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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

貧女の一灯と庭師の献花

その昔、釈尊が王舎城の霊鷲山にあって、多くの人々を集めて説法されていた時のことである。
ある時、摩羯陀(マカダ)国の阿闍世王が、釈尊を招待して飲食の供養を捧げ、釈尊は快くこれをお受けになり霊鷲山へと帰って行った。
その後、しばらくたって王は大臣の祇婆(ぎば:「耆婆」ともいう)に次のように相談した。
「先日は釈尊を招待して飲食を供養したわけだが、次には何を供養したらいいだろうか」
大臣は答えた。
「次は灯火の供養を捧げたらいかがかでしょうか」
王は祇婆のこの言葉を受けて、さっそく百石の麻油を用意し、これを車に乗せて釈尊の元に贈った。
この時、王舎城の城下に一人の貧しい老婆が住んでいた。
そしてこの老婆も釈尊に供養を捧げたいと常に願っていたのだが、なにしろ一人暮らしの貧しい身ではどうすることもできずにいた。
しかし、この老婆は、道で王が釈尊に贈る麻油の車に出会って深く感激し、灯火を供養しようと思い立ったのだった。
そこで老婆は道行く人々に乞うて、わずかなお金を恵んでもらい、これをもって油屋へ行って麻油を買い求めた。
油屋の主人は、この老婆の様子を見て言った。
「婆さん。見るとあんたはものすごく貧乏な様子だが、なぜこのお金で食べ物を買わないのかね。油では腹が一杯にはならないよ」
すると老婆は、笑顔をたたえながら言った。
「わしは、百劫の間にただ一度だけしか仏に出会うことができないと聞いる。ところが、今幸いにも、わしは仏様の世に生まれあわせた。この会いがたき仏様の世に生まれながら、今までわしは貧乏のために供養を捧げることができなんだ。じゃが、今日王様が百石の麻油を整えて灯火の供養をなさる様子を見て、わしも決心したのじゃ。心ばかりの一灯じゃが、仏様に捧げて未来の生死の苦しみから脱して、悟りの道に向かいたいのじゃ」
この老婆の言葉を聞いた油屋の主人は、老婆の信心深さに感じ入り、一合分の代金で五合の油を売ってやった。
老婆は喜んでその油を捧げに釈尊の所へ行き、これを灯火にして供養したのだった。
供養をしながら、次のようにつぶやいた。
「こんなわずかな油では半夜しか燃えないじゃろう。でも、もし仏様がわしの信心をお認めくださり、哀れんでくださるなら、この灯火は夜通し燃え続けることじゃろう」
さて、その夜、城下には強い風が吹きまくった。町中のありとあらゆる灯火は消え、もちろん王が釈尊に捧げた灯火とて例外でなく消えてしまった。
しかし不思議なことに老婆の捧げた灯火だけは風に消えることなく、油も尽きず、煌々(こうこう)として夜通し燃え続けていたのだった。
翌朝の未明に、老婆はまた仏の所に行き、この光景を見て深く心に喜び、釈尊を礼拝した。
その時、釈尊は目連に向かって命じた。
「天はすでに明るくなった。灯を消すように」
目蓮は釈尊の指示を受けて、立って一つ一つ灯火を消していった。
他の灯火はことごとく消えてしまったが、この老婆の灯火だけは三度消したが消えない。
さらに袈裟を挙げてあおいだのだが、灯火はますます明るくなるばかりだった。
さらに神通力をもって台風を起こして灯火を吹いたのだが、かえってそれによって灯火はいよいよ燃えさかり、その光は上は梵天を照らし、横は三千世界を照らし、宇宙のことごとくがこの一つの灯火によって照らされ、法界のすべてがこの灯火に目を向けた。
釈尊は言われた。
「止めよ。この老婆は過去に百八十億の仏を供養して、前世の仏から成仏の予言を受けているのである。しかし、ただ人々に向かって法を説いて教え導くばかりに専念していたので、いまだ布施の修行をする暇がなかったのだ。そのため今世は貧しい身と生まれ財産を持たないだけなのである。しかるにいま心からの一灯を捧げ、布施の修行を満足した。これより三十劫の後、すべての功徳を成就して仏となるであろう。その名を須彌燈光(しゅみとうこう)如来と呼び、その仏の世界には日と月が無く、その世界の人々の身中は自ら光明を発し、その家を飾る諸々の宝の光は互いに照らし、あたかも帝釈天の宮殿の宝珠が互いに交錯し合って映し出しているがごとくであろう」
