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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

TEL 086-255-1155

岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

所作仏事ー勤行と唱題

勤行

勤行とは

即身成仏へ到達するため
 勤行とは「勤めて善法を行う」ことで、仏前でお経を読み、礼拝すること を言います。
 日蓮正宗の勤行は、御本尊に向かって、法華経の方便品第二と如来寿量品第十六を読誦し、南無妙法蓮華経の題目を唱えます。 これをもって御本尊に御報恩謝徳申し上げ、広宣流布をはじめ諸願成就を御祈念し、さらに先祖の追善供養などを行います。
 私達は、これを毎日、朝(五座)・夕(三座)に弛まず実践していくことによって、即身成仏という真の幸福境界に到達することができるのです。

勤行は幸福の源泉
 勤行は、いつでも自分の都合に合わせて一人で行うことができる半面、自 分自身がやる気を起こして実践しなければ、いつまで経ってもできません。 ですから、勤行は最も易しい修行であると同時に、最も難しい修行であると 言えます。
  勤行は、すべての修行の根本であり、幸福な生活を築く原動力となる修行 ですから、毎日欠かさず、しっかりと実践することが大切です。 いい加減な 勤行をしたり、怠けたりすると、仕事でも私生活でも、毎日が空回りしてし まいます。なんとなく体調が優れなかったり、 性格的な悪い癖が出てきてし まったりして、何事もうまくいかない状況になってしまうのです。
 日蓮大聖人は、 「仏法は体のごとし、世間はかげのごとし。体曲がれば影なゝめなり」
           (諸経と法華経と難易の事・御書1469)
と仰せられています。体とは信心、影とは生活であり、体である信心が曲が れば、当然、影である生活も斜めになって、行き詰まってしまいます。反対 に、毎日の勤行がきちんと実践できていると、
 ・心身共に、すっきりと快調になる
 ・仕事も私生活も、何事も不思議とスムーズに進む
 ・難しい状況や心配なことも、悠々と乗り越えていける
などの功徳を実感することができます。これは、真剣な勤行の実践によって 、御本尊から功徳を頂いて、生命力が溢れてくるからなのです。

勤行の姿勢
日蓮大聖人が、
「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ」
       (経王殿御返事・同685)
と仰せのように、御本尊は仏の御当体ですから、勤行の時には、日蓮大聖人 に直々にお目通りし、最高の礼を尽くす気持ちで臨むことが大切です。
 暑い からといって裸に近い服装で行ったり、寝間着のまま行うようなことは、厳 に慎むべきです。
 勤行をする時は、御本尊に向かって正座し、両手の指を胸の前で合掌しま す。

合 掌

合掌とは
 合掌とは、両手の掌を胸の前で合わせることです。  法華経方便品第二に、
「合掌し敬心を以て 具足の道を聞きたてまつらんと欲す」  (法華経97)
と説かれているように、合掌は、あらゆる功徳を円満に具足する御本尊を敬 い、仏道を求める心が現れた姿なのです。
 合掌について、日蓮大聖人は『御義口伝』に、   
「合掌とは法華経の異名なり。向仏とは法華経に値ひ奉るを云ふなり。 合掌は色法なり、向仏は心法なり。色心二法妙法と開悟するを歓喜踊躍と説くなり」
                  (御書1734) と仰せられています。
 この御教示のように、私達が色心の二法(身体と心) をもって合掌し、末法の法華経である南無妙法蓮華経の御本尊に題目を唱え るところ、御本尊と境智冥合して、その身そのままの姿で即身成仏の大功徳 を成ずることができるのです。
 合掌の際、手の指は十界および三千の諸法を表し、左右の掌を合わせれば 十界互具となって実相印となります。そして胸に当てるところは、胸中心性 の白蓮華、すなわち私達衆生に具わる仏性に通じます。  
 第67世日顕上人が、  
「妙法蓮華経は、いわゆる十界互具の実相がその理になるわけですから( 中略)十本の指をきちっと合掌して、そして修行する-この合掌印がそのま ま最高の印なのであります。仏法の真実の印はこの実相印一つであります」
              (大日蓮・昭和61年2月号46)
と御指南されているように、この合掌印(実相印)こそ、仏法における最高 の印(印相【いんそう、いんぞう】とも、印契【いんげい】ともいい、様々な形をもち、仏の教えを証明する姿)なのです。
 印を最初に説いた経典は、初期の密教経典(雑密経典)の「牟梨曼荼羅呪 経(むりまんだらじゅきょう)」と、同経の別訳「宝楼閣経」です。
 代表的な合掌として、十二合掌といわれるものがありますが、堅実心合掌の形が日蓮正宗の合掌です。





