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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

舎利弗の友「陀然(だねん)」

その昔、釈尊が王舎城の竹林精舎において大勢の弟子たちとともに、修行をしていた時のことである。
弟子の舎利弗は舎衛国の祇園精舎で修行をしていた。
そこへ王舎城での雨季の終わりの三か月の修行を終わり、舎衛国に来て、祇園精舎に泊まった一人の修行者があった。
彼はある日、舎利弗を訪ね、礼拝して座った。 舎利弗は彼に向かって聞いた。
「あなたは、どこで修行をされたか」
「わたしは王舎城において修行をしました」
「おお、そうでしたか。王舎城では釈尊も壮健で、多くの弟子たちも、釈尊のお側にあって、元気にこの三か月の間を過ごされたでしょうか。また、その他の善男・善女も教えを聞いて喜んでいるでしょうね」
「はい、仏様を始め多くのお弟子さんたちは、元気に修行をして過ごされました」
この修行者の答えを聞いて、舎利弗は安堵することができた。
そこで彼は、修行者にもうひとつ質問をした。
それは王舎城にいる彼の旧友の消息だった。
「あなたは王舎城にいる陀然というバラモンをご存知ありませんか。彼はわたしがまだ出家しない前からの友だちなのですが…」
「ああ、その方なら知っておりますよ」
「ご存知ですか。相変わらず健康でいましたでしょうか。また仏様を拝み、教えを拝聴することを喜んでおりましたでしょうか」
修行者は一瞬顔を曇らせると、こう答えた。
「あの方は王舎城におられ、身体も丈夫ですし元気です。しかし仏様を拝もうとせず、またその教えをうけようともしません。すなわち陀然さんは、なまけてばかりいて精進せず、人間の守るべき戒律も守らず、王様に向かってはバラモンや居士たちを悪く言い、バラモンや居士に向かっては王様をののしるという始末です。とても善人と申すことはできませんね」
これを聞いた舎利弗は驚いた。そして、これは自分が一度旧友に会って、直接に諭さなければならないと思った。
やがて舎利弗の修行も終わり、彼はただちに舎衛国をたって王舎城に行き、竹林精舎へと入った。
翌朝さっそく、舎利弗は衣を着け鉢を持って城内を乞食して歩き、やがて陀然の家を訪れた。
陀然はその時、家の外の泉のほとりに出て、下男下女を酷使している最中だったが、かなたから旧友の舎利弗が来るのを見て、急ぎ足でやって来て出迎えた。
「よく来てくれました。久しく会わなかったが、あなたもご健康なようで何よりです」
そして彼は舎利弗を抱くようにして、自分の家に案内した。
やがて昼食の時刻になると、よい敷物を敷いて座に招き、数々の珍味を出した。
旧友の大変なもてなしように舎利弗は、
「友よ、お志だけで十分です。どうぞこれ以上のご心配はなさらぬように…」
こう言って、あえて食事を食べようとしなかった。
「せつかく旧友の自分の家を訪ねてくれたのに、一食の布施にも応じないとは、どういうわけか」
そこで舎利弗は彼の言葉を聞いて、厳然として言った。
「陀然よ、君は精進せず、禁戒を犯して、王に向かってはバラモンや居士をそしり、彼らに向かっては王をののしっていると言うではないか」
陀然は、この旧友の言葉に意外な面持ちをして言った。
「舎利弗よ、わたしは家にあって家業に励んでいる。そして父母に孝養し、妻子を養い、召使にも給与を与え、王に租税を納め、天の神を祭り、先祖の供養、僧やバラモンヘの布施も怠ってはいない。つまりは、ひたすらに教えのとおりにしているのです」
「陀然よ、しからばたずねるが、もしある人が父母のためだといって在世中に悪事をして、死してのち地獄に落ちたとする。地獄では、その掟に従って獄卒のために苦しめられる。そのとき獄卒に向かって、『そうわたしを責めなさるな。わたしは父母のために悪事をしのだから…』と弁明したする。陀然よ、この場合、この人は罪を免れることができるだろうか」
「舎利弗よ、父母のためにした罪でも、その罪は免れないと思う」
舎利弗は陀然のこの答えを聞いて、また重ねて言った。
「陀然よ、ここに妻子のために悪事をした人がある。その悪行の因縁により、死んでから地獄に落ちることになる。そして獄卒に苦しめられ、彼は獄卒に向かって、『そうわたしを苦しめるな。わたしは妻子のためについ悪事をしたのであるから…』と訴えたならば、彼はその苦痛を免れるだろうか」
「それはできないだろう」
この答えを聞いて、舎利弗はさらに言葉を改め、次のように聞いた。
「そうでしよう。今の話でも分かるように召使に給与を払うためとか、先祖の供養のためとか、天のために、またバラモンや居士のためにという理由があっても、悪事をすればその報いは免れない。陀然よ、人が仏の教えのごとく修め、正業を励み、功徳を積んで財産を増し、なお父母に孝養を怠らず、そして悪行をしなかつたならば、父母は彼にたいして何というだろうか。父母は彼をいつくしみ『丈夫でいてくれよ、寿命を全うしてくれよ』と、心から祈ってくださるにちがいない。また『お前のおかげで、心安らかで楽しい』と喜んでくださるにちがいない。父母にかわいがられる者は、永久の福徳を得るに決まっている。このようなことを知って妻子を養い、僧やバラモンに布施すれば、その身の健康や寿命を伸ばすことができる」
