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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

群盲象をなでる

このように私は聞いた。
ある時、仏は舎衛国の祇園精舎に住していた。
多くの修行者達は、食事の時間になったので食鉢(じきはつ)を持って、城の中に入って、食を求めようとした。
しかし正午までに時間があったので、まだ城に入るには早いと考え、
「我らはむしろ他宗の修行者が坐している講堂に行き、しばしの時間を過ごすのがよいではなかろうか」 ということになった。
そして連れ立ってそこへ行き、そこの婆羅門(ばらもん)たちと、親しみのある挨拶を交わした。
そして設けられた座に坐した。
そのとき、婆羅門たちは、互いに聖典の意味について、論争していた。そして論争のために、互いに怒りを結んで解けず、互いに相手を謗っていた。
「私はこの真理を知っている。汝はいかなる真理を知っているか。私の知っているところは道理に合している。しかし汝の知っているところは道理に合していない」
「私の道は、真理を実践するものである。汝の道は真理に合しがたいものである」
「汝は前に説くべきところを後に説き、後に説くべきところを前に説いている」
「多く真理について説きながらも非である。重荷を挙げることができないように、汝のために種々に義を尽くして説明しても、汝を理解せしめることはできない」
「汝は空しく知るのであり、汝には得るところがない。汝は論をもって迫っても、何をなすことができようや」
と、互いに舌戦をたたかわし、論議に転じて、一の悪を加えられて、三の悪をもって返すというほどであった。
修行者たちは、外道の修行者たちの、悪言をもってする論争を聞いたが、彼らの説の善悪や正邪を証明することもできず、そのまま座を立って、舎衛城に入り、乞食(こつじき)をした。
そして食事を終わって、食鉢をしまい、祇園精舎に帰ってきた。
そして彼ら一同は、仏を礼拝して、一面に坐した。
そして事の次第を述べ、仏に次のように問うた。
「これらの婆羅門のことを考えるに、彼らは、学んで自ら苦しんでいますが、いつになったら回答を得るでしょうか」

仏は修行僧たちに答えた。
「これらの外道の修行僧たちは、この世だけで愚かな迷いに陥っているのではない。過去においてもそうであった。
過去久遠の昔に、この世界に鏡面王という王があった。
仏の大切な経典を暗誦しており、智慧はガンジス川の砂の数の如くに無量であった。
しかし臣民たちは経典をあまり誦みもせず、つまらない書物を受持し、蛍の光のごとき少しの智慧を受持していた。
そして日や月の光が、遠くまで達するのを疑った。
そこで鏡面王は、生まれつき目が見えない人をたとえとして、彼らが道路の水たまりのごとき狭い智慧を捨てて、大海のごとき智慧に遊ばしめんとした。
そして使者に命じた。
「国中の生まれつき目が見えない者を連れてまいれ」
「目が見えない者を宮殿の下に集めております」
王は言った。
「この者たちを連れて行って、象をみせてやれ」
家来は王の命令を奉じて、かの盲人たちをつれて、象のところに行った。
手を添えて、象に触れさせた。
盲人たちは、象の足をもった者、尾を持った者、尾の本(もと)を持った者、腹を持った者、脇を持った者、背を持った者、耳を持った者、頭を持った者、牙を持った者、鼻を持った者など様々だった。
そして象が何ものであるかについて、盲人たちは激しい争いを始めた。
おのおの自己が真であり、他は非であると主張した。
ついで使者は彼らを引き連れて帰った。
王は盲人たちに問うて言った。
「おまえたちは象を見たか」
「私たちは一緒に象を見ました」
足を持った者は答えて言った。
「智慧ある王よ、象は竹筒の如きものであります」
尾を持った者は言った。
「象は箒(ほうき)の如きものであります」
尾の本を持った者は言った。
「象は、杖の如きものであります」
腹を持った者は言った。
「象とは太鼓の如きものであります」
脇を持った者は言った。
「象とは壁の如きものであります」
背を持った者は言った。
「象とは高い机の如きものであります」
耳を持った者は言った。
「象とはうちわの如きものであります」
頭を持った者は言った。
「象とは大きなひしゃくの如きものであります」
牙を持った者は言った。
「象とは角の如きものであります」
鼻を持った者は言った。
「智慧ある王よ、象とは大きな索(つな)の如きものであります」
かくの如く答えて、また王の面前で共に争って言った。
「大王よ、象とは本当に私の言ったようなものであります」
鏡面王は大いに笑って言った。
「すべて自分の考えのみが正しいと主張する人々は、ちょうどこの盲人たちのようなものである。汝らは仏の経典を知らないものである」
さらに次の詩を唱えた。
「いまこの眼を持たない人々は、空しく諍(あらそ)って、自己のみが真理であるという。一つのみを見て、他は非であるという。同じ象をつかみながら、互いに怨みを結んでいる」
また王は言った。
「つまらない書物を熱心に受持して、仏教の経典が大海の如く広大なものであることを知らない人、限界が無くて徳が高くてそびえている真実者(仏)を知らない人は、ちょうどこの盲人たちと同じではなかろうか」
ここにおいて、老いも若きも仏教の経典に親しむようになった。
以上、仏は修行者たちに告げた。
「そのときの鏡面王とは即ちこの私であった。そのときの盲人たちは、無用な議論に執着していた婆羅門たちである。このときの彼らも智慧が無くて、盲目にもとづきながら、争ったのであるが、いま争うのも、暗黒にもとづくものである。争いに住するのは、益の無いことである」
(六度集経巻八・八十九鏡面王経)

【解説】
●六度集経は、大正新脩大藏經で本縁部に属している。梵語などの原典がないことから訳者の呉の訳僧である康僧会(こうそうえ)が著したものと考えられている。 類した説話が、義足経五、根本説一切有部毘奈耶薬事一三、長阿含経一九、起世経五起世因本経五、大楼炭経六座などにある。
●康僧会 「高僧伝」によれば、康僧会の祖先はトルコ系であるが、代々インドに住していた。父の代に交趾(ベトナムのハノイ近郊)に移住して商売をしていたという。康僧会は、228年に生まれ20才で交趾を出て建業に到着し、25才で『六度』を作成して53才で死去した。他に『呉品経』、『雑譬喩経』などの飜訳がある。


 
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