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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

波瑠璃王が釈迦族を滅ぼすこと

釈尊が生まれた国は、現在の北インドのヒマラヤ山麓のタライ地方にあった迦毘羅衛国(かびらえこく)という小国である。
巨大なコーサラ国の属国となっていた。
そこに住んでいた種族を釈迦族といい、たいへん高貴な種族であった。
コーサラ国と肩を並べる大きな国に舎衛国(しゃえこく)があった。
そこの王は波斯匿王(はしのくおう)といい、多くの后がおり、高貴な釈迦族から后をもらいたいものだと常に思っていた。
そこで使いの者を送って、
「我が王はぜひに釈迦族の貴族の中から后を迎えたい。もしも、聞き入れなければ攻め落とすであろう」と言った。
そこで迦毘羅衛国の大臣たちは会議を開き協議をした。
「舎衛国は野蛮でたいへん恐ろしい国と聞いている。そんな国に大切な釈迦族の貴族の娘をやるわけにはいかない」
「しかし、要請に答えなければ迦毘羅衛国は滅んでしまう」
「どうしたらよいだろうか」
どちらにすべきか決めかねていたとき、摩呵男(まかなん)という者が、
「私の家に身分は卑しいが顔立ちが端正で美しい使用人がいる。その使用人を貴族の娘と偽って、后に出すことにしてはどうだろうか」 と言いました。
「それはよい考えだ」
「相手は、舎衛国だ。利口ではないから、わかりはしない。そうしよう」
そこで、大臣たちは使用人を沐浴させ美しい衣服を着せて、宝を山ほど積んだ車に乗せて、波斯匿王に差し出した。
波斯匿王は、国の后たちと比べてたいへん美しい使用人を見て、たいそう喜び、大切にもてなした。
やがて子供が生まれ波瑠璃と名付けられ、八歳になったときに、
「お母さんの本国はたいへん素晴らしい国と聞いています。その本国に行って学問を学びたいと思います」 と言った。
波斯匿王は波瑠璃の申し出を快く承知し、同じ年齢の大臣の子供を一緒に迦毘羅衛国に送った。
そこでは、釈迦族の子弟と共に弓術を学んだ。
ちょうどその頃、城の中に新たな講堂が完成し、神々や王族などのみが登ることができる神聖な獅子の座に、波瑠璃が昇り座ったのを釈迦族の人びとが見て、
「お前は下女の産んだ子だ。それなのにまだ諸天さえ昇ったことがないのに座った」と、怒って太子の肘を捕らえて門外に追い出し鞭を打って地面に叩きつけた。
波瑠璃は一緒に来ていた大臣の子供に
「これほどの悔しい思いをしたのは初めてだ。もし、自分が王となったらきっと釈迦族を滅ばしてやる。それまで内緒にしておけ」と恨みを懐くようになった。
やがて、父の波斯匿王が死に、波瑠璃が王となり、一緒に迦毘羅衛国に行った子供は大臣になった。
「いまこそ、釈迦族を滅ぼす時がきた」
そのことを聞きつけた目連は釈尊に報告した。
「波瑠璃王が釈迦族を滅ぼすために、大軍を起こしました。なんとかしなければ……」
「自らまねいた果報をどうすることができよう」
釈尊は波瑠璃王の大軍が通る道のほとりの、枯れ木の下に座った。
大軍を引き連れた波瑠璃王は高貴な釈尊が座っている見て象から降りて恐縮して言った。
「仏よ。なぜ枯れ木の下に座っておられるのですか」
「釈迦族が滅ぶであろうから、枯れ木の下に座っているのです」
波瑠璃王は釈尊の言葉を聞いて本国に引き返した。
その後しばらくして、大臣が再び釈迦族を討つべきであると、進言した。
大軍を率いて進軍すると、また、釈尊が枯れ木の下に座っていた。
それを見た波瑠璃王は再び軍を引き返した。
しかし、三度目には釈尊は座っていなかった。
迦毘羅衛国の小さな軍隊が舎衛国の大軍に勝てるはずもなかった。
「刀剣で殺すのは面倒だ。象で踏みつぶしてしまえ」
九千九百九十万人もの釈迦族が殺され、大地は血の海になった。
また、五百人の釈迦族の美女が選び出され、舎衛国に連れ帰られようとしたが、女達がそれを拒んだため、手足を切られ穴に埋められてしまった。
(増壹阿含經卷第二十六 等見品第三十四)

【解説】
「増壹阿含經卷第二十六」は、大正新脩大藏經で阿含部に属している。中国東晋時代の訳僧瞿曇僧伽提婆(ぐどんさんがだいば)が訳した。
「増一(壹)阿含(ぞういちあごん)経巻第二十六」の「等見品第三十四」に載っている。
他に「仏説瑠璃王経」「四分律(しぶんりつ)巻第四十一」、「弥沙塞部和醯五分律(みしゃそくぶわけいごぶんりつ)巻第二十一」の中にも同様の内容が説かれている。
この出来事は、釈尊の「九横の大難」の中で「瑠璃の殺釈」といわれ、最も悲しむべき難であったといわれている。
行なった因行に対する果報は逃れ難いことを教えているが、因行に対する果報の大きさからして、単に波瑠璃王が辱められたことのみでは説明しきれないところがある。


 
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