往き、仏に言われたようにこう言った。
「私の真心からの言葉に嘘はありません。生まれて以来あえて殺生していません。これを本当だと思えば、あなたは安穏に産むことができます」
この言葉が終わらないうちに、女人はまもなく出産し、産まれた赤子もまた安穏であった。
その時、指鬘は舎衛城に入った。多くの子供たちの群れが、指鬘が乞食しているのを見ると、或る者は瓦や石を投げつけ、或る者は箭を射、或る者は刀で斬りつけ、或る者は杖で打った。
賢者指鬘は、頭を破り、身体に傷をつけ、衣服はぼろぼろに裂けた。
帰って、仏の所に詣でて足下に礼をし、仏の前に起つと、偈をもってこう言った。
「私は以前には盗賊であって指鬘の名はあまねく聞こえた。しかし、大いなるよどみは消えて、即ち正覚を得ることができた。
その故に忍辱心を成就することができ、仏は衆生を化導をなされたのである。
経を聴き、いかなる時にも挫折することはなかった。
仏に帰命し終わって、真諦の法戒を受け、三明(宿命、天眼、漏尽)を得て諸々の仏の教えに従った。
昔は、殺生したい気持ちが強く、たくさんの衆生の命を傷つけて恐れられることが多かった。しかし、今は無害となった。
行動や発言によって犯す過ちや殺害しようという心も起こらず、諸の苦しみに遭うこともない。
今では、過去を無くして、寂然と法を持ち、凶暴の名を受けても、慈悲によって自ら調えることができる。
また、才をもって心を調えることは、鉤(かぎ)によって象をならすようなものである。
如来のみ我を導き、剣も杖も必要としない。
以前には放逸だったけれど、その後はよく自制して、世を照らす明かりとなり、雲間より日が出るようなものである。
たとえ多くの悪を犯しても、諸々の善根や徳を断つことはない。
世を照らす明かりとなり、雲間より日が出るようなものである。
新たに学ぶ比丘は、仏の教えを修し勤めるべきである。
世を照らす明かりとなり、月が満ちて盛んになるようなものである。
罪を犯して悪道に堕ちるだろうかとあれこれ煩うことなく、食べることに執着することなく、また生を求めず、死ぬこともない。
ただすべからず時を待つのみ。
心は常に定まっている。
このように私は、阿羅漢となり、仏の前に在って、この偈を唱えた」
 仏は、このように説かれた。
「賢者指鬘および諸の比丘衆はこの経を聞いて歓喜して修行に励んだ」
  仏説鴦掘摩経

【解説】
仏説鴦掘摩経は、大正新脩大藏經で阿含部に属している。訳者は、竺法護である。

★竺法護
敦煌の月氏国に生まれ、8歳で出家し、竺高座を師としたことから「竺」姓を名乗るようになった。経典の研究に専心し、方等経典が西域にあるのを聞き、師とともに西域へ遊行の旅に出た。 その間に、36ヵ国の西域言語に通暁するようになり、多くのサンスクリット経典を中国にもたらした。 竺法護が漢訳した経典は、約150部300巻といわれる。


 
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