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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

牛飼いとガマガエル

その昔、釈尊が弟子の阿難(あなん)を連れて、ガンジス河のほとりを通りかかられたときのことであった。
一人の修行者が来て、釈尊の足に礼をして、退いて手を合わせ、法を説かれんことを願い出た。
このとき、ガンジス河の中を大木が流れてきた。
そこで仏は、この大木を指差して、その修行者にこう言った。
「修行者よ、あの大木を見なさい。あの大木はこの岸にも向こう岸にもささえられず、川の中の小島にもかからず、人にも取られず、渦巻きにも巻き込まれず、こわれず、朽ちず、やがて大海に入って止まるであろう。修行者もあの大木のように両方の岸にもささえられず、渦巻きにも入らず、こわれず、朽ちずして修行するときは、やがて涅槃の大海に入ることができるであろう」
釈尊の言葉を聞き終わって、修行者は仏にこう申し上げた。
「お尋ねしますが、向こうの岸、此方の岸、中洲、渦巻きなどというのは、なにを意味するものでございましょう。どうか私に説き示してくださいますようお願いします」
そこで、仏は次のように説いた。
「修行者よ。こちらの岸とは眼・耳・鼻・舌・身・意の六つの感覚で、向こうの岸とはこの六識に対応する色・声・香・味・触・法の六つの性質をいったのである。中洲にささえられないとは、これらの六識六境よって生ずる愛欲に溺れないことである。人に取られないとは、人間に交わって世間の苦楽にこだわらないことである。渦巻きに巻き込まれないとは、知恵をみだし、学を捨てないことである。こわれず、朽ちずとは、戒律を守り非法な行ないをしないことである。修行者はこのように修行することによって、生死の流れを出て、ついに涅槃の海に安住することができるのである」
修行者はこれを聞いて大いに喜び、再び足に礼をなして去っていった。そして彼は、この仏の説を心に刻んで励み、ついに阿羅漢の悟りを得たのである。
ところで仏がこの説法をされていたとき、一人の牛飼い(原典は「牧牛人」)が、杖を地上について一心に聞いていた。
さらにその杖の下に一匹のガマガエル(原典:蟇)がいた。
仏の説法に感激した彼の全身の力は、ガマガエルが下にいることも知らず、この杖の先に集まってしまった。当然、ガマガエルの皮は破れ肉は裂け、背から腹まで杖が突き通してしまった。しかしガマガエルはじっとこらえて声すら出さなかった。もしここで声を出したならば牛飼いの心を乱して、せっかくの感激のさまたげをするだろうと思い、仏に向かって清き心を持ったまま、ついに死んでしまった。
ガマガエルはこの因縁で、四天王の宮に生まれることができた。
さて、説法が終わるや牛飼いの男は、杖をなげ捨てて仏の前に行き、足に礼拝して退いて手を合わせて言った。
「世尊よ、私は向こうの岸にもこっちの岸にもつかず、中洲にもささえられず、人にもとらわれず、渦巻きにも溺れず、こわれも、朽ちもいたしません。どうか今から私が僧団に入ることをお許しください」
すると仏は、
「お前は、牛をそれぞれ主人に渡して来なければなるまい」と言われた。
しかし牛飼いの男は、
「それにはおよびません。この牛はみな仔牛でございます。その親牛は主人の所におります。親牛を慕って、めいめい主人の所へ帰ります。どうかただいまからわたしを僧団に入れていただきとうございます」
「牛飼いよ。しばらく待つがよい。この牛どもは勝手に主人の所へ帰るかもしれない。しかしお前は今まで主人からいろいろと世話になったのであるから、そういうことをしてはいけない。まず牛を主人に渡してから来るべきである」
そこで牛飼いは、納得して帰っていった。そして彼は道すがら、大きな声をあげて「こわい。こわい」と叫びながら駆け出した。
それを見た仲間の牛飼い達が、このありさまをみて、口々に聞いた。
「何がそんなに恐ろしいのだ」
するとその牛飼いは、
「生きているのが恐ろしいのだ。老いていくのが恐ろしいのだ。病気になるのが恐ろしいのだ。死んでいくのが恐ろしいのだ」と答えた。
牛飼い達はこれを聞いて、この牛飼いの後から「こわい、こわい」と叫びながら駆け出した。
このようにして、羊飼いの男も、草刈りの男も、柴刈りの男も、それにつづいて駆け出した。 村の人々は、このありさまを見て大いに驚き、一緒になって駆け出す者もあれば、財宝をしまい込む者もあれば、武器をもって飛び出す者もあった。中の一人の男が先頭を駆けて行く牛飼いを捕まえて、何事が起こったかと聞くと「こわいよう、こわいよう」とだけ叫んでいる。
なにが恐いのかと聞くと、
「生きているのがこわいのだ。老いていくのがこわいのだ。病気になるのがこわいのだ。死んでいくのがこわいのだ」と再び答えた。
これを聞いた村の人々は、なんだつまらないとあきれた。と同時に初めて安心して胸をなで下ろしたのだった。
一方、釈尊のところでは、舎利弗が牛飼いが去るのを見て、仏に次のように質問した。
