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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

良医病子の譬え

智慧に優れて賢く、事理に明らかで物事の道理に通達している医師がいた。薬を処方することに熟練しあらゆる病を治療することができた。  
その医師には、多くの子があり、百数十人に及ぶ。医師は、仕事の縁があって、遠くの他国に行った。  
子供たちは、父が出かけた後、毒薬を飲んでしまった。毒薬の効果が現れて悶え苦しみ混乱して、地面をのた打ち回った。  
この時にその父が国に戻り、家に帰って来た。  
子供たちは毒を飲んで、ある子は正気を失い、別の子は正気を失っていなかった。  
その父を見て、みんなたいへんに歓喜し、ひざまずいて問いたずねた。
「よく無事に帰って来られました。私たちは愚かで道理にくらいため誤って毒薬を飲んでしまいました。どうか治療して救ってください。そして、もっと長生きができるようにしてください」  
父は、子供たちのこのように苦悩する姿を見て、諸々の処方によって、良い薬草で色も香りも味もすべてが良いものを求めて、すり潰し、まぜ合わせて、子供たちに与えて飲ませようとした。
「この優れた薬は色も香りも味も悉く具わっている。この薬を飲みなさい。すぐに苦悩は除かれ、病はなくなるよ」と言った。
子供たちの中で正気を失っていない者は、この良薬の色も香りも共によいのを見てすぐにこれを飲み、苦悩はことごとく除かれ病は癒えた。  
しかし、正気を失った者は、その父が来たのを見て、歓喜して病を治してもらいたいと願うのだが、その薬を飲もうとはしなかった。  
その理由は、毒の成分が深く入って正気を失っているために、このよい色と香りのある薬を良くない薬と思ったからである。  
父はこう思った。
「この子らは哀れである。毒にあてられて、心が皆、顛倒している。私を見て、喜んで治療してほしいと求めたけれども、この薬をあえても飲もうとしない。それでは仮にとる便宜的な手段によってこの薬を飲ませることにしよう」  
そして父はこう言った。
「おまえたち、よく聞きなさい。私は年老いて死ぬ時がやって来た。このよい薬を今ここに置いておく。おまえたちはこれを飲みなさい。治らないと心配したりする事はないのだ」  
このように教え終わってから、また他国に行き、使い帰らせて告げた。
「おまえたちの父は、死んでしまった」  
この時に子供たちは、父が死んだと聞いて、心は大いに憂い悩みに満ちた。
「もし父が生きていたならば我らをいつくしみ憐れんで、よく救い護って下さるであろう。今、わたしたちを捨てて、遠く他国で亡くなられた。自ら思い巡らすと孤独であってまた頼みとすることもできない。」  
子供たちは、常に悲しみの感情を心に懐いて、心がついに迷いからさめて悟り、そしてこの薬の色も香りも味もよい事を知った。そしてこの薬を飲み、毒の病は皆癒えた。  
時に子供たちが悉く治ったと聞いて、父はふたたび帰って来て、すべての子供たちと再開したのである。  
仏法を信じる者よ、どう思うか。この医師の嘘を罪と説く者がいるであろうか。  
いいえ、世尊、おりません。

【解説】  
この物語は、妙法蓮華経如来寿量品第16に説かれており、良医は仏、病で苦しむ子供たちは衆生、良薬は法華経のことである。良医が帰宅し病の子らを救う姿は、仏が一切衆生を救う姿であり、良医が死んだという「うそ」を言っても「不妄語戒」を破ったことにはならないとしている。  
これは、如来寿量品の前にある従地涌出品において、六万恒河沙という途方もない数の地涌の菩薩について、弥勒菩薩が「釈尊は、三十歳で成道して四十余年なのにどうしてこれほどの菩薩たちを教化してきたのか」と疑問を持ち、これに対する答えとして、釈尊は実は五百塵点劫というはるか昔に成仏した久遠実成の仏であったことを明かし、始成正覚の仏だと説いてきたことを否定することを譬えたものである。


 
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