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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

きつねのささやき

釈尊が舎衛国の祇園精舎にいたときのことである。
弟子の中で、悪事や非法行為を働き、釈尊や弟子などを困らせた六人(六衆)の比丘がいた。
この六人の比丘は、他の比丘に働きかけ互いに恨みを抱かせようとした。
その影響を受けた比丘たちは、そのため心に憂いを抱くようになり、修行を怠けたり、愛念の心を無くした。
時に少欲な比丘がいてこれを聞いて、これらの事実を釈尊に申し上げた。
釈尊は六人の比丘に向って言った。
「お前たちの行いは沙門にあらず、修行の道に沿っておらず、清浄でない。もはや出家の身とは言いがたい」
釈尊はいろいろと呵責しさらに次のように告げた。
「昔、険しい山の中に懐妊した母師子が住んでいた。
子供を数匹産んだが、一匹しか育たなかった。
その子師子はまるまると太ってとても可愛かった。
たっぷりと乳を、飲ませてやらねばならないため、母師子は山を駆け巡って獲物を探した。
ある日、ふもとの野原で太った雌牛をみつけて、仕留めて食べた。
すると、そばの草むらから、子牛が、飛び出してきた。 子牛の肉は、柔らかくておいしい。
母師子は、飛びかかって食べてやろうと思ったが、子牛は、恐がりもしないで、母牛の乳を求めて泣いたので、襲うのを躊躇した。
どうやら、さっき食べた雌牛がこの子牛の母親らしい。
母師子は、ほら穴に残してきた子師子のことを思うと、子牛が可哀想で、放っておいて帰れなかった。
そこで子牛を、ほら穴へ連れて帰った。
小さい子師子と子牛は、すぐ仲良しになった。
二匹は、母師子の乳房にすがって、こくこくと乳を飲んで、とても仲が良かった。
母師子は、自分の子と同じように、子牛を可愛がった。
二匹は、ぐんぐん大きくなった。
そんなあるとき、雌師子は、重い病気にかかり命が危なくなった。
雌師子は、二匹を枕元に呼んで言った。
「お前たちは、同じ乳で育った兄弟なのだから仲良く暮らすんだよ。
世の中には、余計なことを言う者がいるが、そんな者の言うことなどに、惑わされずお互いに信じ合って暮らすんだよ」
これだけ言うと雌師子は、死んでしまった。
子師子と子牛は、雌師子の言いつけどおり仲良く暮らした。
獲物も分け合って食べた。兄弟のように助け合った。 互いをいたわり信じ合った。
けんかなどはしたこともなかった。
そんな暮らしぶりを、みんなはうらやましがった。
ほら穴の近くに、一匹の年とったきつねが、住んでいた。
雌師子のいるときは、こそこそと逃げ回ってばかりいたが、いなくなると、なれなれしくほら穴へやってきた。
子師子と子牛は、きつねが年よりなので、優しくしてやった。
獲物の残りも食べさせた。
きつねは、
「ありがとう。ご恩は、決して忘れないよ。わしは、あんた方のような仲良しの側に住んでいて本当に幸せだよ」 と、いかにも嬉しそうに言った。
ある日のことである。
そのきつねが、子師子の留守をねらって、やってくると、周りをきょろきょろ見回しながら子牛の耳に、ささやくように言った。
「言いたくはないが、あんたが、気の毒だから言ってあげる。子師子は、毎日獲物を獲りに行っているが、もし獲れないときは、牧場にいる子牛を食べているんだよ。だから、あんたは、気をつけないと危ないよ」
子牛は、びっくりして、
「そんなことをするはずはない。嘘をつくな」 と、言うときつねは、ずるそうに目を細め、 「嘘なら嘘でいいさ。子師子が、ほら穴を出るとき、ウォーと吠えるだろう。あの声をたてて、あんたに向ってきたら、危ないから、まあ、心にだけとめておくがいいよ。わしは、あんたの味方だから、気になるだけさ」
と言うなり、逃げるように帰っていった。
それから、今度は子師子がひとりでほら穴にいるとき、きつねはこっそりとやってきて、 「あんたに、聞かせたくないことだがね」 と言って、ひそひそとことばを続けた。
「あの子牛は、あんたの母師子に、自分の母牛が、食べられたことを知っていて、いつかあんたに、その恨みを晴らしてやると言っているそうだよ。横っ腹をけやぶられないように、気をつけないと危ないよ」
「そんなことを、考えているはずはない。わしたちは、信じ合った仲良しだ」
「いや、そう見せているだけだよ。あの子牛が、ほら穴を出るとき、モォーと唸るだろう。
あの声をたてて、あんたに向ってきたら危ないから用心するがいいよ。
わしは、あんたの味方だから、気になるだけさ」
きつねは、そう言って慌ててどこかへ行ってしまった。
子師子と子牛は、相変わらず仲良く暮らしていたが、きつねの言ったことが、心にひっかかってどうにもしようがなかった。
ある朝のことだ。獲物を獲りに行こうとして、ほら穴から出た子師子は、ちらっと子牛の方を、振り向いてウォーと唸ったのがいけなかった。
子牛は、やっぱりきつねの言ったとおりだと思うと、外へ飛び出し子師子を睨んで、モォーと唸っていた。
その声を聞いた子師子も、やっぱりきっねの言ったとおりだと思うと、急にするどい目を光らせて、じりじりと子牛に近づいて行った。
子牛も、らんらんと目をかがやかせ、角をふりかまえた。 負けてはならない。
「あっ」という間に、二匹は激しくぶつかった。
子牛の角は、子師子の腹に突き刺さり、子師子の牙は、子牛の頭をがっとかみつき、二匹は、血まみれになって、どっとその場に倒れそのまま動かなくなった。
物陰で、それを見ていた年をとったきつねは、そのとき、 「うふふ」と笑った。
口先では、
「ご恩は決して忘れないよ」と言っておきながら、なぜ仲の良い二匹をこんな目にあわせたのか。 こんな目にあわせて、別に得になるわけでもない。 ただ、あんまり仲がいいのを見ると、二匹の仲を裂いてやりたくて、こんなひどい意地悪をしたくなっただけのことだった。
今回の比丘たちの行為は、六人の比丘の言葉に惑わされて互いに殺し合った子師子と子牛と同じようなものである。この縁起をよく学ぶべきである。

