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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

仏説父母恩重経(書き下し文)

『仏説父母恩重経』(ぶっせつぶもおんじゅうきょう)
是の如く 我れ聞けり。
或る時、佛、王舎城の耆闍崛山中に、菩薩・声聞の衆と 倶に ましましければ、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・一切諸天の人民・および竜鬼神等、法を聞かんとて、来たり集まり、 一心に宝座を囲繞して、瞬きもせで尊顔を仰ぎ見たりき。
是のとき、佛、すなわち法を説いて宣わく。
一切の善男子・善女人よ、父に慈恩あり、母に悲恩あり。 そのゆえは、人の此の世に生まるるは、宿業を因として、父母を縁とせり。 父にあらされば生れず、母にあらざれば育てられず。 ここを以て、気を父の胤(たね)に稟(う)けて、形を母の胎に托す。
此の因縁を以っての故に、悲母の子を念(おも)うこと、世間に比いあることなく、その恩、未形(みぎょう)に及べり。
始め胎を受けしより十月を経るの間、行・住・坐・臥(ぎょう・じゅう・ざ・が)ともに、もろもろの苦悩を受く。 苦悩休む時なきが故に、常に好める飲食・衣服を得るも、愛欲の念を生ぜず、唯一心に安く生産せんことを思う。
月満ち、日足りて、生産の時至れば、業風(ごうぷう)吹きて、之れを促し、骨節ことごとく痛み、汗膏(あせあぶら)ともに流れて、其の苦しみ耐えがたし、 父も心身戦(おのの)き懼(おそ)れて、母と子とを憂念(ゆうねん)し、諸親眷属(しょしんけんぞく)皆な悉く苦悩す。 既に生まれて、草上に墜つれば、父母の喜び限りなきこと、猶(な)お貧女の如意珠を得たるがごとし。 その子、聲(こえ)を発すれば、母も初めて此の世に生まれ出でたるが如し。
爾(それより)來(このかた)、母の懐(ふところ)を寝處(ねどころ)となし、母の膝を遊び場となし、母の乳を食物となし、母の情を生命となす。
飢えたるとき、食を需(もと)むるに、母にあらざれば哺(くら)わず、渇けるとき、飲料を索むるに、母にあらざれば咽まず、 寒きとき、服(きもの)を加うるに、母にあらざれば着ず、暑きとき、衣を撒るに、母にあらざれば脱がず。 母、飢に中(あた)る時も、哺(ふく)めるを吐きて子に啗(くら)わしめ、母寒きに苦しむ時も、着たるを脱ぎて、子に被らす。
母にあらざれば養われず、母にあらざれば育てられず。 その闌車(らんしゃ)を離るるに及べば、十指の甲(つめ)の中に、子の不浄を食らう。 計るに人々、母の乳を飲むこと、一百八十斛となす。父母の恩重きこと、天のきわまり無きが如し。
母、東西の隣里に傭われて、或いは水汲み、或いは火燒(た)き、或いは碓つき、或いは磨(うす)挽き、種々の事に服従して、家に還(かえ)るの時、未だ至らざるに、今や吾が兒(こ)、 吾が家に啼(な)き哭(さけ)びて、吾を戀(こ)い慕わんと思い起せば、胸悸(さわ)ぎ、心驚き、両乳(りょうにゅう)流れ出でて、忍び堪ゆること能わず、乃ち去りて家に還る。
兒(こ)遙に母の歸(かえ)るを見て、闌車(らんしゃ)の中に在れば、即ち、頭動かし、脳(なづき)を弄(ろう)し、外に在れば、即ち葡匐(はらばい)して出で來(きた)り、嗚呼(そらなき)して母に向う。