合掌の姿勢
 合掌の姿勢は、背筋を伸ばし両肘を軽く両脇につけ、胸の前で掌を合わせます。眼は御本尊の「妙」の字を中心に全体を拝します。



第9世日有上人は、  
「当門徒の御勤めの事一大事なり(中略)勤めの時、目づかいにより貌の 持ち様、手の持ち様、ひざのくみ様にても其の人の余念を顕はすと御沙汰候 」
          (有師御物語聴聞抄佳跡上・富要1一240)
と仰せられ、大切な勤行・唱題の修行の時の表情・手の形・膝の組み方など で雑念の有無が現れると仰せられています。
 勤行の時、背を高く上げたりせず、自然な形で脇を締めます。視線は、御 本尊中央の「南無妙法蓮華経」の「妙」の御文字を中心に拝します。
 勤行中には、よそ見をしたり、居眠りなどをしないように心掛けなくては いけません。もしも雑念が涌いてきた時には、御本尊と境智冥合できるように、 さらに唱題に励みましょう。
 また読経の時には、お経を間違わず正確に発音できるように、お経本を見 て読誦することが望ましい姿です。声は大き過ぎず、小さ過ぎず 、中音で朗 々と唱えましょう。

数 珠

仏道修行に用いる法具
数珠とは、仏道修行に用いる法具で、本宗においては、袈裟・衣とともに 三衣の一つです。   第26世日寛上人は『当家三衣抄』において、釈尊が波瑠璃王に対し「悩 みを解決したいならば、木槵子(もくげんし)一百八顆(か)をつらね、 常に身に離さず、至心に仏法僧の三宝を念じなさい」と教えた説話を挙げられています。

当家三衣抄
「問う、数珠の由来如何。
答う、夫れ数珠とは此れ乃ち下根を引接して修業を牽課するの具なり、
木槵子経に云わく、昔国王有り、波流梨と名づく、仏に白して言さく、我が国辺 小なり、 頻年寇疫し穀貴く民困しむ、我常に安んぜず、法蔵は甚広なり、遍 く行ずることを得ず、唯願わくば法要を垂示したまえ、 仏言さく、大王若し 煩悩を滅せんと欲せば当に木槵子一百八箇を貫き、常に自ら身に随え志心に 南無仏・南無法・南無僧と称え、乃ち一子を過ごすべし云々。 応に知るべし 、木槵子の円形は是れ法性の妙理を表するなり。」
(現代文)
「問うに、数珠の由来は何か。
答える。そもそも、数珠とは機根の低い者を、仏・菩薩がその手に救い取り 、悟りに導き、修業を高める道具である。木槵子経に次のように説かれてい る。
  昔、波流梨(はるり)という国王がいた。仏に次のように言った。
「我 が国は僻地にあり小国である。たびたび外敵に責められ、食料の価格が高い ため、 民は苦しんでいる。そのため、いつも心が休まることがない。仏法は 甚だ広く、すべてを修行することはできない。ただ、願うことは仏法の要点をお示しください。」
 仏は、それを聞き次のように説いた。
「大王よ。もし 煩悩を滅したいと望むならば、まさに木槵子(もくげんじ)で108箇に穴 をあけ数珠を作り、常に自ら身につけて、真剣に 「南無仏・南無法・南無僧 」と称え、一個を繰りなさい。まさに知っておくべきである。木槵子の円形 は。法性の妙理を表している。」

