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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

五人所破抄(現代語)

五人所破抄
                   御書・1875頁
                        【章立ては編者が加筆した】
 第一章 大聖人が、本弟子六人を定める。
 さてよく考えてみると、諸仏が出世することの難しさは優曇華に譬えられ、衆生が妙法に巡りあう縁が希であることは一眼の亀が浮き木にあうことにも譬えられる。
末法の衆生は三千塵点劫や五百塵点劫の釈尊の化導に漏れ、正法・像法二千年の弘経も、はや過ぎてしまった。
 闘諍堅固の今は、教えの実践も戒律に基づく修行も共に熱心に行われなくなって、人々の機根も悪い者だけが多くなってしまった。
どこに頼もしいことがあろうか。たとえば内道・外道を兼ね備えている智慧を三阿僧祇劫の間、積み重ね、大乗や小乗の修業を百劫の間、行じたとしても、時と機とを弁えず、本門と迹門に迷うならばそれを信ずることも難しい。
 ここに先師日蓮大聖人は、釈尊から付嘱を受けて末法の教主となったといえども、すでに生死の無常の姿を示して入滅されようとした時、妙法五字を継承せしめるために六人の遺弟を定められたのである。
 日昭・日朗・日興・日向・日頂・日持の以上六人である。

第二章 五老僧の申状を挙げる
 五人が武家に捧げた申状には次のように述べている。
鎌倉幕府には申状を提出したが、まだ公家には提出していない。
 「天台宗の僧侶である日昭が謹んで申し上げる。
先師日蓮はありがたくも法華の行者としてもっぱら成仏の直道を明らかにし、天台宗の余流をくんで思い慮の研鑚に励んだ」と。
 また、「日昭は取るに足りない身であるが、戦さが長く止むように、また副将軍が安泰であるよう、法華の道場を構え、長い間勤行を行ってきた。すでに人知れず務めている志があるので、どうしてはっきりと明らかな感応がないわけがあろうか」。要約する。
 「天台宗の僧である日朗が謹んで申し上げる。
 先師日蓮は如来の本意に従って、先に説かれた権経を捨てて、後に説かれた実経を弘通させたが、最も肝要なことは国主の耳に入れずに至らず、憂いと残念な思いを抱いて空しく多年を送り、まるで宝石を持った者がそれを認められずに亡くなったように逝去してしまった。
そこで日朗はありがたいことに先師から、この一乗妙典である法華経を相承し、国家の永久の安泰をお祈り申し上げている」。要約する。
 「天台法華宗の僧侶である日向・日頂が謹んで申し上げる。
 桓武天皇の時代の姿を仰ぎ、伝教大師の流れを受け継ぎ、立正安国論にならって一仏乗の法華経を尊び敬われることを請い願う書状である」
「右のことを謹んで古い例に基づき考えてみると、我が天台宗の開祖である伝教大師は延暦年中に始めて比叡山に登って、法華経の宗旨を弘通された」
「自分は、今この所を法華経の道場になぞらえ、天地が永久に平穏であるように祈っている。その祈りを今日まで欠かしたことがない」。要約する。

