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彼岸抄(現代語)

彼岸鈔
                   昭和新定御書 第三巻
 そもそも彼岸とは春と秋における真ん中の七日間に信心深い男女が様々な善行を少しでも行ったならば、生死の此岸から苦しみの荒波を乗り越え、菩提の彼岸に到達する時である。
 故にこの七日間を彼岸という。所似に梵天王・帝釈天・閻魔法皇・五道冥官・太山府君・司命・司録等は、日々善悪の行為を記録しているのである。
 大梵天王の前には曼陀幢(まんだどう)に、帝釈には喜見城の四面の壁に、閻魔法皇の前には浄玻璃(じょうはり)の鏡に映し出され欠けることがない。一切衆生の善悪の所作をすべて映し出すのである。
 一々に記す。一切衆生すべてに二天がある。産まれると同時にこの二天も生じる。一には同生といい、二には同名という。諸天と人の間を行き来している。天は常に人を見ているが、人は天を見ることはない。
 産まれた時から命が尽きるまで暫くも離れるはない。
 行住坐臥の所行と所作をすべて札に記して閻魔王に渡す。そのため衆生の善悪の業因は少しも隠れること無く、諸天に伝わっているのである。
 梵天王・帝釈天・閣魔王の三人には三巻の帳面がある。善・悪・無記にそれぞれ一冊である。この帳面を確認するために欲界・色界の中間にある中陽院という所に集り、それぞれの帳面を8度調べてさらに3度調べ直して印判を押し、善悪を決定する重要な時節である。
 もしこの時に、衆生がいて一つの善行を行えば、多くの罪が記されるべきところが、善根の日記に変わるのである。悪業を為しても善の筆に変わり悪の札に善業が書かれるのである。
 彼岸というのは、善悪が決定する時節であることをよく知っておくべきである。春と秋のこの時に、小善は大善となり、小悪は大悪となるのである。善悪の二道が決まるのであるが、一善であっても菩提の彼の岸に渡ることができるので、彼岸というのである。
 長年の罪業の札を消して善の札に改めて菩提を得ようとする者は、この七日間に一善を少しでも行えば、必ず仏果と菩提を得ることができる。他の時節に日月をかけて功徳を積むよりは、彼岸の一日に行う小善はよく大菩提に至るのである。
 このことを知って、彼岸に小善を行わないであろうか。極熱の日に藍を太陽に当て、極寒の日に錦を洗うと、更に色鮮やかになるようなものである。また、蜀川で錦を洗うと色を増し、楚山で玉を磨くと光を発するようなものである。この日時に善根を修すれば永く堕ちることなく利益を増すのである。
 龍樹菩薩が調べた資料に「昼夜の長さが等しくなるのは二月・八月の七日である。この日に善根を行い悪業をしないようにすべきである」とある。
 「倶舎論」には、一年中を寒・熱・雨の三際に分けている。寒際の四月は11月・12月・正月・2月、熱際の四月は3月・4月・5月・6月、雨際の四月は7月・8月・9月・10月である。寒際の第四の月で第七日はちょうど2月7日にあたる。
 インドの時法に牟呼栗多(むこりた)というものがある。夜の15牟呼栗多、昼の15牟呼栗多が一日である。
 牟呼栗多とは人間の六根の振舞いに、国土の六境が交合する日である。
 雨際の第二月で第七日はちょうど8月7日にあたる。昼と夜が等しい時である。この時は、人天有情界の五臓・五大と、諸仏の五智が交合する時である。
 寒・熱・雨の三際暦に相伝があり、複数の重なりを習うべきである。弟子の陰陽士は、複数の重なり知らずして、二十八宿の表示を習っている故に、龍樹菩薩の説かんとする本意を失っている。
 日蓮の弟子の中に陰陽道に通達した者がいる。三際暦の相伝を習うために帰伏して改めて習い合わせた。
 道性というすぐれた僧である。この人は過去世の宿習によってすぐに死んだ。したがって、国にこのことを習う人がいなくなり。心元ない限りである。
 しかし、日蓮はこのことを根本とせず、詳細を書くことはない。彼岸の説明時にその一端を書きあらわそうとして、龍樹菩薩が著した一巻の日付を書いて、暦を考えて二月と八月の昼夜が同じになる時に信力を強くするためである。
 暦は、源氏と龍樹菩薩の検帳の巻物から出ている。仏法を深く修学しない陰陽士の中には、比翼のように整然としていない暦がある。
 あなたはすぐれた陰陽士と聞いているが、この理(ことわり)によって信力を進めようとするため、このことを書きましょう。暦には、はじめに習うことがある。
 今この暦作りについて質問されているが、日蓮の言うことを聞いて決めるべきである。そして、二月と八月の昼夜が同じになる時を、しっかりと信仰していきなさい。
 佛説彼岸功徳成就經に云く、「すばやく成仏をしようとするならば、二月七日と八月七日の昼夜が同じ時が、一切の諸仏、三世の世尊及び無数萬億の菩薩等が、諸法を演説して衆生に楽を与える時である」また、「二月・八月の彼岸の時に十方の諸仏が讃えられる」
 また、「釋迦牟尼如来、旃檀華如来は、正像末の中に二月・八月の彼岸の時に修行する故に仏道を成ずることができた」
                             弘安5年正月16日
                                  日 蓮 花押


 
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