 また、 「数珠とは此れ乃ち下根を引接(いんじょう)して修業を牽課(けんか)するの具なり」                        (六巻抄224)
とも仰せられているように、私達、末法における下根の衆生を仏法僧の三宝 のもとに導き、修行を進めるための法具であると御指南されています。
 分かりやすく言えば、「数珠は色々な障害(しょうがい)によって挫折しがちな私 たちの信心を、頑張りましょう。唱題こそ全てを克服する力です。己身の魔 に負けずに、苦しい時こそ功徳を受ける機会です。怠りなく精進しましょう 。努力したことは、必ず報われます」と、上から引上げ、下から支えてくれ る「法の道具」なのです。
 そして、形状から言うと「数珠は御本尊様を表す(あらわす)」とされてい ます。 数珠は、左右の大玉が「親珠」といって「父母」に当たります。このうち、 父珠が「智断の徳」で、煩悩を断じることを表しています。 母珠は「万物を生成(せいせい)し、多くの善根を生むことを表します。
 この父母の珠は「陰陽」に通じ。陰陽は「境智の二法」に通じますから「 妙法」の二字を意味します。
 百八箇の丸い珠は、私たち衆生の「百八の煩悩」を表します。同時に、 妙法蓮華経の功徳力、すなわち仏力・法力が、百八の迷いや欲を妙法をもっ て菩提(悟り)に転ずる(煩悩即菩提)ことから、 因果不二の「蓮華」を表 します。

数珠の体相とかけ方
 数珠の体相は、数珠即妙法五字・無作本有の当体であり、珠の丸いことは 、法性の妙理、大円鏡智を表しています。また珠の数が百八であることは、 百八の煩悩を表しています。
 二箇の大穎(親珠)は、父母・境智・妙法を表し、四箇の小粒の珠は本化 の四大菩薩(上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩)を表します。 左右の房の三十の珠は三千の諸法を表し、また僧侶の数珠の房が長いことは 、妙法を一閻浮提に広宣流布し、一天四海へなびかす意であるとされています。

 

数珠のかけ方は、房が二本あるほうの親珠を左手中指にかけ、数珠を一回 ひねり、綾にして、房が三本あるほうの親珠を右手中指にかけて合掌します。

数珠の取り扱い
 このように、数珠は深い意義を持つ法具であり、本宗では古来「数珠は仏 の如くせよ」と、大切に扱うよう誡められています。 したがって、数珠を直 接、畳や床の上に置いたり、振り回したりするなど、粗末に扱ってはいけません。また、勤行・唱題の時に、むやみに揉んで 音を出さないようにしましょう。経本も同様に、粗末に扱わないように注意してください。
 第26世日寛上人が、 「数珠は須臾も身を離すべからず。故に『常自随身』と云うなり」
             (当家三衣抄・同225)
と仰せのように、私達は常に数珠を随身するよう心掛けたいものです。
 数珠は、妙法蓮華経の五字を表します。妙法五字は御本尊様の御事であり 、「本尊とは法華経の行者の一身の当体」であられる御本仏大聖人様の御事ですから、 日蓮正宗では古来より「数珠は仏様を念う(おもう)ように大切 に扱いなさい」と教示され、常に肌身離さず随身するように教えられています。
 本宗の数珠は、開眼供養することによって初めて、法具としての意義と功 徳が具わります。
 したがって、必ず寺院で開眼供養したものを使用し、古くなった数珠・経本は寺院に納めるようにしましょう。

勤 行

勤行の心構え
 勤行の心構えとして、五座・三座の観念文をしっかりと念ずることはもち ろんですが、朝の勤行では、一日の始めに当たって、その日を有意義に過ごし、 生活の上に妙法の功徳を示して広宣流布に寄与できるように御祈念しま す。そして夕の勤行では、御本尊に守られた一日であったことに感謝申し上 げるのです。
  このように、毎日の勤行を水が流れるように、欠かさず実践していくこと が功徳の源泉となるのです。
  例えば、子供の成長は一日や二日では判りませんが、一年、二年と歳月を 経てみると、驚くほど成長していることを感じます。これと同じように、 しっかりと勤行を継続して行う人と、そうでない人とでは、功徳も境界も、い つの間にか大きな違いが出てくるのです。
  私達は、  
「朝々仏と共に起き、夕々仏と共に臥す」
            (御義口伝・同1749)
との御金言のように、勤行を毎日の生活の中心として行うことにより、 御本尊 の広大な功徳に浴した人生を送ることができるのです。

