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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

閻魔大王の裁き

その昔、釈尊が舎衛国の祇園精舎で、多くの人々に説法されていたときのことである。
釈尊は多くの弟子に向かって、
「もし衆生が身に悪行を成し、正法を誹謗し、邪見にして業をなすものは、この因縁によって、命終わって後に地獄の中に生まれるのである。その地獄の閻魔大王が罪人を裁いている状態を説き明かそう」と言われた。
悪業の衆生は、命終わって閻魔大王の領界内に生まれると、大王の前に連れて行かれる。 閻魔大王はとても恐ろしい形相をして、雷のような大声で問い質すため、罪人は決して嘘をつくことができない。
「おまえは、人であったときに第一の天使を見なかったか?」
「いいえ、知りません」
「おまえは、町の中で泥まみれとなって遊んでいる小さな子供の父母が、自らが汚れるのもかえりみずその子を汚れた所から連れ出し、その体を洗って清らかにしているのを見たことがあろう。」
「はい、見ました」
「おまえはその有様を見て、自分も小さい時に父母から恩を受けているのだから、父母に孝行しようと思わなかったのか」
「はい、気づきませんでした」
「気づかない?おまえはまことに身勝手な者である。そのような者はまさに罪を受けるべきである。おまえの悪行はおまえの父母のせいでも、社会のせいでもない。自分がなした悪業のためである」

第一の天使について取り調べが終わると、第二の天使について調べられる。
「おまえは、人であったときに第二の天使を見なかったか?」
「いいえ、まったく知りません」
「おまえは町の中で、歯は抜け落ち、腰は曲がり、皺だらけの醜く、ようやく杖の助けによって歩いているヨボヨボの老人を見たことがあるだろう。それこそ、第二の天使である。おまえはそれを見て、自分も年老いるのだからと思い、しっかり善業を積まなければならないと考えなかったのか」
「つい、気がつきませんでした」
「おまえは、まことに自分本位の気まぐれ者である。おまえの悪行はだれのせいでもない、自分がなした悪業のためである。おまえは今まさにその報いを受けなければならない」

第二の天使について取り調べが終わると、第三の天使について調べられる。
「第三の天使が来たことを知らなかったか?」
「全然、知りません」
「おまえは町の中で、重い病気のために今まさに命が終わろうとしている者を見なかったか?」
「はい、見ました」
「その病人を見て、自分も病気を免れることができないのだから、努めて善いことをなそうと思うべきであったのに、それに気づかなかったのは、おまえの身勝手な考えのなせるわざである」  

第三の天使について取り調べが終わり、第四の天使について調べが始まる。
「おまえは、第四の天使を見なかったか?」
「はい、見ませんでした」
「おまえは、人が死に、火に焼かれ、土に埋められたのを見なかったか」
「はい、見ました」
「それを見て、自分も死を免れることができないのだから善事をなそうと思わなかったのは、おまえが方逸であったからである。自分がなした悪業のために、おまえは今まさにその報いを受けなければならない」  

続いて、第五の天使について調べが始まる。
「おまえは、第五の天使が来たのを見なかったか?」
「はい、見ませんでした」
「おまえは、国王が罪人を捕まえて、その罰として手を切り、鞭で打ち、首を切り落とすのを見なかったか」
「そのような恐ろしい様をかつて見たことがあります」
「おまえは悪事を働くとそのような罰を受けるということを深く思い、悪事を止めようとしなかったのか」
「深く思うことができませんでした」
「おまえに罪人として罰を与える。おまえは必ず自らがまねいた報いを受けなければならない」
閻魔大王は、裁きが終わるとこの罪人を獄卒の手に引き渡すのである。
(佛説閻羅王五天使者經)

【解説】
佛説閻羅王五天使者經は、大正新脩大藏經で阿含部に属している。訳者は宗の僧侶慧簡である。
閻羅王(えんらおう)の、「閻羅」は閻魔羅闍(えんまらじゃ)の略で、閻魔王の意味である。 この経典は、後に編纂された仏説地蔵菩薩発心因縁十王経や仏説預修十王生七経に影響を与えたとされている。


 
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