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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

TEL 086-255-1155

岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

約束を破った報い

その昔、お釈迦様が王舎城におられたときのことである。
城内の悪い竜が、しきりに暴風雨をおこしやヒョウを降らすので、住民たちは作物の不作に心を痛めなればならなかった。
このとき、城中に一人の神通力を持っているバラモンがいて、よくヒョウが降るのを予知して祈りで止めていた。そのために城中の人々は、もうけた金のいくらかを、このバラモンに差し出していたのだった。
このころ、南インドにヒョウを止める神通力に最もすぐれた一人のまじない師がいた。彼はインドのある城中に威力の最もすぐれた竜王の宮殿があるのを聞いて、
「その竜王を降伏させて、その力を自分のものにしたいものだ」と思った。
そこで彼は国をたって城に向って出発したのだった。そしてその途中、王舎城のバラモンの家に泊まった。
その時に、ちょうど空中にあやしい雲が現われてヒョウを降らそうとした。かの王舎城のバラモンは、このヒョウを祈り止めることができず、おそれあわてて家に出たり入ったりしていた。 南インドから来たまじない師は、不思議に思い彼の妻に尋ねた。
「ご主人はいったいどうかなされましたか」 すると、妻は心配そうに答えた。
「ヒョウの雲が今日はあまりにも盛んで、これを止めることができないので、主人は困っておるのでございます」
「それでは、私がそれを何とかしたいと思いますが、どうでしょう」
「そう願えれば助かります。どうかお願いいたします」
そこで彼は少しばかりの水を持ち、呪文を唱えながら空にそそぐと、いままで勢いの盛んであったヒョウの雲は、四方に散ってしまった。
城中のすべての人は、それを見てたいそう喜び、これは城中に住んでいるバラモンの力であると思い、これにたくさんの贈り物をした。
彼はその人々に向かって、
「どうして私はこういう物をいただくのでしょうか」と尋ねた。
そこで人々は不思議に思い、
「あなたの神通力で、ヒョウの雲を散らしてくださったからです」
「いえいえ、それは私が散らしたのではありません。南インドから来たまじない師が散らしたのです」と正直にそう言った。
そこで人々はその贈り物を持って、南インドのまじない師のところに行き、それを差し出して言った。
「あなたの神通力で、王舎城の人々は助かりました。これからはどこへも行かずここに住んでいただけませんか。あなたへの贈り物は欠かしはいたしません」 こう頼まれて、彼もここに住み家を定める気になった。
そして、彼は神通力でもってヒョウの雲を永久に封じ込めてしまった。
かくて、暴風雨やヒョウによる害は、王舎城を見舞わなくなった。
それから長い月日が経過し、城の人々は、まじない師が封込めたことを忘れ、我々の福徳の力によってヒョウの害から逃れたのだと思い、かのまじない師にたいして贈り物をしなくなった。
そこで彼は怒りを抱き、その呪法をといて王舎城を去って、はじめの目的地へ向かって行ってしまった。
彼が去ると間もなく、王舎城は再び暴風雨やヒョウのために悩まされた。そこで城中の人々は、古くからいるバラモンを訪れて、南インドのまじない師の住み家を聞くと、彼はこう答えた。
「あなた方が、はじめの約束を守らず贈り物をしないから、あの人はここを去ってしまったのです」
これを聞いて、皆は後悔しましたが後の祭りだった。
一方、南インドのまじない師は、旅をかさねてコーサラ国に入り、その都、舎衛城(しゃえじょう)にいた波斯匿王(はしのくおう)に面会してお願いした。
「大王よ。大王の領域に、孫陀羅(そんだら)という竜王が住んでおります。かの竜王はその宮中深く不思議な薬を秘蔵しております。それを服しますれば、かの王と同じ力を得るということでございます。願わくば王よ、私をその竜宮へ案内していただきとう存じます。私がその薬を得ましたならば、その半分を大王に献上いたします」
すると、大王はこれをさえぎって、
「まじない師よ。かの竜王は凶悪である。一度彼の怒りにふれたならば生きていることはできない」
「大王よ、ご心配ご無用です。わたしは神通力に通じております。たとえ全世界が孫陀羅竜王となって、向かってまいりましても、これを降伏させることができます。まして、ただ一匹の竜王が、私にとってなんでございましょう。決してご心配くだいますな」
そして彼はなお言葉を続けて言った。
「大王の人民の中で、犯罪のために死刑になる者がございましょうか。もしございましたら私につかしてください。私はその男を案内者として、かの竜宮へまいりたいと存じます」
王はまじない師の願いを許し、罪人を呼んで彼に従わせた。
二人は、王宮を辞して竜王の住み家へと向かい、しばらく行くと罪人は指さして言った。
「あのこんもりとした森の中に竜宮があります」
彼は罪人と別れて、ひとり竜宮に入り、難なくこの薬を奪い取って帰ってきた。