正行・助行
 本宗の勤行において、御本尊に向かって法華経の方便品第二と如来寿量品 第十六を読誦することは助行であり、南無妙法蓮華経の題目を唱えることは 正行です。
①正行
  本宗では、日蓮大聖人が、
「文底とは久遠実成の名字の妙法を余行にわたさず、直達正観・事行の一念 三千の南無妙法蓮華経是なり」 
             (本因妙抄・御書1684)
と仰せのように、文底事の一念三千の妙法にして、末法の御本仏日蓮大聖人 の御魂魄である本門戒壇の大御本尊を信じ奉り、末法の一切衆生をことごと く救済する本門の題目を唱えます。
 大聖人が唱え出だされた題目は、
「今日蓮等の類弘通の南無妙法蓮華経は体なり心なり、廿八品は用なり廿八 品は助行なり。題目は正行なり、正行に助行を摂すべきなり」
                   (御義口伝・同1806)
と仰せのように、法華経乃至仏教全体の根本・肝要です。したがって本宗の 正行である唱題には、仏法のあらゆる功徳善根がことごとく具わっているの です。
②助行
 大聖人は『月水御書』に  
「法華経は何れの品も先に申しつる様に愚かならねども、殊に二十八品の 中に勝れてめでたきは方便品と寿量品にて侍り。余品は皆枝葉にて候なり。 されば常の御所作には、方便品の長行と寿量品の長行とを習ひ読ませ給ひ候へ」
                               (御書303)
と仰せられ、毎日の勤行においては、法華経の迩門と本門それぞれの中心で ある方便品・寿量品を読誦するよう御指南されています。
 第26世日寛上人は、 「助行とは、方便寿量の両品を読誦し、正行甚深の功徳を助顕す。讐えば灰 汁の清水を助け、塩酢の米麺の味を助くるが如し」 
           (当流行事抄・六巻抄 161)
と仰せられ、洗濯の時に洗剤を加えて水の助けとし、また食事の時に主食の 味を調味料で補うように、唱題(正行)の功徳を助け顕すのが、 方便品・寿 量品の読誦(助行)であることを御指南されています。

大聖人・日興上人の化儀
 日寛上人は、  
「但吾が富山のみ蓮祖所立の門流なり。故に開山已来化儀化法、四百余年 全く蓮師の如し。故に朝暮の勤行は但両品に限るなり」  
                 (当流行事抄・六巻抄193)
と仰せのように、本宗は、宗祖大聖人・第二祖日興上人が行じられたお姿を 、そのまま現在に伝えています。
 このことを第67世日顕上人は、  
「本宗の行法は、全部日興上人のところから、まったく変わらずその通り で来てるんです。その日興上人は大聖人様が毎日行じ給うお姿をそのまま承 けられています。故に我々の朝晩の勤行の姿は、大聖人様が毎日なさった勤 行のお姿なんです」
             (大白法・平成9年9月1日号)
と御指南されています。

導師の役割
 勤行において、導師は同座の人々を導くという役割があります。導師を務 める人は、その役割を自覚し、他の模範となるようにしっかりと勤めること が大切です。
 また、共に勤行する人は、読経を乱さないよう留意し、導師と唱和するよ う努めましょう。
 鈴について  第9世日有上人は、鈴を打つことについて、  
「法報応の三身を請し奉らんとして三つ打つべきなり」  
              (有師談諸聞書・富要2-141)
と仰せられ、久遠元初の無作三身・末法の御本仏大聖人を請じ奉るために鈴 を打つと御指南されています。
 また、勤行の初座において鈴を打だないことについて、
日有上人は、  
「天の御経の時・金を打たざる事は垂迹々々と沙汰して候なり(中略)仏 は本地・神は垂述にて候なり、今は天なんどをば垂述々々と沙汰申し候、さ て鐘を打たざるなり」 
                (同158)
と仰せられ、諸天善神は御本仏の垂述である故に、初座は鈴を打だないと御 指南されています。
 二座以降は、方便品の読誦を始める時に7打、方便品の読誦を終わって寿 量品の読誦に入る際に3打、引き題目のあとには5打します。五座では、寿 量品読誦を終えて唱題に入る時は7打、唱題を終える時に5打するのが基本 です。
 鈴を打つタイミング等は、寺院の勤行に参詣して習得するようにしましょ う。