母は子のために足を早め、身を曲げ、長く両手を舒(の)べて、塵土(ちりつち)を払い、吾が口を子の口に接けつつ、乳を出(い)だして之れを飲ましむ。
是のとき母は児を見て歓び、兒は母を見て喜ぶ。
両情一致、恩愛の洽(あまね)きこと、復た此れに過ぐるものなし。
二歳、懐(ふところ)を離れて始めて行く。 父に非(あら)ざれば、火の身を焼く事を知らず。 母に非ざれば、刀の指を堕す事を知らず。
三歳、乳を離れて始めて食う。 父に非ざれば、毒の命を殞(おと)す事を知らず。 母に非ざれば、薬の病を救う事を知らず。 父母外に出でて他の座席に往き、美味、珍羞を得ることあれば、自ら之を喫うに忍びず、懐に収めて持ち帰り、喚び来りて子に与う。 十たび還れば九たびまで得。 得れば即ち常に歓喜して、かつ笑いかつくらう。 もし過まりて一たび得ざれば、則ち矯(いつ)わり啼き、佯り哭びて、父を責め母に逼まる。
稍や成長して朋友と相交わるに至れば、父は衣を索め帯を需め、 母は髪に梳り、髻を摩で、己が美好の衣服は皆な子に与えて着せしめ、己は則ち古き衣、弊れたる服を纏う。
既に婦妻を索めて、他の女子を娶(めと)れば、父母をば転(うた)た疎遠して、夫婦は特に親近し、私房の中に於て妻と共に語らい楽しむ。
父母年高けて、気老い力衰えぬれば、倚る所の者は唯だ子のみ、頼む所の者は唯だ嫁のみ。 然るに夫婦共に朝より暮に至るまで、未だ肯えて一たびも来り問わず。 或は父は母を先立て、母は父を先立てて、獨(ひと)り空房を守り居るは、猶お孤客の旅寓に寄泊するが如く、 常に恩愛の情なく、復た談笑の娯(たのし)み無し。 夜半、被(ふすま)冷にして五体安んぜず。 況んや襖に蚤虱多くして、暁に至るまで眠られざるをや、 幾度か輾転反側して獨言すらく、噫吾れ何の宿罪ありてか、斯かる不幸の子を有(も)てるかと。
事ありて、子を呼べば、目を瞋(いか)らして怒り罵る。 婦(よめ)も兒(こ)も之を見て、共に罵り共に辱しめば、頭を垂れて笑いを含む。 婦も亦不幸、兒も亦た不順。 夫婦和合して五逆罪を造る。
或は復た、急に事を辧(べん)ずることありて、疾く呼びて命ぜむとすれば、 十たび喚びても九たび違い、遂に来りて給仕せず、 却りて怒り罵りて云く、「老い耄れて世に残るよりは、早く死なんには如かずと。」
父母これを聞いて、怨念胸に塞がり、涕涙瞼を衝きて、目瞑み、心惑い、悲み叫びて云く、 「噫(あぁ)汝幼少の時、吾に非ざれば養われざりき、吾に非ざれば育てられざりき、 而して今に至れば即ち却って是くの如し。
噫吾れ汝を生みしは、本より無きに如かざりけり。」と。
若し子あり、父母をして是くの如き言(ことば)を発せしむれば、子は即ちその言と共に堕ちて、地獄、餓鬼、畜生の中にあり。 一切の如来、金剛天、五通仙も、これを救い護ること能わず。
父母の恩重きこと、天の極まり無きが如し。
善男子、善女人よ、別けて之を説けば、父母に十種の恩徳あり。何をか十種となす。
一には 懐胎守護(かいたいしゅご)の恩
二には 臨生受苦(りんさんじゅく)の恩
三には 生子忘憂(しょうしぼうゆう)の恩
四には 乳哺養育(にゅうほよういく)の恩
五には 廻乾就湿(かいかんじゅしつ)の恩
六には 洗灌不浄(せんかんふじょう)の恩
七には 嚥苦吐甘(えんくとかん)の恩
八には 為造悪業(いぞうあくごう)の恩
