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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

TEL 086-255-1155

岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

子を失った親

ある大金持ちに一人息子がいた。
両親は、それはそれは大層な可愛がり方で、大切に育てていた。  
しかし、その子供は、その後に病を得てあえなく死でしまった。
両親が、その死に際に一心に仏を念じたので、その子は次の生には天に生れることができた。
それとは知らぬ父母は、我が子の亡くなったのを悲しみ、後を追って死のうとまで思い苦しんだ。
さて、どれ程嘆いてみても返らぬことから、火葬をしてその白骨を拾い取り、銀の瓶に納めて墓場に納め、月の十五日になれば百味の飲食を供え、その前で声をあげて嘆き悲しんでいた。  
この有様を天上からその子が見て、浅ましく思い、父母を諭そうとして小児の姿に変化して、道辺で牛を引いていた。
ところがその牛がコロリと死んでしまい、地に倒れた。
小児は草を取って来て死んだ牛の口に当てがい、杖で牛を打って「起きて食べよ。起きて食べよ」と必死に叫んだ。  
最前からこの有様を見ていた父母は、頑是無い子供の仕打ちを笑いつつ進んで問うた。
「坊はどこの子です。なぜそんな馬鹿なことをしていますか。牛はもう死んでしまっているでしょう。それに草をやったって食べやしませんからおよしなさい」  
すると子供が振り返って笑って答えた。
「ぼくの牛は死んでいても、まだ頭も口もちゃんと有る。それに草をやって食わないんだもの。おじさんたちの坊ちゃんは死んでから久しいんでしょ。それに火を付けて焼いて骨になっているんでしょ。そんな骨なんかにたくさんご馳走をしてやったって、どうして食うもんか」  
これを聞た父母は自分逹の愚痴を悟ったのであった。
       (衆経撰雑譬喩)


 
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