第三章 日興上人の申状を示す
 日興が公家に奏上し、武家に訴えて言う。
 「日蓮大聖人はもったいなくも上行菩薩の再誕であり、法華経本門を弘経するために現れた偉大な方である。
 すなわち、仏は未来の機根を考えられて時代を正法・像法・末法の三時に分け、法を四依の菩薩に付嘱されたのである。
 仏滅後、正法千年の間に迦葉・阿難等の聖人が、まず小乗教を弘めて大乗教を省略し、次に竜樹・天親等の論師が出て小乗教を破って大乗教を立てた。像法千年の間では中国の陳・隋の両国の時代に、天台大師は南三北七の十師の邪義を破り、日本においては桓武天皇の時代に、伝教大師は南都六宗の誤った論を改めさせた。
 今末法の世に入っては上行菩薩が出現される世であり、法華経本門の流布する時である。
正法・像法時代は過ぎてしまったのに、どうして爾前迹門の教えに帰依する必要があろうか。
とりわけ大切なことは、天台大師・伝教大師は像法時代において法を説き、日蓮大聖人は末法の時代を迎えて弘通したのである。
 天台大師は薬王菩薩の生まれ変わりであり、日蓮大聖人は上行菩薩の再誕である。
これらのことは経文にも載っていることであり、この解釈においても明らかである。
 一般に釈尊一代の説教の起こりは、法華経の中道実相を説こうとしたためであり、インド・中国・日本へと三国へ伝持された法華経の流布は、どうして仏の真実の本門を第一としないでよいであろうか。
 もし瓦や石を尊んで珠玉を捨て、灯を大事にして太陽の光を愚弄するならば、ただ世俗に迷い従って釈尊の化導を非難するのに等しいであろう。
三時の弘教において大聖人の本門弘通は華の中に優曇華があり、木の中に栴檀があるようなものであり、凡夫には考え及ぶところではなく、冥の照覧に任せるのである」と。
 本門と迹門とはことごとく水と火のような隔たりがあり、正法・像法・末法とは、時も機根も天地のような違いがある。
 どうして地涌の菩薩である日蓮大聖人を指して、いやしくも天台大師の末弟などと呼ぶことができようか。
 次に国家を祈ったというのは、また、それ以上に疑わしいことである。
その理由は、文永十一年に佐渡から御赦免の折、平左衛門尉に対面された時の御返事に、日蓮大聖人の御心はすでに顕れている。
 どうして法華経の行者を誹謗する僣聖増上慢・道門増上慢の怨敵と一緒になって永く国家の安全を祈禱しなければならないのであろうか。
 まして、三災はますます激しくなり、祈禱の効果など全くない。
 他宗と並んで国家を祈るなどということは、大聖人の御心に背くばかりでなく、かえって自身の面目をも失うことになるのである。

第四章 五老僧の三点の迷妄を挙げる
 また、五人が一同に言う「そもそも日本・中国の注釈書を開いて法華経の本門と迹門の究極の意を深く考えて見ると、教えの判教は法華玄義と法華文句に尽くされており、法華経の弘通に関して残されているところはない。
 どうして天台宗のほかに自己流の異義を構えるのか。
 何と拙いことであろうか。尊い天台山を見下して、拙い富士山を崇め、明確で誤りない摩訶止観をさしおいて、仮字文字の消息文に執着するのは誠に愚かさを我が身一身に招き、恥を先師に及ぼすものである。
 誤りの極みであり、決して在るべき姿ではない。
もし聖人の御述作と称して後世に伝えようとするならば、卑しい仮名文字を漢字に改めるべきである」と。

