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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

TEL 086-255-1155

岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

化城宝処の譬え

僧たちよ、はるか昔のことであった。大通智勝如来には出家する以前に、十六人の子供があった。その十六番目の子供がわたしである。  
わたしたちが見習い僧であったとき、幾千万億の衆生を教化したが、その衆生とはここにいる声聞たちであり、未来世に会う声聞たちである。未だに声聞の地位にいても、わたしが阿耨多羅三藐三菩提を説いたことによって、仏道に入るであろう。なぜなら仏の乗物は唯一つであり、その他のものはないからである。  
あるところに、聡明で智慧があり、よく険しい道を知り尽くしている一人の導師がいた。  
莫大な宝の山を求めて、多くの人々を伴って、五百由旬の彼方にある場所に出かけた。  
しかし、その道は遠くて険悪であったために、初めは元気よく歩いたものの、だんだん疲れてきた怠け者が、
「我等は疲れ果て、もうこれ以上歩けない。先はまだまだ長いようだ。今から引き返すことにしよう」 と言った。  
導師は、そう思っている者がごく少数であることを知っていた。
「せっかくここまで来ながら、宝の山を逃すのか?なんという哀れなことだ」  
その時、導師は知恵をめぐらして、大神通力を使って、三百由旬の所にたちまちに大きな幻の城を現した。
「あの城に入って一休みし、疲れを癒そうではないか」  
人々は大喜びで城内に入って休息し、すでに目的の宝の山に到達したかのように思ってしまい誰も出発しようとしなかった。  
そこで導師は、声を大にして人々に告げた。
「この城は、皆があまり苦しがるので、お前たちを休ませるために神通力により現した化城であり、目的の宝がある場所ではない。目的の場所は残り二百由旬の所にある。もうひと踏ん張りして歩こうではないか」  
そう言って、化城を消してしまった。
「もうこれ以上、歩くことはできないから帰りたい」という者もいた。  
導師は、
「帰りたい者は帰りなさい。しかし、帰るには三百由旬の悪路がある。目的の宝所は、あと二百由旬の所にあるのだから、帰るよりは近いし、道も良いので楽である」 と言い聞かせた。  
これを聞いた人々は、再び元気を取戻し出発し、遂に目的の宝所に至り、思う存分宝を手に入れることができた。  
僧たちよ、如来もまたこのようなものである。衆生のために道案内となり、生死、煩悩の悪路を通り過ぎなければならない。  
もし衆生が一仏乗のみを聞いて導かれるならば、衆生は次のように思うだろう。
「仏道ははるかに遠い、久しく苦しい道のりを 歩いていかなければ、到達できない」  
仏は方便をもって、道の途中に休息するため、 二乗すなわち声聞乗と縁覚乗という仮の城を設けて、真実の城すなわち一仏乗の城へ導くのである。

【解説】  
この物語は、妙法蓮華経化城喩品第7に説かれており、導師は仏、旅をする人々は一切衆生、五百由旬の道のりは仏道修行の厳しさや困難、化城は二乗の悟り、宝処は一乗の悟りを示している。
宝の国である仏国に至るまでには、三界迷妄の世界を出て、二乗の国を通り、次に菩薩の国を通らねばならない。  
二乗がその自らの悟りに満足して安住していることを気付かせ仏道修行を続けて、一仏乗の境界に至らしめることが説かれている。  
法華経の中では、遥か昔の大通智勝如来が出世された時、仏法を信じられず信心を止めようと思った人々が、再び釈迦仏の時代に生まれて仏に見(まみ)え、四十余年の間、様々な教えを説いて仮の悟りを開き、それは真の悟りではなく修行により真の宝である一仏乗の教えに到達させるという因縁を明かしている。 


 
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