「世事よ。出家を願う男をどうして家へ帰されたのでございますか」
すると仏は、
「舎利弗よ。あの男は牛をかえして必ずここへ来るであろう。そして修行者となってりっぱに悟りを得るであろう」と答えられた。
しばらくして、その牛飼いは五百人の仲間を連れて仏のところに来た。
「世尊よ。牛を主人に渡してまいりました。どうか、わたしの出家をお許しください」
仏は五百人とともに、彼の出家を許した。そして彼らは出家して、それぞれの悟りを開くことができたのであある。
ところでそのとき、天に生まれ変わったガマガエルは、仏を念じた因縁によって果報を得たことを感じ、そのお礼のために仏を訪れようと思い立った。
そしてその夜半、彼は天人の装いをして仏を訪ねた。するとガンジス河の岸はその光明に照らされ、天からは花が降って仏の上に散った。彼は仏の足に礼拝し退いて仏の前に座った。仏は彼のために仏教の根本である迷いと悟りについて説法された。
さて、その翌朝、修行者たちは昨夜の出来事について仏に問うた。
「世尊よ。昨夜半、梵天か帝釈天か四天王かが世尊を訪れたのでございますか」
仏は答れえられた。
「そうではない。牛飼いが法を聞くとき、その杖の下になって説法のさまたげとなるのを恐れて声も立てず、一心に仏を念じて死んだガマガエルが来たのだ。ガマガエルはその功徳によって、四天王の宮に生まれ、天人の姿となって法を聞くために来たのだ」
そこで修行者たちは、さらに仏に問うた。
「世尊よ。牛飼いと五百人の仲間は、いかなる業によって牛飼いと生まれて、しかも出家して悟りを得たのでございますか。またそのガマガエルはいかなる業によってガマガエルと生まれ、しかも天人となり、悟りを得たのでございますか」
仏は言われた。
「たとい永い年月を経るとも、なした業は亡びない。因縁があうとき、報いは自分が受けるのである」
「そして仏はさらに、次のような昔話をした。
「昔、波羅痆斯(はらだつし)という国に迦摂波如来(かしょうはにょらい)という仏が住んでおられた。かの牛飼いはこの仏にしたがって出家して、よく三蔵に通じ、大法師となって、五百の弟子をしたがえる身であった。また大衆の中にいさかいが起こるたびに、彼は和解させた。このとき高慢な修行者が二人あって、彼のところへあいさつすら来なかった。
ところが、この二人の修行者が大衆と争い、しかたなく彼にその和解を懇願した。すると彼は、『ここで和解してしまうと、再びこの修行者は私にあいさつに来ないだろう。まずほかの僧に回してやり、和解ができないときに、私が出てやろう』と心に思って、『私は争いの原因をよく知らないから、他の僧の所へ行ってくれ』と、二人の修行者に言って自分は外出してしまった。
そこで彼らはほかの僧の所へ行って頼むと、ただちに和解が成立した。
彼が外出から帰って来て『二人の修行者がたずねて来たか』と弟子に聞くと、もうほかの僧が和解させてしまったと言う。 そしてそのありさまをつぶさに話した。
彼はこれを聞いて怒りを生じ『そんな和解の仕方は牛飼いのやることだ』とののしった。 すると五百人の弟子も、師匠のおっしゃるとおり『そんな和解の仕方は牛飼いのやることだ』と口々にののしった。その悪口の業によって彼らは五百回も牛飼いと生まれ、最後にいま、私のところにおいて、出家して悟りを得たのである」
仏はさらに言葉をつづけられました。
「天に生まれたガマガエルも、また迦摂波如来(かしょうはにょらい)のところにおいて出家した一人である。
彼は端座冥想の修行を好んだ。あるとき、ある村の寺に泊まって、座禅を組み瞑想しようとした。すると、同宿していた読経を好む修行者が声を張り上げて経を読むので、これにさまたげられて冥想に入ることができなかった。そこで、夜にまた座禅を組んだが、やはり読経の声にさまたげられてやめてしまった。さらに夜中にまた座禅を組んだが、やはり読経の声にさまたげられた。そこで、彼は怒りを生じ『あの行者たちは、夜どおしガマガエルのような声を出してわめいている』とののしった。彼はその悪口の業によって、五百回もガマガエルと生まれ、最終にいま、私の教えを聞いて悟りを得ることができたのである」
こうして、昔話を終わった仏は、さらにこう言われた。
「修行者たちよ。私が常にいうように、悪い業には悪い報いがあり、よい業にはよい報いがある。それであるから、悪業を捨てて善業につかねばならないのである」
(根本説一切有部毘奈耶薬事第十一)

【解説】
★根本説一切有部毘奈耶とは 「毘奈耶(びなや)」とは律のこと。 根本説一切有部毘奈耶薬事第十一は、大正新脩大藏經で律部に属している。訳者は唐の僧侶義浄である。この経典は全50巻で、比丘戒249条や教訓物語を説いた大部なものである。

★義浄とは 山東省歴城県の出身、俗姓は張氏で、幼時に出家し、中国唐の時代の僧侶となる。36歳の時に海路を経てインドに入り20年以上滞在し,特に戒律に関するサンスクリット仏典をたずさえて帰国して翻訳を行なった。


 
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