九には 遠行憶念(おんぎょうおくねん)の恩
十には 究竟憐愍(くきょうれんみん)の恩
父母の恩重きこと天の極まり無きが如し。
善男子、善女人よ、是くの如きの恩徳、如何にして報(むくゆ)べき。 佛、すなわち偈(げ)を以て讃して宣わく、 悲母、子を胎めば、十月の間に血を分け肉を頒ちて、身、重病を感ず、子の身体之に由りて成就す。 月満ち時到れば、業風催促して、偏身痘痛し、骨節解体して、神心悩乱し、忽然として身を亡ぼす。
若し夫れ平安になれば、猶お蘇生し来るが如く、子の声を発するを聞けば、己れも生れ出でたるが如し。 其の初めて生みし時には、母の顔、花の如くなりしに、子の養うこと数年なれば、容(かたち)すなわち憔悴す。 水の如き霜の夜にも、氷の如き雪の暁にも、乾ける処に子を廻わし、湿し処に己れ臥す。 子己が懐に屎まし、或は其の衣に尿(いばり)するも、手自ら洗い濯ぎて、臭穢を厭うこと無し。 食味を口に含みて、これを子に哺むるにあたりては、苦き物は自から嚥み、甘き物は吐きて与う。
若し夫れ子のために、止むを得ざる事あれば、躬ずから悪業を造りて、悪趣に堕つることを甘んず。 若し子遠く行けば、帰りて其の面を見るまで、出でても入りても之を憶い、寝ても寤めても之を憂う。 己れ生ある間は、子の身に代らんことを念い、己れ死に去りて後には、子の身を護らんことを願う。
父母の恩重きこと天の極まり無きが如し。
是の如きの恩徳、如何にして報ゆべき。
然るに長じて人と成れば、声を抗げ気を怒らして、父の言に順わず、母の言に瞋りを含む。 既にして婦妻を娶れば、父母にそむき違うこと、恩無き人の如く、兄弟を憎み嫌うこと、怨(うらみ)ある者の如し。 妻の親族訪い来れば、堂に昇(のぼ)せて饗応し、室に入れて歓晤す。 嗚呼、噫嗟、衆生顛倒して、親しき者は却りて疎み、疎き者は却りて親しむ。
父母の恩重きこと天の極まり無きが如し。
其の時、阿難、座より起ちて、偏に右の肩を袒ぬぎ、長跪合掌して、前(すす)みて佛(ほとけ)に白(もう)して曰(もう)さく、
「世尊よ、是の如き父母の重恩を、我等出家の子は、如何にして報ゆべき。 つぶさに其の事を説示し給え。」と。
佛(ほとけ)、宣わく。
「汝等大衆よく聴けよ。孝養の一事は、在家出家の別あることなし。 出でて時新の甘果を得れば、将ち去り父母に供養せよ。
父母これを得て歓喜し、自ら食うに忍びず、先ず之を三寶に廻らし施せば、則ち菩提心を啓発せん。
父母病あらば、牀辺(しょうへん)を離れず、親しく自ら看護せよ。 一切の事、これを他人に委ぬること勿れ。
時を計り便を伺いて、懇(ねんご)ろに粥飯(しゅくはん)を勧めよ。
親は子の勧むるを見て、強いて粥飯を喫し、子は親の喫するを見て、抂(ま)げて己が意(こころ)を強くす。 親暫く睡眠すれば、気を静めて息を聞き、睡(ねむり)覚むれば、医に問いて薬を進めよ。
日夜に三寶に恭敬(くぎょう)して、親の病の癒えんことを願い、常に報恩の心を懐(いだ)きて、片時も忘失るること勿れ。
是の時、阿難また問うて云く。 「世尊よ、出家の子、能く是の如くせば、以って父母の恩に報ると為(な)すか。」
佛、宣わく。
「否。未だ以て、父母の恩に報ると為さざるなり。 親、頑にして三寶を奉ぜず、不仁にして物を残い、不義にして物を竊み、無礼にして色に荒み、不信にして人を欺き、不智にして酒に耽らば、子は当に極諫して、之れを啓悟せしむべし。 若し猶お闇くして未だ悟ること能わざれば、則ち為に譬(たとえ)を取り、類を引き、因果の道理を演説して、未来の苦患を拯(すく)うべし。