  根本説一切有部毘奈耶雑事第二十六

【解説】
★根本説一切有部毘奈耶とは「毘奈耶(びなや)」とは律のこと。根本説一切有部毘奈耶雑事第二十六は、大正新脩大藏經で律部に属している。訳者は唐の僧侶義浄である。この経典は全50巻で、比丘戒249条や教訓物語を説いた大部なものである。
★義浄とは山東省歴城県の出身、俗姓は張氏で、幼時に出家し、中国唐の時代の僧侶となる。36歳の時に海路を経てインドに入り20年以上滞在し、特に戒律に関するサンスクリット仏典をたずさえて帰国して翻訳を行った。
★六衆の比丘
六群比丘ともいい、釈尊の弟子の中で悪事や非法行為を働き、釈尊や弟子などを困らせたとされる六人をいう。釈尊の僧団において多くの戒律が制定されたのは彼らのためといわれる。なお「摩訶僧祇律(まかそうぎりつ)」では、彼らを提婆達多派の徒としている。
①車匿(チャンナ)
釈尊が出家する際に馬引きを務めた。彼はよく悪口を言っていたが仏滅後に悟ったという。
②迦留陀夷(ラールダーイ)
在家に吉事の時に不吉な偈を言ったり、不吉な時には吉の偈を誦して仏に叱られた。人々が舎利弗や目連の説法を賞賛するのを聞いて嫉妬したことに対して、仏から「糞にまみれた豚」に比して彼を叱ったという。また慢心を生じて仏に議論を挑もうとした。多婬だったといわれる。最後は、賊のために殺され糞の中に埋められた。
③難陀(ナンダ)
仏典には、多く「難陀」の名が登場するが、他の比丘の犯罪を在家の人に密告するなどした。
④鄔波難陀(ウパナンダ)
上記難陀の弟とされ、養っていた2人の年少の比丘が問題を起こしたり、在家の姑と嫁に対して説法したり、他の比丘に悪意を以って壊れた椅子に座らせ頭を傷つけた。欲が多くて智慧が足りなかったといわれる。
⑤阿説迦(アッサジ)
目連尊者の弟子の一人である。目連尊者が執杖梵士に撲殺されたのを怒り、これをを捕えて殺した。
⑥補捺婆素迦(プナッバス)
阿説迦と共に住して、釈尊が一日一食の制を設けたことに不満の意を表し、後に悔いて仏に謝った。他の比丘に住居を与えず釈尊から呵責された。死後、阿説迦と共に龍になり仏教を破壊しようとしたが、釈尊によって水中に沈められた。


 
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