老婆は釈尊からこの予言を聞いて、大いに喜び、小踊りして虚空に昇り、再び地上に降りて釈尊の足を礼拝して帰って行った。
阿闍世王はこの樣子を見て、祇婆大臣に向かって言った。
「わたしは仏の道を敬い、今日まで仏に供養し続けたにもかかわらず、仏はわたしには予言を与えてくださらない。かえって、この貧窮の一老婆が捧げるささやかな一灯の功徳にたいして、成仏の予言を与えられた。これは一体どういうわけであろうか」
すると祇婆大臣は即座に答えて言った。
「王様のなされることは豊かではございますが、心がそれにともなっておりません。あの老婆の供養はささやかではありますが、仏に向かってそそいだ誠実な真心は、とうてい王様のものとは比べものにならないのです」
王は祇婆大臣のこの言葉に深く感じて、さらに仏に向かって供養の誠を捧げようと思い、王宮に釈尊を招待した。
そして王は釈尊が来られる前夜、多くの庭師にたいして、
「明朝、もっともよく咲いた花を採って王城に持って来るように」と命じた。
釈尊は明朝、寺院を出て道々の人々に対して法を説きつつ、静かに王城に向かって歩みを進めた。
そして朝の日が樹々の緑をすがすがしく照らしだす頃、釈尊の一行は王城の門へと着いた。
ちょうどその時、庭師のひとりが花を抱えて庭園を出ると、王城の朝の大路を悠々と進んでこられる釈尊の一行に出会った。
さらに彼は、釈尊が法を説く朗らかな声を聞いたので、彼は喜びが身に溢れ、すべてを忘れて持っている花をことごとく釈尊の上に散じたのだった。
すると散らされた花は空中にとどまって、釈尊の頭上を覆い、その回りをぐるぐると回った。
そこで釈尊はこの男に向かって次のように言った。
「あなたは過去に九十億の仏を供養した。これより百四十劫の後、その功徳によって仏となり、その名を覺華(かくけ)如来というであろう」
彼はこれを聞いて大いに喜び、身を踊らせて虚空に昇り、さらに地上に降りて仏の足を礼拝した。
しかし彼は仏を礼拝し終わって、我にかえると、こう思った。
「王様は短気で残酷なお方だ。わたしはこの王様から昨夜、仏に供えるための花を探して持ってくるようにとの命令を受けていたが、今その花をことごとく仏に奉ってしまった。わたしは王様の命令に背いたことによって、命はないものと覚悟せねばならないだろう」
そこで彼はわが家に帰り空の花籠を戸外に置くと、妻に向かって言った。
「自分はこれから王様に殺されに行かなければならない。自分はまだ朝飯を食べてはいないので、最後の朝食を食べたいから支度をしてくれないか」
妻はこの突拍子な言葉を聞いてたいへん驚いた。
「どうして王様に殺されなければならないのですか」
そこで彼は、ことの始終を彼女に語った。
聞いた彼女は突然の不幸を嘆き、涙ながらに台所に行って、愛する夫のために最後の朝食を用意した。
さて、この時、帝釈天は天上から地上に降り、彼の妻が台所にいる時に、戸外の空っぽな花籠に天上の花を一杯入れて立ち去った。
彼女が朝食の盆を持って戸外に目をやると、今まで空だった花籠に、地上のものとは思われない美しい花が一杯に盛り上がっているではないか。
彼女はこれを見て驚きの声をあげて夫を呼びに行った。
夫は戸外に出て花籠に一杯に盛り上がった美しい花を見て、
「朝飯なんぞはどうでもいい」 と言い捨てると、この花を抱え喜び勇んで王城へ駆けつけた。
その途中に彼は釈尊を迎えるために王城から出てきた王とばったり出会った。
王は今まで見たこともない美しい花を見て、庭師をどなりつけた。
「この花園のなかに、このような美しい花が咲いていたのか。それなのに、なぜお前は今までそれをわしに献上しなかったのだ。この花を、今まで隠していた罪によって、お前を死刑に処する」
この言葉に庭師は、うやうやしく王に答えた。
「王様、この花は王様の花園の中に咲いていた花ではございません。わたしが今朝早く命令により、花園の花を切って王城に向かう途中で、仏様にお会いしました。わたしは仏様を見て、仏様の声を聞いた喜びにすべてを忘れ、その花を仏様に供養いたしました。しかし王様の命令を忘れたことは死に値することです。そこで、わたしは死を覚悟し、最後の朝食に家に帰り妻に支度させておりますと、今まで空だった花龍の中にこの花が一杯に盛り上がっていたのです。王様。この花は天上の花です。わたしは貧しい家に生まれ庭師となり、王城の規則にしばられ上司の指図に従うのみで、いまだ仏道を修行することができませんでした。しかし今朝、はからずも仏様から予言を受けました。予言を受けました以上、わたしにとって死はなんでもございません。死後は必ず天上に生まれ十方の仏前において、自由に仏道を修行することができるでありましょう。したがって大王がわたしを殺されても、決してお恨み申し上げません」