第五章 先師を天台余流とする迷妄を破る
 日興が言う。
 そもそも竜樹・天親はすなわち四依の大士であって、円頓一実の中道を説いているといっても、権教を表として実教は隠して裏に用いた。
 また天台大師・伝教大師は観行即の五品の位の人であり、もっぱら法華経本門と迹門の区別を明確にしながらも迹門を弘めて衆生を救済し、本門は残してその弘通を末法に譲ったのである。
 内心では知ってはいたが、外に向かっては時の宜しきに合わせるために、あるいは知ってはいなかったような姿を示し、あるいは知っていてもいまだ明らかに示さなかった。
 それにもかかわらず、今、五老僧が本迹二門の教えが共に天台大師の弘通であると主張していることは法華経の経文に違背しており、天台等の解釈も根拠のないものとなってしまう。
 なぜかといえば、法華経見宝塔品で釈尊が三箇の鳳詔により滅後における法華経の弘通を命じたことに対し、勧持品で二万の菩薩が娑婆世界での弘経を誓ったが、釈尊はこれを許さなかった。
 湧出品に於いては、他方から来集した無数の八恒河沙を超す菩薩が競って娑婆世界の弘教を誓い望んだのである。
 釈尊はこれをとめて「汝等が此の経を護持せんことをもちいじ」と示し、地涌千界の菩薩を召し出して、如来が所有している一切の法を授けたのである。
 迹化・他方の最高位にある菩薩ですら釈尊と地涌の菩薩との血縁が五百塵点劫以来のものであることを知らなかったのであるから、「止みね善男子」の金言によるように、深遠なる実教の本門の弘通をこれら迹化・他方の菩薩に許すことがあるだろうか。  本門の肝心たる妙法蓮華経の五字は 上行菩薩の付嘱である。
 誰が己義などということができようか。
 詳しくは経文の通りであり、経文を開いて見るべきである。
 次に天台大師が湧出品の経文を次のように解釈している。
「釈尊が他方の菩薩を制止された理由はほぼ三つの意義がある。
一つは、他方の菩薩はそれぞれに自らの住する地がある。もしこの娑婆世界に住したとすれば、本来住している地の衆生を利益することができなくなる。
二つには、他方の菩薩は娑婆世界に血縁が薄いため、それらに法を授与したいと思っても大勢の人を利益することはできない。
三つには、もし他方の菩薩に弘通を許したならば、地涌の菩薩を召し出すことができない。
これを三義とするのである。
 釈尊が他方の菩薩を制止し、地涌の菩薩を召し出された理由に、また三つの意義がある。
一つは、地涌の菩薩は釈尊の久遠の弟子であるから釈尊の法を弘めるべきであるということ。
二つには、地涌の菩薩は久遠以来、娑婆世界との宿縁が深く厚いので、よくこの娑婆世界の衆生をあまねく利益し、また分身の諸仏の国土の衆生も遍く利益し、他方の土の衆生も遍く利益すること。
三つには、地涌の出現により始成正覚の近くを開いて久遠実成の遠くを顕すことができるのである。この故に他方の菩薩を制止して地涌の菩薩を召し出されたのである」と。
 また、天台大師は法華文句で「爾の時に仏、上行等の菩薩大衆に告げたまわく、以下の部分が第三の結要付嘱である」と言っている。
 伝教大師は本門流布の時を慕って守護国界章で「正法・像法の時代が次第に過ぎて、末法がいよいよ近づいている。法華一乗の教えが流布すべき機はまさしくその時である」と述べている。
 また、法華秀句には「時代を語ると像法の終わり末法の初め、国を尋ねると中国の東・カムチャッカの西・人を論じると五濁悪世の衆生であり、闘諍堅固白法隠没の時である。法華経法師品第十に『なお怨嫉多し。況んや滅度の後をや』との言葉は、誠に深い意味がある」と述べている。
 さらに付け加えると、竜樹菩薩は大智度論の中に「法華経は秘密の経であるから特別の菩薩に付嘱する」と述べている。
 涌出品の時に下方の大士を召したということは明らかに本眷属である地涌の菩薩を待ったということである。
 それは地涌の菩薩以外はこの法の付嘱に堪えないからである。
 道暹の法華文句輔正記には「付嘱を明かすならばこの経は、ただ地涌の菩薩に付嘱するのである。
 なぜそうなるかというと、法自体が久遠実成の法であるが故に、教化してきた久成の人に付嘱するのである」とある。
これらについての論や釈は一つでないので、繁雑を恐れてこれを省略する。
 観音菩薩や薬王菩薩はすでに迹化の菩薩である。
南岳大師・天台大師は誰の生まれ変わった身であろうか。正法・像法時代が経過して二千年になるが、いまだに上行菩薩の出現は聞いていない。
 また末法に入って二百年が経過し、法華経本門流布の時に当たっている。
 どうして天台の法華経一部八巻の総じての解釈をもって、勝手に正像末の三時の弘経の次第を非難することができようか。

第六章 五老僧の台嶺偏重・仮字蔑視を破る
 次に日本というのは総称である。また日本を扶桑国ともいう。
 富士は郡(こおり)の名であり、すなわち大日蓮華山と称する。
 このことから、次のことを知ることができる。
 先師の自然の名乗りである日蓮という名号と妙法蓮華の経題と大日蓮華山とこの山の名前が相応している。
 このことから法華経弘通は富士山から起るのである。
 遠く中国の天台山を訪ねれば、そこは三台星の居住する地であり、天台大師はその地を選び迹門の法華経を建立された。
 近く我が日本国の大日蓮華山をたずねれば、日天子の住む所であり、日蓮大聖人はこの高峰の富士山を選んで本門を弘めようとされた。
 それは世界一の富士山だからである。にもかかわらず、五人はどうして辺鄙と見下すのであろうか。
 次に、上行菩薩は最極の法身にして凡智では知り得ない境地であり、常寂光土に住しておられるが、未だ法華経の実義を了解していない衆生のために、地涌の湧出の事相をもって永遠の真理を顕して地より涌出され、それ以来、付嘱を本門に受け、時を末法に待ち、生を我が日本に現し、教えを仮名文字で示されたのである。
 祖師日蓮大聖人の衆生の機根のとらえ方に誤りがなければ、遺弟たちが仮名文字を改めることは誠に恐れ多いことである。
このように考えて、智慧の浅い者はひたすら信じ、仰ぐのみである。
 そもそもインド・中国の梵字・漢字と日本の仮名文字は、時により機根により使うのであり、互いに優劣はないのである。
 よくよく大聖人が凡夫を教化される手段の巧みさを考えるならば、インドや中国の方便よりも、大聖人の用いた仮名文字のほうがはっきりと勝れている。
 どうして日本の仮名文字を蔑視して、中国の漢字を崇め重んずる必要があるだろうか。
 ただしインドの仏法が次第に東方につたわった時、すでに梵語を翻訳して中国・日本に伝えられたのと同様に、日本の大聖人の金言も広宣流布する時には、また仮名文字を翻訳して、インド・中国に流通すべきである。
 教えを流布するために飜訳をなすべきことは論ずるまでもないが、我見によって仮名文字を漢字に改変することについては、ただ、悲しみの思いを抱くのみである。