陀然は、舎利弗のねんごろな説法を聞いて、心に苦しい思いがわいてきた。
そして意を決して言った。
「舎利弗よ、わたしには愛する女がいた。彼女に迷ったばかりに、わたしはこのように自分勝手に振舞うようになり、悪業をするようになった。舎利弗よ、わたしは今日より彼女を捨てて、あなたに帰依することにしよう」
「いやいや陀然よ、わたしに帰依することはないのだ。わたしの帰依する仏様に帰依して、正しい道を修行することが正しいのだ」
「教えによって、わたしは今日より、仏および僧に帰依します」
陀然の強い発心を聞いて、舎利弗は彼のためにねんごろに説法し、まもなく王舎城を出て、今度は南山に行き林の中に泊まった。
数か月たったある日のことだった。
舎利弗の元にまた一人の修行者がたずねて来た。
舎利弗は彼に聞いた。
「よく訪ねてくれました。どちらからおいでですか」
「わたしは王舎城からまいりました」
そこで舎利弗は、先ごろ王舎城に残してきた旧友陀然が、教化されてのち、どのようにしているかを案じて、修行者にたずねてみた。
「王舎城には、わたしの在家時代の旧友陀然という者がおります。ご存知ないですか」
「はい、よく知っておりますよ」
「彼は相変わらず健康を持ち、よく信心に励んでおりましょうか」
「なかなかの信者で、毎日仏様を礼拝し、ご説法を拝聴するのを怠りません。しかしお気の毒に健康を害されまして、最近では気力もたいそう衰えられたと聞いております。あるいは近い日に寿命もつきるのではないかと噂されています」
舎利弗は旧友が病気と聞いて、あわてて衣類をまとめ、再び南山から王舎城の竹林精舎へと向かった。
そして、その夜は竹林精舎に泊まって、翌朝になるとさっそく陀然の家を訪れた。
むろん陀然はこの旧友の来訪を非常に喜び、病床から起き上がって出迎えようとした。
しかし、舎利弗は彼を押しとどめて聞いた。
「いやいや、起きあがる必要はない。それにしても、いつたいどこが悪いのか」
「お見舞いくださってすまない。身体が痛んで苦しみが増すばかりで困っている。ちょうど力士が縄をもって、力の限りわたしの首をしばっているようだ。また、鋭い刀をもって牛の腹の皮を破る時のように腹が痛む」
陀然は、まるで消えいるような声で、こう答えた。
舎利弗は、彼の病気がひどいのを見て、最後の教えを試みた。
「陀然よ。問うが、下は地獄より上は梵天にいたる間に、何が最上と思うか。そしてまた、どこに生まれることを望むか」
「それは言うまでもなく梵天がもっともすぐれていると思うし、生まれたいと望んでいるところだ」
「陀然よ、仏様は正しい悟りを開き、すべての迷いから離れた方である。仏様は梵天に生まれる方法をお教えになられた。すなわち慈悲心を持ち、すべての執着を捨て、恨みや怒り争いのない広大な心を持ち、多く善事をおさめ、欲念を去れば、命は終わって必ず梵天に生まれるのである」
このように説きおわって、舎利弗は病気の陀然にいとまを告げて王舎城を去り、釈尊のおられる竹林精舎に向かった。
舎利弗がまだ竹林精舎に達しない前に、陀然はその教えをまもり、死んで梵天に生まれることができた。
ところで時に釈尊は、多くの人々にかこまれて、法を説いておられたが、はるかに舎利弗の来るのを見て、修行者たちに言われた。
「修行者たちよ、舎利弗は聡明にして弁才にたけ、真実の悟りに達している。彼は今、陀然のために梵天の法を説き、彼を教化して帰って来た。もしまた、これ以上の教化を必要とする者には、その適する法をもって教えるのである」
やがて舎利弗は、釈尊の前にやつて来て足下に礼拝し、退いて坐した。
釈尊は礼拝のおわるのを待って問うた。
「舎利弗よ、お前はなぜ陀然を教えるのに、梵天以上の教えをもってしなかったのか」
「世尊よ、彼らもろもろのバラモンたちは、梵天に愛着しております。それでわたしは、彼らの求めに応じて、梵天に生まれる法を説いたのです。しかし、その教えたところは、真実の理に順じおのれに益する法であったのであります」
これを聞いていた多くの弟子たちは、歓喜して、その教えにしたがったということである。
(中阿含経巻第六 梵志陀然經第七)

【解説】
中阿含経は、大正新脩大藏經で阿含部に属しており、222の経典からなる。本編はその27番目の内容である。
阿含経は、『漢訳四阿含』といわれるように、長・中・雑・増一の阿含経典があるが、中阿含経は、インド北西部カシミール出身の僧で東晋の中国に来て翻訳に携わった瞿曇僧伽提婆(くどんそうぎゃだいば)によって漢訳されたものである。瞿曇とは釈尊が出家する前の姓であるゴータマの音写、僧伽とは仏教僧侶の集団であるサンガの音写、すなわち釈尊の僧侶である提婆ということ。
仏教における悟りのための4種の観想法である「四念処(しねんじょ)」が説かれている。
●「四念処(しねんじょ)」とは  
 身念処………身体の不浄を観ずる(不浄観)  
 受念処………一切の受は苦であると観ずる(一切皆苦)  
 心念処………心の無常を観ずる(諸行無常)  
 法念処………法の無我を観ずる(諸法無我)


 
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