このように彼は泰然として王の面前に坐したのだった。
王は庭師の言葉を聞いて深く感じ入った。
そして王は即座に来来の仏である庭師を礼拝したのだった。
こうしているうちに釈尊は王城に到着せられ、王の歓待を受け終わって祈願して帰っていった。
釈尊が去った後で、王は祇婆大臣に言った。
「前に仏に灯火の供養をした時は、老婆が予言を受けた。本日仏を招待して、また庭師に予言が授けられた。しかるに招待し供養した主人であるわたしは、なんらの得るところもない。わたしは非常に不愉快である。一体どうすればよいのであろうか」
すると祇婆大臣は答えて言った。
「王は毎日のように仏を供養なさいます。しかし、それは国の財産を用い、民の力を使っての供養でございます。しかも自負のお心がございます。そうした供養をいかにお続けなさろうとも、仏は決して予言をお授になりますまい。今度はご自身のお持ち物をさき、お飾りの櫻洛や七宝の衣服を脱いで、自ら宝の花を作って、一心に仏に奉ったならば必ず予言を受けられると存じます」
そこで王は食事を減らし、昼夜に戒律を守り、身に着けた諸々の宝を脱いで、自ら花を作ることに従事した。
そして九十日余りかかって、やっと宝の花ができあがった。
そこでさっそく、仏にこの花を捧げようと準備を命ずると、傍らにいた一人の大臣がこう申し上げた。
「聞くところによりますと、仏は鳩夷那竭(くしなが)国へ行かれ、そこで涅槃せられたということでございます」
王はこれを聞いて大いに悲しみ、涙にむせびながら言った。
「わたしは心をこめて、自からこの花を作った。しかし仏がすでに涅槃せられたのならば、わたしは霊鷲山に詣で、せめて仏の座処にこの花を捧げたい」
すると祇婆大臣は、王に言った。
「仏とは、肉体が無いものであり死滅することはありません。不住不滅であって、至心の者のみが仏を見奉ることができるのです。いま大王にこの至誠があるからは、仏は涅槃されていても必ずその尊きお姿を御覧になることができると存じます」
そこで王は、さっそく霊鷲山に行ったところ、祇婆大臣の言葉のように釈尊はその尊き姿を王の前に現わされた。
王は仏を見奉って非常に喜び、涙を流して仏の前に進み、足を礼拝して七宝の花を仏の頭上に散じた。
空中に投げられた花は化して七宝の蓋(おおい)となり、仏の上を飾った。
そして仏は王に向かって予言の言葉を投げられた。
「これより八万劫の後、王はまさに仏となるであろう。その仏の名は浄其所部(じょうごしょぶ)如来と言い、その仏の世界を華王世界と言い、劫の名を喜観(きかん)と言い、その人民の寿命は四十小劫であろう」
ところで王の太子はそのとき八歳であったが、父が予言を授けられるのを見て、大いに歓喜し、身に着けた諸々の宝を脱いで仏の上に散じて言った。
「願わくば浄其所部如来が仏となられる時、わたしは金輸聖王(こんりんじょうおう)となって、その仏を供養せていただきとうございます。またその仏が涅槃せられた後、わたしはその後を受けて仏となりとうございます」
太子が散じた宝は瓔珞を連ねた帳(とばり)となって仏の頭上を覆った。
釈尊はまた太子に向かっても予言の言葉を投げられた。
「そなたの願うごとく、王が仏となる時に、そなたは金輸聖王となり、寿命が終って兜卒天(とそつてん)に生まれ、寿命尽きてまたくだって仏となるであろう。その仏の名を栴檀如来(せんだんにょらい)といい人民の寿命、国主の所有、ことごとく浄其所部如来と同じであろう」
予言を受け終わって、阿闍世王と太子とは、進んで釈尊の足を礼拝し、礼拝し終わり頭を捧げて見れば、仏の姿はそこにはもうなかったということである。
                    (阿闍世王授決経)

【解説】
阿闍世王授決経は、大正新脩大藏經で経集部(第十四巻)に属している。訳者は西晋の僧侶釋法炬(しゃくほうきょ)である。この経典は「貧女の一灯」の元となったものである。


 
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