引き題目
 初座から四座までは、読経のあとに引き題目(「ナームー、ミョーホーレーンゲーキョー」と長く唱える題目のこと)を唱えます。 これには、唱題の功徳を一天四海乃至、法界全体に遍満させるとともに、 化他・折伏の意義 から九界の一切衆生を妙法の大功徳へと誘引して利益するという 意義があります。

五座の形式
総本山大石寺では、御開山日興上人以来、歴代の御法主上人により、一日も 欠かすことなく丑寅の時刻に勤行が行われ(午前2時半~4時)、 広宣流布 の御祈念がなされています。
 丑寅勤行は当初、天壇(諸天供養を行う所)・本堂・御影堂・客殿・墓所等を回って、読経・唱題が行われていましたが、江戸時代初期より、 客殿一力所において五座の形式をもって行われるようになり、現在に至っています。

各座の意義
初座 ― 諸天供養
 初座では、東天に向かい、正しい仏法とその信仰者を昼夜にわたって守護 する諸天善神に対し、妙法の法味を捧げます。
 法華経安楽行品第14には、 「諸天昼夜に、常に法の為の故に、而も之を衛護す」
             (法華経396)
と説かれ、また日蓮大聖人が、  
「一乗妙法蓮華経は諸仏正覚の極理、諸天善神の威食なり」
              (平左衛門尉頼綱への御状・御書373)
と仰せのように、諸天善神は、妙法の法味を捧げる法華経の行者を守護する のです。
 第67世日顕上人は、  
「勤行において必ず諸天を礼拝して法味供養を捧げ(中略)その功徳によ って諸天が力を得て行者を必ず守護するという実相がある(中略)この行は 大聖人様から日興上人への御相伝に存する」
                 (大日蓮・昭和61年6月号73)
と仰せられ、初座において東天に向かう由縁が、大聖人以来の御相伝に存す ることを御指南されています。

二座 - 本尊供養・三座 - 三師供養
 二座・三座では、下種三宝に対し御報恩謝徳申し上げます。 仏法においては、衆生が帰依すべき信仰の対象として、仏法僧の三宝が立て られます。仏とは真実の法を覚知し、衆生を救済される仏法の教主、法とは 仏の悟られた教法、僧とはその教法を譲り受け、後世に正しく護り伝えてい くことを言います。この三つは、いずれも一切衆生を救済し、世を安穏に導 く最高の宝であることから、三宝と言うのです。
 本宗では、第26世日寛上人が、
「須く文底下種の三宝を信ずべし.是れ則ち末法適時の信心なり」
                (当流行事抄・六巻抄194)
と御指南のように、文底下種の三宝、すなわち久遠元初の仏法僧を信仰しま す。
 久遠元初の仏宝とは、久遠即末法の御本仏・宗祖日蓮大聖人です。久遠元 初の法宝とは、御本仏が悟られた南無妙法蓮華経であり、その当体は大聖人 が御図顕された本門戒壇の大御本尊です。久遠元初の僧宝とは、大聖人より 唯授一人の血脈を承継された第二祖日興上人を随一とし、日目上人以下、血 脈付法の御歴代上人も僧宝となります。
 以上の意義から、勤行の二座では、本門戒壇の大御本尊に対して、また三 座では 宗祖日蓮大聖人、第二祖日興上人、第三祖日目上人以下の御歴代上人に対し て御報恩謝徳を申し上げるのです。大聖人が、
「法をこゝろえたるしるしには、僧を敬ひ、法をあがめ、仏を供養すべし 」                           (新池御書・御書1462)
と仰せのように、私達の勤行は、文底下種の三宝を尊び敬う御報恩謝徳の実 践なのです。

