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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

昼間に松明を持つ慢心の学者

その昔、釈尊が多くの人々のために法を説いておられた時のことである。
その町に、知恵があってすべてを知り尽しているという学者がいた。
彼は天下に自分ほどの知恵者で学者はいないと誇っており、彼の弁舌に立ち向かえる者もいなかった。 そのため彼は、ますます増上慢になり、ついには昼間から松明を持って町中を練り歩き、そして大声でこういうのだった。
「ああ、なんとも世間の奴らは、愚かな者ばかりであることか。その愚かさのために、日はあっても見ることを知らない。いや、見る力さえないのだ。だから俺様は、面倒なことではあるが、こうして松明を持って町中を歩き、世間の奴らに世の中がよく見えるようにしてやっているのだ」
その態度はいかにも増上慢で、嫌味なものだった。
実際、町の人々も彼にこうまでいわれて腹を立てたが、内心は別としても、彼に面と向かっては誰も抗議する者はいなかった。
なぜなら抗議しても、たちまち彼に言い負かされるのはわかっていたし、実際のところ彼の知恵や学識には、町中の人の誰も歯がたたなかった。
ところで、この松明を持って日中に町を練り歩く学者の噂は、いつか釈尊の耳にも達した。
釈尊は、この学者の根は善であることを知っておられたので、彼が名誉のため慢心し、やがて地獄の苦しみを受けることになるであろうことをあわれんで、なんとか本当の悟りを開かせてやろうと考えた。
そしてある日、釈尊は一人の賢者に身を変えて町に出かけられると、この学者が通りかかるのを待っていた。
やがて、その学者は、いつものように松明を持って、大いばりでやってきた。
そこで賢者に身を変えた釈尊は、男を呼び止められると、
「もしもし、昼間から松明をかかげ、あなたはいったい何をしておられるのか」 と尋ねた。
すると、その学者は賢者を見下して、うさんくさそうな目をしながら、こう答えた。
「これはまた愚かなる質問だな。このあたりの民衆は愚かな者ばかりなので、目があっても昼と夜の見分けさえ知らないほどである。だから俺様がこうして松明を燃やして周囲を明るくしてやっているのだ」
「なるほど、それはご苦労なことです。しかし、松明を燃したくらいで、どれほど明るくなりましょうか。あなたは、お経の中に『四明の法」というのがあるのをご存知ないのか」
「いや、まだ聞いたことはないが…‥」
そこで賢者に身を変えた釈尊は態度を改め、言葉静かに次のように説明した。
「ご存知なければ、お教えしたしましょう。
『四明の法」というのは、
一つには天候と地理を明らかにして春夏秋冬の季節と調和すること。
二つには、天行を明らかにして布施・持戒・忍辱・精進・禅定の五行を分別すること。
三つには、政治を正しくして民衆を安心させること。
四には、軍事を保持して国家を安全にすること。
さて、あなたは仮にも学者の身です。学問を究め、四法を明らかにすることこそ役目であり、松明を持って昼間を明らかにしても、なんにもなりますまい」
この釈尊の説法を聞いて、当の学者は松明を地に捨て、赤面してひれ伏した。
「ああ、あなたの言われることこそ道理です。あなたは私より数段知恵が深く、足元にも及びません。私はあなたに比べて、なんと愚かなことであったでしょうか」
そこで釈尊は、この学者が本当に悟りの方向に向かったのを喜ばれ、さらに次のような法を説いた。
「わずかな知識を身に付けていたずらに人におごる。これは盲者の松明をとるがごとく外を照らせども内は暗いのである」
すなわち、わずかの知恵や知識を頼り、松明を以って大国を照らそうとしても、それくらい愚かなことはないのである。
真に世を照らし、世間を明るくするには、本当の学問を積み『四明の法』をもってしなければならない。
当の学者も、この釈尊の説法を聞いて以後は、弟子の一人に加わり、修業の後、ついに真の悟りを聞くことができたということである。 (法句経第一)

【解説】
法句経(ほっくきょう)は、仏教の教えを短い詩節の形で伝えた423の詩句(韻文)からなる経典である。
編纂者は法救(ほっぐ)である。
パーリ語仏典の中では最もポピュラーな経典の一つである。別名を「ダンマパダ(真理の言葉)」といい、スッタニパータとならび現存経典のうち最古の経典といわれている。


 
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