第七章 本尊をめぐる五一相対を明かす
 また、五人が一同に言う。
先師が所持していた釈尊像は、かたじけなくも弘長元年の伊豆配流の際に彫刻され、後入滅の日まで身近に所持されていたものである。
どうして軽んずることができようか。
 日興が言う。
 諸仏の姿が荘厳であることは同じであるが、印契によって仏の違いを区別することができる。
 仏の本迹の相違は推し測り難いが、左右に並ぶ眷属によってこれを知ることができるのである。
 従って、小乗教の教主は迦葉・阿難を脇士とし、伽耶城近くの菩提樹の下で始めて悟りを開いた境地にとどまっている。
 大乗の迹仏は、普賢・文殊の菩薩が脇士として左右にいる。
 これ以外の釈尊の一体像は頭陀の修業の姿をした応身である。
 およそ円頓教の学者は広くその大網を修め、些細な網目にはとらわれないのであって、よくよく大聖人の出世の本懐を考えれば、過去の権実二教の化導を改め、上行菩薩として付嘱を受けた教えと妙戒を弘通されることにあった。  御図顕された御本尊は、また、正法・像法二千の間・世界中にいまだかって現れたことのない大漫荼羅である。
 末法今時においては、法華経迹門の教主である釈尊はすでに利益はないのであるから、まして小乗教の応身仏に利益があるはずがない。
 次に、大聖人が一体仏を随身所持しておられたではないかという言い分についていえば、これはちょうど、まま子を一時的に愛するようなものであり、また、月が出るまでの片時の間の、蛍の光のようなものであろう。
 それでもなお釈尊に執着し、どうしても仏像に帰依したいと願うならば、当然四菩薩を加えて脇士とすべきであろう。
 あえて一体仏を用いてはならない。

第八章 神祇・修行・戒における相違を明かす
 また五人が一同に言う。日興上人の立てている教義のありさまは単に法門の流れが異っているばかりでなく、
 神社に神はいないという別義を構えている。
これはすでに道理に外れたことで、誰がそのようなことを信ずるであろうか。
 日興が言う。我が日本国は諸天善神がその威光を和らげて衆生の煩悩に交わり、仏が国中の利益を及ぼすところでる。
 しかし今、末法に入って二百余年が経ち、人々が帰依しているのは爾前迹門の教えである。
このような正法誹謗の国を諸天善神・聖人が捨て去るということは経論に明らかであり、また先師日蓮大聖人が述べられたところでる。
善神・聖人の誓願に背いて、どうして悪鬼が乱入している社殿に詣でてよいことがあろうか。
 ただし本門流布して垂迹の善神が還られる時が来たならば、その時こそ上下の格式を選定し、鎮守の社を定めるべきである。
 また五人が一同に言う。
 如法経・一日経の両経共に法華経の真実の経文を写す修業である。
 経典を書写・読誦することは経文に相違するものではない。
 日興が言う。
 如法経・一日経の両経は法華経の真実の経文を書写する修業ではあるといっても、それは正法・像時代という過去における摂受の修行である。
 今は末法の時代を迎え折伏を行ずべきであり、その在り方を論ずるならば、法華経一部八巻を読誦するのではなく、ただ題目の五字を唱え、たとえ三類の強敵による難を受けても、諸師の邪義を責めるべきである。
 このことは、法華経の勧持品第十三や常不軽菩薩品第二十に明確に説かれているところであり、上行菩薩の再誕として出現され、弘教された日蓮大聖人が現証をもって示されたところである。
どうして折伏すべき時に摂受の修行をしてよいことがあるだろうか。  ただ四悉壇の廃立も、摂受・折伏の二門の取捨も、時と機根を考えるべきであり、あえて一方に偏って持戒か破戒かで論議しあっている。
 また五人の立てている教義は、すでに日昭方と日朗方の二つに分かれており、戒について持戒か破破かで論議しあっている。
 日興が言う。そもそも出家の戒律を用いるべきか否か、行住坐臥の四種の威儀の行いは、時代の人々の機根が平穏であるか険悪であるかによって異なり、また戒を持つかどうかも凡人と聖人ではちがいがある。
 爾前教や法華経迹門の戒を論ずれば、全く持つべきではない。
 法華経本門における戒については、用いるべきである。
 ただし法華経本門に説かれる戒の体がいかなるものかは教典・書釈に詳しくかかれており、面談をもって決定すべきである。

