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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

原殿御返事(原文)

 原殿御返事
                「冨士門家中見聞 上」富士宗学要集第5巻160頁
 御札委細拝見仕り候い畢んぬ。
 抑此の事の根源は、去ぬる十一月の頃、南部弥三郎殿、此の御経を聴かんが為入堂候の処に、此の殿入道の仰せと候いて、念仏無間地獄の由聴き給はしめ奉るべく候。此の国に守護の善神無しと云う事云わるべからずと承り候いし、是こそ存外の次第に覚え候へ。入道殿の御心替らせ給い候かとはつと推せられ候。殊にいたく此の国をば念仏・真言・禅・律の大謗法故、大小守護の善神捨て去る間、其の跡のほくらには大鬼神入り替って、国土に飢饉、疫病、蒙古国の三災連連として国土滅亡の由、故に日蓮聖人の勘文関東の三代に仰せ含まれ候い畢んぬ。此の旨こそ日蓮阿闍梨の所存の法門にて候へ。国の為、世の為、一切衆生の為の故に、日蓮阿闍梨仏の御使として、大慈悲を以て身命を惜しまず申され候いきと談じて候いしかば、弥三郎殿、念仏無間の事は深く信仰し候い畢んぬ。守護の善神此の国を捨去すと云う事は不審末だ晴れず候。其の故は鎌倉に御座し御弟子は諸神此の国を守り給う尤も参詣すべく候。身延山の御弟子は 堅固に守護神此の国に無き由を仰せ立てらるの条、日蓮阿闍梨は入滅候。誰に値ってか実否を決すべく候と、委細に不審せられ候の間、二人の外弟子の相違を定め給うべき事候。
 師匠は入滅し候と申せども其の遺状候なり。立正安国論是なり。私にても候はず、三代に披露し給い候と申して候いしかども、尚心中不明に候いて御帰り候い畢んぬ。
 是れと申し候は此の殿三島の社に参詣渡らせ給うべしと承り候いし間、夜半に出で候いて、越後坊を以ていかにこの法門安国論の正意、日蓮聖人の大願をば破し給うべき、御存知ばし渡らせをはしまさず候かと申して、永く留め進らせし事を入道殿こし召され候いて、民部阿闍梨に問はせ給い候いける程に、御返事申され候いける事は、守護の善神此の国を去ると申す事は、安国論の一篇にて候へども、白蓮阿闍梨外典読みに片方を読みて至極を知らざる者にて候。法華の自者参詣せば、諸神も彼の社檀に来会すべく、尤も参詣すべしと申され候いけるに依って、入道殿深く此の旨を御信仰の間、日興参入して問答申すの処に、案の如く少しも違わず民部阿闍梨の教なりと仰せ候いしを、白蓮此の事は、はや天魔の所為なりと存じ候いて少しも恐れ進らせず、いかに謗法の国を捨てて還らずとあそばして候守護神の御弟子の民部阿闍梨参詣する毎に来会すべしと候は、師敵対七逆罪に候はずや。加様にだに候はば、彼の阿闍梨を日興帰依し奉り候はば、其の科日興遁れ難く覚え候。今より以後かかる不法の学頭をば擯出すべく候と申す。  
 やがて其の次に南部郷の内福士の塔供養の奉加に入らせをはしまし候。以ての外の僻事に候。総じて此の二十余年の間、持斎の法師影をだに指さはらざりつるに、御信心何様にも弱く成らせ給いたる事の候にこそ候いぬれ、是れと申すは彼の民部阿闍梨、世間の欲心深くしてへつらひ諂曲したる僧、聖人の御法門を立つるまでは思いも寄らず大いに破らんずる仁よと、此の二三年見つめ候いて、さりながら折折は法門説法の曲りける事を謂れ無き由を申し候いつれども、敢えて用いず候。今年の大師講にも啓白の所願に天長地久御願円満、左右大臣、文武百官、各願成就との給い候いしを、此の祈は当時は致すべからずと再三申し候いしに、争でか国恩をば知り給はざるべく候とて制止を破り給い候いし間、日興は今年問答講仕らず候いき。  
 此れのみならず 日蓮聖人御出世の本懐南無妙法蓮華経の教主釈尊久遠実成の如来の画像は一二人書き奉り候へども、末だ木造は誰も造り奉らず候に、入道殿御微力を以て形の如く造立し奉らんと思召し立ち候を、御用途も候はずに、大国阿闍梨の奪い取り奉り候仏の代りに、其れ程の仏を作らせ給へと教訓し進らせ給いて、固く其の旨を御存知候を、日興が申す様は、責めて故聖人安置の仏にて候はばさも候なん。それも其の仏は上行等の脇士も無く、始成の仏にて候いき。其の上其れは大国阿闍梨の取り奉り候いぬ。なにのほしさに第二転の始成無常の仏のほしく渡らせ給へ候べき。御力契い給わずんば、御子孫の御中に作らせ給う仁出来し給うまでは、聖人の文字にあそばして候を御安置候べし。いかに聖人御出世の本懐の南無妙法蓮華経の教主の木造をば最前には破し給うべきと、強いて申して候いしを、軽しめたりと思食しけるやらん。日興はかく申し候こそ聖人の御弟子として其の跡に帰依し進らせて候甲斐に、重んじ進らせたる高名と存じ候は、聖人や入替らせ給いて候いけん、いやしくも諂曲せず、只経文の如く聖人の仰せの様に諌め進らせぬる者かなと自讃してこそ存じ候へ。
