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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

TEL 086-255-1155

岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

三草二木の譬え

釈尊が次のように言った。
「摩訶迦葉よ、如来がこの世に出現したのは、あたかも大雲が現れて全世界を覆うようなもので、如来の説法は雨のように一切衆生に平等に降り注ぐが、諸法実相という妙法一味の雨も、聞く者の機根(賢い、愚か、利発、鈍感など)によって、受けとめ方はまちまちである。  
よって、未だ悟っていない者は妙法によって悟りを開かせ、未だ妙法を理解していない者には妙法が尊いことを理解せしめ、未だ安心できていない者には妙法によって成仏できると安心せしめ、未だ涅槃の悟りを得ておらず妙法を悟っていない者には、妙法こそ一切衆生を成仏せしめる功徳力があることを悟らしめたい。」
釈尊は、摩訶迦葉及び諸々の大弟子たちに告げて語った。
「迦葉よ、如来は諸法の王であり、真実を説き、また方便で説き、説くところはすべて本質を究めている。一切の事象の帰趨するところを見極め、またすべての衆生の所業を知っている。そして智慧を開示して、衆生に知らしめるのである。  
この三千大千世界の山や川などに生える草木などは、様々な種類があり、名前も形も各々異なっている。  
時に厚く重なった雲が広がり、あまねく三千大千世界をおおって一時に等しく降り注ぐ。  
その雨は、すべての草木などを潤す。それは小さい植物、中程の植物、大きい植物のそれぞれの大きさに応じて降り注ぐのである。  
また、樹木にも大樹や小樹の違いがあるが、それぞれの大きさに従って潤うのである。  
一つの雲から降った雨によって、その種の性質に応じて生長することができ、花をつけ、実をみのらせるのである。  
植物などは、一つの大地から生じ、一つの雨に潤されるが、諸々の草木は、各々差異や種別によって様々な形態を持つのである。  
迦葉よ、心して知るべきである。如来もまた、それと同じなのである。  
如来が、世に現われる事は、大雲が起きるようなもので、如来の大音声によって、世界中の天人や、人間や、阿修羅に教えを聞かせる事は、この大雲があまねく三千大千国土を覆うようである。

【解説】  
この物語は、妙法蓮華経薬草喩品第5に説かれており、一切衆生が成仏できる教えは、三乗方便の教えではなく、一仏乗の法華経であり、妙法の経力と功徳力が絶大であることを説き明かされた。
そして、釈尊出世の本懐として説いた法華経を、疑わずに信じて行ずれば、智恵は愚かでも、業の深い者でも、三草二木のように妙法の慈雨に浴すれば、皆平等に成仏できるとされている。
「三草」とは、小の薬草・中の薬草・上の薬草である。 「小の薬草」は人界と天界に喩え、「中の薬草」は声聞と縁覚に喩え、「上の薬草」は、菩薩に喩えている。
「二木」とは、小樹と大樹のことであり、「小樹」は通教の菩薩で、「大樹」は別教の菩薩のことであるが、共に方便の教えによって菩薩行をするので、花は咲けども仏の実はならない。円教の菩薩行でなければ成仏できないのである。  
三草二木の譬えは、方便の教えによって修行する人々に喩えられている。そしてこれらの草木は、妙法の雨がなければ必ず枯死するように成仏できないが、円教の菩薩行に励む法華経の信者は、妙法一味の雨に平等に浴して成仏できると説かれている。  
この「薬草喩品」では、三乗方便の教えと一仏乗とを対比して、仏の広大な慈悲と、法華経の功徳と利益が大きいことを力説している。  


 
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