そして、はじめ約束どおりその半分を王に献じ、コーサラ国を辞して本国へと帰って行った。
ところでその途中、彼は王舎城に止ち寄り、先年泊まったバラモンの家を再び訪れた。
バラモンはこのことを城中の人々に知らせると、待ちこがれていた人々は、たくさんの贈り物を持って旅のまじない師を訪れた。
「先年はなんとも申し訳ないことをいたしました。私どもはみな深く後悔いたしております。今度こそはご不由由いたさせませんから、どうかここにお止まりください」
だが彼は冷たく言った。
「私は先年、あなた方にだまされました。もう私はここに住む気はありません」
しかし人々は熱心にとどまることを願った。旅のまじない師もその熱心さに動かされて、とにかくしばらくだけ止まることを承知したのだった。人々は喜んで、たくさんの金や土地を、旅のまじない師に与えた。
そこで彼はここにとどまって、あるバラモンの娘を妻にめとり、男の子と女の子が生まれた。彼は二人の子供を大変可愛がった。
また王舎城の人々は、彼に孫陀羅という名をつけた。しかし彼はここに落ち着くと、またこう考えた。
「ヒョウ雲が起こるたびにまじないの術を修するのは、はなはだ面倒である。今後再び起こらないように、これを封じ込めでしまおう」
かくて彼は、呪法をもって永久に、ヒョウが降らないようにしてしまった。
しばらくヒョウによる害から遠ざかると、王舎城の人々はまたこう考えた。
「われわれの福徳の力によって、ヒョウは降らなくなった。もうあのまじない師孫陀羅に贈り物をする必要はない」
かくて、再び孫陀羅に贈り物をする者がなくなった。
孫陀羅はあきれてて、再び呪法をかけようともしなかったし、また、その子にも教えず、ほとんど全部忘れてしまった。
竜王から奪った薬物も蔵にしまい込んだままにしていたので、すっかり効き目がなくなってしまった。 その後、孫陀羅はその呪法を試みて見たけれども、もうすっかり忘れていたので、なんの力もでなかった。
孫陀羅は深く王舎城の人々を恨み、なんとかしてもとの呪力を回復し、仕返しをしてやりたいと考えた。 孫陀羅はあらゆるバラモンの学者をたずね歩き、
「どういう方法によったならば、自分の求むるところが意のままになる法術が得られるでしょうか」とたずね聞いた。
あるバラモンは火に入れといい、あるバラモンは毒を飲めといい、あるバラモンは高い岩から身を投げろといい、あるバラモンは綱を首に懸けて木の枝からさがれといい、みな命を捨てることは教えるけれども、肝心の法術は、少しも示してくれなかった。
孫陀羅はこのため歩きつづけ城外の竹林精舎にたどりついたとき、一人の修行者に会った。
孫陀羅はまたこの修行者に向かって、
「どういう手段によったならば、求めるところを意のままにする法術が得られましょうか」 と聞いた。
すると、その修行者は、
「孫陀羅よ。世尊のところに行かれて出家したならば、得られるでしょう」と答えた。
孫陀羅は重ねて、
「出家して、いったいどういうことをするのでしょうか」と聞くと、修行者は答えた。
「仏のもとにあって、教えを修行し、煩悩を去り、この肉身が亡びると、未来の世において求めるものが意のままになります」
「聖者よ、それは私にはできません」
「それができなければ、もう一つの手段を教えよう。それは仏と仏弟子とを招待して、飲食を供養することです」
「聖者よ、それもわたしにはできません」
「それならば、世尊の弟子の四大声聞を招待して、心のかぎり供養するがいいでしょう。そうすれば、求めるところのものが得られるであろう」
「聖者よ、それならば私にできましょう」
そこで孫陀羅は四大声聞を招待して、心のかぎり供養して、一つの願を起こした。
「願わくはこの善根によって、竜王をその宮殿から滅ぼして、その代わりに、私をかの竜宮に生まれさせてください。そうして王舎城の人々に、大なる災いを与えさせてください」
これを聞いていた孫陀羅の妻も、喜んで言った。
「私もその竜王の妻として、彼の竜宮に生まれさせてください」
その子もまた言った。
「私もその竜王の子として、彼の竜宮に生まれさせてください」
その娘もまた言った。
「私もその竜王の娘として、彼の竜宮に生まれさせてください」
このように願って彼らは自分の部屋に入って眠った。すると五色の雲が空一面にみなぎり、大雨は王舎城に降りそそいで、かのまじない師の家の床壁をひたして家は倒れてしまった。 そのとき彼および彼の家族は、ことごとく姿を没してかの竜に生まれ、もとから住んでいる竜王を追い出して、みずから竜王となり、六万の一族に取りかこまれて、その宮殿の王となった。
彼が願って悪竜になったのは、王舎城の人々に怨みをはらすためだった。 彼は先に一族の諸竜をマカダ国につかわして、よい雨を降らし、十分五穀を実らししておいてから、みずから六万の一族を率いて、一時にりんごのような大きさのヒョウを降らして、その苗を裂き、さらに大雨を降らせてその根まで流してしまった。
王舎城の人々は過去の行ないを省みて語りあった。
「ああ、なんとしたことか。この竜王は、稲のわらまで流してしまった。あのとき、もっと贈り物をしておけばよかったものを………」
(根本説一切有部毘奈耶薬事第四)