第九章 身延離山の意義を論ずる
 身延の宗徒が、筋違いにも、次のように非難して言っている。
 日興門流の重い罪科はもっぱら身延を離山したことにある。
たとえ地頭の波木井殿があやまちを犯したとしても、先師の遺跡があるのだから忍んで留まるべきであった。
 日興門流は、もはや先師の御墓にも参詣していない。どうして師匠に背く重罪をのがれることができようか。
 日興が言う。彼らの言い分は転倒の極みである。
 今更、身延離山の正否について改めて言う必要もないが、未だ聞ていない人もいるだろうから、毒鼓の縁を結ぶために述べておこう。
 そもそも、身延山興隆の根本理由は、日蓮大聖人が住まわれた尊い場所であったからであり、また地頭の波木井殿が大聖人に帰依したのも元をただせば日興の教化に依るところである。
 ところが今、身延の徒は、日興が波木井実長に下種し結縁したという最初の淵源を忘れて日向などの劣った教えを日興の義よりも勝れていると誤った考えを起こし、自分は日興の弟子ではないとか聖人の直弟子だから同列であるなどと勝手な主張を構え、明らかに道理に合わない暴論を述べている。
 誠にこれは葉を大事にし根を枯らし、流れを汲みながら末だ源を知らないのと同じである。
 ましてや慈覚・智証は伝教大師の直弟で、比叡山の住持の中でも初めの人々である。
 また鎌倉の若宮八幡は百王を守護すると誓った大明神で、日本の朝廷の本主である。
 しかしながら、この大明神は釈尊の前で謗法の国は捨て去るとの誓願を立てた。
 先聖は慈覚を指して本師の伝教大師に違背した人であると破折された。
 もし先師の墓を守りさえすればよいというのであれは、比叡山に住して伝教大師の御墓を守った円仁を破折した大聖人は大きな誤りをしたことになる。
 また、仏法に背く振る舞いをしても罪科が現れないならば、正法誹謗の国を捨て去るとの請願はすべて仏の垂迹としての諸天善神の不覚となるであろう。
考えてみれば分かるように謗法の国においては悪鬼・外道が災難をもたらし、守護の善神は国を捨てて天上に還る。
善神・聖人の住居は、すなわち正しく正法を護持する者の頂きにある。
 そもそも身延の流れを汲む人々は、未だ仏法の正邪を分別できないでいる。
強いて御廟(ごびょう)への参・不参を論ずれば、汝ら身延の徒はまさに砕身の舎利を信じようとしているのであって、法華経を受持する者とどうしていえようか。
迷暗誠に甚しいものがある。
 これに準じて、次の例を知るがよい。
 伝え聞くところでは、天台大師に三千余人の弟子がいたが、章安大師一人だけがはっきりと誤りなくすべてに理解することができた。
伝教大師にも三千人の弟子がいたが、義真の後は真実の弟子は無きに等しい。
今、日蓮大聖人は衆生を末法万年にわたって救斉するために、六人の本弟子を定められた。
 しかしながら法門はすでに正邪の二つに分かれ、門下もまた一つにまとまることなく分派している。
 宿習の故に正しい師匠に会えたというのに、法を持ち伝えているのがだれなのかを、わきまえられないでいる。
 法華経方便品第二には「能く是の法を聴く者、斯の人亦復難し」とあり、章安大師は、天台大師のこの言葉がもし忘れていたならば、将来の人は正しい教えを知ることができず悲しむことになる」と言われている。
 この方便品の経文と章安の釈は、あたかも割符を合わせたように合致いている。迹化の菩薩も正法が信じがたく、堕落しやすいことをこのように嘆かれたのである。まして法華経本門の教えが地に墜ち、破れてしまうことを憂えずにおられようか。  日興の考えや主張が、もし日蓮大聖人の御心に少しでも異なっているところがるとすれば、それは私自身の未熟な考えでよるものであって、誠に恐れ多いことであるが、私の考えが仏意に叶っているのであれば、五人の誤りは明確で、はなはだ憂うべきである。
 いずれの説を取るか捨てるかは、あなた方の正しく真理を見極める智慧に任せるので、熟慮の上で正しく理解すべきである。