四座 - 広宣流布祈念
 四座では、まず広宣流布の御祈念をします。
 総本山大石寺では、日興上人以来、代々の御法主上人によって一日も欠か すことなく丑寅勤行が行われ、広宣流布の御祈念がなされています。私達も 勤行の四座で広宣流布を御祈念し、その達成のために精進することをお誓い するのです。
 次に、自身の膀法罪障消滅・信心倍増等、諸々の御祈念をします。

五座 - 回向
 五座では、過去帳記載の大聖人の御事蹟および御歴代上人の御命日忌に当 だっての御報恩謝徳、先祖代々・有縁の諸精霊に対する追善回向をします。
 回向とは回転趣向の意で、仏道修行の功徳善根を他人に回り向かわしめる ことを言います。大聖人は、
「今日蓮等の類聖霊を訪ふ時、法華経を読誦し、南無妙法蓮華経と唱へ奉 る時、題目の光無間に至って即身成仏せしむ。回向の文此より事起こるなり 」
                 (御義口伝・同1724)
と仰せです。すなわち、御本尊に勤行・唱題し、その功徳を回向することに よって、精霊は即身成仏の境界を得られるのです。
 また、大聖人が『刑部左衛門尉女房御返事』に、  
「父母に御孝養の意あらん人々は法華経を贈り給ふべし」
            (同1506)
と仰せのように、法華経をもって回向することは、有縁の精霊を成仏に導く 最高の孝行となることを心得ましょう。
 最後に、    
「乃至法界平等利益 自他倶安同帰寂光」 と観念します。
 これは法華経に、  
「願わくは此の功徳を以て 普く一切に及ぼし 我等と衆生と 皆共に仏 道を成ぜん」
                  (化城喩品第7・法華経268)
と説かれるように、勤行の最後に、その功徳を宇宙法界の一切衆生に平等に 回らして、自他ともに寂光土(成仏の境界)に帰人するように御祈念するの です。
 最後に、題目を三唱して勤行を終わります。

勤行の仕方
朝 - 五座の勤行
 勤行の開始に当たり、まず御本尊に向かって題目を三唱します。
○初座 - 諸天供養  
①東方に向きを変え、題目三唱(初座では鈴を打だない)。  
②「妙法蓮華経方便品第二」と方便品の題号を読み、続いて「爾時世尊。 従三昧」から「所謂諸法。如是相。如是性~本末究竟等」までを読誦します 。   
※「所謂諸法。如是相。如是性~本末究竟等」の箇所は、三回繰り返し て読みます。   
※方便品の読経は、二座以降も同様に行います。
③続いて「妙法蓮華経如来寿量品第16」と寿量品の題号を読み、自我偈( 「自我得仏来~速成就仏身」の部分)を読経します。
④引き題目を三回唱えます。
【引き題目の唱え方】
「ナームー、ミョーホーレーンゲーキョーナームー、ミョーホーレーンゲー キョーナームー、ミョーホーレーンゲーキョー」とゆっくり唱える。
⑤題目三唱。
⑥初座の観念文を黙読して念じます(経本参照)。
⑦題目三唱(初座終了)

○二座 - 本尊供養  
①御本尊に向き直って鈴を打ち(7打)、初座と同様に方便品を読誦しま す。終わって鈴を打ちます(1打)。  
②寿量品の題号を読み、鈴を打ちます(2打)。続けて「爾時仏告。諸菩 薩及」から自我偈の最後まで読経します(「爾時仏告。諸菩薩及」から自我 偈の前の「爾説偈言」までを長行と言います)。  
③引き題目を三回唱え、鈴を打ち(5打)題目三唱。  
④二座の観念文を黙読して念じます(経木参照)。  
⑤題目三唱(二座終了)。

○三座 - 三師供養  
①鈴を打ち(7打)、方便晶を読誦します。終わって鈴を打ちます(1打 )。  
②寿量品の題号を読み、鈴を打ちます(2打)。続けて自我偈を読誦しま す。  
③引き題目を三回唱え、鈴を打ち(5打)題目三唱。
④三座の観念文を黙読して念じます(経本参照)。
⑤題目三唱言一座終了)。

