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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

TEL 086-255-1155

岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

衣裏繋珠の譬え

説法第一の富楼那(ぷるな)や五百人の阿羅漢達が、成仏が約束されたことについて、 「世尊。私たちは最高の完全な悟りを得たと思っていましたが、自らの少しはかりの智慧で満足して無知であったと知りました。」 と語り、次にその喜びの心を次のような譬えをもって述べた。  
ある人が、金持ちの親友の家を訪ねて、山海の珍味をご馳走になり、酒に酔って寝てしまった。
この時、親友は役所の仕事で急に行かねばならないことができて、酔いつぶれて寝ている友人の将来を案じ、価がつけられないほど高価な宝珠を、その衣服の裏に縫い込んで出かけた。  
しばらくして酔いが醒めてみると親友がいないので、しかたなく親友の家を後にした。  
あちらこちらへと流浪しながら、その日暮らしの貧しい生活を続け、衣食のために苦労して働き、何度も困難に出あった。そんな中、少しでも収入を得るところがあれば、それで満足していた。
後に男とその親友が、偶然にも出くわした。  
親友は、浮浪者のように哀れな姿をした友人を見て、驚いて言った。
「いったいどうしたのか。なぜそんなみじめな姿になっているのか。私は、昔、おまえが安楽になり、思うままに欲望を満足できるようにと思い、価がつけられないくらい高価な宝珠をおまえの服の裏につないでおいたのだ。見てみろ」
「あっ、確かに服に縫い込んである」
「このような事を知らないで、苦労して働き、苦しみ憂えた生活をすることは、甚だ愚かなことだ。おまえは、今この宝珠をすぐに売りなさい。常に思いのままにし、足りないと思うことがないようにしなさい」  
私達は大通智勝仏の十六王子によって、既に法華経の一念三千の仏種を頂いておりながら、三乗方便の権経に執着し、阿羅漢になって満足していた。
これは、あたかも無明(むみょう)の酒に酔いつぶれていた哀れな男と同様であった。阿羅漢で満足するのではなく成仏という最高の境涯を求めるべきであった。

【解説】  
この物語は、妙法蓮華経五百弟子受記品第8に説かれており、富楼那が法明如来、阿若憍陳如(あにやきょうじんにょ)などの千二百の阿羅漢は普明如来、次に五百人の阿羅漢も同じ普明如来になると記別を与えられている。その中の五百人の阿羅漢が、釈尊の説法に歓喜して説いた譬えである。  
この物語の金持ちである親友とは仏で、貧乏な男は声聞である。二乗の教えで悟ったと満足していた声聞が、再び仏に見(まみ)え、宝珠である真実一乗の教えをはじめて知ったことを表している。


 
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