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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

しみったれな長者

その昔、釈尊が王舎城の霊鷲山にあって多くの人々を集めて説法されていた時のことである。
あるところに、たいへんしみったれな長者がいた。
釈尊は、この長者を哀れんで救おうとされた。
まず智慧第一の舎利弗を遣わされた。
仏の指示を受けた舎利弗は、長者の家に行って、布施の福徳の広大無辺なることを説き、数々の実証を示して、長者のためにケチの心から離れるよう説いた。
しかしながら、もともとケチである長者には、布施の気持ちなどあるはずがなく、そのうちに食事の時間になると、長者は荒々しくこう言った。
「舎利弗よ、早く帰れ。わたしの所には、お前に与えるような食べ物は、何もない」
舎利弗は、縁なき衆生とあきらめてむなしく釈尊のもとに帰った。
すべてのようすを聞かれた釈尊は、今度は神通第一の目連に行かせた。
むろん、その間に目連は、しばしば不思議な神通力を現わして長者の教化に努めた。
しかし、長者の耳には目連の説法もなんの影響も与えなかった。それのみか、彼の現わした神通力は、ただ長者の反感を高めるばかりだった。
しみったれな長者は、こう言った。
「目連よ。あなたが先ほどから現わされた数々の幻術は、わたしの所有物をごまかす手段であろう。その手に乗るようなわたしだと思っているのか」
このため、さすがの目連も、またサジを投げて引きあげる始末だった。
釈尊は、なんとかして長者のケチを破ろうと種々に考えられた末、今度は神通力をもって長者を引き寄せられた。
長者は、釈尊の光明に輝く姿を見ると思わず礼拝した。
そこで釈尊は、たくみに説法の機会をとらえられた。
「長者よ。あなたは五大施の行を修めるか」
「世尊よ。わたしは小施すら思うにまかせぬ者であります。いわんや大施などとはもってのほかのことであります。しかし念のためお聞きしますが、五大施と申しますのは、どういう布施でございましょうか」
「長者よ。五大施と申すのは、第一には不殺生ということである。無用の殺生をしないということが、あなたにはできないだろうか」
施という字がつけば、かならず財産に関係するものと頭から思いこんでいた長者にとって、釈尊のこの答えは実に意外だった。
殺生をしないということは、自分の財産とは全く無関係なことだ。金銭的な損害さえなければ、どんな布施でもできると考えたので、長者は釈尊にこう答えた。
「世尊よ。お話のような不殺生は、わたくしにもできると思います」
そこで釈尊は次に、不倫盗・不邪淫・不妄語・不飲酒と、一つ一つについて長者に念を押して言った。
長者はそのいずれもが自分の財産に得はあつても損害のない話なので、
「守ることができます」
と答えたのだ。
そこで釈尊は、さらに五戒について細かく説かれた。
「長老よ。よくこの五戒を持つことができれば、それはそのまま五大施の実行である。そのほかに、布施というものはないのである」
長老は心から喜んだ。そしてその歓喜の気持ちを表わすために、とりあえず一番悪い織物を供養しようと思って、倉庫の中をさがしてみた。
けれども、下等の織物が見当たらなかったので、やむなく上等の織物を取り出して釈尊の前に捧げた。
しかし、不思議なことに、たった一つだけ釈尊に供養しようと思ったのに、その他の織物もことごとくついて来て、釈尊の前にずらりと並んでしまった。
そのとき釈尊は、長者の当惑した顔つきを見てとられ、長者の布施が本心からのものでないことを覚り、また法を説かれた。
「長者よ。かつて帝釈天と阿修羅との間に、戦いが行なわれたことがあった。そのとき帝釈天の心に覚悟ができていなかったので、三度まで阿修羅軍のために惨敗したのである。しかしその後、覚悟をもって戦ったので、帝釈天は最後に大勝したのである。事が成るか否かは、決定心の有無によるのだということが、この一つの譬えでもわかるであろう」
ところでこの長者の心の変化を見て驚いたのは悪魔だった。悪魔は翌日、長者の道心を破る目的をもって、釈尊の形に化けて長者の屋敷を訪ねた。
何も知らない長者は、まことの釈尊が来られたと思い喜んで上座に迎えた。
「長者よ。わたしは昨日いろいろのことを説いた。しかし、あれはみな仏としての説法ではない。したがって、昨日のことはすべて水に流してもらいたいと思い、今日わぎわざ来たようなわけだ」
しかし、仏道を求める心に目覚めた長者には、この言葉は、どうも釈尊の言葉とは受け取れなかった。長者の深い疑い表情を見て、悪魔は長者の心を覆すことが不可能であることを知り、とうとう悪魔の本心にかえり、本性を現した。
「長者よ。わたしはただお前の心を試したまでだ」
かくして悪魔は退散し、長者はまぎれもなく本当の仏弟子として正道を歩むことになったのだった。
(雑譬喩経巻上)

【解説】
雑譬喩経(ぞうひゆきょう)は、大正新脩大藏經で本縁部に属しており、別名を衆経撰雑譬喩経(しゅきょうせんぞうひゆきょう)という。
訳者は中国後漢の霊帝と献帝の時代に、西域より渡来した月氏の出身の訳経僧である支婁迦讖(しるかせん)である。支婁迦讖は、都の洛陽に来て、初めて大乗経典を漢訳した。その活動は約20年間に及び、14部の大乗経を漢訳した。


 
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