○四座 ― 広宣流布の祈念・個人の諸祈念  
①三座と同じように、方便晶品寿量品の自我偈を読誦します。  
②引き題目を三回唱え、鈴を打ち(5打)題目三唱。  
③四座の観念文を黙読して念じます(経本参照)。  
④題目三唱(四座終了)。

○五座 ― 回向  
①三座と同じように、方便品と寿量品の自我偈を読誦します。  
②読経終了後、鈴を打ち(7打)、唱題に入ります。  
③唱題終了時、鈴を打ちます(5打)。題目三唱。  
④鈴を打ちながら観念回向します。
⑤先祖代々の諸精霊に対する追善回向 (五座の観念文を黙読して念じ、鈴を連打します)。
⑥回向終了とともに、鈴を打ち終わり、題目を三唱します。
⑦「乃至法界平等利益 自他倶安同帰寂光」と念じます。
⑧鈴3打ののち、題目三唱し、勤行を終了します。

夕 - 三座の勤行  
夕(三座)の勤行は、五座の勤行のうちの二座・三座・五座を行います。
 
[過去帳での回向]
1 過去帳記載の御歴代上人への御報恩謝徳。御歴代順に、「総本山第○世 ○○上人 御命日忌 御報恩謝徳(祥月の場合は『御正当会御報恩謝徳』) の御為に 南無妙法蓮華経」と念じ、鈴を一打します。
2 過去帳記載の日蓮大聖人の御事蹟に対する御報恩謝徳。   
(例)「文永八年九月十二日 宗祖日蓮大聖人竜口御法難 御報恩謝徳 の御為に 南無妙法蓮華経」と念じ、鈴を1打します。
3 過去帳記載の故人(大聖人の御両親・大石寺開基檀那南条時光殿も含む )に対する追善回向。「○○○○信士(信女)/俗名○○○○の霊 命日忌 (祥月の場合は『祥月命日忌』)追善供養の為に 南無妙法蓮華経」と念じ 、鈴を1打します。 過去帳は翌日のページを開き、回向では「御逮夜御報恩謝徳(御歴代上人) 」「逮夜追善供養(故人)」と念じます。

二人以上で勤行を行う場合
二人以上で勤行を行う時は、一人が導師を務め、他の人は導師に唱和します 。 この時には、以下のことに注意しましょう。
①勤行開始時と終了時の題目三唱、また各座における引き題目では、導師が 最初の「南無」を唱え、他の人はそのあとに続いて唱和します。
②方便品・寿量品の題号と、各座における題目三唱は導師が声を出して唱え 、他の人は合掌して頭を下げ、声を出さずに心の中で唱えます。
③題目三唱は「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と二回続けて唱え、いっ たん切ってから三回目の「南無妙法蓮華経」を唱えます。

寺院参詣で正しい勤行を習得しよう
 自分だけで勤行を行っていると、読経・唱題の仕方や鈴を打つタイミング など、我流になりやすいものです。私達は信心の道場である寺院に参詣し、 御住職のもとで勤行を行い、正しい勤行の仕方を身につけるよう心掛けましょう。

唱 題

唱題とは
 唱題とは、日蓮大聖人が顕された本門の本尊を信じて、南無妙法蓮華経の 題目を唱えることです。  日蓮正宗の勤行で方便品第二と如来寿量品第十六を 読誦するのは、第26世日寛上人が、  
「当門所修の二行の中に、初めに助行とは、方便寿量の両品を読誦し、正 行甚深の功徳を助顕す」
                       (六巻抄161)
と仰せのように、洗濯をする時に洗剤を用いたり、食事の時に調味料を使うのと同様に、唱題の功徳を助け顕すための助行であり、唱題こそが本宗の正行と なるのです。