若し猶お頑にして未だ改むること能わざれば、啼泣歔欷(ていきゅうきょき)して己が飲食を絶てよ。
親、頑闇(かたくな)なりと雖も、子の死なんことを懼るるが故に、恩愛の情に索かれて、強忍して道に向わん。 若し親志を遷(うつ)して、佛の五戒を奉じ、仁ありて殺さず、義ありて盗まず、礼ありて淫せず、信ありて欺かず、智ありて酔わざれば、則ち家門の内、親は慈に、子は孝に、夫は正に、妻は貞に、親族和睦して、婢僕忠順し、 六畜蟲魚(ろくちくちゅうぎょ)まで普く恩沢を被りて、十方の諸仏、天龍鬼神、有道の君、忠良の臣より、庶民万姓に至るまで、敬愛せざるはなく、 暴悪の主も、佞嬖の輔(ねいへいのほ)も、兇児妖婦(きょうじようふ)も、千邪万怪(せんじゃばんかい)も、之れを如何んともすること無けん。
是に於て父母、現には安穏に住し、後には善処に生じ、仏を見、法を聞いて、長く苦輪を脱せん。かくの如くにして、始めて父母の恩に報るものとなすなり。」
佛、更に説を重ねて宣わく。
「汝等大衆能く聴けよ。 父母のために心力を盡(つく)して、有らゆる佳味、美音、妙衣(みょうえ)、車駕(しゃが)、宮室(きゅうしつ)等を供養し、 父母をして一生遊楽に飽かしむるとも、若し未だ三寶を信ぜざらしめば、猶お以て不幸と為す。
如何となれば、仁心ありて施しを行い、礼式ありて身を検(ひさし)め、柔和にして辱を忍び、勉強して徳を進め、意を寂静に潜(ひそ)め、志を学問に励ます者と雖も、一たび酒食に溺るれば、悪魔忽(たちま)ち隙を伺い、妖魅(ようみ)則ち便(たより)を得て、財を惜しまず、情を蕩(とろ)かし、忿(いかり)を発(おこ)させ、怠を増させ、心を乱し、智を晦まして、行いを禽獣に等しくするに至ればなり。
大衆よ、古より今に及ぶまで、之に由りて身を亡ぼし、家を滅ぼし、君を危くし、親を辱しめざるは無し。
是の故に、子たる者は深く思い、遠く慮りて、以て孝養の軽重・緩急を知らざるべからざるなり。 凡(およ)そ是等(これら)を父母の恩に報(むくゆ)るの事となす。」と。
是のとき、阿難、涙を払いつつ座より起ち、長跪合掌して、前(すす)みて佛(ほとけ)に白(もう)して曰(もう)さく、
「世尊よ、此の経は当(まさ)に何と名づくべき。 又如何にしてか奉持すべきか。」と。
佛、阿難に告げ給わく。 「阿難よ、此の経は父母恩重経(ぶもおんじゅうきょう)と名づくべし。 若し一切衆生ありて、一たび此の経を読誦(どくじゅ)せば、則ち以て乳哺の恩に報(むくゆ)るに足らん。 若し一心に此の経を持念し、又人をして之を持念せしむれば、当(まさ)に知るべし、 是の人は、能(よ)く父母の恩に報(むくゆ)ることを。
一生に有らゆる十悪、五逆、無間の重罪も、皆な消滅して、無上道を得ん。」と。 是の時、梵天・帝釈(たいしゃく)・諸天の人民、一切の集会(しゅうえ)、此の説法を聞いて、悉(ことごと)く菩提心を発(おこ)し、 五体地に投じて涕涙(ているい)、雨の如く。進みて佛足(ぶっそく)を頂礼(ちょうらい)し、退きて各々歓喜奉行したりき。
                      『仏説父母恩重経』


 
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