【解説】
★根本説一切有部とは
仏教は釈尊が開祖であるが、滅後すぐに経典の第一次結集が行われ教義を統一した。しかし、滅後100年位に戒を巡り対立が起こり経典の第二次結集が行われた。その対立の発端は次の2説がある。
1 十事の非法
跋闍子比丘(ばっじゃしびく)が、「前日に布施された塩を蓄えておいて食事に供してよい」、「正午後にも、一定時間内なら食事をしてよい」などの10項目の従来の戒律に反する行為の正当性を主張したこと。
2 大天の五事
大天(だいてん)という人物が、阿羅漢の完全性について異義をはさみ、阿羅漢でも「無知が残っている、疑いが残っている、他人から知る知識がある、さとりはことばによって表される、夢精をすることがある」という5項目の内容を説いた。
これらの立場を認めるものが、大衆部となり、否定するするものが上座部となったと伝えられており、これを根本分裂という。 そして、その後も分裂していき20の部派となった。(北伝仏教の説)
☆上座部は次の11に分裂した。
説一切有部(せついっさいうぶ)
雪山部(せっせんぶ)
犢子部(とくしぶ)
法上部(ほうじょうぶ)
賢冑部(じんちゅうぶ)
正量部(しょうりょうぶ)
密林山部(みつりんさんぶ)
化地部(けたぶ)
法蔵部(ほうぞうぶ)
飲光部(おんこうぶ)
経量部(きょうりょうぶ)
☆大衆部系は次の9つに分裂した。
大衆部(たいしゅうぶ)
一説部(いっせつぶ)
説出世部(せつしゅっせぶ)
鶏胤部(けいいんぶ)
多聞部(たもんぶ)
説仮部(せっけぶ)
制多山部(せいたざんぶ)
西山住部(せいざんじゅうぶ)
北山住部(ほくざんじゅうぶ)
合計20の部派となる。
この上座部の中で最も大きな教団が説一切有部であった。

★根本説一切有部毘奈耶とは
「毘奈耶(びなや)」とは律のこと。 根本説一切有部毘奈耶薬事第四は、大正新脩大藏經で律部に属している。訳者は唐の僧侶義浄である。この経典は全50巻で、比丘戒249条や教訓物語を説いた大部なものである。
★義浄とは
山東省歴城県の出身、俗姓は張氏で、幼時に出家し、中国唐の時代の僧侶となる。36歳の時に海路を経てインドに入り20年以上滞在し,特に戒律に関するサンスクリット仏典をたずさえて帰国して翻訳を行なった。


 
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