 総じて此の事は三の子細にて候。一には安国論の正意を破り候いぬ。二には久遠実成の如来の木像最前に破れ候。三には謗法の施始めて施され候いぬ。此の事共は入道殿の御失にては渡らせ給い候はず、偏に諂曲したる法師の過にて候へば、思食しなおさせ給い候いて、今より已後安国論の如く聖人の御存知在世二十年の様に信じ進らせ候べしと、改心の御状をあそばして御影の御宝前に進らせさせ給へと申し候を御信用候はぬ上、軽しめたりとや思食し候いつらん。我は民部阿闍梨を師匠にしたるなりと仰せの由承り候いし間、さては法華経の御信心逆に成り候いぬ。
 日蓮聖人の御法門は、三界衆生の為には釈迦如来こそ初発心の本師にておはしまし候を捨てて、阿弥陀仏を憑み奉るによって、五逆罪の人と成って無間地獄に堕つべきなりと申す法門にて候はずや。何を以て聖人の信仰し進らせたりとは知るべく候。日興が波木井の上下の御為には初発心の御師にて候事は、二代三代の末は知らず、末だ上にも下にも誰か御忘れ候べきとこそ存じ候へ。
 身延沢を罷り出で候事、面目なさ、本意なさ申し尽し難く候へども、打還し案じ候へば、いずくにても聖人の御義を相継ぎ進らせて、世に立て候はん事こそ詮にて候へ。さりともと思い奉るに、御弟子悉く師敵対せられ候いぬ。
 日興一人本師の正義を存じて本懐を遂げ奉り候べき仁に相当って覚え候はば、本意忘るること無く候。又君達は何れも正義を御存知候へば悦び入って候。殊更御渡り候へば入道殿不宣に落ちはてさせ給い候はじと覚え候。
 尚民部阿闍梨の邪見奇異に覚え候。安房の下向の時も入道殿に参り候いて、外典の僻事なる事再三申しける由承り候。聖人の安国論も外典にてかかせ渡らせ給い候。文永八年の申状も外典にて書かれて候ぞかし。其の上法華経と申すは漢土第一の外典の達者が書きて候間、一切経の中に文詞の次第目出度とこそ申し候へ。今此の法門を立て候はんにも、構えて外筆の仁を一人出し進らせんとこそ思進らする事にて候いつれ。内外の才覚無くしては国も安からず法も立ち難しとこそ有りげに候。総じて民部阿梨の存知自然と御覧じ顕さるべし。  
 殊に去ぬる卯月朔日より諸岡入道の門下に候小家に篭居して、画工を招き寄せ曼荼羅を書きて、同八日仏生日と号して、民部入道の室内にして一日一夜説法して布施を抱き出すのみならず酒を興ずる間、入道其の心中を知って妻子を喚び出して酒を勧むる間、酔狂の余り一声を挙げたる事、所従眷属の嘲弄口惜しとも申す計りなし。日蓮の御恥何事か之に過ぎんや。此の事は世に以て隠れ無し、人皆知る所なり。此の事をば只入道殿には隠し進むらせては候へども、此くの如き等の事の出来候へば、彼の阿闍梨の大聖人の御法門継ぎ候まじき小細顕然の事に候へば、日興彼の阿闍梨を捨て候事を知らせ進らせん為に申し候なり。同行に憚りていかでか聖人の御義をば隠し候べき。彼の阿闍梨の説法には、定めて一字も問いたる児共の日向を破するはとの給い候はんずらん。元より日蓮聖人に背き進らする師共をば捨てぬが還って失にて候と申す法門なりと御存知渡らせ給うべきか。何よりも御影の此の程の御照覧如何、見参に非ざれば心中を尽し難く候。恐恐勤言。        一二月一六日    
                         日興  判
     進上 原殿御返報
 追って申し候。
 涅槃経第三第九二巻御所にて談じて候いしを、愚書に取具して持ち来って候。聖人の御経にて渡らせ給い候間、慥かに送り進らせ候。兼ねて又御堂の北のたなに四十九院の大衆の送られ候いし時の申状の候いし、御覧候いて便宣に付し給うべくや候らん。見るべき事等候。毎事後信の期して候。恐恐。


 
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