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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

長者窮子の譬え

その時、長老の須菩提と、摩訶迦旃延と、摩訶迦葉と、摩訶目犍連は、釈尊が説く未曾有の法と、舎利弗が 阿耨多羅三藐三菩提を授記されたことに大変驚き、また歓喜し、立ち上がって衣服を整え、右の肩をあらわにし右の膝を地につけて、釈尊に申し上げた。
「われらはすでに年老い、悟りの境地に達していると思い込み、その上を望むことをしませんでした。菩薩の法たる 仏国土を清くし、衆生を導こうとはしませんでした。声聞に阿耨多羅三藐三菩提を授記されて大変うれしく思いますとともに、ただ今この時に、未だかつて説かれたことのない稀有の法を聴いて、貴重な宝石を自ら求めないのに得た心地がします。
世尊よ、 われらの気持ちを、たとえ話をもって語ることを許していただきたい。  

ある国に、幼い時に父と別れてしまい、その後他国を転々として、すでに50歳になってしまった男がいた。  
年を取るにつれ、ますます貧乏で貧相になり、あちこち生活の糧や衣服を求めて、各地を転々とした。  
放浪生活をしていくうちに、彼の足は次第に生まれ故郷の国へ向かっていった。  
父はというと、ものすごい財産家(長者)で、立派な屋敷に住み、召使いもたくさんもっていた。
しかし、心の中は、はぐれてしまった息子を不憫に思い深い悲しみに包まれていた。当然、国中を隈々にいたるまで探したが、可愛い子は見つけられず、とうとう、父は子を探すことをあきらめてしまった。  
そのような時に、息子は、あの国この国と放浪したあげく、知らず知らずのうちに、自分の故郷へ入った。  
自分が住んでいた屋敷などは覚えておらず、たまたま、通りかかった父の家の門の前に来て思った。
「こんな立派な屋敷には どんな人が住んでいるのだろう?この家なら給金も高く出してくれそうだなぁ。こんな金持ちの家で働いてみたいなあぁ。でも、自分みたいな貧相な人間は、雇ってくれないだろう」  
一方、父は、やはりはぐれてしまった我が子が忘れられずにいた。
「私もずいぶんと年を取ってしまった。私が死んだ後、たくさんの財産を息子に譲りたのだ。安心して譲れる者がいなければ、財産はたちまちに散逸してしまう。あの子は今どこでどうしているのだろう、私は寂しい気持ちでいっぱいだ」  
息子が門の前に立ち、そう~と、中の様子をのぞくと 風格のある立派な男が椅子に座っていた。
男は、獅子の彫刻が刻まれた椅子に座り、その部屋では、世話役の女性が忙しく動きまわっていた。  
部屋の中には、これまで見たことも無い高価な飾り物が沢山置かれ、美しく荘厳に飾られていた。
息子は、地面に座って、心の中で思った。
「この家は王さまの宮殿だ。あの人は王様にちがいない。自分のような貧乏人を雇うはずがない。それどころか、こんなところに長くいると捕まって牢屋に入れられるかも知れない」  
息子は にわかにその場から走り去ろうとした。  
ところが、父はその男を見て、一目で自分の息子だと分かった。
「やっと息子が自分の元に帰ってきた。長い間待っていた甲斐があった。あぁ!良かった!これで、私の莫大な財産を全部譲ることができる」 と大喜びした。  
父は、召使いに、門の前から走り去ったあの男をここへ連れて来くるようにと命じた。  
使いの者が息子を捕まえると、びっくりして 「助けてください、お許しください」 と大声で泣き叫んだ。  
主人の命令に忠実な召使いは、有無をいわさず引っ立てて、主人のもとへ連れて行った。  
仰天した息子は、あまりの恐ろしさでおびえ、気を失ってしまった。  
これを遠くから見ていた父は、召使いの者に言った。
「これこれ、もういい。無理する必要はない。顔に水を静かにかけて目をさまさせてやりなさい。その男を雇うことはやめよう。放してやってくれ。好きなところへ行かせなさい」 と言った。
父は、子があまりに貧弱であるため、すぐには我が子であることをわからせることがむずかしいと考え、ある策を講じた。  
父は、貧相な容貌をした使者を2人送り込んで、息子に接触するよう指示した。  
使者は、
「儲けの良い仕事がある。2倍の賃金を出そう。仕事は便所掃除だ」 と言った。  
それを聞いた子は、二つ返事で喜び便所掃除をした。  
父は、心配して遠くからながめると、子は、やせて糞や土やごみにまみれていた。それを見た父は、立派な衣類を脱ぎ捨てて、粗末で汚れた衣を着て、ゴミや土で体を汚し、右手に糞の入れ物を持って、恐る恐る近づいた。  
父は、皆と一緒になって汗をかいて働き、時間をかけて、息子と仲良くなるチャンスを狙った。
やがて、息子の警戒心は薄れていき、父は息子と打ち解けた話ができる関係にまで、近づくことができ、気楽に話ができる関係になった。  
そして、父は息子に語った。
「お前は、今までずっと貧乏暮らしだったらしいな。これからはもう大丈夫だ。ここでずっと働け。お前は働き者だから、賃金を上げてやろう。そうすれば、ほかへ行く必要ないだろう。ずっとここに居ればいいのだよ。どうだ?いいと思うだろう。私はおまえの父のようなものだ。心配はいらない。うそをついたり、怠けたりせず、うらみの言葉を言っていけないよ。これからは、私を父のように思いなさい」  
息子は、この申し出を喜んだが、相変わらず賤しい労働者の気持ちが、残っていた。  
それから後も、息子に便所掃除の仕事を続けさせた。  
息子はその生活がよかったので、次第に落ち着いた心の人間に変わっていた。  
やがて、子の心が変化し、大きな目的を持ち以前の心が卑しかったと知ったとき、父の臨終がやって来た。  
父は、子に命じて、親族、国王、大臣、武士、在家男子を集め、自ら宣言した。
「みんな聞いてくれ。これはわが子である。ある時に、はぐれてしまい、さまよい歩いてつらい思いをすること50年になる。思いがけずめぐり合うことができた。これこそ実のわが子である。今、私が持っている全ての財産は、この子のものである」  
子は、父のこの言葉を聞いて大変喜び、今までにない思いをして、次のように言った。
「私は、もともと心に願い求める所はありませんでしたが、今、この宝の蔵へ自然に至ったというようなものです」  
世尊よ、長者とは、すなわち如来のことです。子とは、私たち衆生のことです。  
如来は常に、私たちを如来の子であるとお説きになります。

【解釈】  この物語は、妙法蓮華経信解品第4に説かれており、長者とは仏で、息子は衆生である。機根が整っていない衆生に、いきなり一仏乗の教えを説くと、びっくりして気を失ってしまう結果になる。そこで仏は様々な化導方法をとり、時間をかけて機根を高めていくのである。そして、やがて一切衆生はみな仏の子であることを示し、成仏することができると説いているのである。
爾前経において、さんざん嫌われていた声聞の舎利弗に成仏の記別を与えることで、いわゆる小乗教と大乗教の融和が図られている。


 
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