唱題の意義と功徳
 唱題の意義と功徳について、代表的な事柄を挙げてみましょう。
①即身成仏 大聖人が唱題の功徳について、   
「今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉りて即身成仏す」
                    (御義口伝・御書1757)
と仰せられているように、私達が正境(正しい信仰の対象)である御本尊を 信じて唱題する時、私達に具わる仏性が顕れて、御本尊と境智冥合して一体 となり、その身そのままの姿で成仏することができるのです。 この即身成仏について、御法主日如上人猊下は、
「妙法と唱えていくことによって、我々の持つ煩悩がそのまま菩提に変わる 。煩悩即菩提、生死即涅槃、そういう境界に立つことができるのです。こう なってきますと、それこそ人生を泰然としたものにできる」
                     (功徳要文2 0)
と御指南されています。私達が真剣に唱題することにより、自らの煩悩(迷 い)を菩提(悟り)へと転じて成仏の境界を開くことができ、また、この唱 題を弛まず継続していくことによって、何ものにも紛動されない、幸福な人 生を送ることができるのです。  
②四力成就・罪障消滅  四力とは「妙法の四力」とも言い、末法の衆生が成仏するために必要な、 仏力・法力・信力・行力という四つの力のことです。
 御本尊の広大深遠なお力が法力であり、御本仏大聖人が衆生を救済してく ださる力用が仏力です。そして私達が「この御本尊のほかに仏に成る道はな い」と信じる力が信力であり、真剣に題目を唱える力が行力です。
 真剣な唱題によって、私達凡夫の信力・行力が、御本尊の仏力・法力と相 俟って四力が成就し、大功徳を得ることができるのです。
 また大聖人は、  
「南無妙法蓮華経とだにも唱へ奉らば滅せぬ罪や有るべき、来たらぬ福や 有るべき。真実なり甚深なり、是を信受すべし」
               (聖愚問答抄・御書406 ) と仰せられ、唱題によって、過去世からの悪業による罪障をことごとく消滅 し、必ず幸福になることができると御教示されています。
 唱題には、このほかにも広大無辺な功徳と意義が具わっています。真剣な 唱題を継続する人には、諸天善神も守護の力用を示し、必ず困難を乗り越える道が開けます。また、不幸な宿命を改善し、善縁に恵まれ、日々、御本尊 に守られて感謝に満ちた人生を送ることができるようになるのです。
 第67世日顕上人が、    
「一切を開く鍵は唱題行にある」 
                (大日蓮・平成11年1月号5)
と御指南されたように、人生のすべてを切り開いていく鍵は、まさしく唱題 にあるのです。

唱題の姿勢と心構え
 唱題の姿勢と心構えについて、第59日亨上人は、  
「お題目の唱え方は、身に油断怠りなきよう、意に余念雑念なきようにありたい。口より出す声は早口であったり粘口であったりしてはならぬ。 落ち着いてしっかりと尻強に中音に唱えねばならぬ。唱える数には定まりがない。多くとも少なくともその人の都合であるが、身体の方は両手を合わせて 指先が鼻の下に向くように、目は確かに御本尊に向かうように、そして身体中が歓喜で踊躍するようにありたい。御本尊と吾等と一体不二に成るまで 励まねばならぬ」
と具体的に御指南くださっています。
 自分の行体が、この御指南のように正しい姿となっているか、常に振り返って見直すことが大切です。ここで仰せのように唱題の数に決まりはありませんが、 数多く、心ゆくまで唱えることが大切です。御本尊と境智冥合して一体となり、心身が歓喜で満ち溢れるほど唱えていきましょう。

広布唱題会に参加しよう
 大聖人が『三大秘法案承事』に、  
「末法に入つて今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」
                     (御書1594)
と仰せのように、大聖人が唱え出された題目は、自らの修行としての自行の功徳だけでなく、他の人々を折伏教化して成仏に導く化他 の功徳をも具えています。
 総本山をはじめ全国の寺院では、毎月第一日曜日に「広布唱題会」が行われています。この唱題会は、御本仏日蓮大聖人の遺命である広宣流布・大願成就を 祈念するものです。
 私達が縁のある人達の幸福を強く祈って唱題に励んでいけば、不思議と折伏の機会が訪れたり、折伏の追い風となる出来事が起きたりするなど、 必ず結果が現れてきます。
 私達は毎月の広布唱題会に参加して、御住職をはじめ法華講の仲間と共に広宣流布を真剣に祈念し、御本尊への確信と慈悲の気持ちを持って、 大いに折伏に励んでいきましょう。

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