第十章 方便品不読の邪義を破る
 この五老僧の外の支流にも異義を構え、仏法を曲げるものがたくさんいる。
 その中の天目がいう。六老僧の説は皆、嘲哢すべき教義である。富山の日興門流だけは宜しいが、また過ちもある。
 迹門を破折しながら法華経方便品を読むことは既に自語相違であり信受するに値しない。
もし所破のために読むというのであれば、阿弥陀経をも読まなければならないではないか。
 日興が言う。
 日蓮大聖人の明らかな戒めに基づけば、天目の主張など論ずるまでもないが、天目の慢心を挫くために、その一端を示そう。
 まず法華経本門と迹門の相違があることは、天目が確かに初めに言い出したことか。
 そうではあるまい。
 去る正安二年のころ、天目が富士に来て問答をなした際、本迹勝劣等の日興が立義に一つ一つ証伏したはずである。
 もし、正しい思考力があるならば、当然、日興に帰依し恭敬すべきであるのに、逆に方便読誦を非難してくるとは誠に恥知らずの極みである。
 そもそも狂言綺語をもてあそぶ歌道においてすら、昔の歌仙を自分の作品にみせかけることで、才能のなさを示す行為として、どんな身分の高い人も恥とした。
 まして仏法の中でも最終究極である本門の教えを盗み、自身の説であると称する反逆の輩がどうして無間地獄の大苦を免れることができようか。
 仏天の照覧は目にみえなくても厳然としている。
 だからこそ自ら恐れ慎むべきである。
 次に方便品読誦の非難に至っては、天目は法門の論議の際の主張と、それに対する反論の意義を弁えてはいない。
 日蓮大聖人が正行である題目に方便・寿量を読誦の助行として加えられたことを道理も分からないで軽蔑しているのである。その重罪は一つではない。罪悪の業は先に述べた通り無間地獄は免れない。
 もしこれらの道理を知りたいと願うならば、以前のように富山に詣でて、習学のために師匠のそばに仕えることである。
 そこで、天目等の輩のために教訓するのではなく、正しい真理を示しておくために師匠のそばに仕えることである。
 そこで、天目等の輩のために教訓するのではなく、正しい真理を示しておくために、方便品読誦について二義を立てておく。
 それは一には所破のためであり、二には文を借りるためである。
 初に所破のためとは、清浄な唯一無二の法華経の序分においては爾前権教によっても果を得ることができることを挙げ、迹門を廃して本門を顕す寿量品においては伽耶城近くで初めて正覚を成じたことを明かしている。
 このことから考えてみると、方便品読誦の根本の意は、ひとえにこれまでの教えに対する執着を破折するためである。
 では、所破のためというならば阿弥陀経を読んでもよいのではないかという愚かな非難は、まさに四重の興廃に迷い、正法・像法・末法の三時の弘経を知らないのである。
 度重なる狂気じみた非難は愚劣の極みである。
 いったい念仏など爾前権教の諸宗の破折は天台大師・伝教大師の領分で、大聖人はそれを助けたのであり、全く日蓮大聖人の正意ではない。
 末法においては、像法時代の経である迹門は所破のために読むのである。
 経文や釈義の明鏡は太陽と月のように明瞭であるが、天目は愚かで、その眼が邪な雲に覆われているため、分からないのである。
 次に方便品を読誦するのは、迹門の文証を借りて本門の実相を顕すためである。
 これらの深い意義は日蓮大聖人の高い境涯にあるものであり、浅はかな智慧ではとうてい及ぶところではない。
 正しく信解できる機根の人にはこの法門を伝えるべきである。
      嘉暦三戊辰年七月に草稿した    日順


 
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